第3話 魔王の罰

 思っていたよりも疲れていたらしく、翌朝は朝食の時刻を告げる鐘の音で目を覚ました。

 慌てて、パジャマのまま廊下に飛び出すと、先に起きていたらしいベルが着替えて待っていた。


「アン、おはよう」

「おはようベル。どうしよう。着替えないといけないのかな?」

「もうしょうがない。食いっぱぐれたら損だし、そのまま走るよ!」


 確かにベルの言う通りだ、と考えて、アンはベルに手を引かれて食堂まで走った。

 ベルは足が速く、アンはつんのめるように走ることになった。

 息を切らしながら食堂に辿り着くと、アンと同じように、パジャマ姿のままの子も何人か居た。パジャマはスモックのようなワンピース型で、薄いブルーだったので、女の子の一部はこっちの方が好きだからと、昼間も着ることにしたようだった。


「今朝も凄いね」

「朝から肉が出るなんてね」


 朝食は、丸く焼いたパンケーキに、バターと甘い蜜が掛かったものに、ソーセージが三本も添えてあった。おまけに小さい皿も隣にあって、生の葉野菜に酢と塩で作ったらしい何かで味付けがされている。生の野菜などアンやベルには馴染みがなかったが、食べてみるとなかなか美味しかった。


「おい、お前ら、食い終わったら本の部屋に行かないか?」

「サイラス、おはよう」

「あんたもう食ったのかい?」

「とっくだ。お前らが遅いんだよ」

「あはは、寝坊しちゃったの」

「で、サイラス、その本の部屋ってのはなに?」

「本ばっかの部屋が見つかったんだってよ。地方領主の息子だって奴が言うには、トショカン、とか言うらしい」

「興味ないね」

「綺麗な絵ばっかりの本があるらしいぜ」

「へえ、そうなんだ。私は見てみたい、かな」


 アンが遠慮がちに言うと、ベルも「アンが言うなら」と頷いた。四人でその本ばかりの部屋に行ってみることに決まって、アンは一旦、昼間用の服に着替えるために、他の三人に待ってもらうことになった。


「待たせてごめんなさい」

「いいって。疲れてたんだよきっと」

「あの寝巻き、俺、やなんだよな。女のスカートみたいでさ」

「アタシも、こっちの服のがいいや。動きやすいし。アンはどっちかっていうと、スカートの方が可愛いけどね」

「そ、そういえば、昨日の夜のパン、半分取っておいてあるんだけど、いつ食べようか迷っちゃうね」


 褒められたのが恥ずかしくて、アンはなんとか話題を逸らした。


「え、お前らも? 俺も取ってある。やってることおんなじだな」

「ああ、やっぱりやるよね」


 取っておいた昨日の夜のパンをどう食べるかで盛り上がりつつ、サイラスの案内で本の部屋に向かう。

 本の部屋は中庭を挟んで食堂の反対側にあった。

 中に入ると、聞いていた通り本ばかりがあって、壁一面が本棚だった。

 他にも、入り口付近にはアン肩ほどの高さの低い棚もあって、薄くて、かわいい絵で、文字が少ない本が沢山入っていた。

 文字が読める年長の子が何人か、小さい子や、他の文字が読めない子に本を読み聞かせてやっている姿が見えた。


「お前ら、字、読める?」

「読めない」

「俺も」

「アタシは、ちょっとだけなら」

「ベル、すごい」

「すげーな」

「まあね。行商人の娘だったし」


 少し照れ臭そうにしているベルに頼んで、絵本を読んで貰うことになった。アンはもちろん、サイラスも素直にベルは凄いと褒めて、隅の方でゆっくり読んで貰った。幼いデボラは目を輝かせてお話に聞き入っていて、何冊か読み終わるころには、デボラはすっかりベルに懐いていた。

