助けた子の正体 SIDE:天音花鈴
助けてくれた彼の遠ざかっていく背中を、時が停まったようにジッと見詰める。
その時間が一分、二分と続き、完全に彼の背中が見えなくなっても見詰める眼差しが逸れることはありませんでした。
ですが、五分を過ぎた頃、スマホが通知音を鳴らします。
「っ!」
停まっていた時が動き始めたようにハッと我に返った私は、慌てて視線をキョロキョロと動かし周りを見ました。
周りの人からは、不思議と生暖かい視線を向けられている気がします。
「うぅ!」
妙な気恥ずかしさを覚えた私は、逃げるようにその場から離れました。
◆◆◆
「はぁ、はぁ……えっと、メッセージは」
一息ついた私はスマホに届いたメッセージを確認します。
メッセージは叔父さんからで、『一人で大丈夫かい?前にこっちへ来たの一年近く前だし、もしも道がわからないようなら迎えに行くよ?』と、とても心配してる様子です。
確かに前に来たときと比べて、道や目印となるお店は所々変わっています。
ですが、目的地自体に変更はないので、スマホの地図アプリを活用すれば問題ありません。
「叔父さんったら、本当に心配性ですね」
こんなにも心配してくれる理由に関して心当たりはありますが、それを加味しても少し大袈裟な気はします。
「と……いけません。私のためを想って言ってくれた言葉なんですから……感謝する気持ちを忘れてはダメ」
かつてのことで学んだはずです。
「……ちゃんと、『ありがとう』って伝えよう」
こんな些細なことでも気を遣ってくれた叔父さんに感謝の念を抱きながら、私は『大丈夫です。気を遣ってくれてありがとうございます』と返信します。
既読がついたのを確認した私は、約一年前に家族と一緒に歩いた道のりを懐かしみながら、目的地までの残りの距離を歩いていくのでした。
◆◆◆
そうして、徒歩にして数分ほど歩いたところで、約束の場所――叔父さんが経営している喫茶店【ミラノワール】に着きました。
「ここに来るのも本当に久し振りです」
ドアには【CLOSED】と書かれた看板が掛かっていますが、叔父さんからは『気にせず開けていい』と言われています。
とは言っても、お休み中のお店に入る経験などないため、少し緊張しながらドアを開きました。
「ぁ」
開かれたドアの隙間からは、コーヒーのほろ苦い香りが漂ってきます。
カウンターにある棚の前では、せっせと何か作業をしている男性の後ろ姿が見えました。
「いらっしゃいませ。あー、お客様。申し訳ございませんが本日は」
手を動かしつつ、後ろ姿のままこちらへ声を掛ける叔父さん。
私はその姿に懐かしさを覚えました。
「――叔父さん」
「ん?」
私の声に、棚の前で作業をしていた叔父さんがゆっくりと顔を向けてきます。
「おお、もしかして花鈴ちゃんかい?久し振りだね!」
声を掛けたのが私だと気付いたのか、叔父さんは昔と変わらぬ温和な笑みで私に微笑みかけてくれました。
突然のお願いだったため邪険に思われないか少し不安でしたが、邪気のない優しい笑顔に私は安堵します。
「お久しぶりです、叔父さん。今日は急なお願いだったにも関わらずお時間を作っていただき、ありがとうございます」
叔父さんに謝罪しながら、今日ここに来た理由を改めて思い出します。
◆◆◆
私のお母さんとお父さんは娘の私から見てもラブラブな夫婦です。しかも、見ていて少し引いてしまうほどいつもイチャイチャしています。
おしどり夫婦として近所でも有名で、よく奥様方に夫婦円満の秘訣を尋ねられている様子も見掛けます。
そんな両親ですが、この度お父さんが海外出張をすることになり、少し家が荒れてしまいました。
荒れた原因は私がお父さんに着いて行かないと言ったからです。
お母さんは最初から着いていく気だったようで、私も一緒にと考えていました。ですが、私は必死に勉強して今の高校に受かり、友達もできてきた頃だったので転校することは考えられなかったんです。
その結果、私とお母さんは互いに譲れず喧嘩をしてしまいました。
それが一週間と続き、いよいよ収集が着かなくなりかけた頃――
『二人が向こうに行ってる間、花鈴ちゃんは私が預かるよ』
叔父さんが間に入って今回の件を提案してくれました。
◆◆◆
「本当に感謝しています……あのままだと転校することになったと思うので」
「……だろうね。妹も悪気があった訳じゃないと思うんだ。ただ、昔あんなことがあったから、花鈴ちゃんのことがどうしようもなく心配だったんだと思うよ」
「それは、その……わかっています」
今でこそこうして普通の暮らしができていますが、私は幼い頃に心臓病を発病し、移植手術を受けるまではまともな生活なんてできませんでした。
年頃の子ができた外での遊びはできず、病気の影響で学校にも通えない。たまに家に帰れても行動範囲は家の中。基本はいつも病室内で過ごすだけ――病室だけが私の世界でした。
きっと、あの経験があるからこそ、お母さんもあそこまで頑なに一人暮らしを認められなかったんだと思います。
