第5話:蒼と緋の邂逅
秋の気配が漂い始めた蒼龍府の庭に面した広間で、楊鳳来は一人、静かに座っていた。彼の緋色の衣装が、周囲の少し色づき始めた木々と調和しつつも鮮やかなコントラストを描いている。鳳来は庭の景色を眺めながら、前世の記憶と現在の状況を照らし合わせ、複雑な思いに浸っていた。
突如、庭の入り口に人影が現れた。
「やあ、君が噂の鳳来か!」
爽やかな秋風に乗って、明るく朗らかな声が響いた。
鳳来は思考から引き戻され、顔を上げると、そこには蒼い衣装に身を包んだ若い男性が立っているのを見た。彼の姿は、まるで澄み切った秋の空から抜け出してきたかのようだった。鳳来は一瞬戸惑いを覚えたが、すぐに表情を整えた。
「叔父上...
鳳来は慎重に言葉を選び、丁寧に頭を下げた。
蒼来は大きく笑うと、軽やかな足取りで鳳来の隣に腰を下ろした。座る際、彼の衣装が風に揺れ、秋の香りが漂った。彼は親しげに鳳来の肩を軽く叩いた。
「堅苦しいなぁ。叔父さんでいいよ。それにしても、聞いていた通り君は本当に賢そうだな。その目は大人びている。まるで一歳と数ヶ月とは思えない。もっと早くに会いたかったんだが、色々とあってね。今しがた藍城に戻ってきたところなんだ」
蒼来の率直な物言いに、鳳来は内心で安堵した。彼は自然な笑みを浮かべながら答えた。
「はい、聞き及んでおります。母上からここに行くようにと申しつかりました」
鳳来はまだ一歳と数ヶ月だが、前世の経験からすぐに歩くことができ、今では蒼龍府の楊家住居域であれば自由に歩き回ることを許されている。それはつまり非常に幼い鳳来が歩き回れるだけ蒼龍府が安全であるということでもある。この事実に、鳳来は改めて感謝の念を抱いた。
蒼来は微笑みながら、鳳来をじっと見つめた。彼の眼差しには、好奇心と温かさが混ざっていた。
「そういえば、君の名前は鳳来だったね。僕の名前と合わせたんだろう」
「本当ですね。蒼来と鳳来...」
鳳来は言葉を噛みしめるように繰り返した。
「ああ」
蒼来は頷いた。彼は自身の背中に手を当てながら続けた。
「楊家では、蒼龍のあざをもつものが現れる。それで僕の名前の '蒼' は背中の蒼龍のあざから来ている。君の '鳳' も、そのあざにちなんでいるんだろうな」
鳳来は思わず自分の背中に手を伸ばした。そのジェスチャーに、自身のアイデンティティへの戸惑いと期待が込められていた。
「はい、そうみたいです」
「面白いよな」
蒼来は楽しそうに言った。彼の目は輝いていた。
「僕たちは二人ともあざを持っている。これも何かの縁かもしれない。君とは特別な絆で結ばれているような気がするよ。ただ君のあざは前例のない特別なものだし、同時期にあざを持つものが二人もいるのも前例がないことだ」
鳳来はその言葉に心を打たれ、静かに頷いた。二人の間に流れる空気が、より親密なものに変わっていくのを感じた。彼は自分と蒼来との関係性に、新たな可能性を見出していた。
鳳来は話を変えようと蒼来に質問をした。彼の声には、大人びた冷静さと子供らしい好奇心が混ざっていた。
「叔父さんは
蒼来は驚いたように鳳来を見つめる。彼の表情には、驚きと共に、何か計算するような色が浮かんでいた。
「おや、そんなことまで知っているのか。さすがは小さな賢者だ」
彼は空を見上げ、舞い落ちる一枚の紅葉を見つめながら、少し表情を曇らせた。その姿は、若さと重責の狭間で揺れる指導者のようだった。
「翠玉朝との関係は、常に綱渡りのようなものさ。我々蒼龍郡の自治と、彼らの統治とバランスを取るのは難しい」
蒼来は自分の胸元に手を当て、背中のあざの位置を意識した。彼の表情には、自信と不安が交錯していた。
「実を言うと、僕がこんな若くして当主になれたのも、ここにある蒼龍のあざのおかげだと思っている。本当の実力はまだまだ及ばない」
彼の表情が柔らかくなり、懐かしむような目つきになった。蒼来は遠くを見つめながら、静かに続けた。
「兄たちの方がずっと優秀なんだ。特に雲飛兄さんは軍事面で天才的だし、雲海兄さんは政治の才に長けている。私は外交を担当しているが、それも隠居した父に助けてもらっている。僕は彼らの背中を追いかけているようなものさ」
鳳来は真剣な面持ちで頷いた。彼の目には、蒼来への共感と、自身の将来への思いが映っていた。落ち葉を踏む音が静かに響く中、彼は言った。
「でも、叔父さんなら上手くやれるはずです。叔父さんの人柄なら、きっと相手の心も開かせられる。そして、雲飛おじさんや父たちの長所を理解し、活かせる立場にいるのは叔父さんだけです」
蒼来は再び明るく笑った。彼の笑顔には、鳳来の言葉に励まされた喜びが溢れていた。
「君にそう言ってもらえると嬉しいよ。確かに、みんなの力を合わせてこそ、蒼龍郡は強くなれる。さて、今日は君に会いに来たんだ。君が生まれてからいまの今まで会うことが叶わなかったからな」
鳳来は内心で思った。
(蒼来さん、とても好青年だな。こんな若くして当主の座についているのは尊敬する。でも、その重圧も大きいんだろう...自分に初めての部下がついたのは彼よりもう少し年長の頃だった...)
