第6話

「……ぁむ」


 彼女の唇を喰んだのは一瞬でした。


 キスの仕方はなんとなく知っていて、でも軽くちゅっとするぐらいだったら彼女は驚きはするものの今の私と同じような心境にはなりそうも無かったから。

 だから、はじめは思い切って舌でも入れてやるぐらいの気持ちでいたのに。


 想像していた何倍もよーちゃんの唇はふわふわで。


 私は途端にとんでもないことをやらかしてしまったのではないか。

 そんな罪悪感を覚えてしまって結局は唇をぱくついただけの、へんてこなファーストキスになってしまったわけです。


 それでも。

 そんなキスでも。


 効果はてきめんだったようで。


「………えっ?」


 戸惑うように声をもらすよーちゃん。


 いつもの学校での彼女は誰に声をかけられても素っ気ない態度で、無表情に「べつに」「そう」「知らないわ」ぐらいしか言葉を発さず掴みどころの無いと噂される、あの、よーちゃんが。



「ぁ……ぇぅ…、……ぇ?」



 顔を赤くして、目を点にして、震えながら私を見つめます。

 火照り潤うその瞳が、私の行動の真意を計ろうと、必死に見つめてきます。


 私は笑いました。

 彼女がむっとした表情で睨んできます。真意を読み取れなかった彼女は口を使うことにしたようです。


「……どういうことよ」

「何がですか?」

「その、キスよ!な、なんでキス、してきたわけ?美月、その、実は私のこと好きだったの?」

「すき?んー、それってどういう好きですか?幼馴染として、友達として、めちゃくちゃ大好きですけど。でも昨日見た百合アニメの女の子たちみたいに恋愛感情を抱いているかと言われれば、うーん、そういう訳ではないですね」

「え、じゃ、じゃあどうしてキスしてきたのよ!わ、私、これでも初めてだったんだけど!?」

「それは普通に悔しかったからですよ。なんか昨日から、私ばっかりモヤモヤしてるみたいで、それなのによーちゃんは意地悪ばっかりしてくるから。だから、よーちゃんの予想外のことしてびっくりさせたくて」

「う、うぐぐ!で、でも!じゃあ美月も初めてを好きじゃない人としたことになっちゃうけど、それでも良いわけ!??」


 顔を真っ赤にしながら尚も食い下がってくるよーちゃん。

 よっぽど私にからかわれたのが悔しいんだなって思うと、ますます彼女のことが微笑ましくなって私の口角は再び上がりだしてしまいます。


 でもそうですね。


 確かに私だってあれが正真正銘のファーストキスでした。

 けれどどうしてでしょう?べつに、そこまで初めての相手がよーちゃんだったことに嫌な気分がしないと言うか。私からしたことだからっていうのも勿論あるんでしょうけど。それにしたって、どちらかと言えばという気持ちの方が大きい?ような気がします。


「確かに私もファーストキスでしたけれど、相手がよーちゃんで嫌な思いなんてこれっぽっちも抱きませんでしたよ?……むしろ、ちょっと心地よかったくらいです」

「えっ?………そ、それってどういう?」


 よーちゃんが何かを言おうとしたとき、廊下から生徒の話し声が近づいてきてることに気付きました。

 まずいです。こうやって一緒に話してる場面を見られるわけにはいきません。何と言っても高嶺の花なよーちゃんと、真面目が取り柄の地味子だと言われている私です。アンマッチにも程があるんです。


「誰か来たみたいなので自分の席に行ってください。それから私に話しかけるのも家に帰るまでダメですからね。それじゃあ、ばいばい」

「え?ちょ、ちょっと!?………はぁ」


 私が完全に文庫本を取り出して一人の世界に没入しだしたのを見て、よーちゃんも渋々ですが納得して自分の席に向かってくれました。


 程良いタイミングで吹奏楽部の朝練に来た人たちが私たち未だ二人だけの教室に入ってきます。その手には金管楽器があって、彼女たちが何をしに来たのか予想がつきます。


「あっ、今日もはやいねー!今からここで吹部のパート練やるんだけど、良いかな?」


 顔見知りの一つ上の先輩に、いつものようにそう聞かれて私は「どうぞ」と言って頷きます。「ありがとー!」という感謝の言葉を耳が気分よく受け入れたあと、私は後方から聞こえてくる音色をBGMにしながら読書に耽るのでした。


 それからしばらく本の世界に夢中になっているとクラスメイトの人たちが続々と入室してきて、賑やかになってきます。


 朝のショートホームルームが始まる時間が近くなったので、毎朝のルーティンであるお手洗いに向かいます。ポーチを持って。

 べつに尿意が無くてもとりあえずお手洗いに行って、私は鏡の前でいつも唇にお気に入りのリップを塗るのがルーティンなんです。


 今日も今日とて鏡の前に立って、目元が隠れるくらいに長い前髪を気にして。

 そしてポーチからリップを取り出して……。


 ふと、自分の唇に湿った感触を思い出して。


 今日はやめておこうと思いポーチにしまいなおしてから教室に戻りました。

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