第肆怪 歪恋の無形

「お、来たな聡里ィ」


 にやにや笑いの坂本とその取り巻きがこちらを見る。ギャルらしく崩した服に髪、髪色も染めている人物が1人の女子生徒を校舎裏に呼び出すさまは....まぁ、分かりやすくいじめの現場とも言えるだろう。

 棒付きの飴を舐めながら、やってきた私に「こっちへこい」と手招きをする。

 正直怖い。だが、私も彼女に反抗すると決めたからにはここで引き下がるわけにはいかない。


「それで、話って何?」


「何ってことは無いだろ~?もう何となくわかってるんだろ?」


「....永輝のことね」


「っは~!そうそう!その通りだよ!夜刀神はかっこいいもんね、スポーツできるし優しいもんね!....で、その優しさに付け込んで夜刀神の横にしつこく張り付いてるのは誰かわかるか?」


「あんた達でしょ」


「....はぁ?」


「永輝の優しさに付け込んでしつこくへばりついてるのはあんた達でしょって言ってるの」


 坂本のこめかみがピクリと動く。この程度煽られただけですぐにキレるとは....見た目以上に単純で助かった。

 坂本達が私の前まで歩いてくる。取り巻きも怒ってるようで明らかにこちらを睨んでいた。


「てめぇ、調子乗るんじゃねぇぞ?前から気に入らなかったんだよなぁ聡里のこと」


 胸ぐらを掴まれ、引っ張られた拍子に持っていたカバンが落ちる。


「いい子ちゃんぶりやがってよぉ!それに夜刀神のことを何気安く呼び捨てしてんだよ」


「昔からそう呼んでただけだけど?」


「そういうところがむかつくんだよ!“私は特別”とでも思ってんの?夜刀神はなぁ、お前が幼馴染だからかまってるんだよ!お前以外に女が出来たらお前なんて捨てられるんだよ!」


 取り巻きも一緒になって煽ってくる。「そーだそーだ!」だの「お前なんて所詮は特別じゃない!」などと。

 確かにその可能性はある。永輝は私に対して特別な感情を持っているわけではなく、ただ単に幼馴染だから仲良くしてくれている可能性。考えなかったわけではない。


 だが、だから何だというのだ。そんな言葉で篭絡できるほど私は安い女じゃない。

 もし本当にそうだとするなら、私は永輝に私自身を好きになって貰うように努力する。相手の言葉一つで崩れるほど、私の心はやわじゃない。


「だとしたら!私は幼馴染から永輝の特別になれるよう努力する。あなた達の言葉で崩れるほど、私は脆い女じゃない」


 そう反論すると、坂本は急に私の胸元から手を離した。そして、ゆっくりと後ずさりながら不敵に笑う。


「ふふ....ふふふ....あはははは!そうか、でも残念だったなぁ....夜刀神はアタシのものだ。これ、何かわかるか?」


 坂本は鞄の中からとあるものを取り出す。それはあの八妖郷で坂本が買っていたお守りだった。


「これはな、あの有名な境常神社で手に入れたお守りだ。あそこは凄かったよ!“願いの叶う神社”ってのは本当なんだと思った!!」


 お守りを高く掲げ、勝ち誇ったように笑う坂本。その坂本を見て最初こそ驚いていた取り巻きも、「あの境常神社の?!」と驚いて喜んでいた。

 八妖郷に訪れた者の縛りとして、”外部で八妖郷の存在を知らせてはならない”というルールが存在する。これは鬼童の言っていた”裏界の扉”を通った者すべてに課せられるルールらしい。

 だからこそ、怪裏の扉がある境常神社に噂が広まったのだろう。八妖郷に行ったことのある誰かが広めた噂ということになる。


「つ~ま~り~!お前が夜刀神の一番になるなん....て....」


 そこまで言って、坂本の言葉が止まる。目線の先を見ると先ほど落とした私のカバンだった。そこに付いてるストラップに、同じような形をしたお守りがぶら下がっている。

 つまり、彼女も気づいたのだ。私が、八妖郷に行っていたことに。


「お前....何で....?!いや、いやぁ....アタシが....夜刀神は....アタシノ....!!!!」


 坂本がお守りを見た瞬間に様子がおかしくなる。自分のお守りを握りしめ、蹲るように後ずさりする。そして、髪の間から見えた瞳はこちらを睨んでいた。

 だが、何かおかしい。よくわからないが。私に第六感なんてものは無いし、その異様な気配の説明は出来ない。でも、肌というか直感が物語っている。『早く逃げろ』と。


「夜刀神....夜刀ガミ....お前ナンカニ....ワタサナイ!!!」


 その瞬間、坂本の握っていたお守りから何かが周囲に溢れ出す。黒いドロドロした何かが。

 泥のようなそれは周囲へと浸食していき、そして段々と坂本を飲み込んで行った。泥の中に完全に消えるまで、坂本は恨みの籠った目で私を睨んでいた。その目が黒く、段々と泥と同じ色に侵食されていく。


