第6話:天秤大路の誘い

春の陽気が蒼龍郡を包む隆盛21年。楊鳳来が3歳を迎えた頃、藍城の街は活気に満ちていた。鳳来は、家庭教師の顧明智と護衛の王剛、さらに蒼龍府を護衛する兵士2名を伴い、初めて藍城大市場へと足を運んだ。

市場に一歩足を踏み入れた瞬間、鳳来の小さな体が興奮で震えた。


「わぁ、すごい人だ」


鳳来は目を丸くして、市場の喧騒に見入った。色とりどりの布や陶器が並び、香辛料の香りが立ち込める中、商人たちの威勢のいい掛け声が飛び交う。その光景は、前世の日本の祭りを思わせた。鳳来の胸の中で、懐かしさと新鮮さが混ざり合う。

顧明智は鳳来の小さな手を優しく握りながら、身をかがめて鳳来の耳元で囁くように言った。


「鳳公子、ここでは平民の姿でいることを忘れずに。藍城大市場は天秤大路てんびんたいろの東の玄関口。様々な国や地域の人々が集まる場所でございます」


「天秤大路?」


鳳来は興味深そうに首を傾げ、顧明智の深い皺の刻まれた顔を見上げた。

顧明智は微笑んで答えた。その目には、知識を伝える喜びが輝いていた。


「そう、東西8,000キロにも及ぶ壮大な交易路です。砂漠も山も越えて、はるか西の果てまで続いています。楊家の先祖、楊明徳様もこの道を整備し、ここ蒼龍郡の繁栄の礎を築きました」


鳳来の目が輝いた。前世の記憶からシルクロードを思い出し、この世界でもそれに匹敵する大道が存在することに胸が躍った。同時に、自分が楊家の一員であることの重みを感じ、背筋が伸びる。

市場を歩いていると、突然、異彩を放つ一団が目に入る。鮮やかな民族衣装を身にまとい、独特の雰囲気を醸し出す人々の姿に、鳳来は思わず足を止めた。


「あれは...」


鳳来の声には、好奇心と驚きが混じっていた。

顧明智が小声で説明する。その口調には、少し警戒の色が混じっていた。


嶺羽族れいうぞくの交易団です。山岳地帯に住む少数民族でございます。天秤大路を通じて、貴重な山の産物を運んでくるのです」


鳳来は興味深そうに近づこうとしたが、周囲の人々が彼らに対して微妙な距離感を保っているのに気がついた。人々の表情には、警戒と好奇心が入り混じっていた。


「なぜみんな避けているんだ?」


と鳳来が尋ねると、王剛が答えた。その声には、年季の入った警戒心が滲んでいた。


「嶺羽族はここ藍城の南方に蒼嶺山脈そうれいさんみゃくを拠点とする山の民でしてな。都の人間とは習慣も言葉も信じてるものも違う。そりゃあ、警戒するってもんですよ」


その言葉に、鳳来は自分がいた世界の差別や偏見を思い出した。当時の日本ではそこまで差別や偏見が顕在化しておらず、ありありと目の当たりにすることは少なかった。

とはいえこの世界にも偏見や差別があることはある程度理解していたし、差別を見ても(まあそうだろう)という程度の感想とともに転生した自分が裕福な身分でよかった、、っと思ったところで猛省した。鳳来の小さな眉間にしわが寄る。


そんな中、優雅な立ち振る舞いの女性が目に入った。絹の上等な服に身を包み、几帳面に商品を選んでいる。その姿は、周囲の喧騒とは不釣り合いなほど優美だった。


「あれは李玉蓮りぎょくれん様という商家の娘でございます」


と顧明智が説明した。その口調には、尊敬の念が滲んでいた。


「鳳来様の祖父、雲雷様の代から楊家とも取引がございまして」


李玉蓮は周囲を気にすることなく、堂々と嶺羽族の店で薬草を吟味していた。その姿に、鳳来は少なからず感銘を受けた。彼女の態度には、偏見に囚われない開放的な精神が感じられた。

好奇心に駆られた鳳来は、玉蓮に近づいていった。小さな足取りは軽やかだったが、その瞳には大人びた輝きがあった。


「お姉さん、その薬草は何に使うの?」


玉蓮は驚いた様子で鳳来を見下ろした。その瞳に、一瞬戸惑いの色が浮かんだが、すぐに優しい笑みに変わった。


「まあ、珍しい。こんな小さな男の子が薬草に興味があるなんて」


鳳来は自分の立場を忘れないよう気をつけながら答えた。その声には、年齢不相応な落ち着きがあった。


「僕、色んなことに興味があるんだ。天秤大路を通ってくる物がどんなものか知りたくて」


玉蓮は感心したように頷いた。その目には、鳳来の知的好奇心に対する喜びの色が浮かんでいた。


「そう、この薬草はね、遠い南の山々から来たのよ。おそらく嶺羽族がさらに南方から仕入れてきたんでしょうね。咳を止めたり、熱を下げたりするのに使うの。天秤大路は、こういう貴重な物を運んでくれる大切な道なのよ」


そういうと玉蓮は薬草を取り扱っている嶺羽族の交易者へどこから仕入れたのか声をかけると想像通りの答えをもらい鳳来へ微笑んだ。その笑顔には、知識を分かち合う喜びが溢れていた。


