喫茶店のアルバイター
「おはようございます」
バイト先の喫茶店【ミラノワール】に出勤した俺は、カウンターで作業しているマスター(本名は
「やぁ、おはよう水無月君。相変わらず時間ピッタリだね」
マスターはコーヒーを入れながら穏やかに俺に応えた。
背筋の伸びた姿勢に白髪が交じった黒髪、落ち着いた雰囲気は、積み重ねてきた年月を感じさせる。
俺も出来ることなら、将来こんな大人に成長したいと思わずにはいられない。
「出勤するのも仕事ですから。直ぐ着替えてきますね」
「そんなに急がなくてもいいよ。まだ出勤まで時間があるし、見ての通り今は急ぐ必要はないからね」
「そう、ですか?」
背後から聞こえるマスターの声に返答しながら、更衣室のロッカーに荷物を入れていく。
「そうだよ。君の前にウチで働いてた子なんて、遅刻するのは当たり前。急にシフトを空けるなんてこともあったからねぇ」
遠い目をしつつ、疲れた笑みを浮かべるマスター。
マスターはどちらかというと自主性を重んじるタイプの人で、ダメなことはダメだって言ってくれはするけど、基本的にはその人の気持ちや行動を優先させるところがある。
俺としてはそのお陰で高校生だけど採用してもらえたし、バイトの融通も利かせてもらえて助かってはいるけど、経営者としては欠点でもあるのだろう。
実際これまでに何度か痛い目にあったらしいし。
でも、自分の考えを変えずに今も貫き通してる点は好感がもてる。
「それは、酷いですね」
「そうだね。だけど、そのお陰で君みたいな真面目な子がウチに来てくれたんだ」
マスターは温和な笑みを浮かべた。
「プラマイゼロ――いや、むしろウチにとってはプラスだと思ってるよ」
大人の男性にここまで言われて嬉しくないわけがない。
出勤前に感じていた不快感が少しだけ和らいでいくのがわかる。
「そう言っていただけると僕の方も働き甲斐があります」
着慣れた制服に着替えていく。
といっても、ズボンにカッターシャツという服装は学生服の時とあまり違いはない。強いて言うならその上にベストを着てネクタイを締めるため、学生服よりもキッチリした印象を受ける。
「うん、問題ないな」
飲食を扱うため、キッチンに入る前に備え付けの鏡の前で身嗜みの確認をする。
いつもは目元付近まで下げている前髪は上げており、目元まで見える様子はぱっと見誰かわからないレベルだ。これなら不潔に思われることもないだろう。
今の時代、お客さんの口コミ一つでお店の評価が決まり、場合によっては売り上げに影響し閉店にまで追い込まれることがあるからな。
こういった自分でもできる部分はちゃんとしておかないと。
身嗜みの確認も終えた俺は、キッチンに入った。
――さぁ、バイト開始だ。
◆◆◆
「あ、そうだ。水無月君には先に伝えておくけど」
注文された料理を作っていると、少し手持ち無沙汰な様子のマスターが何かを思い出したように振り向いた。
「近々新しい子が来るから」
「え、新人さんですか?」
珍しい。
あまり人を採用したがらないマスターがまた新人を雇うなんて。
「ああぁ、違う違う。新しい子って言ってもバイトで来るんじゃなくて……私の姪なんだ」
「姪、ですか?」
「うん、そう。どうやら私の妹が旦那さんの海外赴任に付き添うことにしたらしくてね。最初は姪も連れて行くつもりだったみたいなんだけど、姪が『せっかく志望校に合格できたのにっ』って拒否して喧嘩になったらしくて、ならと私が面倒をみることにしたんだ」
「それは、その……大変ですね?」
「まぁ、私はしがない喫茶店の店主だけど娘もいないからねぇ」
ははっと力なく笑うマスターの表情は、先程よりも少し老けて見えた。
「姪の歳は君と近いし、もしも姪が来たら仲良くしてあげてほしい」
姪ってことは女の子か。
正直言えば女運が悪い俺としては素直に了承できるものじゃない。
