第22話 当たり前が喪失する寂しさは、例え一時であれ言いがたいモノがあったりなかったりするんだけど、意外と他人から理解してもらえなかったりする


 紅久衣の布団は買ったので、彼女は今日からアントワープの二階で寝泊まりする。

 そして、リヒトの分の布団は配送にした為、まだない。


 なので掃除や片付けをして夜になったあと、紅久衣と別れてリヒトは自宅へと帰る。


 そして、帰ってきたリヒトはなんだか愕然としてしまった。


「あれ……? 紅久衣ちゃんが泊まってたの二泊だけなのに、なんかすっごい部屋が静かに感じる……」


 自分以外に人の気配のない部屋。

 紅久衣がいない方が当たり前であり、そもそもこれがいつも通りのはずなのに。


「なんか寂しいな……いや、ていうか寂しいとか久々に感じた気もするな」


 とりあえず夕飯だ。

 冷蔵庫に残ってるモノを適当に組み合わせて夕飯を作る。


「しまった。二人前作ってしまった」


 この部屋で紅久衣と過ごしたのは三日だけ。

 なのに、二人前作ることが当たり前になってしまっているようだった。


 小さく息を吐きながら、お皿に二人前のペペロンチーノを乗せる。

 食べれない量ではないので食べてしまおう。


「我ながら重傷だなぁ……。

 明日の仕事はアントワープじゃないし……はぁ乗り切れるかなぁ……」


 初日に、公園で夜空を見ながら話したことを思い出す。

 

