第拾怪 丹川柚月の願い事
はぁ....と止め息をつく。
丸メガネの奥の瞳は曇っており、心身ともに疲労が目立っていた。
彼女の名前は
彼女は母子家庭で育った。父親は幼いころに病死してしまい、母親と2人きりで生活していた。一応祖父母はいるが、距離があってあまり会えないのと、2人とも定年を越えて年金での生活を行っている為資金的援助を求められないのが現状だった。
そんな生活でも、彼女は慎ましやかに暮らしていた。少なくてもちゃんとご飯があって、家があって、借金などしているわけでもなく普通に暮らしていた。半年ほど前までは。
半年前、母親が病で倒れた。働きすぎによる過労をトリガーに、癌が見つかったのだ。今まで悪さをしていなかったから気づかなかったものの、実は前々から小さいものがあったらしい。娘に心配かけまいと言わなかったのだが、その結果根を詰めすぎて倒れてしまい、そこに追い打ちをかけるように癌が大きくなっていったのだ。
最早柚月にはどうすることもできなかった。家庭環境の問題から中学生の時点でアルバイトをしていたのだが、学生のバイト代などたかが知れている。生活のためのお金や貯金などに回してしまえば最早手元に残るのは雀の涙だろう。
貯金を崩してでも治療を望んだのだが、母親がそれを止めた。そのお金は、母親が柚月の将来を思って貯めたものだった。自分の治療には使えないと拒否されたのだ。
だが、柚月にとっては母親を失うことの方が辛い。自分の為に残してくれたお金も、母親が必死に働いて得たものだ。柚月がそれを好き勝手に使うことは出来ない。
それでも、母親は拒んだ。大事な娘に形として残せる唯一のものだと言って、継続的な簡易治療にとどまった。
進行こそ遅れているものの、手術もできず日々衰弱していくばかり。柚月はどうすればいいかわからなかった。
そんな時だ。彼女が"願いの叶う神社"の噂を聞いたのは....
***
「....というのが大体調査した内容ですかね。がんの治療くらいなら何とかなりそうですが」
「あの....私名前を上げただけですよね?どうしてもう調査が終わってるんですか?!」
私は八妖郷で大声で抗議する。というか、名前を出したらものの数秒でこの資料を出されたのだ。最早用意されてたとしか思えない。
「そりゃ、思乃さんが顧客を誘導するなら知り合いか学校関係の人の方が誘導しやすそうですからね。こちらでも何となくピックアップはしてるんですよ」
「そこまで読んでるなら私いらなかったんじゃ....」
「そんなことはありませんよ。私たちはあくまで情報しか手に入りません。実際にその人物を観察し、顧客となりえるかどうかを判断するのも仕事の内です。我々八妖郷の妖怪ではあまり現世に顔を出すことはありませんからね。こうして現世の情報を取ってきてくれる人がいるととても助かるんですよ」
鬼童は読んでいた資料を机に置き、棚から商品カタログを取り出すとパラパラとめくる。見ていたのは医療関係の商品ページ。恐らく、丹川に売る商品の選定といった所だろう。
「でも、問題はどうやってここまで連れてくるかなんですよね....それに、仮に上手く誘導できても私の顔バレてますし」
「別にバレてもよくないですか?」
「いや、クラスメイトが妖怪になってました~って誰が信じると思います?私だったら驚いて腰抜かしますよ」
「そんなものですか。ん?この感覚は....来客?」
カタログを見ていた鬼童の動きが止まる。今、私の方にも少し違和感があった。確かに”怪裏の扉”をくぐって誰かが八妖郷に入ってきた感覚。社員証が"願望の腕"とリンクしているらしく、外部からの来客があるとわかるようになっている。
鬼童はすぐさま腕のデバイスを操作して来客情報を確認した。すると、面白ことになったと言わんばかりに笑う。
「思乃さん、あなたが見つけてきた顧客ですが誘導方法は考えなくて良さそうですよ」
「どういう....ってまさか」
「その通りです。丹川柚月さんがご来界されました」
鬼童と共に怪裏の扉をくぐった先の広場まで向かう。そこはかつて思乃が放り出された場所でもあった。
広場まで行くと、やはりというべきか丹川の姿がそこにはある。周りの状況に感覚が追い付いていないのか、驚きで絶句していた。
「うそぉ....本当にあったんだけど....」
なんて呟きも聞こえる。
驚きに目を見開く柚月。立っていたのは紛れもない八妖郷の地だった。
鬼童曰く、現世から人間がこの世界への扉を開けるには“鍵”となる噂が必要らしい。
要するに、その噂は八妖郷へ来れる人と来れない人を分ける役割を担っているのだ。信じる人は来ることができ、信じない人に扉は開かない。いくら願いを持っていても、心のどこかで「本当にあるかもしれない」と信じている人しか入ることは出来ないのだ。
きょろきょろと周囲を見回す柚月。その反応は初めてこの地に降り立った時の思乃と同じ反応である。
そんな柚月に鬼童が近づいた。
「ようこそ、八妖郷第4舎“妖商店街”へ。私は営業担当をしております“鬼童”と申します。こちらは私の部下の“思乃”です。以後、お見知りおきを」
あ、こいつ!普通に本名バラしやがった!!
