第陸怪 ようこそ八妖郷へ

 ー目が、覚める。


 ふかふかのベッドの上、慣れた枕、見覚えのある部屋の景色。思乃の頭の中はぼんやりとしつつも、そこが自分の部屋であることを理解した。

 あれ....?確か昨日は....と昨日会ったことを思い出そうとするも、眠気が邪魔して上手く頭が回らない。もう30分だけ....と布団にくるまりなおして、デジタル時計を見てみる。すると....


「....?......!!あぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!」


 思乃の絶叫が響き渡ったのだった。


 ドタバタと支度をしていると、その悲鳴を聞きつけたのか玄関の方から誰かが入ってくる音が聞こえる。合鍵を渡した記憶などないのだが、入ってきた人物よりも寝坊したことで思乃の頭はいっぱいだった。

 そして、バンッ!!とスライド式のドアが勢いよく開かれる!


「大丈夫?!思乃ちゃん!!」


 そこに立っていたのは夜叉神永輝だった。息を切らし、心配そうに思乃を見つめるもそのあられもない姿を見て固まってしまう。

 下着こそ付けているが上はブラジャー1枚のみ。下は既にスカートを履いているために見られることは無かったが、乙女としては下着1枚でも致命的である。


「き....」


「....き?」


「きゃぁぁぁぁぁあああああ!!!」


「ぁぁぁあ!ごめん、思乃tyー--」


 思乃の投げたデジタル時計が永輝にクリーンヒットしたのだった。




***




「あっはっは!朝から災難だったね~!」


 爆笑しながら言う麗華。思乃としては笑い事ではないのだが、他人の不幸は蜜の味とかいう考えた奴はイカれてるとしか思えない格言まである時代だ。麗華のこの笑いは心からの本心なのだろう。


「災難だったねじゃないよ....こっちは大変だったんだから」


「それにしても、なんで永輝君は思乃ん家の合鍵持ってたんだろうね?ストーカー?」


「違う。お祖母ちゃんが亡くなる前に渡したの。私、叔父夫婦は県外だから気軽に来れないし、永輝にたまに見に行くよう言ったらしい....」


 そう、祖母が亡くなる直前も永輝は一緒にいてくれた。そしてそのタイミングで、永輝に合鍵を渡しているのを目撃している。

 祖母曰く、「思乃は色々だけど危なっかしいからね。思乃のこと、頼んだよ」と言われていた。唯一の親戚も遠くにおり、一人取り残される思乃の為に祖母がしたことだと思えば永輝から取り戻すなんて選択肢もなかった。


「それでそれで?朝からラッキースケベを堪能した永輝君との仲はどうなのよ~」


「どうって....別に普通だよ」


 そう言った時、廊下の方からきゃあきゃあと声が聞こえる。この学校で、この1年棟でそんな声が出される人物を思乃は1人しか知らない。


「思乃ちゃん、お昼食べよう?」


 当然永輝だ。この学校には非公式ながらファンクラブがあるほどの優しいイケメンは、あろうことか幼馴染をお昼に誘ってきたのだ。周囲の女子からグサグサと視線が突き刺さるが、思乃が攻撃の対象にされることは無い。

 なぜなら高校に入ってすぐのころ、非公式ファンクラブの面々に囲まれて圧を受けたことがあるのだが....


『生意気なのよ!永輝君に近づかないで!』


『そうよ!幼馴染だからって調子こいてんじゃないのよ!』


 そう言って水をかけられた。

 典型的な物である。漫画のようだ。そして、こういう時は決まってヒーローが助けに来るものである。


『なに....してるの?』


 校舎裏に珍しく吹いた風で制服をなびかせて登場したのは永輝だった。

 その表情は思乃ですら見たことがないもので、背筋が凍るほどに恐怖心を煽った。思乃ですらそのレベルなのだ。憧れの人にいじめの現場を見られた当人たちは失禁寸前だろう。ざまぁみろとは思うのだが、同時に可哀そうだなとも思った。


 結果、永輝に詰め寄られても別の意味でドキドキしたファンクラブの面々は顔面蒼白。永輝が、


『二度と思乃ちゃんに危害を加えるな。次は無いからね』


 と髪を掴んで顔を上げさせ、鼻先が触れるかどうかの距離で凄んだのだ。

 普通ならドキドキするこの距離感も、シチュエーションが違えばただの恐怖でしかない。ファンクラブの面々は最早何も言えないようでその場に座り込んで動かなくなってしまった。


