5-8




 スカーラエビルから二千メートルあまり離れたビルの屋上でも、青い閃光は見えた。

 恒星が死ぬ瞬間のように。

「あ~っ」と九々庭が嘆いた。

「ベガ、銷失しちゃったヨ」と百々縄。

「……」

〈煤〉混じりの風に吹かれながら、千々岩は黙ってスカーラエビルを見ていた。

 ――〈アストルム廃棄スキーム〉の真実をさぐるため、Bxパックを埋めこまれることを承知でNAGIAに留まり、知り得たすべてをリゲルに伝えたか。

「惜しむ必要はないのだ。やつは姿が保てなくなっただけ、〈煤〉へ還っただけなのだ。我らはすべて〈煤〉の子、〈煤〉の中でまた会えるのだ」

 と、イヤホンを指先でコツコツ叩く。

「それより、これからどうすればいいのだ。指揮車がなんも言ってこねーのだ」

 指揮車も混乱しているのだろうということは容易に想像がつくが、にしても、放置するとは何事だろう。

 九々庭が巨大な腕をぶらぶらさせながら言った。

「リゲルのことは結局、捕獲するのかなあ、廃棄するのかなあ?」

 百々縄も続く。「アギトがあれだけ大きくなってしまったらNAGIA日本のSAKaUに対処は難しいかもだヨ」

「我らを使わないのなら、あとは自衛隊かなあ?」

「自衛隊は制約が多すぎるヨ。人質もいるし武力の行使はできないヨ」

 千々岩が「ウムム」と唸っていると、百々縄が「アレッ」と大きな目をぎょろつかせた。

「二十六階の人質がやられちゃったヨ」

「オ?」

「アギトがまとめて殺したみたいだヨ」

「ベガを焼いたお返しかなあ?」と九々庭が首を傾げる。

「アラアラ、わはは!」

 千々岩は改めて腰を据えると、左腕の砲身の角度を調節した。途端、尾から太い棘が生えて、コンクリートの床に突き刺さり、ボルトのように深く喰いこむ。

「これで大義名分が立つのだ。お仕事するのだ!」

「やるの? やるの?」と九々庭。

「やるのだ! 結局我らがやるしかねーってことなのだ!」

 その声に呼応するように、百々縄は風に乗ってふわりと浮かび上がると、千々岩の肩に留まり、鉤爪でがっしり掴んで体を固定した。両腕を大きく広げ、飛膜を張る。微妙な風の向き、風速、あらゆるものを測るために。

 千々岩のパイプ状の背鰭が、唸りを上げて周囲の〈煤〉を吸引し始めた。



 階下から甲走り、そして消えた無数の悲鳴に、カペラは「なんてことを」と慄いた。

「なんで殺したんだ。引き返せなくなる!」

「もうとっくに引き返せない」

 リゲルは感情を抑えるように低く言った。

 ベガが消えた場所を見つめながら。

「人間は弱いからアストルムをつくったのに、弱いくせにアストルムを廃棄すると言う。無謀で、傲慢で、身勝手だ。無神経で、考えなしだ。何十億人もいながら、自分たちだけでは何も解決できないくせに……アストルムシリーズでは〈煤の王〉を止められないと予言された? だから廃棄を決めただと? そんなことで……〈魔法使い〉だって人間のはずだ。たったひとりの人間の一言で決められてたまるか!」

 言い返そうとカペラが口を開きかけた、そのとき。

 リゲルが弾かれたように顔を上げ、その目の前で大きな火花が散った。

 リゲルの頭部を狙って高速で飛来した何かが、スフィアによって防御されたのだ。飛来物はあさっての方向へ飛び、屋上に蔓延るアギトの枝の一部に、大きな風穴を開けた。

(狙撃されてる!)

 狙撃。

 その言葉で、カペラは反射的に身を伏せた。

(俺の頭を吹き飛ばしたやつか?)

