第4話
それからしばらく、ライブが無い二週間の間は皆の物販の手配や次のライブや他アーティストのツアーのブッキング、そしてひたすら祖母の介護に忙殺されていた。
著名アーティストの曲をカヴァーしようという案もヨダとアイに「そこに頼るのはちょっと」と言われて停滞状態。
カヴァー動画で売れるアーティストは実は結構いる。初来日の撮影を担当したとあるアメリカのバンドは、本人達が思いもしなかったポップアーティストのカヴァー動画が動画配信サイトで話題になり、あっという間にグラミーノミネートの階段を駆け上がって行った。
けれど、それは冴えないとさえ言われた田舎出身のバンドの曲を、カヴァーをきっかけに聴いたことでファンになった多くの人が愛したからだ。
彼らにもプライドがあるのだろうが、彼らの楽曲センスが良い故にした提案だったものだから、どう説得しようか考えあぐねていた。
そして直近のライブでは音響トラブルで完全に滑った感があり、フェスティバル出演の音源審査には落選。次はどの手で行くかも考えなければならなかった。
「うーん、良いもの持ってるんだけどなぁ。視点がちょっと違うんだよな……」
空いた日にシフトを入れているアルバイトも、祖母の介護の為に時短勤務。介護とマネジメント……頭の中でぐるぐると考えながら帰路につく。
(あー。久しぶりにノイズや歪みのない音楽聴きたい……)
田舎の緑の中を走るバス。その中でどっぷりとピアノの音に耳を傾ける。
(楽器かぁ〜もう数年触ってないや)
「あきら、おかえり」
「あれ、母さん今日休み?」
「そう、休みになったの。今日はお母さんご飯作ったから、少しゆっくりしたらどう?」
「ありがとう、そうしようかな〜」
普段は夜パートに出ている母がこの日は偶然休みになったのだという。
祖母の様子を見つつ、自宅の2階へ上がる。母と妹の寝ている大部屋の端には、昔姉妹で共有していたピアノがひっそりとまだ存在している。
少しだけ埃被った鍵盤蓋をあげ、布をとると綺麗な白と黒の鍵盤が顔を覗かせた。
(弾けるかな……)
落書きだらけにした楽譜は、全て大学へ進学する前に捨ててしまった。
人気の課題曲は発表会へ選曲する前に、より上手な子へ譲っていた。エリーゼのために、渚のアデリーヌ、トルコ行進曲、パッハルベルのカノン——どれも優等生の子が先に選曲して私が楽譜を使える日はなかった。
(なんであの時、エリーゼのためにを弾きたかったんだっけなぁ(笑))
今となっては同じ作曲者の『月光』を演奏した事を誇りに思っているけど。そう思いながら、月光の気分じゃないしなぁとふと動画サイトを開く。
(私がバンドの曲をピアノカヴァーしたら、あの子達は動くだろうか?)
そう考えながら無難な日本のポップスのヒット曲を聴き、鍵盤に手を滑らせていく。楽譜もない中で、動画サイトから流れるピアノの音を聴きながら一音一音当てはめていった。これを動画に撮ってアップしたら、何かの形にできたのなら彼らも動くだろうか……。
弾いてはみたものの、中学生時代によく比べられていた近所のさよ子ちゃんのように、楽譜をみたり音を聴いただけで再現できるようなスキルはなかった。
地道に、途中止まりながら直し直しで曲を進めては、最初からやり直すを繰り返す。
少しだけ曲が形になった時、祖母に電話で呼ばれた。希望の通りにお風呂の支度をすると、疲れたと言って身体を拭くだけで終わってしまった。
「アンタ、下手くそね。聞くに耐えん騒音やん」
「は? 何の話?」
「ピアノ、いやピアノとも言えんレベルの雑音」
祖母を寝かせる手が震えた。目の前が真っ暗になりそうな気分になった。
「練習中は誰でも下手くそよ。最初から100点が取れない事をダメみたいに言わんで。ていうか、音ちゃんと聴こえてるん?」
タオルごと放り投げてしまいたい気持ちはグッと堪えた。
小さい頃は泣いていた言葉も、もうはいはいと受け止められるようになった。
100点以外は、才能のある素晴らしい人以外は、何をやってもダメ。結果が出せない努力は、やっていない事と一緒。そんな風に捉えられるような言葉を、祖母からは何度も何度も突きつけられた。傷つくくらいならやめよう、誰かと比べて劣っている事ならもう努力するのもやめよう、結果が出せないものに熱中するのはやめようと。そう何度も何度も——でも。
「自分ができなくて、ただ眺めて楽しみたいものが、理想的じゃなかったらすぐにダメっていうのは違うよ。とても傷つく人が沢山いるんだよ」
祖母の歳ではもう性格は変わるまい。けれど、育ててくれた感謝は、苦しい思い出の何倍もある。だからこれは伝えつつも、最後まで私は面倒を見ようと、黙りこくってしまった祖母に対して笑顔で言った。
二階に上がってピアノの前に座り直す。さっきの曲じゃない、自分が今弾きたいと思った曲を携帯から再生した。
『Summer』というその曲を、昔弾いた事のあるその曲を、また一音一音なぞるようにして探しては弾いていく。指がまるで遠い記憶を呼び覚ますかのように、自然と鍵盤を追っていった。
「ああ、今すごく……楽しいや」
動画を撮ろうなんてもう考えなかった。
ずっとずっと思っていたのだ。音楽は才能のある者がやって、それを届けることで感動する人々がいるのだと。
でもそれはある意味間違っていた。そうじゃないんだ、音楽が好きだから、ピアノを弾くのが楽しいから。どれだけ不器用でもいいから、あの曲を弾きたくて譜面に一生懸命ドレミを書いていたじゃないか。
天才と呼ばれる人達の中で、あのスキルがないからと早々に諦めたベーシストの夢。夢を追う子達をサポートしたいと思って仕事にのめり込んでいたのに、とうの昔に自分を諦めていたのは自分自身だった。
「うっは、確かに下手くそかもね。でもそれが正解やないやん」
上手である必要があるのなら、皆正解の音源を再生すればいい。演奏機能付きのピアノをフロアに置いておけばいい。でもそうじゃないんだ。
上手に弾けることが正解なんじゃない、上手に弾けないことは決して不正解なのではない。
その日は、再度祖母からの着信があるまで、短い間ではあったけど思いっきりピアノを弾いていた。
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