『さ、思乃ちゃん、行こうか』


『永輝....いくら怒ってるからって、女子の髪の毛掴んじゃダメでしょ!』


『えっ....?今僕怒られる場面なの?!』


 その場で授業が始まる直前までお説教したのはいい思い出である。


「思乃ちゃん?」


「....永輝さ、私じゃなくて仲のいい人と食事したらどう?周囲の目線が痛いんだけど....」


「そんな....思乃ちゃんは僕のことが....嫌いになっちゃった?」


 わざとらしくショックを受けている永輝。

 その時、教室の隅の方から視線を感じた。そちらを見ると、坂本とその取り巻き2人がこちらを見ている。ただ、その視線は威嚇するようなものではなく怯えたような目をしていた。


(鬼童さんが目撃者の記憶は消しておくって言ってたけど....)


 本当に消えているのか不安になる。私が鬼童と共に無形に立ち向かったこと、そして私が半妖半人となってしまったことがつい昨日のことなんて....


「思乃ちゃん?」


「ん、何でもないよ永輝。お昼だよね、いいよ」


 こうして何気ない日常の中、今日も永輝達とお昼を食べた。


 周囲の女子からの痛すぎる視線を浴びながら昼休みを過ごした思乃。興味の視線と恨みの視線がグッサグッサと刺さる羽目になった。

 だがこういった日常の風景も命あってのものだ。魂を半分売った買いがあったと言っても過言じゃないだろう。

 ....いや、さすがに過言だったかもしれないね。うん。


 永輝は今日も部活。思乃は1人で帰ろうと靴箱を開けると、そこらヒラリと落ちる1枚の手紙。名前は無く、真っ白な便せんに赤いシールが張られただけのものだった。

 何だろう....まさかラブレター?!と思うとワクワクする。今では告白すらL○NEで行う時代だ。こういった古風なラブレターはむしろ期待が高まってくる。

 だが、中身を開いて読んでみるとラブレターなんてそんなものじゃなかった。


『思乃さんへ。今日から説明等々ありますので放課後、早々に家に帰ってきてください。追伸:棚にあった醤油煎餅美味しかったです。 鬼童』


「はぁぁぁあああ??!?!」


 思わず大声を上げてからハッと口を塞ぐ思乃。周囲から奇怪な目で見られていたため、そそくさとその場を後にしたのだった。


 全速力で走って家に帰る。門を開けて通り抜け、和風建築の平屋の扉をスパーンッ!と開けて中に転がり込む。

 すると、今朝消したはずのテレビが何故か点いていたのが音で分かった。ドタバタと騒がしく廊下を走り居間を見るとそこには....


「なるほど、今年はトウモロコシとしし唐が豊作ですか....何を作りましょうかね?」


「『作りましょうかね?』じゃなーい!!なんで鬼童さんが家うちにいるんですか!?」


「おや思乃さん、おかえりなさい。手紙にも書いてあった通りですよ。説明や準備などありますのでお迎えにきたのです」


「説明....?準備....?何をするんですか?というかどこに行くんです?」


 よっこいせと立ち上がった鬼童。軽く埃を払い、思乃に向かって微笑んで言った。


「勿論、八妖郷ですよ」




***




「さぁさぁいらっしゃい!みたらし団子いらないかね~」


「今日はみょうがと空芯草くうしんそうが安いよ~!」


「ちょっとそこのお兄さん、一回遊んでいかない~?」


「いえ、仕事中ですので。結構です」


 あらそう....と花魁のような恰好をした人型の猫はすぐに次の客を捕まえに行った。

 現在思乃達がいるのは八妖郷第4舎の“妖商店街マーケット”だ。その本部に向かっている。


「あの、鬼童さん」


「何ですか?」


「私人間だってバレませんよね?」


「大丈夫ですよ。半魂の契約によって思乃さんの体は半人半妖となっています。元が人間だとはバレるかもですが、少なからず妖怪として認知されるはずですよ」


 どうやって思乃がこの場所にいるのかというと、鬼童に教わった方法を使ったのだ。それは“眠る”それだけである。

 今現在思乃の体は家で爆睡中だ。その分、体は休んで魂だけが具現化して八妖郷にいる。鬼童曰く、妖怪とは“欠けた魂が具現化したもの”だそうだ。その為、魂が半分しかない思乃も紛れ込めるのである。


