天使に拾われた陰キャ
「お、お邪魔します」
急展開とはまさにこのことで、俺はあの後初対面のお姉さん――美玖さんに連れられる(ほとんど連行される)形で家にお邪魔していた。
「どうぞどうぞー」
エントランスの入り口と部屋前のオートロックという二重のセキュリティーをこえてたどり着いた美玖さんの部屋。
玄関先の靴は綺麗に整理されており、廊下にはホコリ一つ落ちていない。
廊下を歩き、通された先のリビングは女性らしく可愛らしい家具や小物で彩られている。
女性の家にお邪魔した居心地の悪さを除いて、家主の色がよく出たいい部屋な気がした。
「とりあえず、そこのソファに座ってて!そのソファー、背もたれが倒れるソファーベッドだから、ゆっくりしたいなら倒しちゃっていいからね♪」
「あ、はい」
「えっと、熱冷まシートと後は」
美玖さんは俺に促した後、冷蔵庫やキッチン周りの収納部分をガサガサし始める。
俺をその様子を見守りながら、お言葉に甘えてソファーの背もたれを倒す。
「っぁ」
背もたれが倒れたソファーの上に寝転がると、一気に身体の力が抜けていく。
「また……意識が……ぅ」
公園のベンチの時とは比にならないほどの強烈な眠気が襲ってくる。
気付けば瞼が重くなり、意識もうつろうつろとしてきた。
初対面の、それも警戒心をなくしてはいけない『女性』という存在の前で、こんなにも気を抜くなんて。
「(でも、美玖さんと話してると不思議と落ち着くというか……なんだか懐かしい気持ちになるんだよな)」
もしかしたら、これが異性に対して母性を感じるということなのかもしれない。
「(……そ、れ……に)」
薄れていく意識の狭間で。
――こんなにも誰かに優しくされたのは本当に久し振りだ。
そんなことを考えながら、俺は睡魔に抗えず再び瞼を閉じた。
◆◆◆
「……く……」
遠くから声が聞こえ、優しく身体を揺らされる。
「……くん」
「っ、ぅ」
「……くん、……きて」
段々と意識が目覚めていく。
揺らされる感覚や誰かが囁きかけてくれる声が明確に聞こえてくる。
「春人くん、起きて」
「――っ!」
美玖さんの声がハッキリ聞こえた瞬間、今まで感じていた心地よい温もりは何処かにいき、一気に意識が目覚め飛び起きた。
「お、おおぉ。ごめんね、気持ち良く寝てたのに」
「い、いえ」
むしろ家主である美玖さんのことを放っておいて先に寝ている俺の方に問題がある。
いくら体調が悪いとはいえ、流石に失礼すぎる。
「すみません……このソファーベッドが寝心地よくて、気付いたら」
「あ、ううん!それは大丈夫。本当は起こす気なかったんだけど、お薬とか飲んだりしないといけないし、服も着替えた方がいいよね?」
「あ、そうですね」
まだ、学生服を着たままだった。
「さっきよりも顔色は良くなってるようだけど、一応熱測ろうか」
美玖さんは体温計を差し出してきた。
「辛いようなら手伝うけど」
「あ、いえ。自分でできます」
俺はなるべく素肌を見られないように気をつけて、体温計を脇に挟んだ。
……。
…………。
………………。
「……うん。熱はないみたいだね。それに脈もさっきより安定してる」
取り出した体温計は平熱の値を表示しており、寝心地のいい場所で眠ったお陰が先程よりも頭痛や気持ち悪さは幾分か落ち着いている。
「これならシャワーを浴びても大丈夫だと思うよ」
「……いいんですか?」
体調云々の話しではない。
仮にも男が年上のお姉さん、それも美人の家でシャワーを浴びるなんていろいろ不味いんじゃないか?
