第4話:老教師と小さな賢者
藍城の空は、春の終わりを告げるかのように澄み渡っていた。楊家の邸宅と政庁を兼ねる
(この世界の春の終わりも美しいものだな...)
鳳来は内心で思いを巡らせた。前世の記憶と現世の感覚が重なり、複雑な思いが胸の中で渦巻いていた。
その傍らには、顧明智が端正な姿勢で座っている。彼は質素ながら品格のある薄紫色の儒服を身にまとっていた。白髪交じりの髪を整然と後ろで束ね、深いしわの刻まれた顔には厳格さと同時に慈愛が垣間見えた。
「鳳公子よ」
顧明智は穏やかな声で語りかけた。その声には、幼い生徒への愛情と、教育者としての誇りが滲んでいた。
「今日はまず、蒼龍郡の歴史について話そう」
鳳来は小さな頭を傾げ、真剣な眼差しで顧明智を見つめた。その仕草は、一歳児とは思えないほど知的で落ち着いていた。
(歴史か...この世界の成り立ちを知るいい機会だな)
鳳来は内心で期待に胸を膨らませた。
顧明智は微笑み、話し始めた。その表情には、生徒の真剣な態度に対する喜びが浮かんでいた。
「蒼龍郡は、遥か昔、
鳳来は熱心に聞き入った。時折、小さな手を動かし、まるでメモを取るかのような仕草を見せた。その動きは、前世の習慣が無意識のうちに表れたものだった。顧明智はその反応に驚きつつも、丁寧に説明を続けた。
「そして、現在の蒼龍郡は、お前の父上である楊雲海様が統治しており...」
突然、鳳来は小さな声で「なぜ?」と発した。その一言に、顧明智は驚きのあまり言葉を失った。鳳来は自分の発言が異常だと気づき、内心で焦りを感じた。
(しまった、つい口走ってしまったが何かまずかったか...)
「鳳公子、今、何と言った?」
顧明智は、自分の耳を疑うかのように尋ねた。その表情には、驚きと共に、何か特別なものを見出したような輝きがあった。
鳳来はまるで何でもないかのように答えた。冷静を装いながらも、心の中では言い訳を考えていた。
「なぜ、父上が統治しているのですか?当主は父上の弟である蒼来叔父様ですよね?」
顧明智はその言葉を聞いて驚愕の表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻した。彼の瞳には、鳳来の洞察力に対する驚きと、何か特別なものを感じ取ったような光が宿っていた。
「蒼龍公は背中に蒼龍のあざを持って生まれたのだ。楊明徳公と同じあざだ。蒼龍のあざを持つものは例外なく当主の座につくのが慣わしだ」
鳳来は黙って考え込んだ。その表情は、あまりにも大人びていて、顧明智は不思議な感覚に襲われた。
(あざで統治者を決めるのか...明らかに自分が生きていた時代とは違うし、合理的ではないがこの世界ではあざは特別なのだろう...であれば、自分についているあざがことさら取り上げられるのも無理はないか...)
鳳来は内心で色々と自分の現状に照らしながら考えていたが、その考えを表に出すまいと必死に抑えていた。
「ちなみに」
鳳来は再び口を開いた。その声には、疑問と共に、慎重さも含まれていた。
「あざは特別なものなのでしょうか?」
顧明智の目が輝きを増した。その表情には、鳳来の鋭い質問に対する喜びと、この機会を捉えて重要な教えを伝えようとする熱意が浮かんでいた。彼は身を乗り出すようにして、優しくも力強い声で語り始めた。
「ああ、鳳公子よ。蒼龍のあざは実に特別なものなのだ。それは単なる肌の模様ではない。楊明徳公の時代から、このあざは蒼龍郡の守護と繁栄の象徴なのだ。」
顧明智の声には畏敬の念が滲んでいた。
「このあざを持つ者には、天が蒼龍郡を導く使命を与えたと信じられている。そして実際に、歴代のあざを持つ当主たちは驚くべき才能と卓越した統治能力を示してきた。」
顧明智は続けた。
「蒼龍のあざは、民にとっては希望の印でもある。このあざを持つ者が統治することで、民は安心して暮らすことができるのだ。それは単なる慣習ではなく、我々の歴史と文化に深く根ざした大切な伝統なのだよ。」
顧明智は一瞬言葉を切り、鳳来をじっと見つめた。その眼差しには、何か重要なことを伝えようとする決意が宿っていた。
「そして鳳公子よ、お前の背中にあるあざ、あの鳳凰のあざもまた、とても特別なものなのだ。」
顧明智の声は静かだが、重みを帯びていた。
「楊家の歴史の中で、鳳凰のあざが現れたのは、お前が初めてだ。鳳凰は古来より、聖なる鳥とされ、吉兆と繁栄の象徴とされてきた。それが楊家に現れたということは、きっと何か大きな変化や新しい時代の到来を意味しているのかもしれない。」
顧明智は深く息を吸い、続けた。
「蒼龍のあざが守護と安定の象徴なら、鳳凰のあざは変革と発展の象徴かもしれない。お前の存在は、楊家と蒼龍郡にとって、新たな可能性を示す希望の光なのだ。」
鳳来は黙って聞き入った。その瞳には疑問の色が残っていたが、同時に理解しようとする意志も宿っていた。
(なるほど、民の信仰と結びついているのか...そして、私のあざも何か意味があるのか)
鳳来は表面上は素直に受け入れるふりをしながら、内心では自分の置かれている現状を分析していた。顧明智は、この幼い生徒の中に宿る何か特別なものを感じ取り、期待と興味が入り混じった複雑な表情を浮かべた。
「さて、次は藍城について話そう」
顧明智は話題を変え、鳳来の住む都市、藍城について説明を始めた。彼の声には、先ほどの緊張を和らげようとする意図が感じられた。
鳳来は再び熱心に耳を傾けた。新たな知識を吸収するのは楽しかった。彼の小さな瞳には、この世界をより深く理解しようとする強い意志が宿っていた。同時に、かつて結城智也だった頃の幼少期の夢が、心の奥底でかすかに蘇っていた。
(世界を巡る冒険家になりたかったっけ...)
