第4話 アンの幸せ

《一時預かりと言ったな。あれは嘘じゃ。下界で色々、予想よりも揉め事が大きくなっておってな。申し訳ないが、貴様らには恐らく一年ほどはこの城で過ごして貰うことになりそうじゃ。故郷にすぐ帰してやれないのは気の毒じゃが、妾は非情な魔王なのでな。異論は認めぬ》


「むしろもう、帰りたくねーよ」


 朝食のフレンチトーストを頬張りつつ言ったサイラスの言葉に、声を聞いた子供たち全員がうんうん、と深く頷いた。

 なにしろ、大半の子供は、魔王の言う下界では、食うに困っているのが普通だったし、なんなら、裕福な商人の子供や貴族の子供の証言だと、ここの食事ほど豊かで美味しいものは食べたことがない、というのも既に知れ渡っている。

 魔王により拉致されて既にひと月が過ぎた。

 最早、子供達の中に魔王を疑う者は居なかった。

 何故なら、至れり尽くせり過ぎたから。

 この朝食の食べ物、ふわふわした甘い、乳と卵と砂糖のパンがフレンチトーストという食べ物であることも、半数以上の子供が知っている。

 何故ならば、本の部屋、図書館にあった、子供向けの食べ物図鑑や料理本に名前とレシピが載っていたからである。

 加えて、途中からは食堂外の壁には掲示板が増築され、一日の献立が毎朝張り出されることになったからである。以前出た料理も登場はしたが、大半が知らない名前の料理なので、一部の本が好きな子供たちが毎朝献立を調べては他の子供たちに教えて回るという習慣が出来ていた。

 ちなみに今日の献立は、朝はフレンチトーストとベーコン、ツナのサラダで、昼はエビとホタテのグラタン、おやつはにんじんケーキで、夜はオムライスとなっている。全て魔王が独断と偏見で決めているのだが、何人かの子供が「あーあ、またあの美味しい肉の塊が食べたいな」と声を漏らせば、何日か後にはまたハンバーグが出る、というようなことも頻発していた。

 この魔王、ちょろいぞ?

 そう思いはしたものの、途中途中で、魔王の基準により一線を越えた悪さをした子供は容赦のない罰を受けていたので、舐めたことを言う者は居なかった。

 何故なら、子供達の中でも年長の男子が数名、一人の女子に不埒な真似をしようと試みたところ、瞬時に魔法によって空中に逆さ吊りにされ、十回ほど鞭で打たれてから、姿を消したのである。


《あの者たちはしてはならぬことをしようとした。子供であるし、未遂じゃからな。鞭打ってもと居た場所に放逐としたが、妾はあのようなことを好かぬ。そも、妾の城でそのようなことを起こすなど、魔王としての威信に拘るのでな。次はない。もし、また同じようなことをしようとせなんだら、子供とて容赦なく殺すぞ♡》


 殺される、というのも恐ろしかったが、それより寧ろ、大半の子供は放逐されることにこそ怯えていた。ふ

 魔王城ではたっぷり食べられる上に、過酷な労働もない。同じ年頃の子供と遊んで眠って、まるで天国のような暮らしが出来るのだ。

 もうこれを味わってしまっては、地上に戻ろうなどとは思えない。

 何故なら、ここに居る子供たちは皆、魔王により処断された親や、雇い主、或いは主人を持つ身であったので、もと居た場所には嫌な思い出ばかりだったのだ。多少なりとも苦しい思いをしてきた子供ばかりだったので、厳しく恐ろしいが、衣食住を提供してくれる魔王の元に居る方が、何十倍もマシだった。

 なので、大半の子供はサイラスと同じ意見だった。


《それは面倒じゃからナシじゃ。毎日延々と献立考えるのもイヤじゃしのぉ。下界が落ち着いたら全員、もと居た場所に強制送還。これは決定事項じゃ。駄々を捏ねても無駄じゃぞ♡》