そんなことしたら速攻でバレてしまうではないか!どうにかして顔を隠さないと....そう考えると、すぐさま近くにあったお面屋に走って秒で帰って来る。買ってきたのは能面だった。幸い、腕のデバイスは経費での購入も可能らしく、思乃にもいくらか権限が付与されている。おかげでこうして八妖郷内でも買い物が出来るのだ。
「えっと....こ、こんばんは?」
「こんばんは、思乃と申します」
そう言って礼をすると、鬼童がゆっくりと近づいてきて仮面を剥がしとった。
「あぅ」
「えっ....聡里さん....?」
「えっと....こんばんは、丹川さん」
「なんでここに....」
やはり顔は覚えられているようで速攻でバレた。鬼童の方を睨むと、ニヤニヤしながら能面をくるくると回している。
「さて、自己紹介も済んだことですし参りましょうか。丹川さん、ご案内いたします」
歩き始める鬼童に続いて2人が付いていく。
くっそこの鬼....!と考えていると、横から柚月が話しかけてきた。
「聡里さんは....その、妖怪なの?」
柚月の質問はもっともだ。今までクラスメイトだと思っていた人物が、こんな場所で仕事をしていたらそりゃ驚くだろう。バイトならまだしもここは現世ではない。妖怪の住まう土地で働いている人物が身近にいたら恐怖以外の何物でもない。
「ううん。色々あってここで働いてるの。人間と妖怪のハーフって感じかな」
嘘は言っていない。実際に魂が半分消えて妖怪化しているのだ。
「そうなんだ....それで、ここは私の願いを叶えてくれるって本当なの?」
もちろんといいたいところだが、残念ながら私は坂本の件と私が持っていたお守りの件しか知らない。そう考えると、本当に願いが叶うのか不安になってきた。
だが、実際に貰ったお守りの効力はちゃんとあったし、こうして商売をしてる以上偽物を掴ますことはしないだろう。
「大丈夫だよ!....多分」
「何か不安になるね....」
「大丈夫ですよ。我々は妖怪である身ですが商人です。腹の探り合い位はしますが流石に商品に嘘はつきませんよ」
そう言って鬼童は微笑む。
だが、この時鬼童の瞳が何かを考えるように意味深な視線をしていたことを私は知らない。
***
「さて、それでは丹川さん。あなたの望みをお聞かせできますか?」
「はい....私の望みは“お母さんを病気から治してほしい”です。私のお母さんは癌を患っていて....」
「存じております。前もって調べていた資料によれば、お母様は“すい臓癌”を患っていると....すい臓癌は治療が非常に難しい癌です。早期発見・早期対処が前提の癌において、すい臓はとても発見しにくい。おまけに、お母様の癌は過去に一度治療に成功しています。過労に加えてそれが再発となれば、普通の治療ではまず難しいでしょうね....」
「はい....ですから、お母さんを救ってほしいんです!!お金ならいくらでも払います!!ですから、どうか....!!」
涙を流しながら必死に懇願する柚月。鬼童は「心中お察しします」という顔をしながら席を立った。そして、手招きで思乃を呼ぶ。
「わかりました。少々お待ちください。治療が可能なものはございますので、お持ちいたします。思乃さん、ちょっと」
呼ばれた思乃と共に鬼童が部屋の外に出る。出た瞬間に思乃にメモを渡した。
「これは....?」
「彼女のお母様を治療するための商品です。製品管理課の倉庫にありますので、課の受付に行って受け取ってきてください」
「?鬼童さんはいかないんですか?」
「これは思乃さんが早めに仕事に慣れるための練習でもありますから。ほら、早く行かないとお客様を待たせてはいけませんよ」