(わからない。そうかも)

 リゲルは弾が飛んできた方向を睨んだ。

〈煤〉の向こうに煙る高層ビル街。

「千々岩か!」

 次弾はほとんど間髪いれず飛んできた。

 低伸弾道ゆえに高初速かつ高威力の砲弾を、リゲルは今度もスフィアひとつをぶつけて防いだ。鋼鉄同士が衝突したような音が響き、盛大な火花が散る。

 砲弾を破壊したり跳ね返したりということはできないようで、弾道を逸らすのみだ。

 流れてきた弾で、屋上の端に整然と並んでいたビル用マルチエアコンの室外機がまとめて半ダースほど吹き飛び、千切れた排気ダクトが芋虫のように跳ね上がった。

 砲撃はコンスタントに、そして執拗に続き、これをリゲルはすべてスフィアで迎え撃った。

 飛んできた砲弾の数だけ、火花が散り、捌かれた砲弾は四方八方へ飛び、屋上に物凄い勢いでスクラップが増えていく。

 カペラのすぐそばの床は深くえぐれてクレーターができた。ちょっとした倉庫ほどもある非常用自家発電機に大穴が開き、キュービクルが爆発を起こした。

「見ろ、これが人間の答えだ!」

 応戦しながら、火花と残煙の中、リゲルはカペラに向かって叫んだ。

「信太陽子は来ない、NAGIAは交渉しない、ベガもやられた、俺たちは廃棄される!」



 千々岩の肩に留まる百々縄の、ガラス様の眼球がぎょろぎょろ動く。

「スフィアで弾道が逸らされてるヨ」

 千々岩は「カーッ」と短い足をバタバタさせた。

「あれなんなのだ? どういう理屈で動いてるのだ?」

 などと言いながらも砲撃を続けていたときだ。

 百々縄の目だけがぎょろりと振り返った。

「来たヨ」

 階段へ続く塔屋のドアが乱暴に開き、尖兵型が三体、雪崩れこんできた。

 砲撃を続ける千々岩と百々縄のほうへ、脇目も振らず駆け寄ろうとする――が、先頭を走っていた一体が、振り下ろされた巨大な拳で叩き潰された。思わず足を止めた後続が、重機のようにごつい腕で殴りつけられ、軽々と吹っ飛ぶ。

 そして、

「これ九々のかなあ?」

 最後の一体は、九々庭に両手で掴み上げられ、雑巾を絞るようにねじり上げられて、たちまち〈煤〉に還った。

 だがこれで終わりではなかった。

 最初の三体に続いて、開きっ放しのドアから、尖兵型が続々と踏みこんでくる。

 あきらかに、千々岩三兄弟を狙っている。

「アギトに場所を特定されたみたいだヨ」

「遅いくらいなのだ」

 千々岩は腰を据えて砲身を振り回し、砲口の向きを百八十度変えると、即座に一撃ぶちこんだ。尖兵型を何体か巻きこみながら塔屋が木っ端微塵に吹き飛び、階段が塞がる。

 屋上に取り残された尖兵型は十体あまり。

 これらに向かって、千々岩は、出力を抑えた砲弾を景気よく連射した。

 命中した尖兵型が端から吹っ飛び、〈煤〉に還っていく。

 千々岩の声が笑った。

「尖兵型だけとは、我らも舐められたもんなのだ」

「こっちからも来てるヨ」

 百々縄は飛膜をはためかせて風に乗り、屋上のふちを滑空し始めた。外壁をよじのぼってきた尖兵型を、鉤爪に引っ掛けては落としていく。しかし、外壁から攻め来たる尖兵型の数は、思いのほか多かった。百々縄の爪をかいくぐって屋上に辿り着いた者が、鈍重な千々岩に向かって、まっしぐらに身を躍らせる。

 九々庭は、その巨体からは想像もつかないような速さで千々岩のもとへ駆け寄ると、飛びかかってきた尖兵型の胸の真ん中に、重い一撃を喰らわせた。そのパンチは尖兵型の胸殻を易々と破り、背中まで貫いた。尖兵型は床に足をつく前に〈煤〉に還った。

 九々庭が野太い咆哮を上げた。拳と拳をぶつけ合わせると、火打ち石のように火花が散り、それだけでほとんどの尖兵型は怯んで後退った。



 砲撃が止んだ。

 カペラはそっとあたりを見回した。

 リゲルと千々岩の攻防によってめちゃくちゃに破壊されたスカーラエビル屋上は、煙や粉塵がもうもうと立ちのぼっていた。〈煤〉も混じって、数メートル先も見えないくらい視界が悪い。あちこちで、ガラガラ、ズシャンと何かが崩れる音がする。