「なあ、ベル、良ければさ、毎日ちょっとずつ、字を教えてくれよ」

「いいね、それ。ねえ、ベル、わたしもいいかな?」

「えぇ? いいけど、アタシでいいのかい?」

「毎日することなんてほぼ無いんだぜ。チビたちはブランコで遊んでりゃ退屈しないだろうけどさ、他にやることなんて、昼寝くらいしかないんだぜ?」

「まあ、それもそうか。いいよ。アタシがわかるトコまでなら」


 話が纏まって、この単語はこれ、という説明をベルにして貰っている時だった。


「くだらない。平民がどれだけ努力したって、無駄なのに」


 知らない少年が、アンたちを見て、これ見よがしにため息をついた。

 蜂蜜色の髪の少年で、おそらくアンたちよりもいくつか年下のように見えた。いかにも賢そうで、背筋が伸びていて、きっと身分が高いのだろうと知れた。

 サイラスはすぐに「なんだと」と怒って立ち上がったが、蜂蜜色の髪の少年は鼻で笑って、少しも臆する様子がない。


「馬鹿だって言ったんだ。これだから平民は嫌なんだ。無駄なことばっかりして。下賤のものと同じ場所で過ごさなくてはならないなんて」

「この野郎!」

「あっ、サイラス!」


 アンが止めようと手を伸ばしたが、遅かった。

 サイラスは鳶色の髪の少年の頬を殴り付けた。

 少年は怯んでよろめいたが、すぐにキッ、とサイラスを睨みつけて、肩をぶつけるように、思い切り体当たりをした。サイラスは後ろに尻餅をついたが、すぐに立ち上がって拳を振り上げた。


「やめろ、この馬鹿! 魔王が喧嘩をするなって言ってたじゃないか!」

「そうだよ、やめて!」


 近くに居た数人の男の子たちが、その発言を聞いて慌てて二人を引き剥がした。

 サイラスも少年もズタボロで、どちらも息を切らしていながらもお互いに怒鳴り合っていたが、突如、魔王の声が響いた。


《喧嘩をした子供が居るようじゃな。サイラスと、エリック、両名には罰を与える。せいぜい、怯えて沙汰を待つがよい!》


 魔王はなんでもお見通しらしい。

 すぐさま宣告が成されて、それきり、騒いでいた子供達がシン、と静まり返った。

 誰もが怯えていた。容赦なく人を殺す魔王の罰とは、どういったものだろうと。

 二人をそれぞれ取り押さえていた子供たちは、自分にも火の粉が降り掛かっては堪らないと思ってか、すぐに離れて、距離を取った。


「サイラス」


 怖くはあったが、誰よりも、サイラスが怖いに違いない。証拠に、顔が青褪めているし、よく見ると震えている。

 あんまりにも気の毒で、アンは咄嗟にサイラスの隣に行った。

 ベルも息を呑んでから、アンにならってサイラスの側に行った。デボラはまだ物事がよくわかっていないせいか、キョトンとした顔で兄の袖を掴んだ。


「お、俺、死ぬのかな?」

「わからない」


 小さく漏らしたサイラスに対して、アンは正直に答えた。このまま、ここに居るのはなんとなく良くない気がして、ベルと軽く話して、中庭に移動しようと決まって、二人でそれぞれ、サイラスの側に寄り添った。

 ふと気になって、蜂蜜色の髪の少年、エリックはどうだろうかと振り返ってみると、彼は一人で立ち上がってはいたものの、唇をギュッと引き結んで震えていた。

 彼には誰も側に寄ろうとせず、一人きりだ。

 気の毒だな、とアンは思って、声を掛けようか迷ったのだが、ベルが「行こう」と促したので、サイラスを連れて本ばかりの部屋を出た。

 三人は不安なまま中庭の木陰に座って時間を過ごすことになった。


「アン、ベル、俺が死んだら、デボラのことを頼む」


 最悪の事態を考えて、サイラスは二人に妹のことを頼んだ。アンもベルも頷いた。

 けれども、魔王の罰は昼に皆が知ることとなった。

 人生最後の食事か、と呟きながら、サイラスが食堂に入り、椅子に座った途端、ロープが現れて、彼を縛りつけたのだ。


「は!? おい、なんだよこれ!?」


 ロープに縛られた途端、サイラスの前に並んでいた昼食は姿を消した。

 昼食は例の丸くて白いパンと、肉を叩いて整形したらしい楕円形の何かだった。しょっぱくて濃厚なソースが掛かっていて、隣には付け合わせの、油で炒められた青菜と、黄色くて細かい何かの身と、甘く煮た人参が添えてあった。茶色くて透明なスープも小さい器に用意されていて、うっとりするほど素敵なメニューだった。

