第3話:異才の芽吹き
春の柔らかな陽光が降り注ぐ中、楊鳳来の一歳の誕生日を祝う宴が、楊家の誇る名園、
湖畔に設えられた宴席から、薄桃色の麻の衣装に身を包んだ一人の貴族が、驚きの声を上げた。
「おや、あれは...」
その声に促されるように、宴席の視線が一斉に庭の一角へと注がれる。
そこには、鮮やかな緋色の小袍を着た鳳来の姿があった。彼は優雅な石橋の上をよちよちとしながらも、驚くほど安定した足取りで歩いていた。生まれてから徐々に生えそろってきた黒髪が春風に揺れる中、大きな瞳を輝かせながら、玉泉園に咲き誇る桜を物珍しそうに眺めている。鳳来は内心、この世界の美しさに感嘆しつつ、一歳児らしい仕草を演じることに苦心していた。
「あれほど安定して歩けるとは...」
髭を蓄えた年配の貴族が、驚きの表情を浮かべる。
「まるで小さな大人のようですね」
若い女性が、艶のある声で呟いた。
囁きが宴席を駆け巡る中、深い青色の官服に身を包んだ鳳来の父、楊雲海が静かに微笑んだ。その表情には、誇らしさと共に何か複雑な思いが垣間見える。
「わが息子ながら、驚かされることばかりでございます」
雲海の低く落ち着いた声が、玉泉園に響いた。
その言葉を合図に、宴席の空気が一変する。驚きの声は歓声へと変わり、鳳来の才能を称える言葉が飛び交った。湖面に散る桜の花びらが、風に揺れて波紋を広げる。
しかし、賞賛の的となっている鳳来自身は、複雑な思いを胸に秘めていた。
(ちょっとやりすぎたかな...)
できるだけ普通の赤子のように振る舞おうとしても、幼児と触れ合ったことがない鳳来にとって一歳児のふりをすることは至難の業だった。また、前世の記憶と意識を持つ鳳来にとって、時折本来の智也の部分が顔を覗かせてしまう。その度に、彼の小さな眉間にしわが寄る。
「鳳来、こちらにおいで」
優雅な薄紫の衣装に身を包んだ母、李蘭華の柔らかな呼び声が聞こえる。蘭華の黒髪に差した白い梅の髪飾りが、風に揺れていた。鳳来はその声に導かれるように、小さな足で石橋を渡り、湖畔の宴席へと向かった。彼は意識的に足取りを不安定にし、時折つまずくような仕草を演じた。
途中、鮮やかな青色の袍を着た姉の楊琳華とすれ違う。琳華の切れ長の目が鋭く光り、唇を尖らせながら冷たく言い放った。
「ふん、調子に乗るんじゃないわよ」
琳華の言葉に、鳳来は内心苦笑した。姉の複雑な心情は、前世の経験から理解できる。才能ある姉にとって、弟の異才は脅威なのだろう。琳華の表情には、嫉妬の色が見え隠れしていた。鳳来は無邪気な笑顔を浮かべ、琳華の機嫌を損ねないよう慎重に接した。
宴の終わり近く、灰色の僧衣をまとった老人が鳳来に近づいてきた。その姿は、まるで悠久の時を生きてきたかのような威厳を漂わせていた。深いしわが刻まれた顔には慈愛の色が宿り、穏やかな表情に年齢を超えた智慧の光が宿っている。白髪まじりの眉の下には、鋭い洞察力を秘めた目が輝いていた。老人の歩みは静かでありながら、その一歩一歩に確かな力強さが感じられる。
二人は玉泉園の象徴である古い松の木の下に佇んだ。老人は深呼吸をし、春の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、慈愛に満ちた眼差しで鳳来を見つめながら、静かに口を開いた。
「坊や、君はこれから大事に巻き込まれることもあるだろう。しかし、急ぐ必要はない。ゆっくりと、自分の道を見つけるがよい」
老人の声は低く、落ち着いていたが、その言葉には不思議な重みがあった。まるで未来を見通しているかのような確かさで、鳳来に語りかけている。老人の温かな眼差しは鳳来の特異性を察しているようだった。鳳来の大きな瞳が、彼の言葉の意味を理解しようとするかのように瞬いた。彼は老人の言葉に深く共感し、小さな頭を静かに垂れて敬意を示した。
宴の後、楊雲海は妻の蘭華と言葉を交わした。二人の姿は、夕暮れの玉泉園に佇む一幅の絵のようだった。湖面に映る夕陽が、二人の表情を柔らかく照らしている。
「鳳来の才能は並外れている。身体的にも精神的にも一歳の子供には到底思えない。楊家の一族という枠を超えて特別な人物として適切な教育を施す必要がある」
雲海の声には、期待と不安が入り混じっていた。
「そうですね。でも、まだ幼いのです。あまり焦らせてはいけません」
蘭華の表情には母としての愛情が溢れていた。
二人の会話を、湖畔の東屋で立ち聞きしていた鳳来は、複雑な思いに駆られた。小さな体に似合わぬ深い思慮の色が、その表情に浮かんでいる。期待に応えたい気持ちもあるが、先ほどの老人の言葉が気にかかる。
(転生してしまった以上、前世の社畜ではできなかった、なにものにも縛られず自由に生きていきたいな...)
鳳来は小さく溜息をつくとその場にしゃがみ込んだ。
翌日、鳳来の前に一人の老人が現れた。白髪交じりの髪を後ろで束ね、質素ながら品のある青緑色の衣装を身につけていた。深いしわが刻まれた顔には、厳格さが表れていた。二人は蒼龍府の片隅にある書斎で対面した。
「鳳公子、私が君の家庭教師となった
顧明智の厳しい表情に、鳳来は背筋を伸ばし覚悟を決めた。そしてこれからの人生が生まれてからとは違い制限が増えるであろうことを予感し、小さな溜息をついた。しかし、その瞳には学ぶことへの期待も垣間見えた。
鳳来の特異な才能は、楊家だけでなく、蒼龍郡全体に噂され波紋を広げつつあった。
顧明智との出会いの日が終わり、夜の帳が降りる中、玉泉園の湖面に月が映り込む。その光に照らされた鳳来の小さな瞳には、未来への不安と期待が交錯していた。彼は小さな手を月に向かって伸ばし、この世界で自分の道を切り拓く決意を胸に秘めた。物語は、まだ始まったばかりだった。
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