 そんな中、リゲルはよろよろ移動し、アギトの陰に身を潜めた。

 アギトにもいくらか流れ弾が当たっており、枝はボロボロになっている。

 カペラは身を低くしたままリゲルのそばへ寄った。

 リゲルに外傷はないようだったが、疲れきったかのようにふらつくと、その場にがくりと膝をついてしまった。

 そしてぼそりとこぼした。

「寒い」

 カペラは目を上げた。「え?」

「なぜだろう。とても寒いんだ。寒いはずはないのに。カペラ、おまえが狙撃されたときも寒いと感じた。〈廃棄スキーム〉が発動されたと聞いたときも。それからずっと寒い、ずっとだ」

「……」

「この寒さをどうにかしたくて今まで動き続けてた気がする」

 カペラはその〈寒さ〉が我が事のように身に刺さるのを感じた。

 そうだ、リゲルが感じる〈寒さ〉は、この世でカペラだけが理解できるのだ。

 カペラはリゲルの肩に触れた。

「それは寒いんじゃない。哀しいんだ」

「かなしい……」

 そうか、哀しいのか。

 そう呟いてリゲルは項垂れた。

 カペラは胸がいっぱいになった。

 自分だけじゃなかった。

 自分だけがひとりぼっちで戦っていたわけではなかった。

 ベガだってそうだ。

 ずっとひとりで戦い続けていたはずだ……

「リゲル。俺たちは、」

 言いかけたカペラの頭部に黒い枝の束が押し寄せ、あっという間に包みこんで、床に叩きつけた。勢いそのまま数メートルこすりつけ、軌跡のコンクリートが毛羽立つ。

「⁉」

 リゲルは驚愕して顔を上げた。

 黒い枝はたちまちカペラの全身を覆うと、一気に圧した。外骨格に覆われていない体は容易く潰され、枝のあいだから飛び出していた手足がおかしな方向に曲がった。そして、とりわけ念入りに圧砕された頭部から、青い光が閃いた。

「カペラ!」

 ゴム人形のようにぐんにゃりした体が、高さ百二十メートルの空中に放り出され、力なく落下していく。

 これを追おうと駆け出したリゲルの背に、尾に、四肢に、黒い枝が絡みついた。

 巨躯が軽々と持ち上げられ、リゲルの足が宙を掻く。

 枝に逆らって振り上げようとした腕が、バキンと反対側にへし折れた。

 リゲルはそのまま運ばれ、ひときわ太く密集する枝の前に引っ立てられた。

 パキパキ音を立てて枝が左右に分かれ、黒銀色の髪がさらりと分かれて、白いかんばせが、ほっそりした上半身が、静やかに現れる。

 アギトは慈しむように囁いた。

「ごめんね、可愛い子」

「なぜ――」

「ここでいくら粘っていても、信太陽子は来ないということがわかってしまった。連中は、やはり、人間がどれだけ死のうが構わないのだ。信太陽子を――〈魔法使い〉を守ることさえできればそれいいのだ、ウンブラという組織は」

 リゲルの周囲にスフィアが無数に形成され、一気にアギトに撃ちこまれる。

 だがそれらは枝をいくらか削っただけだった。

 スフィアは狂ったように乱れ飛んだ。蜂の大軍を思わせるほどに空気を震わせて枝を幾度も貫く。その破片が飛び散る。リゲルはもがき、へし折れた腕でそれでも自分の体に巻きつく枝を掴んでは引き千切った。

 しかしアギトはそよとも揺るがなかった。

 巨大な樹の小さな枝が折れたに過ぎない。

 リゲルは喉が破れんばかりに叫んだ。

「アギト!!」

「もはやここにいる意味はない。おまえたちアストルムが存在する意味も。むしろ、おまえたちは害毒だ。我々ウラグにとって、そして〈煤の王〉にとって」

 リゲルの頭部に黒い枝が這いのぼっていく。

「ならば今ここで〈煤〉に還す」

 枝が締まり、中身がぐしゃりと潰された。

 もげた頭部が青い閃光を放ち、燃え尽きる流れ星のように落下していった。



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