「ボク、こんなに人に餓えてたのか……」


 職場の人とかとは違う。ネット上のフレンドとも違う。友達や、後輩とも違う。


 リアルで一緒に行動する身内。


 たまたま助けて、思いつきのように付き合って、勢いのまま懐に入れてしまった彼女は、この数日で、とてもとても大切な存在へと昇華されてしまったのだと自覚する。


「はぁ……」


 とりあえずWサイズのペペロンチーノは食べ終わった。

 さっさと食べ終わったモノを片付けるべきだろう。


「洗い物が終わったら、今日はもうシャワって寝るか……」


 今日はもう起きてても何も手につかなそうなので、布団に潜ることにするリヒトだった。



  ・

  ・

  ・



 一方の紅久衣。


 アントワープは夜八時半閉店だ。

 マスターは紅久衣に、戸締まりをしっかり頼むよ――と言って、紅久衣に合鍵を渡すと帰ってしまった。


「……独りね」


 別に珍しいことではない。

 これまでの人生、独りの時間の方が多かった。


 ここ数日がすこぶる充実していただけで、紅久衣にとっては独りというのは当たり前の時間でしか無かったはずだ。


「……組織の手から逃れるのに、姉さんと二手に別れた時のコトを思い出すわ」


 それまでずっと姉と一緒にいたのに、その時になってはじめて独りになったのである。

 胸に積もるこの寂寥感せきりょうかんは、あの時に匹敵する。あるいは上回っているかのようだ。


 リヒトから貰ったトレーナーとスウェットズボンに着替えた紅久衣は、和室に布団を敷いてある布団の上に寝っ転がりながら、例のクッションを抱き枕のように抱きしめる。


 人をダメにするというクッションは、今はむしろダメになった自分の心を癒す抱き枕だ。


「わたし、思っていた以上にリヒトくんに存在感を大きく感じてたんだ……」


 誰かと一緒にいること。

 恐らくは、自分は思っていた以上にそれを求めていたようである。


「みゅう……」


 小さく、小動物のような鳴き声を口にする。

 だけどそれを可愛いと言ったり、何それとツッコミを入れるような人は、この場にはいない。


「たった三日一緒にいただけなのに、自分がこんなにダメになるとは思わなかった……」


 でもきっと、これがふつうの人の感覚なのだろう。

 自分を兵器として造り上げた科学者や死の商人たちからしてみれば失敗作かもしれないが――だからこそ、それで良いと思う。


 兵器として失敗作である自分が、与えられた能力で他人を助け、人並みの幸せを得る。

 産みの親たちに対して、これほどの復讐はそうないだろう。


 だからこれでいい。

 この寂しさこそが、自分の復讐が上手く行っている証だ。


 そう思えば、この程度の寂しさなど、どうってことは――


「――ある、わね。それとこれとは別だわ」


 ギュっとクッションを抱くチカラを強める。


「ねよ」


 今は眠って、この寂しさを誤魔化すしかない。


 明日になれば、またリヒトに会えるのだから。

 自分の目が潤んだことを自覚しながら、それを誤魔化すように、紅久衣は強く目を瞑るのだった。


  ・

  ・

  ・


 翌朝――


 オープン前の準備に店へとやってきたマスターに、紅久衣は訊ねる。


「マスター、今日ってリヒトくんは……?」

「ん? 今日は……土曜日か。なら別のとこのバイトじゃないかな。

 うちの仕事は、綺村さんの引っ越しとかが落ち着くまで、テキトーにサボってくれて構わないけど、他はそうもいかないだろうし。ふつうにそっちへ出勤してるんじゃない?」


 その返答に、紅久衣の顔はショックで大きく歪んだ。


「マンガみたいなショック顔だね。そんなに?」

「いやあの、自分でもビックリなんですけど……なんかちょっと寂しくて泣きそうです」

「そりゃあ重傷だ。キミも久慈福くんも、一緒にいるコトでお互いに足りなくて欲していたものを供給しあっているのかもね。

 良い傾向かもしれないけど、その感情に振り回されると、今度は病んでダメな依存の仕方して相手の迷惑になりかねないから気をつけてね」

「あー……なんとなく、ちょっと自覚あります。重い女になる気はないんですけど、今のこの感情に振り回されてる感じのままだと、そういう方向にいっちゃいそうだなぁ……って」


 はぁ――と大きめに息を吐くと、マスターは少し思案してから、訊ねてくる。


「何もしてないと考えちゃうんだったら、気晴らしに少しうちで働くかい?

 今日は恵琉が手伝いに来る予定だし、あの子が来たら一緒に出かけてきてもいいよ?」

「恵琉ちゃんを連れていっちゃっていいんですか? お手伝いなんですよね?」

「構いやしないよ。元々一人でやってた店だ。手伝ってくれるのはありがたいが、別にいなくても問題ない程度の人入りだもんでね」


 お茶目なウィンクをしてみせるマスターに、紅久衣は一つうなずく。


「わかりました。それじゃあ恵琉ちゃんが来るまでお手伝いして、そのあとで出かけるか手伝いを続けるかは、恵琉ちゃんと話をしてから決めます」

「了解だ。それじゃあ早速なんだが……」


  ・

  ・

  ・


 一方でリヒト。

 書店バイト。開店準備中。


「あの……久慈福さん」

「はい? なんでしょう?」

「入荷したばかりの雑誌を包むビニールや紐が勝手にほどけてるように見えるんだけど」

「いやだなぁ何言ってるんですか店長。ボクが高速で作業してるだけです」


 などと言っているが、作業をがっつりS2Uに手伝わせている。

 この小人たちは、常人には見えないらしいので、こういう時に便利である。


 とはいえ、どれだけ早く作業を終わらせたところで、定時が決まっている以上は先に上がることはできないのだが、リヒトの気が逸っているのだ。


「そうか。そうかな? いやうん、まぁそこはよくないけど、まぁいいとして――なんでそんなに急いでるの?」

「急いでいるというか、その……会いたい人がいて、早く仕事終わらせたいなって」

「定時決まってるんだから、その時間まではどっちにしろ拘束されるでしょ?」

「そうなんですけど、気持ちの問題的な?」

「そっか。まぁ気持ちというのは分からなくも無いけど……。

 ところで、こうやってお喋りしている間は手が止まってるはずなのに、今日入荷したマンガの入ったコンテナの蓋が勝手に開いたりしてるけど?」

「やだなぁ気のせいですよ。さっきボクが開けたんです」

「そうか……そうかな?」


 今日――この書店の店長は、リヒトの周囲に発生する奇妙な現象に、ずっと首を傾げながら仕事することになるのだった。


 そうして定時の十三時半になると、リヒトは飛び出すように店を出る。


「さて、紅久衣ちゃんに会いたいんだけど、どこにいるのかな?」


 独りごちながらスマホを開くと、恵琉からLinkerにメッセージが届いていた。


「紅久衣ちゃんと出かけるんだ。栗摩センターの駅前をブラつくみたいだし、行ってみようかな」


 よし――と小さく気合いを入れると、書店の最寄り駅へと向かう。


 電車に乗って、栗摩センター駅まで行って降りた時だ。


「久慈福 理人さんですね?」


 どこかうだつのあがらない雰囲気のサラリーマンの男性に声を掛けられた。


「えーっと、どちらさまですか?」


 そう誰何しつつ、どこかで見たような気もして、僅かに目をすがめた。


「単刀直入に言います。駅前にいる綺村 紅久衣さんを監視している男がいます。

 私としては彼を排除したいのですが、少しお話を聞いていただけませんか?」


 瞬間、リヒトの纏う空気が変わる。


「貴方の話を聞きましょう。でもそれは、紅久衣ちゃんを狙う怪しいヤツを排除してからだ」


 ほんの僅かに、男性は思案してうなずいた。


「わかりました。案内します。まずは駅を出ましょう。

 綺村さんにも、監視者にも気づかれていないようですので、そのまま気づかれないように動きたいのですがよろしいですか?」

「うん。それは願ったり叶ったり」


 答えながら、リヒトは名前も知らないサラリーマンと共に、紅久衣を狙う怪しい監視者とやらの元へと向かうのだった。

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