その瞬間、庭の奥から大きな足音が聞こえてきた。落ち葉を踏みしめる音が、次第に近づいてきた。鳳来と蒼来は同時に音のする方向を見た。
「蒼来様、鳳来様!ここにおられましたか!」
がっしりとした体躯の男が、長い足を大股で踏み出しながら近づいてきた。短く刈り込まれた黒髪と濃い眉毛、そして鋭い眼光が特徴的な、一見すると恐ろしげな風貌だが、その口元には朗らかな笑みが浮かんでいる。彼の歩みは力強く、地面を揺るがすほどだった。
「がはは!藍城に戻ってから方々に声をかけていたもので、遅くなって申し訳ありません!」
男は豪快に笑いながら、楊蒼来と楊鳳来の前で立ち止まった。その姿は、まるで屈強な城壁のようだった。彼は両手を腰に当て、胸を張った。
「おや、
蒼来が微笑んで言った。彼は親しげに王剛の肩を叩いた。
「鳳来、こちらが王剛だ。これから君の護衛を務めることになった。非常に優秀な武人でね、今までは私の護衛を担当してくれていたんだ。荒事なら彼を頼るといい」
王剛は背筋を伸ばし、力強く頷いた。その仕草には、長年の軍務で培われた規律正しさが表れている。彼の目は鋭く光っていたが、その奥には深い忠誠心が垣間見えた。
「はい!蒼来様のご命令で、本日より鳳来様の護衛を務めさせていただきます!」
王剛は大声で宣言した。彼の声は庭園に響き渡った。そして、鳳来に向かって真剣な眼差しを向けた。
「鳳来様、どうかご安心ください。この王剛、命に代えてもお守りいたします!」
彼は右手を胸に当て、深々と頭を下げた。
鳳来は内心で溜め息をついた。彼の表情には、一瞬だけ困惑の色が浮かんだ。
(ああ、こういう熱血漢は少々苦手だな...ただ、自分のような赤子を護衛することになっても嫌な顔ひとつしない。彼の忠誠心は本物のようだ。前と比べたら全く力がない今の自分には本当にありがたい)
しかし、鳳来は思考を表に出すことなく、穏やかに微笑んだ。彼は王剛を見上げ、丁寧にお辞儀をした。
「よろしくお願いします、王剛さん」
(こういう表面を取り繕うのも、前世の仕事で経験していてよかった...)
鳳来は自分の対応に満足しつつ、内心で思った。
蒼来は二人の様子を見て、くすりと笑った。王剛の熱意と鳳来の冷静さのコントラストが、何とも面白かったのだろう。彼は両手を広げ、二人を抱擁するかのようなジェスチャーをした。
「さて、これからが楽しみだな。鳳来、君の成長を見守らせてもらうよ。王剛、君も鳳来をしっかり守ってやってくれ」
「はっ!お任せください!」
王剛は右手を胸に当て、力強く応じた。彼の目には決意の炎が燃えていた。
鳳来は蒼来と王剛を見比べ、この新しい日々への期待と不安を胸に抱いた。彼の小さな体には、大人びた思考と子供らしい感情が混在していた。秋の庭園に佇む緋色の鳳凰と蒼き龍、そしてその熱血漢の守護者。蒼龍郡の未来は、彼らの手に委ねられようとしていた。
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