そう言われると急がないとと思い、思乃は製品管理課の方に向けて駆けて行った。
思乃を見送った鬼童は部屋に戻る。中では柚月がそわそわしながら待っていた。
「もうしばらくお待ちください。今思乃さんが取りに行ってくださっているので」
「本当に働いてるんですね....驚きでした」
「クラスメイトですからね。妖怪の世界で働いていれば確かに驚きますよね」
鬼童の爽やかスマイルにドギマギする柚月。意外と初心なようで、このペースで話せばいけるだろうとそのまま話を続けた。
「そう言えば、最近何か変わったこととかありましたか?如何せんこちらの世界では現世の情報を掴みづらくてですね。もしよろしければお話ししてくれませんか?」
もちろん嘘だ。いくら現世と八妖郷が別世界だとしても、八妖郷側から情報を集めることはそこまで苦ではない。現に、こちらの妖怪は多少制約こそあるものの自由に現世に行ける。情報も集めようと思えば簡単に集められるのだ。
「変わったことですか....?そうですね....最近、不可解な噂気がします。詳しくは知らないんですけど、ここ1ヶ月くらいから急に『ポルターガイストがどうの』とか、『幽霊がどうの』とかっていうニュースをよく聞く様になりました。後はあれですね。"華狐"の噂はよく聞きます」
その言葉にピクリと反応する鬼童。
柚月はその様子に気づかずに話を続けた。
「
「はい、ご存じですか?狐の仮面を被った和装の女の子の幽霊って噂です。私は実物を見たことは無いですけど、ここ最近になって噂が広まり始めた感じですね」
「特に被害報告なんかは無い感じですか?」
「見ても何もされずに去って行くことが多いとかなんとか....あとは"刀を持っている"ことから、幽霊を見て襲われる!と思った方が逃げて、振り向いたらいなかったなんて話もあります。単なる噂ですし、実際に見た人がいるかどうかも不明ですが....」
ポルターガイストに幽霊なんかはこの街ではよく聞く話だ。実際に妖怪の世界との繋がりがある以上、そう言った心霊的なものは自ずと現れる為特に気にすることは無い。大方中には無形による被害もあるだろうが、そこは調べていけばいいだろう。
だが問題は....
(華狐....狐面の少女か....それに刀だと....?)
その噂の“華狐”なる少女がどうにも引っかかる。そんな噂は今まで無かったし、なによりその少女の出現時期と鬼童達が直面している“ある問題”が発生し始めた時期が一緒なのだ。
単なる偶然とは思えない。それに、こうして一般に噂として回るほど派手に動いているのも気になる。無関係だと考えるのは難しかった。
「そうですか....ありがとうございます。色々お話が聞けて助かりました」
鬼童がそう言って微笑んだ。その瞬間に、思乃が戻ってくる。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい思乃さん。ちゃんとお使いは出来ましたか?」
「はい。これですよね?」
そう言って持っていた包みを鬼童に見せ、それを渡した。
鬼童は中身を確認して大丈夫だと判断する。間違ったものではなかったので一安心だ。
「それでは丹川さん。こちらが、あなたの望む商品です」
そう言って差し出したのは包みの中に入っていた小瓶だった。アロマのような香りが薄っすらと鼻をくすぐった。
「これは“
そう言って柚月に向かって微笑んだのだった。
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