5-7




「カペラおまえ、生きてたのか! 何してたんだ! どこにいたんだよ!」

 リゲルにまくしたてられ、カペラはおろおろ答えた。「いろいろあって……」

「いろいろってなんだよ!」

(リゲルだ!)

 頭の中のカペラが声を弾ませた。

 これを聞いたらカペラもなんだか嬉しくなってしまい、握っていたブレイドをぽいと捨てると、にこっと笑った。

「リゲルだ!」

 おかしなタイミングで名前を呼ばれたリゲルは「え?」と、ちょっと身を引いた。

 露尾しているので表情はわからないが、戸惑っていることはわかる。

(ベガもいる!)

 カペラはベガにも笑顔を向けた。「ベガもいる!」

 ベガは何も言わなかった。

 リゲルが「カペラ、おまえ」と、躊躇いつつ口を挟んだ。

「おまえ、もしかして……初期化したのか」

(初期化はしてない。ちょっとバグっただけ)

「初期化はしてない。ちょっとバグっただけ」

「バグった?……」

「ちょうどよかった」

 リゲルを遮って、ベガが呟いた。

 戦意は完全に失せているようで、ベイルもさらりと消える。

「伝えておきたいことがある」

 この状況で急に改まるので、さすがにリゲルも耳を貸す気になったらしい。

 カペラもベガを改めて見た。

 顔を覆う外殻の右半分が、爛れている。

 あれはどうしたのだろう。

「〈アストルム廃棄スキーム〉が発動された理由だ。アイラスから聞き出した」

 言いながら、一歩前に進む。

 ベガ、カペラ、リゲル――

 三体のアストルムが集い、向かい合う。

「〈魔法使い〉の誰かが、アストルムシリーズでは〈煤の王〉を止められないと予言した。だから信太陽子は俺たちの廃棄を決めた」

 まほうつかいが、とリゲルが呟いた。

 ベガは重ねて言った。

「信太陽子の意志ではないんだ」

 俺たちを、愛していなかったわけじゃない。

 リゲルは無言で立ち尽くした。

 カペラは目をぱちくりさせた。

 まほうつかい――

(まほうつかい?)

(〈魔法使い〉とは、世界を措定する者。普通の人間は持ち得ない力で〈世界〉の形を常に定義し続け、維持し続ける者だ。常人が見ても何をしているか理解できないため、彼らの業は〈魔法〉と呼ばれた。太古の昔から現在に至るまでずっと)

 おまえはなんでもよく知ってるな。

 俺はおまえだから、俺がおまえに知識を教えるのは、おまえが思い出してるだけだ。

 おまえはこれも知っていたはずだ。

(信太陽子は〈魔法使い〉のひとりだ)



「アイラス! ベガのBxパックを起動!」

 エンゲルブレヒトが突然大声を出し、宇野真希葉、今井、笹本はビクッと飛び上がった。

 薄暗い指揮車の中、モニターが放つぼんやりした光が四つの顔を照らしている。

 人工知能アイラスだけが冷静に反応した。

『認証ワードをどうぞ』

 我に返った宇野真希葉は咄嗟にかぶせた。「アイラス、起動するな!」

 そして、エンゲルブレヒトを睨んだ。

「勝手なことはしないでください! あなたにその権限はない!」

「ベガを始末します。ベガは機密情報を漏洩しようとしている」

 機密情報?

 まほうつかいがどうとかいう話?

 それとも〈廃棄スキーム〉は信太陽子の意志ではないという話?

 今井と笹本が引き攣った顔で成り行きを見ている。

 宇野真希葉は毅然と告げた。

「エンゲルブレヒトさん、あなたは作戦を妨害している。退室させられたくなければ何もしないでください!」

 だがエンゲルブレヒトはこれを無視した。

「アイラス、ベガのBxパックを起動だ! 認証ワードは〈アルケミラモリス〉」

「アイラス、起動するな! 指揮官命令だ!」

『エンゲルブレヒトさん、確認しました。ベガのBxパックを起動します』

 ……財団の命令を優先している!