 しかも、その肉というのがなんとも言えない良い匂いがするのだ。香ばしい脂と肉汁の匂いで、食べた子供達の中には余りのおいしさに叫び出す子も居たほどだ。

 それを前にして、縛られたサイラスはひとくちも食べることが出来ないのだ。


「罰って、これかよ……!」


 絞り出すように叫んで、恥ずかしさと悔しさから顔を真っ赤にしたサイラスを見て、たくさんの子供達が笑った。


「魔王の罰は飯抜きの罰なんだね」

「確かに、凄く嫌かも」

「うん! うまい。これ、凄くいい肉だよ。ぜんぜん臭くないし」

「本当。すごくおいしい」

「ち、ちくしょ〜〜っ!」


 とうとう、目の前にあるご馳走を食べられない悔しさから、サイラスの目に涙が浮かび始めてしまった。

 アンは自分の肉を見て、少し考えてから、切ったひとかけを、フォークに刺して、サイラスの前に持って行った。


「ちょ、ちょっと、アン!」

「魔王……さまが、怒るかも知れないけど、でも、きっと、私の次のご飯が抜かれるだけで、済むんじゃないかなって」

「アン〜〜! お前、ほんっとに良い奴だな!」


 サイラスは首を伸ばして、肉を食べようとしたのだが、口に入れる直前、アンが差し出した肉は消えてしまった。ふと横を見ると、サイラスに食べさせようとしたはずの肉はアンの皿の上に戻っている。

 ベルは面白そうに笑って、肩をすくめた。


「あはは。ズルはダメだってよ」


 自分にも罰が与えられずホッと胸を撫で下ろしながら、アンは食事に戻った。

 魔王さまって、私たちのこと、よく見ているみたい、とアンは思った。

 結局、サイラスは一口も昼食を食べることが出来なかったが、アンとベルが部屋に貯めていたパンを差し出してやることになった。サイラス自身は遠慮していたのだが、お腹が豪快に鳴ってしまったので、申し訳なさそうに受け取った。


「それにしても、ぬるい罰だよな」


 噴水のふちに座って、林檎を齧りながらサイラスが言った。

 罰は純粋に、昼食抜き、というだけだったらしい。変わらず、中庭の木の果物は食べ放題のようで、サイラスは林檎とオレンジをたくさん食べた。


「そうだね。魔王さまって、すごく優しいのかも」

「なー。なんていうか、甘いんだよな」

「言えてる。拍子抜けだよね」

「お兄ちゃん、あそんで」


 午後はデボラの希望で、四人でおままごとをすることになった。デボラが子供役で、サイラスはそのままデボラのお兄さん。何故かアンとベルが二人ともデボラのお母さん役になっていて、奇妙な配役だったが、なかなか斬新で面白かった。

 そうこうしているうちにまた、鐘が鳴った。

 魔王の言っていた、おやつの時間、というものなのだろう。

 また食べられないのではないか、とサイラスは警戒していたのだが、杞憂だった。

 食堂に行くと、席には脚の付いたガラスの器があって、黄色くて丸いものがあった。上には黒いソースのようなものが付いていて、横には切ったさまざまなフルーツがクリームと共に飾り付けられており、見た目も華やかで美しいだけでなく、黄色いものは柔らかくて甘くて、口の中に入れると、ふるふる揺れて崩れるようだった。