「本っ気で帰りたくねぇー!」


 腹の底から吐き出したサイラスの声に賛同するように、他の少年たちからも次々と「悪魔!」とか「最悪の魔王!」とかの罵り言葉が叫ばれるが、魔王は沈黙したままだ。

 途中で判明したのだが、どうやら魔王に対する侮辱は罪にあたらないようで、口汚く魔王を罵っても、どの子供も罰を受けなかった。


「でも、落ち着いたら、魔王の配下の募集をする、って言ってたし、なんとか応募、出来ないかな?」

「それしかないね。アタシは立候補するよ」

「うん。私も。ダメ元だけど、奴隷でいるより、ずっといいもの」

「お前らは迷いがなくていいよな。俺はチビが十五人も居るんだぞ。もし俺がここに雇われたとしても、こいつらの面倒見るのは無理だ」

「サイラス、あんた、本気で全員の面倒見る気なの?」

「しょうがねぇだろ。こいつら、俺が食わせてやんねぇと生きてけねぇし」

「でも、もと居た場所に返されるって」

「頼めば、どうにかなるかもしんねぇだろ。無理だったとしても、デボラが居るからな。地上に一人で残しちゃいけねぇ」

「それは、そうだけど……。」

「ちょっと、サイラス!」


 話を聞いて、俯いてしまったデボラを、ベルが視線で示した。


「お兄ちゃん、デボラが居るから困ってるの?」

「あ、デボラ。ごめん。違う。そういう意味じゃない。悪かった。気にすんな。お前が大人になるまで、兄ちゃんが面倒見てやるからな」


 サイラスから弁明されても、デボラの表情は暗い。なんとか空気を変えなくては、とアンも思うのだが、いい案が出てこない。

 ベルが「絵本読もっか!」と提案すると、やっとデボラが頷いたので、四人で図書館に向かうことになって、アンもサイラスもホッと胸を撫で下ろした。

 サイラスはとても面倒見が良くて優しいのだが、言葉が少し荒っぽくて、ぶっきらぼうなところがある。誤解されやすいし、言い方がつっけんどんなことも多いので、たまに年下の子を泣かせてしまったり、逆に他の子と喧嘩になったりということもたびたび起きている。本人に悪気はないし、心からデボラや自分を慕う子供たちを大切に思っているのは間違いないのだが。


「デボラ、今日はどの本にする?」

「んーとね、おやつの本!」

「あはは、そりゃいいね」

「食べたいって言っときゃ、明日あたりに魔王が出してくれるかもしんねぇぞ」


 図書館にある絵本の中から、デボラが選んだのは色々なおやつと動物が登場する本だった。

 パンケーキや、今朝食べたようなフレンチトースト、クッキーなどの甘いお菓子の絵があって、デボラはその中に登場する、赤い果物が乗った、白いお菓子が食べたいと言った。


「なんかこれ、ショートケーキって食い物らしいね」

「ベル、見つけたの?」

「これだよ。この本にあった。ケーキっていうのは、味はわかんないけど、どれも綺麗なもんみたいだねぇ」

「これも絶対美味いだろ。食いてぇなぁ」

「くいてー」

「ショートケーキ!」

「たべたい!」


 もう、ここ最近ではお馴染みになってきたが、アンとベル、サイラスとデボラに加えて、サイラスを慕う少年たちが常について回るようになってきた。

 大勢で本を囲んで、ベルに朗読してもらって、読み終わったら少しだけ文字を教えて貰うのがいつもの流れで、朝のうちはそうやって過ごすことが多い。小さい子たちはすぐに飽きてしまうので中庭に行き、木の枝を持って騎士ごっこをしたり、サイラスを引っ張り出して遊んで貰ったりしているようだった。

