5-3




 どんどんどん

 シャンシャンシャン

 白い何かしらを身に着けた者たちが十数名、歩道を行進していた。鈴や太鼓を打ち鳴らし、全員、防煤マスクを着けていない。

 すー、はー! すー、はー!

 恐れないで! マスクを外して! 〈煤〉を胸いっぱい吸いこみましょう!

 熱っぽく叫びながら、足早に避難する者たちに逆行して、スカーラエビルのほうへ向かっている。

「虫のような連中だ。どこにでも湧く」

 車外カメラのモニターを見ながら、エンゲルブレヒトは冷ややかに言った。

 宇野真希葉が指揮車で現場近くまで赴くと決めた途端、どこからともなく現れて、当たり前のような顔をして共に指揮車に乗りこんできたのであった。

 オブザーバーってここまでするのか?

 と宇野真希葉は苦々しく思ったが、どうせ、何か言ったところでなんだかんだといなされるだけなのだ。問答する時間も惜しい。

 決して広くはないこの指揮車の中で、背が高く手足の長いエンゲルブレヒトは非常に邪魔ではあるのだが。

 外から見ればなんの変哲もない小型トラックのバンの中には、通信機器や映像機器などがぎっしり搭載され、これらはアイラスとも接続されていた。宇野真希葉と今井の他に、オペレーターとして笹本丁一等官という観測官も乗りこんでおり、本部の指令室にいるのと変わらない仕事ができる。

 宇野真希葉は耳にマイク付きイヤホンを取り付けた。

 スカーラエビル周辺は、現在、避難しようとする自動車でごった返しており、指揮車もこれに巻きこまれて、もどかしくなるほどのろのろ運転だった。

 隅で小さくなって座っている今井が、タブレットに指を滑らせながら言った。

「信奉者たちが集まるネット上の掲示板で、スカーラエビルに行こう、〈煤の王〉の新たなメッセージを受け取ろう、と呼びかけられているようです」

「まったく……」とエンゲルブレヒトは苦笑する。

 そして、誰に言うでもなく言った。

「〈煤の王〉を崇めるような言動をくり返したり、〈煤〉を積極的に体内に取りこもうとしたりする人々、いわゆる〈信奉者〉を対象にウンブラが調査をしたところ、今のこの世界は理想的な世界であると考えている者は五十七パーセント。その中で、自分はこの時代に生まれて運がいいと考えている者は九十一パーセント。また、抑鬱状態が二週間以上続いている者は七十三パーセントにのぼったそうです」

 宇野真希葉は怪訝な顔をした。「つまり、どういうことですか」

 これは私見ですが、と前置きしてエンゲルブレヒトは続けた。

「脳や体が拒否反応を示していても、人間は自分が信じたいものを信じているとき、幸福を感じるということです」

 指揮車が停止し、スピーカーを通して運転席から『到着しました』と報告が入った。

 スカーラエビルに程近いビルの陰である。避難指示が出ているエリア内なので、周りに人影はすでになく、道路はがらんとしている。

 少し離れたところに張られている規制線のそばでは、警察官たちと、さらに先に進もうとする信奉者たちが、小競り合いしていた。

 恐れないで! 恐れないで! 恐れないで!……



「ア~ア、いつかこうなると思ってたのだ」

 千々岩が足をぶらぶらさせながら言った。

 百々縄は飛び回る小蝿を目で追い、九々庭はポシェットの中身をチェックしていた。

 ベガは腕組みしてじっと座っていた。

 小型護送車に詰めこまれ、彼らもまた移動中である。

「これまで一般人に被害が出なかったのは、リゲルの良識に拠ってただけなのだ。だが、いつまで経っても要求が通らないなら、強硬手段に出るのは当然なのだ。リゲルの要求はみんなわかってたのに、でも何もしなかったのだ。ウンブラにへつらって〈捕獲〉なんて悠長なこと言ってるからこうなるのだ」