「この緑の木の実、黒いゴマみたいな種があるけど、甘酸っぱくて美味しいね」

「ね。アタシもビックリしたよ。中庭にはない木の実だよね」

「なんだこれ。うますぎるだろ」

「お兄ちゃ、もっと、デボラもっと黄色いの食べたい!」

「しょうがねぇな。ほら。口開けろ」


 渋々といった様子ではあるが、サイラスはデボラに自分の分のおやつを少し食べさせてやっていた。


「すごいなぁ。サイラス。優しい」

「えぇ? アンがそれ言う? 昼は見ていてヒヤヒヤしたよ」

「ああ。俺も。アン、お前、魔王が怖くないのかよ?」

「怖い、けど……すごく美味しいのに、サイラスだけ食べられないのは、可哀想だなって思ったから」


 そういえば、あのエリックって子はどうなったんだろう、とアンは周囲を見回してみた。

 エリックは食堂の、一番真ん中の席に座って、黙って一人きりでおやつを食べていた。

 隣の席は埋まっていたが、エリックの知り合いではないらしく、よく日焼けした男の子たち数名が、楽しそうに何かを話し込んでいるのだが、エリックの方を向いていない。

 あの子、一人ぼっちなんだ。

 少し気になりはしたものの、ベルとサイラスに誘われて、アンは魔王城の探検に出掛けることにした。

 

「何かあった時のために、俺たち四人の部屋がどこか、知っておこうぜ。その方が安心できるだろ?」


 サイラスの提案に、アンもベルも賛成した。

 個人の部屋が連なる区画は、廊下が幾つも細かく枝分かれしていて、迷路のようになっているのだ。曲がり角の数を数え間違うと、ぜんぜん知らない区画に迷い込んでしまう程だ。

 幸い、アンとベルの部屋はお隣同士で、サイラスとデボラの部屋も兄妹で隣同士だから比較的わかりやすいのだが、中庭に面した場所にあるアンとベルの部屋に比べると、サイラスとデボラの部屋は分かりにくい位置にあった。


「魔王がどんな奴かわかんなかったから、奥の方の部屋を選んだんだよ。下手すると、手前の部屋の奴から順番に殺されるかもって思ったしな。当然だろ? 俺からすると、お前ら、警戒心無さすぎ」

「なんだって!?」

「待って、二人とも。喧嘩したら、ご飯が食べられなくなっちゃうよ!」


 一瞬、サイラスにカチンときたベルが身を乗り出したが、二人ともアンが夕飯のことを引き合いに出すと、渋々仲直りをした。

 それから、サイラスとデボラの部屋を覚えるための時間を過ごしてから、ついでに道がどんな風に枝分かれしているのかを確認していると、夕食の時間を告げる鐘が鳴った。


「なぁ、今日の晩飯、なんだろうな?」

「さあね。ただ、美味いことは間違いないだろうよ」

「そうだね。昨日の夜のスープも美味しかったし」


 和気藹々と食堂に向かうと、他の子どもたちも同じように、笑顔で歩いて向かうのが見えた。中には走っている子も居るが、昨日の夜とはまるで様子が違うことに、アンは気付いた。

 昨日の夜は、どうなるのかわからずにみんな不安で、多くの子は飢えて必死だったから、走って我先にと掻き込んでいたが、今は少し、余裕がある。朝も昼も、加えてその後も、おいしいものをたっぷり食べて、気持ちに余裕が出来たのだろう。

 席につくと、並んでいたのは茶色いソースが掛かった紐のようなものだった。麺類、というものらしく、都会っ子のサイラスや、元は行商人の娘だったベルは知っていたのだが、アンは見るのが初めてだった。

 どう食べるのかを二人から教わって、フォークで掻き混ぜて、くるくる巻いて食べてみると、物凄く美味しかった。挽肉が、適度な塩気と、複雑な甘味や酸味、旨みもある。麺の食感は初めてだったが、アンはこんなにおいしいものがあるなんて、と驚いた。


