第拾弐怪 苦喰の無形

 夜、暗闇に支配された街のの路地裏で荒い息を吐きながら歩く人物が一人。苦しそうに胸を手で押さえ、壁沿いにもたれかかりながら歩いている。

 柚月だ。最早手提げカバンすら持つ気力は無く、くたぁ....と完全に脱力し苦しそうにしている。

 ふいに、胸にズキンと痛みが走った。


 「うっ....」という短い悲鳴を上げて、もたれかかっていた壁沿いにずるずると崩れ落ちてしまう。最早目は虚ろ、荒く息を吐いて苦しそうに倒れる。

 汗でべったりと髪や服はくっつき、厚さから自然と服がはだけそうになっている。


 すると、たまたま通りかかった大学生と思わしき男性グループが路地裏で柚月を見つけた。チャラチャラとした男たちは柚月を見つけてにやににやと歩み寄る。

 舐め回すような視線、興奮しているのか荒くなっていく息遣い、地味な女子生徒としてそういうものとは無縁の生活をしてきた柚月にもわかる。これからこの大学生たちが何をしようとしているのかを。


「女子高生がこんな時間にそんな恰好で何やってんの~?」

「お、地味子かと思ったけど思ったより可愛いじゃん」

「苦しそうだけど大丈夫~?休憩できる場所に連れてってあげようか?ホテルとか!」


 ぎゃはははと笑いだす男たち。

 だが、柚月の耳にその言葉は何も入っていなかった。震えるように体を抱き、俯いてしまう。


「おいおい、震えちゃってえんじゃん!可哀そー」


「ホントに大丈夫ー?お兄さんたちがその痛みなんて忘れるぐらい“気持ちいいこと”してあげよっか?」


「....げて」


「は?」


 小さくつぶやいた言葉が聞き取れなかったのか、寄ってきていた男の一人が聞き返す?なおも小さく何かを呟く柚月の言葉を聞き取ろうと顔を寄せる。

 聞こえた言葉は『助けて』ではなかった。


「お願い、逃げて....」


「え?」


 顔を上げた柚月、その顔の様子を見て男たちは恐怖におののいた。

 片目が真っ黒に染まり、その口角は上がっていた。顔の半分は真っ黒な“何か”が浸食するように痣ができ、その人とは違う様子に男たちは恐怖する。


「ば、バケモノ....!!」

「逃げろ、早くしろ!」

「ちょ、押すな!!とにかく遠くh....!」


 そう言いかけた瞬間、その大学生の動きが止まる。表情を変えないまま顔のみが下を向き、自分の姿を見た。

 左わき腹が何かにかじりつかれたようにえぐり取られており、内臓やら肉片やらがボトボトと落ちる。

 「う....ぁ....」と言葉にならない言葉を発して男は息絶えた。


「もう....限界....抑えr......タベてモいイよね?」


 豹変した柚月。完全にその人格は先ほどまでの柚月ではない。柚月の背中から伸びる肉片についている“口”がクチャクチャと男の死体を貪っていた。


「うわぁぁぁあああ!!た、助k....!!」

「ひぃぃぃい!!!バケモノ!!」

「嫌だ!死にたくない!!あぎゃっ....」


 男たちが逃げ惑う中、柚月から放たれた口が男たちの体を喰らった。血みどろの地獄。死体と血しぶきが周辺を染め上げて夜の闇の中に赤い空間を作った。


「アハ....!死んジャったァ....♡美味シイなぁ....」


 最早恍惚の表情ではぁと息を吐く柚月。口たちがその死体を貪り食らう。ぴちゃぴちゃと血の池の上を半分ほど歩いたころ、不意に柚月の体がぐらついた。

 頭を抑えるように俯いた後、顔を上げると痣がなくなっていた。目も元に戻っている。


「あれ....私....?」


 そして周囲の状況を見て「ひっ!!」と小さく悲鳴を上げる。人の形をしていない肉の塊が転がった路地裏で、広がっている血の上に座り込んでしまう。

 そしてこみあげてくるの嫌悪感。そのままお腹を抱えるようにして吐いた。


「おぇえ....!!はぁ....はぁ....これを....私、が....」


 考えたくもない。だが、まだ生暖かい血の池の上で佇む自分がやってないとは言えない。口の中に残っていた何かの肉片を吐き出す。それを見た瞬間にこみあげえてきた吐瀉物を再び吐いた。


「なんで....こんなことに....助けて、お母さん....!助けてよ....」


 『聡里さん....!!』


 と、その場で蹲って柚月は泣いた。




***




 何かを感じた思乃はバッとそちらの方を向く。

 誰かに見られたわけではない、嫌な感覚を感じたわけでもない。何かが聞こえたわけでもないのに確実に“何か”を感じた。


「どうしました、思乃さん」


「鬼童さん、今誰かに呼ばれた気がしました。これは....丹川さんの声....?」


「本当ですか、場所はどちらの方で?」


「西です。街の外れにある工業地帯の方....コンテナが沢山ある場所だと思います」


「わかりました。すぐに行きましょう」


 そう言って2人は家から出た。思乃が感じたものを辿って、2人は夜の街を倉庫街の方へと跳んでいく。屋根から屋根へ、普通の人には見えないのをいいことに闇の中をビュンビュンと飛び回って駆けて行った。