「へぇ、すごいな」


鳳来は目を輝かせた。その瞳には、遠い世界への憧れが映っていた。


「天秤大路をずっと西まで行ったら、どんな世界が見られるんだろう」


玉蓮は少し考えてから答えた。その表情には、遠い旅の記憶が蘇ったかのような懐かしさが浮かんでいた。


「そうねぇ、砂漠や雪山、果てしない草原...想像もつかないような景色が広がっているはずよ。でも、危険も多いの。盗賊や猛獣、自然の脅威もあるわ」


鳳来はその言葉に、前世で学んだシルクロードの壮大さと危険を重ね合わせた。彼の小さな胸の中で、冒険心と慎重さが綱引きを始める。


「お姉さんは天秤大路を旅したことある?」


鳳来の声には、純粋な好奇心と尊敬の念が混ざっていた。

玉蓮は軽く笑った。その笑い声には、懐かしい思い出の色が滲んでいた。


「ええ、父に連れられて何度か行ったわ。色んな国の人と出会えて、とても面白かったわ。でも、まだ西の果てまでは行ったことがないの。あなたもお連れの人がいるみたいだしお父様はさぞ立派な方なのでしょう。もしかしたら天秤大路を旅する日もちかいんじゃないかしら」


この会話を聞いていた顧明智は、少し焦った様子で鳳来の肩に手を置いた。その手つきには、保護者としての責任感が感じられた。


「さあ、若様、そろそろ行きましょう」


玉蓮は怪訝な顔をしたが、特に何も言わなかった。鳳来は玉蓮に丁寧にお辞儀をして別れを告げた。その仕草には、年齢を超えた礼儀正しさが滲んでいた。

歩き出してから、顧明智は小声で諭した。その声には、愛情と心配が混ざっていた。


「鳳公子、身分を明かすわけにはいきませんが、あまり人に親しく話しかけるのは控えめにしたほうがよろしいかと」


鳳来は少し悔しそうに頷いたが、心の中では決意を固めていた。その小さな瞳には、大きな夢が宿っていた。


(折角働き詰めの人生から解放されたんだ。いつの日か、自分も天秤大路を旅し、この世界を旅してみたい)


小さな胸に大きな夢を抱き、鳳来は藍城大市場の喧騒を後にした。天秤大路の存在は、彼の心に新たな冒険心と好奇心の種を植え付けたのだった。


* * *


数日後、鳳来は父である楊雲海に呼ばれた。蒼龍府の執務室は、重厚な家具と古い書物の匂いに満ちていた。雲海は息子を前に、複雑な表情を浮かべていた。その目には、愛情と不安が交錯している。


「鳳来、お前の才能は素晴らしい。だが、それゆえに心配なこともある」


雲海の声には、誇りと不安が混じっていた。鳳来は真剣な眼差しで父を見つめ、静かに頷いた。その小さな体には、緊張が走っていた。


「お前の存在が、楊家の中で、そして蒼龍郡の中で、小さな賢者と呼ばれ少なからず影響を与えている...お前自身、自分の立場をどう考えている?」


鳳来は一瞬考え、そして静かに口を開いた。その声には、年齢を超えた落ち着きがあった。


「父上、私は楊家の一員として、そして蒼龍郡の人々のために、自分の力を使いたいとは思います。ただ、この世界を自由に旅し見聞を深めたいという想いもあります」


その言葉に、雲海は驚きの表情を隠せなかった。3歳の子供とは思えない洞察力と決意に、彼は言葉を失った。執務室の空気が、一瞬凍りついたかのようだった。


「鳳来...お前は」


雲海の声が震えた。


「父上、私には責任があります。この鳳凰のあざは、単なる偶然ではないと信じています。新しい時代の到来を告げる印なのかもしれません。私は自分が何をできるのか確かめたいのです」


鳳来の瞳には、前世の経験と現世の決意が溶け合った光が宿っていた。その小さな体からは、大人びた威厳さえ感じられた。雲海は息子の姿に、楊家の未来を見た気がした。彼の心の中で、不安と期待が激しくぶつかり合う。


「わかった、鳳来。お前の志は立派だ。そして成長も異常なほど早い。だが、忘れてはならない。お前はまだ子供だ。成長の過程を飛ばしてはいけない。ゆっくりと、しかし着実に進んでいくのだ」


雲海は立ち上がり、鳳来の前に膝をつき、その小さな肩に手を置いた。その目には、深い愛情と期待が満ちていた。

鳳来は父の言葉に頷いた。彼の心の中には、この世界をもっと知りたいという強い思いが芽生えていた。それは、前世の後悔と現世での新たな可能性が融合した、固い決意だった。


その夜、蒼龍府を包む夕暮れの中、鳳来は外壁の上から藍城の街を見下ろした。彼の小さな瞳に映る景色は、未来への希望に満ちている。遠くに見える天秤大路の始まりに、鳳来は自分の未来を重ね合わせた。

風が吹き、鳳来の黒髪が揺れる。その瞬間、彼の背中にある鳳凰のあざが、かすかに輝いたように見えた。

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