「あはは。アン、服にシミが沢山付いてるよ」

「あっ、ほんとだ。どうしよう」

「俺も。夢中で食ったらすげー飛んだ」

「待って。よく見たらアタシもだ。あはははは」


 四人とも、よく見たら白い服にソースが飛んでいるし、それぞれ口の周りが汚れてしまっている。

 ベルの提案で、もう今日は風呂に入って寝巻きになってしまおう、と決まった。アンとベルはデボラと一緒に女風呂に入ることにして、出口でサイラスと合流することになった。


「はぁ、お湯に浸かるってのは、なんとも贅沢だねぇ」

「そうだね。ご飯も美味しいし、天国みたい」

「魔王の城の筈だけど、なんだかねぇ」

「……私、魔王さまって、神様みたい、って思っちゃった」

「神様だろうが、魔王だろうが、食わせてくれるんなら、なんだっていいさ」


 ベルが少し俯いたのを見て、アンは「そうだね」とだけ言って、話をやめた。

 風呂から上がって、デボラのついでに他の小さい子たちの面倒を少し見てから合流してみると、サイラスの周りに小さい子、それも男の子ばかりが集まっていた。

 事情を聞くと、サイラスも男湯の方で小さい子たちの面倒を見てやったらしく、ついでに、昼間の喧嘩の一件をもう知られていたので「ケンカするなんてすっげー!」という理屈で、親分のように好かれたらしい。


「男子ってのは、よくわかんないねぇ」


 ベルは首を傾げていたのだが、小さい男の子たちに群がられるサイラスの嫌がる顔を見て、アンはついクスクスと笑った。

 兄を取られてご機嫌斜めになったデボラをサイラスがおんぶして、後ろにゾロゾロ小さい男の子たちを引き連れて、湯冷ましに中庭の噴水で涼みながら、果物を食べることにした。

 他にも何人か、噴水から湧き出る水を飲んだり、水気の多い果物で喉を潤したりしている子が居て、しばらくアンたちは外で過ごした。空には雲がなく、満天の星空が広がっており、風が涼しくて心地よい。


「おら、お前ら自分の部屋に戻れ。っておい、待て。もうフラフラじゃねぇか。あー、もう、どこの部屋だよお前ら……クソッ、しょうがねえ」


 悪態を吐きながらも、サイラスは眠たくなって頭がユラユラしている子たちを部屋まで送っていくことにしたらしい。

 それを見送ってから、アンとベルも就寝することにした。


 更に翌朝、アンは日の出とほぼ同時に目を覚ました。

 ベルも同じだったらしく、ちょうど同時に部屋のドアを開けて廊下に出たものだから、二人して笑ってしまった。


「ベル、おはよう」

「おはよう、アン」

「ベル、もしかして、昨日もずっと、私が起きるのを待ってたの?」

「ああ。うん。まぁね。部屋でちょいちょい、のんびりしながらだよ。朝の鐘に間に合いそうにないなら、扉をぶっ叩いて起こしてやろうと思ってさ」

「ありがとう、ベル」

「いや、いいよ。気にしないでって」

「サイラス、起きれるかな?」

「無理でしょ。部屋もわかんない子たちを送ってやってたんなら。だって、十人は居たよ?」

「そうだよね。起こしに行ってあげないと」


 アンとベルは小さな声でお喋りをしながら、複雑に入り組んだ廊下を進んだ。

 サイラスの部屋のドアをノックすると、少し間があってから、物凄く眠たそうに返事があった。


「あー、はよ」

「サイラス、昨日は大丈夫だった?」

「あー、まあ。そこはな。しょうがねぇから途中で諦めた」

「諦めたって、あの子たちを放り出したってこと!?」


 驚いて声を荒げたベルに対して、サイラスは目を擦りながら、体をどけて部屋の中を見せた。

 掛け布団と敷布団が床に広げられて、その上に、小さい男の子たちがごちゃ混ぜになる形でぐっすり眠っていた。マットレスだけになったベッドの上も同様で、壁にへばりつくようにして二人が眠っていた。