 ぞっとしながらモニターを振り返った。

 アイラスが無機質にカウントする。

『三、二、一、起動』



 白熱する炎が噴き上がり、そのあまりの火勢に、カペラもリゲルも後退った。

 ベガの右のこめかみ、そこに埋めこまれた乾電池ほどの大きさのプレートから、火焔が激しく迸っていた。濃い影が差すほどあたりが強烈に照らされる。二千度を超える火柱は、あっという間にベガの頭部を包みこみ、ベガは踊るように足をよろめかせた。

「ベガ!」

 リゲルが手を伸ばすが、なすすべはない。

 そうするあいだにもベガの頭部は崩れていく。融けた外殻がマグマのごとく流れて垂れ、コンクリートの床を焦がした。

 そして青い光が、一瞬、大きく閃いた。

「ああっ」

 リゲルが思わずのように声を上げる。

 頭部を失ったベガは、ずしゃりと膝をついた。

 そのまま倒れ伏し、端から崩れ始める。

 たちまちベガの体は吹き渡る風に攫われ、周囲の〈煤〉に紛れていった。

 カペラは愕然とこれを見ていた。

 消えた。

 自分と同じ生き物が消えてしまった。

 こんなに呆気なく……

 底知れぬ喪失感と共に伴くんのことが思い起こされる。

 血を吐いて死んでいった伴くん。

 あのときの血の温かさ。

 こんなにあっさり終わるのか?

 人間は死んだらそこで終わりだ。

 アストルムだって同じだ。

 死んだらそこで終わり――

(リゲルを止めろ!)

 その声を聞いた瞬間、カペラは叫んだ。

「リゲル、よせ!」

「アギト、やれ!」

 枝がこすれ合う音に紛れて、くす、と冷笑する気配。

 ――じゃあ、半分ね。



 消えた。

 消えてしまった、あの美しい生き物が。

 宇野真希葉は放心したようにベガが消えたモニターを見ていた。

 コンソールに向き合う今井が慄きながら報告する。

「チーフ、人質が!……」

 そうだ、人質。

 なんということだろう。ほんの数秒とはいえ、人質のことを忘れていた。

 小型観測体ラミナから送られてくる映像のモニターに目を向ける。

 あまり近づきすぎると、リゲルのスフィアかアギトの枝に落とされてしまうので、ラミナはすべてスカーラエビルから距離を取り、望遠で撮っていた。

 二十六階がフォーカスされる。

 二十六階は、フロア全体に黒い枝が張り巡らされ、プルウィス製薬社員数十名が拘束されているが――今の今まで硬く固まって微動だにしなかったその黒い枝が、不意に蠢きだしたかと思うと、社員ひとりひとりを丁寧に、念入りに、確実に締め上げていった。ある者はあっさり背骨を折られ、ある者は座っていた椅子ごと足をねじ切られ、ある者は鯖折りにされた。逃げだそうともがいた者は、胴を締め上げられ、たちまち血を吐き、骨が皮膚を破って飛び出した。すぐ隣でそれを目にした者が絶叫し、その絶叫も止まないうちにじわりと顔が潰された。

 断線でもしたのか、どこかで火花が散り、夕刻で薄暗くなり始めたフロア内を一瞬照らし出す。

 悪趣味な影絵のように、密生する黒い枝に無数の死体が引っかかっているのが見えた。

 今井と笹本がモニターから目を背ける。

 距離があるためラミナは音声を拾わなかったけれど、二十六階の阿鼻叫喚が耳を貫いた気がして、宇野真希葉は体の底から震えた。

 どうしよう。どうしよう――

 目の前が真っ暗になりそうなのを、なんとか耐える。

 強張った喉をごくりと動かし、エンゲルブレヒトを睨んだ。

「これはあなたのせいですよ、財団に抗議します!」

 エンゲルブレヒトは眉ひとつ動かさなかった。

「どうぞ」

 ……こいつ!

 宇野真希葉は歯噛みした。

 こいつ、このために来たんだ。

 オブザーバーなどではない。信太陽子の情報の流出を防ぐ、そのためだけに来たのだ。



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