ただ、マスターのことは尊敬してるし、面倒をみる姪ちゃんの事情にも同情できる。
「……善処します」
だから、少し前向きな返答をしておいた。
「それで大丈夫だよ!っと、いらっしゃいませ……お客さんが少し増えてきたね。じゃあ、私は接客に戻るよ」
「わかりました」
話しを終えて接客へ向かうマスター。
対して俺は、さっきよりも手早く手を動かして料理を作っていく。
時間は既に十七時半を過ぎている。
そろそろ学校や会社帰りの人が来店する時間帯だ。
◆◆◆
「……そういえば」
両手を忙しなく動かしながら、注文を取り終えてキッチンに伝票を届けにきたマスターへと声を掛ける。
「今日ってこの後も僕とマスターだけなんですか?」
俺は普段自分以外のシフトをあまり確認していないため、誰がいつ出勤してくるのか正確に把握できていなかった。
特にウチは結構シフトの融通が利くため、急遽シフトが変わるなんてことも多々ある。
今の時間帯は二人でも問題なくまわせるが、十八時を過ぎたディナー時はそうもいかない。
毎日結構な人数のお客さんが食事にくるからだ。
料理に関してはマスターも手伝ってくれるし俺も手が早い方だから大丈夫にしても、問題はお客さんへの対応だろう。
俺は今現在料理を作っているのでキッチンからは離れられない。そうなってくると、必然的にお客さんへの対応ができるのはマスター一人だけとなる。
正直これからの時間を二人でまわすのは大変だと思う。
「確か……あったあった。えっと、十八時から梨香ちゃんが出勤するよ」
「え、鈴瀬さんですか」
名前を聞いた俺は、思わず料理をしていた両手がとまり、頬が引きつった。
鈴瀬――
高校生にしては小柄で、どうやら西洋の血が混ざっているらしく綺麗な銀髪と愛らしい容姿をしている。
その容姿からお人形や妖精なんて言われており、ウェイトレスとして働いている姿を見るために来店する人もいるくらいだ。
また、容姿がいいだけでなく、仕事もできて一生懸命に働く姿からファンクラブなんてものもできてるとかいないとか。
……ただ、バイト先での姿とは裏腹に、素の彼女は俺に対して変に絡んでくる。
例えば注文が重なって大変なときに『あっれぇ~、せんぱいなのにまだ終わってないんですかぁ~ぷぷ。梨香なんてぇ、余裕で終わらせましたよぉ?せんぱいはざーこ、ですね♥』と小馬鹿にし、テスト勉強のためにバイトの出勤を減らそうかと考えていた時には『せんぱ~い?も・し・か・し・てテストのためにバイト休む気ですかー?梨香はぁ~、バイト休まなくても毎回上位なのにぃ~?梨香のせんぱいならぁ、格好いいとこ見せてくださいよぉ~、ぷぷぷ』とか挑発もされた。
特に恋人がいると言った時なんて『え、えー、せんぱいみたいなこじらせ陰キャに彼女とか……ぷぷぷ。いい加減夢と現実はハッキリ自覚した方がいいですよ~!妄想はお家の中でしましょうねぇ♥』と、明らかに俺のことを頭のおかしいやつだと断言し、馬鹿にしたことは忘れたくても忘れられない。
働き始めた当初こそ先輩を先輩らしく扱う可愛らしい後輩だったんだが、いつの頃からかその言動や態度はとても先輩に対して行うべきものではなくなっていた。
しかも時間さえあれば滅茶苦茶絡んでくるしで、精神的疲労感も大きい。
一体あいつはどれだけ俺のことを嫌っているのか……正直、苦手意識がついていると言ってもいい。
その話しをマスターにすると、何故か生暖かい目で見られて滅茶苦茶居心地が悪かった。
俺としては出来る限り彼女とは一緒の空間にいたくないんだけどなぁ……
――――――――――
バイト先でのお話が長くなったため2分割いたしました。
本日の20:08にもう1話投稿いたします。
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