「春人くんなら別に構わないけど……あ、もしかしてエッチなこととか考えてる?お姉さん結構美人だしなぁ~」
確かに十人が十人振り返りそうな美人だし、ぱっと見スタイルも良くて男受けしそうではあるけど。
「いえ、違います」
「じー」
「あ、あの、本当に考えてないです……むしろ申し訳ない気持ちの方が強くて」
俺の言葉に美玖さんはどこか悲しげな表情を浮かべて頷いた。
「……そっか、君はそういう子だよね。でも、私が提案してるんだから気にしなくていいんです!さぁ、いいからパパッとシャワー浴びて汚れや汗を流してきなさい!」
「わ、わかりましたから!ちょ、押さないでくださいっ」
美玖さんに連行されながらお風呂場に連れて行かれる。
「あ、そう言えばお腹は空いてる?」
「い、いえ、大丈夫で――あ」
タイミング悪くぐうぅとお腹がなった。
「へぇ」
「……」
「お腹、空いてないの?」
「……空いてます」
恥ずかしくてつい視線を下に向けながら、素直に答える。
鳴るなら鳴るでタイミングをもう少し見計らってもらいたい。
「ふふ、了解!じゃあ春人くんがシャワー浴びてる間に消化にいいもの作っておくね♪」
「お願いします」
はぁ……俺、美玖さんの前で情けない姿ばかりみせてる気がする。
「あ、シャンプーとかボディーソープは好きに使っていいからね!」
「はい、わかりました」
「じゃあ、着替えは洗濯機の上に置いておくから、ごゆっくり!」
洗面脱衣室から出て行く美玖さん。
洗面脱衣室のドアが閉まったのを確認した俺は、ゆっくりと服を脱ぎ始め、素直に美玖さんの指示に従ってシャワーを浴びることにした。
――頭や体を洗う際、美玖さんと同じ匂いのシャンプーやボディーソープに少しドキドキしたのは思春期ということで許してほしい。
◆◆◆
シャワーからあがり、置いてあったパジャマを手に取る。
「……あれ」
そして着替えているのだが、不思議とパジャマのサイズがピッタリだった。
自分で言うのもなんだが、俺は普段わざと猫背をしている。基本的に目立ちたくないというのもあるが、身長が平均よりも高い方であるため背筋を伸ばしていると嫌に注目を浴びてしまう(過去にそれで変なちょっかいをかけられた経験がある)。
それに美玖さんも女性にしては高めではあるものの俺よりも低い。
なのになんでこんなピッタリなサイズを……それに、このパジャマ使い古されていないまるで新品を思わせる綺麗さだし。
「……でもなぁ」
もしかしてとまた疑いそうになったが、母が死んでからここまで俺に気を遣ってくれた女性は義母である桜さん以外で初めてだ。
そんな恩人にも近い人を証拠もないのにこれ以上疑うのはいくらなんでも不義理すぎる。
「俺が寝ているときにコンビニとかで買ってきてくれたのかもしれないしな」
そもそも初対面の相手に対して神経質になりすぎだ。
過去に色々あり過ぎたことを加味しても、最近変に疑い深くなっている気がする。
「……よしっ」
パンッっと力強く頬を叩き浮かんだ疑問を頭の外に追いやりながら、俺は残りを着替えるのだった。
◆◆◆
「ごちそうさまでした」
パジャマに着替えて洗面脱衣室から出た俺は、リビングで美玖さんが用意してくれた卵粥を食べて一息ついていた。
シャワーを浴びたことで体はスッキリし、食事をとったことで空腹感も満たされた。お陰で先程よりも調子は良くなっていると感じる。
とはいえ、まだ頭痛はするし微妙に力の入りも悪い。
完全に治った訳ではないのだろう。
「あ、そうだ。春人くん」
「ん?なんですか、美玖さん」
「これ、さっきから鳴ってたよ」
美玖さんはタイミングを見計らったように言うと、俺のスマホを差し出してきた。
差し出されたスマホの画面には黎からのメッセージが滅茶苦茶流れてきている。
「あっ!」
ヤバい、連絡するの忘れてた!!
慌てて黎からのメッセージを確認する。
送られてきたメッセージは『いい加減さっさと帰ってきなさいよ』とか、『あんたの仕事まだ残ってるんだから』等々。
心配してるの一言さえない自分勝手なものばかりで、見ていて気分がいいものじゃない。
「……なにこれ、酷いね」
「あ」
俺の後ろからスマホを覗き込む美玖さんは、黎からのメッセージを見て不快感をあらわにするように眉を
「ごめんね。見るつもりはなかったんだけど、春人くんが辛そうな顔してたから……これ、なんて返すつもりなの?」
「それ、は」
どうしよう。
正直今の状態だと返事をするのも億劫だし、返信した結果メッセージのやり取りを続けるのも気が進まない。
「と、そっちは別の人からじゃない?」
「え」
見ると、桜さんからもメッセージが届いていた。
『黎から春くんが帰って来ないって聞きました。何かに巻き込まれてないか心配です。連絡できる状態なら連絡ください』と見るからに心配している様子だ。
当たり前か。桜さんは女手一つで黎と俺を育ててくれているいい人だ。
俺達のために遅い時間まで会社で働いており、そのせいで中々家族の時間が取れないことを悩んでいる優しい人でもある。
そんな人の心配事をこれ以上増やすのは心許ない。
「心配かけてごめんなさい。久し振りにあった友達と話してたら会話が弾んでこんな時間になってしまいました。せっかく会えたので、今日は彼のウチに泊まっていこうと思ってます……と、これでいいかな」
メッセージを送ると、直ぐに返信が帰ってきた。
『良かった。春くんになんともなくて……黎には私の方から伝えておくから、今日は友達とゆっくり過ごしてね』
「へー、理解がある良いお母さんだね」
「そう、ですね」
だからこそ、心配を掛けたくないし、これ以上心労を増やさないよう黎の態度も黙ってるんだけど。
「でも、うーん」
「美玖さん、どうしたんですか?」
「春人くんってさぁ、無理してない?」
「無理、ですか?」
はて、どうして突然そんなお話に?
「うーん、その、なんというか……良い子であろうとしてるっていうか、自分を押し殺して誰かを優先してる気がするんだよね」
「――」
「ねぇ、春人くん」
美玖さんは俺の両目を正面からしっかりと見据える。
「――君はどうして他人のために自分を犠牲にしようとするの?」
美玖さんからの問い。
それは俺自身の本質を突くものであり、心の奥底に覆い隠していた醜い内面にも触れるものでもあった――
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