「うそ....翔子....?」

「何あれ....?」


 怯える取り巻きの2人が「「いやぁぁぁぁああああ!!!」」と叫んで逃げだす。だがその瞬間、坂本....基化け物が吐き出した泥が2人に命中する。2人はその威力に吹き飛ばされてゴミ箱にぶち込まれて動かなくなった。


「アアアァアアァアァア....」


「っ....逃げ、なきゃ....」


 頭の中は『逃げろ』と警告を鳴らしている。私は足元にあった自分のカバンを持ち、急いで走り出した。

 それを当然ながら許すはずもなく、完全に泥に飲まれた化け物となった坂本は私を追いかけてくる。泥によって体長5メートルに達するほど巨大化した坂本は雄たけびを上げながら追いかけてきた。

 何とも形容しがたい姿....あれ、何かポ○モンであんなやつ見たことあるような....


「って、そんなこと考えてる場合じゃないっ!!」


「アァァァァアアアアアアア!!!」


「いやぁぁぁぁぁああああ!!!」


 走ってる最中も飛んでくる泥を何とか避けながら前へ前へと進む。そして、私は途中で90度進路を変えた。


(このまままっすぐ行けば校舎の方に行ってしまう....!目指すは人のいなくて広そうな場所....学校の裏山!!)


 私は裏山に進路を向けて走った。ひたすら走って、走って、走りまくって、たまに飛んでくる泥を何とか避けながら進んだ。


「あっ!」


 私は地面から盛り上がるように飛び出ていた木の根に躓く。マズイ....このままだと追いつかれる!そう思ったのも束の間、飛んできた泥が私に直撃....




 ガキィン!!




 する直前に私の前で弾け飛んだ。泥は周囲に飛び散り、私の前には半透明のバリアのようなものが張られている。そのバリアが泥をガードしてくれたのだ。


「はっ....はっ....っ!逃げ、ないと....!!」


 私は振り返らず、落とした鞄にすら気づかないまま森の奥へと再び走っていく。

 私が落とした鞄に付いたお守りが、焼け焦げるように塵となって消えていった。




***




「はぁ....はぁ....息を潜めないと....」


 森の奥にある大きな木の根元にぽっかりと空いた大きな窪みを見つけた。あの巨体で迫ってくるのなら、森の中にある気の窪みなど気づかないだろう。思乃一人なら十分に隠れられるサイズの窪みにはまるように膝を抱えて座り、急いで周囲の草木を寄せて身を隠した。


 坂本があの異形になってしまったのは八妖郷で買ったお守りが原因だろう。ということは、この状況は八妖郷の聖ということになる。鬼童に文句でも言ってやろうかと考えたが、連絡する手段がない。

 どこかで身を潜めてやり過ごして八妖郷に助けを求めるべきだと判断するも、その八妖郷に現状を伝える術がないのだ。


 目の前をひたひたという足音が歩いていく。だが、幸い思乃が隠れていることはバレなかったようでそのまま通り過ぎていった。

 草を分けて顔をだすと、そこにバケモノはいなかった。


「どうしよう....どうしよう....」


 この状況を打破できるのは彼しかいない。現に、彼が『必ず役に立つ』と渡してくれたお守りのおかげで命を救われている。連絡手段がない以上、祈るしか方法はない。


 目を瞑り、必死に祈る。


「助けて....鬼童さん....!!」


?」


 ....え?

 何という不意打ちか、声が聞こえたのはかき分けた草の向こう。鬼童が微笑みながらこちらを眺めていた。


「きゃぁぁぁあああああ??!?!!」


「流石にその反応は傷つきますね....」


 鬼童だ。鬼童がいた!助けに来てくれたのだろうか?と思ったが、どうやら鬼童の用事は別のことらしい。


「さて、思乃さん。お代を徴収に参りました」


 お代?何を言っているのだろうかこの人は....いや、妖怪か。じゃなくて!こんな危ない状況でお代?!悠長にそんなこと言っている暇はないでしょう!

 と、1人ノリ突っ込みを繰り返しながらも鬼童に迫る。


「鬼童さん!助けてください!坂本さんが....お守りを使って化け物に....!私が狙われてるんです!」


「でしょうね。今の彼女は思乃さんを潰して彼の特別になることしか考えていないはずですから。捕まったら....まぁ、ご想像にお任せします」


 え、本当に何されるんだ私?!