 しばらく歩いて、本部に入る。見慣れない思乃にちらちらと視線が向けられるが、仕事の方が優先なようですぐに視線は外された。鬼童が受付嬢に話を通してネームプレートを貰ってくる。それを思乃は受け取って付け、その後鬼童についていった。


「今日は来客用ではなく社員用の場所に行きます。このネームプレートが無いとあのゲートから先は入れません。思乃さんのは暫定的にゲストカードですが、その内思乃さん専用のをお渡しします」


 その言葉に思乃はおずおずと手を上げた。


「あの....1ついいですか?」


「何ですか?」


「その言葉をそのまま受け取ると、まるで私が....」


「ええ。そういうことですよ」


「えっ....?」


「え?」


 沈黙が2人の間を流れた。どうやら、思乃はここで働くことになっていたらしい。鬼童からは何の説明も受けていなかったために衝撃だった。


「私まだ学生ですよ?!それに、学校だってあるし....」


「ああ、それなら安心してください。“体”と“魂”は動力が別なんです。昼間に動くのが“体”で、夜に動くのが“魂”。なので、思乃さんがこの場所で働いていても体は休んでいるので疲労は溜まりません。むしろ、起きた時すっきりすると思いますよ?」


「でも....働くのはちょっと....」


「アルバイトと同じです。それに、現世における“半人半妖”は中途半端な存在として退魔師や陰陽師と言った者達や、純正の妖怪なんかが力欲しさに思乃さんのことを狙ってきます。基本的に妖怪は昼間は動かないですから、夜の間だけ魂をこっちの世界に隔離するんです。思乃さんも、眠ったら起きることなく死んでましたは嫌でしょう?」


 確かにそれは嫌だ。でも、元はと言えば鬼童が魂を半分何て言うから....と思ったが、その原因を作ったのは思乃なので反論できない。

 そこでようやく理解する。無形戦の後に鬼童が言った言葉の意味を....


『これからよろしくお願いしますね?』


 鬼童はこうなることを知っていたのである。知っていたうえで“半魂の契約”を行って思乃を巻き込んだのである。確信犯だ。


「おや、人聞きの悪い。私はあくまでも働ける優秀な人材が欲しかっただけです。丁度いい人が見つかってよかったですよ」


「くっ....!いつか呪ってやる....!」


 思乃は働くことを許諾したのだった。


 この八妖郷第4舎はかなり近代化されていて、エレベーターに乗って上部へと上がって行く。ガラス越しに見えた八妖郷はかなり広く、遠目ではあるが他にも同じような建物があることと、一際大きい城のようなものが見えた。

 しばらく乗って辿り着いたのは第4舎の最上階。開いたドアの向こうは1本道だった。そのまま進んで、鬼童がある部屋の扉をノックをする。


「鬼童です。例の人物を連れてきました。失礼します」


「し、失礼します」


 そう言って入って行った鬼童の後を、断りを入れてから思乃も続けて入って行った。

 その場所は広い部屋に飾られた物の数々、そして、正面の一際大きい窓ガラスから階下を眺める人物とその側に佇む秘書のような人物がいた。


「お、来たか」


「はい。第4舎営業処理部部長:鬼童及び新人:思乃、到着いたしました」


 窓から離れたそのトップと思われる人物はスッと思乃の元へ行って顔を眺める。思乃は見られている中でその人物を観察した。

 スラッとした体形に真っ赤な眼、腰まで届く流れるようなストレートの白い髪は毛先のみが跳ね、所々目と同じ赤が混ざっていた。


「いいんじゃないか?運動もそれなりに出来そうだし、何より鬼童の人選だ。働けるのは間違いない」


 そう言って席に戻る女性。ドカッと座って思乃に向かって言った。


「歓迎しよう思乃、ようこそ八妖郷第4舎、“怪裏界マーケットプレイス”へ。私はこの第4舎の本部長、八重やえだ。よろしくな?」


 八重と名乗った女性は、赤い目で思乃のことを見据えつつにやりと笑ったのだった。

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