 アンは読み書き計算を少しでも覚えようと、午前中はベルに付き合ってもらって勉強をすることに決めていた。


「アンは凄いね。覚えが早いよ」

「そう、かな? でも、私、計算は苦手。ベルはどっちも出来てすごい」

「まあね。両親の商売を手伝うつもりだったから、金の計算だけはね。損しちゃいけないからさ」

「ベルはすぐ配下になれそう」

「アンもね。元々、アンの仕事は掃除と洗濯だったんだろ? こんなに広い城なら、掃除係や洗濯係は絶対に必要だろうし、採用されやすいんじゃない? アタシは飯炊きしてたけどさ、魔王なら専門の料理人を雇うだろうし、料理人なんて居なくっても、別に構わないだろうからさ」

「でも、ベル、ここってきっと……建物自体にも毎晩、洗浄魔法が掛けられてると思うの」

「なら、やっぱり読み書き計算、なのかねぇ?」

「みたい」

「……険しい道だね」

「だね」


 ただの孤児でさえこの扱いなのだ。

 配下になったらきっと、もっと重用されるだろう。もしも待遇がここまでではなかったとしても、あの魔王なら配下を飢えさせるようなことはしないと信じられる。

 毎日三食、栄養のある食事が与えられる仕事など、地上の世界ではほとんど存在しないのだ。

 恐らく、魔王の配下となるのはとても難しいだろう。

 けれども、ここに居る間に、少しでも読み書きを覚えておけば、地上に戻って仕事を探す時でも、悪い扱いはされなくなる。

 大半の農民は字が読めないし、庶民でも読めるというのは仕事で必要な商人か、そうでなければよっぽど都会に住んでいる人だけだ。

 そして、運良く商人に雇われることが出来たのなら、最低でも一日二回、朝夕の食事が出る。大抵の場合はそうで、裕福な商人の元に雇われれば、現金でお給料が貰えるのだ。

 加えて、読み書き計算が出来るとなれば、もし奴隷のままだったとしても、使い捨てのようには扱われない。むしろ、自己申告さえしなければ、読み書き計算が出来る人は、まず奴隷とは思われない。ベルは両親を盗賊に殺されて、結果、盗賊たちから奴隷の扱いを受けてはいたが、正確には奴隷ではないのだ。

 とはいえ、ベルの話を聞く限り、その盗賊たちにいずれは売られるか殺されるかしていただろうから、いずれ本当の意味で奴隷にされていたのは間違いないだろうが。


「あ、お昼の鐘だ」

「今日は、確か……ポトフだっけか?」

「うん。ソーセージと、野菜の煮込みなんだって。私、ここのソーセージも好きだけど、あのジャガイモって食べ物も好き」

「わかる。あたしも。あれ、不思議な食感だけど、美味しいよねぇ」

「前に出たやつ、油で揚げた、フライドポテト、っていうのも美味しかったよね」


 アンとベルは、これまで魔王城で食べた料理のことについて話しながら、ゆっくり歩いて食堂に向かった。


「贅沢だねぇ」


 ベルがしみじみ呟いて、アンも頷いた。

 ベルの言っている意味が、アンにも良くわかったからだ。

 ここでは、一人に対して一人分が必ず用意されているし、魔王が指定した、鐘が鳴ってから一時間以内のうちにはなくなってしまうことはない。

 下界なら、時間通りに行っても他の大人の奴隷たちに奪われたりすることは良くあったし、必死になってやっと食べ物が口に入るというのに、ここでは走って食べ物を確保する必要がない。

 のんびりお喋りしながら、今日の昼食に想いを馳せる。

 なんとも満たされた、柔らかい気持ちになって、アンは微笑んだ。


「これが、幸せ、って、ことなのかな?」


 アンの問いに、ベルは返事をしなかった。

 ベルの両親は仲が良かったと聞いているし、アンは自分の両親のことをベルに話してもいたから、きっと、答え辛かったのだろう。

 もしかすると、母親に疎まれ、父親に道具扱いされたアンは、ベルの価値観だと不幸なのかも知れない。

 けれども、アン自身は、この魔王城での生活は、間違いなく幸せだ、と思えた。

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