その思い出は、現在の状況と奇妙なコントラストを成していた。かつては地球を股にかけて自由に旅をする夢を抱いていたのに、今は一つの地方の統治者家系の一員として、限られた世界の中で生きていくことになる。しかし、鳳来の心の中には、その制約さえも新たな冒険の機会として捉える芽生えがあった。
(今の私にできる冒険とは何だろう。この世界を深く知り、楊家の一員としてこの蒼龍郡をよりよい場所にすることなんだろうか)
彼の瞳に宿る好奇心と探究心は、幼き日の夢と現実の使命が融合した結果だった。鳳来は、目の前で語られる藍城の歴史に、新たな可能性の種を見出そうとしていた。
夕暮れが近づく頃、顧明智は今日の教えを締めくくった。彼の表情には、充実感と共に、鳳来の特異な才能に対する期待と不安が混ざっていた。
顧明智は鳳来の瞳を真っ直ぐに見つめ、穏やかな笑みを浮かべながら語り始めた。
「鳳公子、正直に言うと、私が最初にお前の年齢を聞いた時、これはただの儀礼的な役目なのだろうと思っていた。しかし、お前と過ごす時間が増えるにつれ、その考えが間違いだったことに気づいた。」
顧明智は一瞬言葉を切り、深呼吸をして続けた。
「お前は年齢をはるかに超えた知恵を持っている。その聡明さは、まさに特別なものだ。お前の質問の鋭さや、物事を深く考える姿勢に、私は感銘を受けている。だからこそ、私はお前をより良い方向に導きたいと思っている。」
彼の声には、真摯さと期待が込められていた。
「知恵は素晴らしい贈り物だ。そして、お前のような鋭い洞察力は、将来きっと蒼龍郡のために大きな力となるだろう。楊家の一員として、そしてこれほどの才能を持つ者として、お前には慎重に、そして賢明に考え、行動してほしい。」
顧明智は優しく、しかし真剣な眼差しで鳳来を見つめ続けた。
「なお、伝統や慣習には、時に理解しがたい面があるかもしれない。しかし、それらには深い意味があり、民の心の支えとなっている。お前のような賢い子が、それらの本質を理解し、時に応じて新しい解釈を加えていくことができれば、蒼龍郡はさらに発展するだろう。」
「私はお前が将来、この蒼龍郡をより良いものにできると信じている。だからこそ、今はじっくりと学び、理解を深め、そして時が来たら、その知恵を人々のために使ってほしい。私は、そのための手助けをさせてもらいたいと思っている。」
鳳来は小さく頷いた。その仕草には、理解と同時に、何か別の決意のようなものが垣間見えた。顧明智の言葉は、鳳来の心に深く刻まれた。
(統治者一族としてどう振る舞うか、か...SVとして部下へどう接したらいいか、クライアントの文化をどう理解するか、やることは今までの仕事とたいして変わらないか...)
鳳来は内心で、前世の経験と現在の立場を照らし合わせていた。また、今日の話を聞いた結果、ここは中国とは別の世界なのでは?という疑念が徐々に確証に変わっていった。
顧明智が立ち去った後、鳳来は空を見上げた。藍城の夕焼けは美しく、蒼龍府を優しく包み込んでいた。彼はまだ自由に歩き回ることができる年齢ではないため、瞳に入る景色はまだ蒼龍府の中だけである。だが彼の目にはこの世界を理解し適応しようとする決意が宿っていた。その小さな瞳には、前世の記憶と現世の使命感が交錯する複雑な光が宿っていた。
鳳来が蒼龍府の中で小さな賢者と呼ばれるのに、さして時間はかからなかった。彼の周りにいる大人たちは、その異常な成長ぶりに驚きと期待を抱きつつ、時には不安も感じていた。しかし、鳳来自身は、この世界で自分の役割を見出し、それを全うする決意を固めていた。小さな体に宿る大きな志は、やがて蒼龍郡の未来を形作る原動力となるはずだった。
(この世界で、私にしかできないことがあるはずだ。それを見つけ、実現する。それが、私が転生した理由なのかもしれない)
鳳来の心に、新たな冒険への期待が芽生えていた。彼の物語は、まだ始まったばかりだった。
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