 鬼童は目の前を飛び回る思乃を見ながら少し笑う。


 鬼童は感じていた。思乃が段々とことを。

 彼女の”人の心の声を視る能力”がその証拠だと言える。

 だが、そのためには獄刀である麗の力を完璧に制御しなければならない。今の思乃では無謀に近いそれを成すには、今回のこの戦闘が正念場だと考える。


(今回は少し無謀ですが....死にそうになったら助けますし大丈夫です)


 そう思いながら駆けることおよそ10分ほど。辿り着いたその倉庫街は無数のコンテナに囲まれた場所であり、海が近くない分内陸に建てられた荷物置き場のような印象だった。


「丹川さん....!どこ....!」


「焦ってはは見つかりません。落ち着いて思乃さんが感じた“声”を再び聞き取ってください。妖気は既になじみ始めている。ゆっくり、確実に行ってください」


 その言葉を聞いて大きく息を吸って吐く。

 そして自身の妖気を集中した途端、思乃の目が金色に変わった。ふぅ....と小さく息を吐いて聴力にその意識を集中させる。

 風の音、コンテナの擦れる音、水が滴る音、誰かの....足音?


「いました!あの3番の倉庫の中です!」


「当たりですね。思乃さんは夜行の目を持っていませんからわかりにくいかもしれませんが、あのコンテナ沿いに血のような物が点々と付いています。向かった先は恐らく思乃さんの言ったあの倉庫でしょう」


 鬼童が指さした方にあるコンテナ沿いに、確かに血の跡や引きずった後のようなものが見えた。


「ホントだ....全然わからなかった....!」


「見えるんですか?」


 こくんと頷いた思乃。これは覚醒のスピードが速いと鬼童は感じる。

 「行きましょう」という鬼童の言葉と共に思乃は走り出す。その瞬間、ふと鬼童の足が止まった。


「すみません、ちょっと野暮用が出来ました。思乃さんは丹川さんの救助に向かってください。恐らく戦闘になりますが、獄刀持ちの思乃さんなら大丈夫です」


「え、ちょっと待t....」


 言い終わる前に鬼童が姿を消した。

 取り残された思乃だったが、今は鬼童よりも柚月を助ける方が優先だと3番倉庫の中に向かった。


 案の定開いていた正面から中に入る。真っ暗で見にくかったが、今の思乃に夜の闇は通用しない。闇の中でも金色になった目は輝いていた。


 その時、正面に誰かを見つける。怯えるように震えている彼女、柚月だった。


「丹川さん!!」


「えっ....?聡里さん....?」


 今助けます!と駆け寄ろうとすると、


「ダメ!来ないで!!」


 と柚月がそれを拒絶した。


 困惑し手思乃が足を止めた瞬間、物凄い勢いで何かが思乃に襲い掛かる。

 咄嗟に跳躍して避ける。着地した時には、ゆらりと柚月が立ち上がっていた。その顔は半分が黒い痣で覆われており、不気味な雰囲気をビンビンに発していた。


「無形....!」


「アハ....!餌ダぁ、エサダァ!!美味しソウな子....♡」


「丹川さんを....返してもらいますよ!!」


 思乃が左手を突き出す。すると、その場所に風が舞い込んで思乃の周囲を冷やしていった。

 冷たい風が渦巻き、目に見える結晶体となって思乃の左腕に纏わりついていく。

 それは“雪の結晶”。凍るように集まったそれが形を成し、唐突に砕け散る。


 中から出てきたのは真っ白な鞘に紫と金の刺繍が入った刀。柄も同じデザインであり、抜き放たれたその刀身は白く光っている。


「来て、白漆麗しらしちのうらら!!」


 周囲に雪の結晶が飛び散った。名前を呼んだ瞬間にその冷気が刀に集中し、思乃の吐いた息が白くなる。

 幻想的な雰囲気を醸し出した思乃を見て無形がニタリ....と笑った。


「冷たクて美味シソう....!!」


「あなたを倒して、丹川さんを元に戻してもらいます!」


 睨みあった両者。何を待つでもなく、同時に駆けだした無業と思乃が攻撃を仕掛けあう。

 肉片を伸ばして無数の口を襲わせる無形に対し、思乃はそのこと如くを受けては斬り捨てを繰り返して迫った。


 そして、超近距離の刀の間合い。

 笑う無形と睨む思乃、対比のような彼女達がぶつかった。

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