「なんか、部屋の主が許可すれば、何人でも入れるようになるみたいだぜ。この腕輪の魔法」


 考えてもみなかった。

 アンとベルもこれには驚いたのだが、サイラスは自分が着替えると、テキパキと他の子を叩き起こしに掛かった。


「おら、お前ら! 早く起きろ! 早くしないと食いっぱぐれるぞ! アン、ベル、わりぃ。デボラを起こしてやってくれ。あっちの部屋にも何人か詰め込んでんだ」

「わかった。デボラ、起きて! 朝ごはんだよ!」

「サイラス、わたし、トイレに行きたい子を纏めて連れて行くね。食堂の前に集まるのでいい?」

「助かる! 頼んだ!」


 バタバタしながらなんとか全員で食堂前に移動したタイミングで、朝の鐘が鳴った。かなり余裕があった筈なのに、十人ほどの小さい子たちの面倒を見ていたら、ギリギリだった。

 今日の朝食は、四角くて白い、薄く切ったパンに、生の葉野菜と、スライスした赤い実と、ハムを何枚も挟んだサンドイッチだった。

 朝食をゆっくり食べていると、突然、魔王の声がした。


《魔王から城内の子供らに向けてお知らせじゃ。暇を潰すものがなくて退屈そうじゃから、急遽、魔王城の緊急改修工事を行うことにした。とりあえず今から庭をちょっと弄るゆえ、まあ好きに遊びまわるがよい! お知らせは以上じゃ!》


 庭を弄る、と聞いて、何人かの子供がたまらず、食堂のドアを開いた。他の子供達もドアの近くに駆け寄って、中庭の方に目を凝らした。

 すると、元から大きかった噴水がみるみる塔のように土台をせり上げて、水の勢いを大きく増してゆき、高くから降り注ぐ滝のようになった。

 水は噴水から溢れ、同時に、落水する場所の地面が抉れて滝壺となり、そこからあっという間に、清水の流れる小川ができた。

 新たに出来た小川を避けるように、川の先にあった柱や床が左右に移動して、川は魔王城の囲いの外、空中に浮かぶ大地のふちから降り注ぐような形となった。細い虹が三つも中庭に浮かび、子供達はわぁ、と歓声を上げた。


《ついでに、景色が見えぬと気が滅入りそうじゃから、外を見れる窓も増築したぞ。落ちぬように気をつけよ。妾は知らぬぞ。自己責任じゃ♡》


 ついでとばかりに、滝のそばにあった一部の石造りの城壁の石たちが組み替えられて、アーチ状の窓が並ぶ廊下となった。

 最後に、ガシャンと音を立てて、黒い鋼鉄の柵が川の出口に立てられた。

 いち早く、小川へと飛び出した少年の一人が「魚だ! この川、魚がいるぞ!」と叫んだ。

 魔王の魔法はまだ止まらない。

 芝生と果樹ばかりだった中庭に、石のテーブルとベンチがいくつか出現した。のみならず、子供が遊ぶのに良さそうな遊具なども複数出現していて、興奮し切った小さい子たちは、ご飯を放り出しかねない勢いで外に駆け出してしまった。


「ねえ、これ、よく見ると、お皿の下に布が敷いてある」

「弁当にしろってことかもね」

「魔王っていい奴なのか?」

「私は、いいひと、だと思う。とりあえず、他の子たちのぶんのご飯、纏めておいてあげよう? 後で食べたくなるかも知れないし」

「そうだな」


 お弁当になってしまった朝食を纏めてから、アンたちも中庭に繰り出した。小川は何百年も前から流れていたかのように、小石が水底に並んでいて、魚が泳いでいるのが見えた。

 デボラが遊びたがったので、新たにできたシーソーでしばらく遊んでやり、少し疲れたところで、全員で本の部屋へと移動した。

 本の部屋でも変化が起きていて、細かい木材や紐などが入った引き出し付きの机が増えており、鋏などの道具も揃っていた。驚くべきことに綺麗な色紙や、絵を描くための細長い道具もあった。

 これには、驚くを通り越して、アンもベルもサイラスも、呆れてしまった。


「魔王、すっげー、金持ち」


 サイラスの率直な感想に、アンもベルも頷くしかなかった。

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