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 壁に掛けられた薄型テレビの前に、一糸纏わぬ男が立っている。

 偉丈夫である。

 画面の中では、ヨガインストラクターが次のポーズに入っていく。

 彼もそれに倣った。

 左足を大きく後ろに引き、右膝を曲げ、骨盤は正面に向けたまま、腰を落としていく。息を吸いこみながら、両腕を高く指先までまっすぐ伸ばし、頭上で合掌。シンプルなポーズだが、つま先の方向、踵の位置、膝の高さにいたるまで、細かくコントロールされている。

『ヴィラバドラーサナ1、〈戦士のポーズ1〉です』

 この状態でぐらりともすることなく、しばし安定した呼吸をくり返す。

 その後数十分、アリスティドはじっくり味わうようにヨガに集中した。

 筋肉質の体を、意外なほど柔軟に曲げたり捻ったり開いたり、様々なポーズをとる。

 やがてアリスティドはヨガマットの上に仰向けになった。

 両足を腰幅程度に広げ、両腕も楽に広げて掌を上に向ける。

 そして目を閉じる。

『ラストはシャバーサナです』

 誰も何も言わない、動くこともない。そんな時間が続く。

 暖色のコーニス照明による柔らかい光に包まれた部屋には、起伏の乏しいアンビエントミュージックだけが流れ、ヒーリングな空間が醸成されている。

 扉を開け、エアロンが部屋に入ってきた。

 シニヨンにした栗色の髪。皺ひとつない白いブラウス。人形のように端整な女。

 彼女の気配を感じ取って、アリスティドは言った。

「シャバーサナは数あるポーズの中でももっともリラクゼーション効果の高いポーズだ。ポーズ中に眠ってしまう生徒さんもいるという」

 エアロンは何も言わない。

 アリスティドは続ける。

「これは、ただ単に寝そべっているのではない。自覚的に体からすべての力を抜いて、顔の筋肉のひとつひとつまで解き放ち、重力に身を委ね、大地と一体になって、己の呼吸だけを感じているのだ。

 シャバーサナとは〈屍のポーズ〉という意味だ。つまりシャバーサナとは屍の模倣であり、すなわち、死の疑似体験だ。死は最高のリラクゼーションということだよ」

 黙ったままエアロンは歩を進め、ガラステーブルの上に置いてあったリモコンを手に取るなり「見てください」と言ってチャンネルを変えた。ヨガ動画はぶつ切りになり、テレビ放送の映像が映し出される。

『ご覧ください。ビル内が黒い樹のようなもので覆われています。NAGIA日本の発表によるとあれはウラグの一種であり』……

「リゲルとアギトがスカーラエビルを襲撃しています。プルウィス製薬の社員を人質にとり、信太陽子を連れてくるようにと要求しているようです」

 アリスティドは横たわったまま「ぶふっ」と笑った。

「あなたはウンブラの最高顧問でありプルウィス製薬の取締役ですが」

「取締役が社屋を襲うウラグを退治しに行くか? 放っておけ。NAGIAがなんとかするだろう。しかしなあ、そのへんを襲うなら、スカーラエビルじゃなくて東京駅を壊してほしいものだ。あの複雑極まる構造には毎度辟易させられる。一度ぶっ壊れたほうがいい」

 ぱちっと目を開ける。

「だが一応モニターしておいたほうがいいか。NAGIAに、こちらにも映像を回すよう伝えろ。どうせ間もなく報道規制が入る。ラミナは飛ばしているんだろう?」

「よろしいのですか」

 アリスティドはようよう身を起こし、ちょっと伸びをした。

「おまえは心配性だな。わかったわかった。いざとなれば〈メレディスの乙女〉を喚ぶ。もしくは〈修正の火〉を降らせる。それで解決だ」

「地形が変わってしまいます」

「いいじゃないか」

「東京都心ですよ」

「それが?」

 本当にどうでもよさそうに言って、アリスティドは立ち上がり、ヨガマットをころころ丸め始めた。

「人間が多少死ぬだけだ。何十人か何百人か何千人か知らないけどね。〈魔法使い〉が死ぬわけじゃないなら、どうとでもなる」



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