「さて、お代の方ですが....」


「で、でも!あのお守りは勝手に発動して....」


「持ち主に命の危機が迫ると勝手に発動します。思乃さん、あなたがあれを使用していなければ、私はこちらにはいなかったことをご理解していますか?」


 あの日の鬼童の言葉を思い出す。『未使用品のみ返品を受け付けます』と確かに言っていた。

 つまり命の危機は変わらない。どうしよう....どうしよう....!!と考えるが、思乃一人の力ではどうすることもできない。何せ妖怪を倒すなどという知識があるわけがないからだ。

 そんな状況でも、鬼童は微笑んで飄々としている。


「さて思乃さん、改めてお代の方を....」


 鬼童がそう言った瞬間に、「オオォォオオオォォオオオ!!!」という雄たけびと共にこちらに向かって走ってくる影が一つ。最早人間の形をしておらず、ドロドロの何かによって変わり果てた坂本だった。


「きゃぁぁあああ!!」


「おや....“特異無形”ですか。なるほど....」


「オォォオオォオオォ!!」


 一直線に思乃に向かって突っ込んでくる。

 あっ....死んだ....そう思った瞬間ー--


 ドッッッゴォォォン!!!!


 というすさまじい音と共に無形が吹き飛ばされる。


 鬼童が考え事をするように顎に手を当てながら裏拳を当てた瞬間、無形の体に波が打つように反響し、物凄い勢いで飛ばされたのだ。

 予想外すぎるその攻撃に開いた口が塞がらない思乃。

 そして、鬼童が口を開いて発した言葉は....


「今私が喋っているでしょう?営業妨害はよしていただきたい」


「今気にすることはそこなんですか?!」


 思わずツッコんでしまった。


 鬼童はしばらく何かを考える。そして、思いついたことを伝えようと思乃に向き直った。

 ビチャビチャと泥をかき鳴らす無形を「うわぁ....」と言いながら眺める思乃。そんな思乃も鬼童の視線に気づいて目をそちらに向けた。


「さて、思乃さんはどうしたいですか?ここから逃げます?」


「!!逃がしてくれるんですか?!」


「あなたが望むなら。ここだと無形が邪魔してお代の受け取りすらできませんからね」


「なら....」


「ただし、その場合標的を見失った無形はどうするでしょうね?」


 鬼童なら助けてくれる!と淡い希望を抱いた矢先、鬼童の言葉に固まってしまう。確かに、今の標的は私だ。そんな私がいなくなってしまったら....


「別の標的を....探す?」


「ええ。彼女、坂本翔子の執着先は夜刀神永輝でしょう?彼女は今、お守りに憑りついたもののせいで“愛”に狂ってしまった。名づけるなら”歪恋わいれん無形むぎょう”といった所でしょうか。そして、排除すべきターゲットを見失った彼女は恐らく....」


「永輝の所に向かう....?」


「その通りです」


「そんなのダメ!!」


 鬼童に縋りつくように言う。これは私と坂本の問題だ。永輝を巻き込むわけにはいかない。


「なら、思乃さんはどうしたいですか?」


「私は....鬼童さん、あの化け物を倒せますか?」


「それは報酬次第です。思乃さん、あなたは彼女を助けるために?」


 取引をしよう。と、そう言っているのだこの男は。八妖郷ではなく。何を言われるか、何を取られるかは分からない。

 だが、思乃にとって鬼童の助けがなければ永輝が巻き込まれてしまう。それだけは絶対に嫌だ。

 迷っている時間は無い。ここで断るなんて選択肢は無かったが、何を取られるのかわからないという恐怖があるのもまた事実。嫌な汗が流れ、心臓の音がバクバクと響く。


 いや、何を迷う必要がある?永輝を巻き込んでしまうのは私が何もしないからではないのか?自分は何もせずにただのうのうと逃げるのか?


 否、否、断じて否である!!


 永輝を救うためならば、自分が何を犠牲にしたってかまわないだろう。正義感など知ったことか、義務感なんてクソ食らえ!

 こちとら一度妖怪の世界に対して代償を払うと約束したんだぞ!今更1個も2個も変わらない!

 それならば思乃が出す答えは....


「鬼童さん、彼女を....助けてください」


「....」


「永輝を巻き込むわけにはいかない!!大切な人なんです!私の....私の体でも記憶でも魂でもッ!なんでもあげるから....あの化け物を倒してぇえ!!!!」


 その言葉を聞いて口角を上げた鬼童は笑う。


「その言葉、承りました。では、就業規則は破ってしまいますが....」


 そう言って無形を見る鬼童。その瞳には明確な“楽しみ”の感情が混ざっており、その怪しげな瞳に思わず思乃もゾクリとした。


「個人的契約、営業外の労働を始めましょうかね。来い、不知火しらぬい


 鬼童がそう唱えた瞬間、空中に現れた複数の炎。紫色の鬼火は鬼童の周りを飛び回り、そして腰元に集中して集まっていく。その炎が集まる度に形を変え、とある物が現出された。それは“刀”だった。


「かかってきなさい、歪恋わいれんに染まりし化け物よ。私が相手になりましょう」


 刀を抜いた鬼童が形を変えていく無形を見据え、そして笑った。

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