「……まだ、後悔しているのかい?」
「え」
「いつもの癖がでてるよ」
そういった叔父さんは胸元に手を置く仕草をします。
その仕草は心臓が悪かった頃、気持ちが沈んだときにしていた癖でした。
「友達と喧嘩したまま仲直りできてないんだよね?」
「……はい」
今思い出しても、当時の私は酷い子供でした。
何も出来ない自分を呪い、自暴自棄になって自分勝手なワガママばかり。
そんな私のことを必死に励ましてくれていた彼に対しても、あんな酷い言葉を口にした。あまつさえ怪我までさせてしまって……彼だって凄く辛かったはずなのに。
「時間が解決するなんて無責任なことは言えないけど、あまり過去のことに縛られ続けないようにね」
きっと叔父さんの言う通り、過去に囚われるよりも未来を見て生きていく方がいいのでしょう。
「……はい」
ですが、私の口から出た声はとても暗いものでした。
いくら幸福な未来が待っていようと、私はきっとあの日のことを忘れることができないからです。
目を閉じれば、今でも頭の中にあの日の光景が蘇ります。
――血が流れる額を押さえながら無機質に私のことを見る彼の瞳。その口から発せられる声は、普段の温かみがあった彼の声とは真逆の、冷たく平坦なもので……全てが色褪せることなく記憶に刻まれています。
「あー……昔はいろいろあったかもしれないけどさ、せっかくウチでしばらくの間暮らすことになるんだし、心機一転なにか新しいことでもしたらどうかな?」
私のことを気遣うように叔父さんは言ってきます。
「新しいこと、ですか」
親元から離れるんですし、新しいことにチャレンジしてみたい気持ちはありますが……
「うーん。例えば、年相応に恋愛とかどうだろう」
「恋愛です、か?」
「そうそう。ほら、花鈴ちゃんぐらいの年齢なら気になる異性の一人や二人いるんじゃないかなぁって」
一人や二人って、叔父さんは私が好きな相手を複数人作る浮気者だと思っているわけですか、そうですか。
「叔父さん?一人ならまだしも二人なんてそんなの不潔ですよね?もしかして叔父さんには経験があるんですか?」
「いやいやいや!そんな経験全くないからっ!なんかごめんねっ!変なこと言って!?」
焦ったような声で慌てて否定する叔父さん。
少し怪しいですが、ここは追求しないであげましょう。
「いいですか、叔父さん?そもそもですね、私にはそんな人いませ――」
いないと答えようとしたところで、不意に私の脳裏には助けてくれたあの人の姿が浮かびます。
男らしく私を守ってくれた後ろ姿。優しく紳士的な対応。もしも付き合えるのならあんな人がいいと、つい思ってしまいます。
「お?おぉ、もしかして気になる人でもいるのかい?」
「ち、違いますっ!ただちょっと、ここにくる前に男の人に絡まれてしまって」
叔父さんに助けてもらった時のことをそれはもう事細かく説明していきます。
いかにあの人が助けてくれて、あの男を追い払ったのかを。
「そんなことが……大丈夫だったのかい?」
話しを聞いた叔父さんは心配そうに尋ねてきました。
「はい。あの人が助けてくれたので」
「そっか、それは本当に良かったよ」
安心したように頷く叔父さん。
ですが、次の瞬間には何か考えるような仕草をします。
「それにしても……チャラ男に体を掴まれそうになったところを同い年ぐらいの男子に助けられた、か」
もしかして叔父さんも彼に興味があるのでしょうか?
「はい。目元まで髪が伸びていたので素顔はわかりませんでしたが……あっ!でも」
「何か気になる部分でもあったのかい?」
「その、ですね。こんな夏場なのに長袖を着ていまして……もしかして、肌が弱いんでしょうか?」
私の言葉に叔父さんはさっきよりも眉を顰める。
「チャラ男を追い払えるほど強くて、しかも目元まで伸びた髪に、夏場なのに長袖か……」
「できれば名前だけでも聞けたら良かったんですが……って、叔父さん?どうしたんですか?」
叔父さんは何故か眉間を揉みながら考えるような仕草をしています。
「い、いや、なんでもないよ、うん……きっと気のせいだと思うからね(ぼそ)」
「?」
「あー、いつまでも立ち話っていうのもなんだし、そこの椅子に座って。一息つきながらこれからのことを話そうか」
「?わかりました」
突然話しを変える叔父さんの姿に釈然としない気持ちになりながらも、私は言われた通り椅子に座り、叔父さんと今後についてを話し始めた。
――――――――――
今後の物語に関わってくる重要な子だったので、このタイミングで花鈴視点のエピソードを入れました。
また、今後も春人以外の視点でのエピソードである場合には、わかりやすくするために『タイトル SIDE:●●』という表記にいたします。
次回は春人の視点に戻り、美音との遭遇からスタートです!
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