 護送車は国道一号線を越え、現場からは距離のあるビル街で停まった。

 ある高層ビルの屋上に上がるよう指示される。

 SAKaUやNAGIA職員の付き添いはなし。

 ベガと千々岩は、腰に小型無線機、片耳にマイク付きイヤホンを取り付けている。これには追跡装置も組みこまれており、勝手に外せばBxパック起動となる。

 指揮車からの連絡はその必要があるときのみだが、こちらのマイクは常時オンになっており、オフにはできないようになっていた。会話はすべて筒抜けというわけだ。

 屋上に出ると、高所らしく強い風が吹きつけてきた。

 天気予報によると本日は終日晴れらしい。〈煤〉の切れ間から青空が覗く。

 ここから眺める東京駅周辺エリアは、〈煤〉に煙り、存在感を希薄にしていた。まるで、ガラスとコンクリートでできた巨大な城郭であり、子供が無秩序に並べた積み木だった。堅牢なのに脆弱で、歪だ。

 ビルとビルのあいだから、うまい具合にスカーラエビルは見えた。

 千々岩と百々縄は並んで立ち、スカーラエビルをじっと見晴るかす。

「なるほどたしかにアギトなのだ」

 ベガも視力はいいが、この距離からアギトかどうか判別できるほどではない。

 彼らには何が見えているのだろう。

 やがて千々岩が言った。

「ここから狙撃する」

 イヤホンから『許可する』と応答があった。

 ベガは眉をひそめた。「二千メートルは離れてる」

 すると千々岩は手足をバタバタさせた。

「問題ないのだ~! カペラを狙撃したときはもっと離れてたのだ!」

 引き続きスカーラエビルを凝視していた百々縄が、ぽつりと言った。

「尖兵型がうじゃうじゃ集まってるヨ」

 千々岩はハハンと笑った。「やっぱりなのだ」

「どういうことだ」

「アギトはナヅキの出芽体で、つまりナヅキの分身みたいなもんなのだ。ナヅキはウラグの故郷であり墓標なのだ。アギトがあれだけでっかく露尾してしまうと、懐かしいナヅキの気配を慕って、かなり広範囲からウラグが集まってくるのだ」

「へえ……」

「ウラグはみんなナヅキの役に立ちたいのだ。これはもう本能みたいなもんなのだ。特に、弱っちいやつはその衝動に逆らえないのだ。かくいう我らも非常に惹きつけられるものを感じるのだ。まあ我らは強いのでふらふら寄ってかないのだが!」

 九々庭が尻をふりふり言った。「アストルムも何か感じるのかなあ?」

 ベガは首を傾げた。「全然。何も」

「フーン。やっぱアストルムとは生まれた星が違うのだ。星だけに!」

 そう言って千々岩は、わはは!と笑った。百々縄と九々庭もいっしょになって、わはは! わはは!と笑い、三体そろって、わはは!と笑いながら、ベガの周りをうろうろした。

 ベガは黙っていた。

 イヤホンから『千々岩』と宇野真希葉の声。

『露尾を許可する』

 途端、千々岩はフン!と胸を張った。

「ついにこの時が来たのだ。我らの美しき真の姿を見るのだ!」

 急速に〈煤〉が集まり始めた。三体分なので、膨大な量である。

 煤色のつむじ風の中で、三兄弟の体がぐんと膨らんだ。

 九々庭はひと際大きく膨らんだ。通常の尖兵型の倍はあろうかという巨躯だ。特に腕が肥大化し、床に付かんばかりである。身に着けていたペラペラの検診衣はあっさり千切れてどこかへ飛んでいったが、ポシェットのストラップはゴム製なので、千切れず伸びて、露尾した九々庭にもぴったり寄り添った。

 百々縄は、体のサイズはそこまで大きくないのだが、両腕が長く薄く伸び、翼竜のような飛膜が張った。頭部にガラス様の眼球めいたものが剥き出て、ぎょろぎょろと動く。水彩画タッチの素敵なスカーフはそのまま首に残った。

 そして千々岩は、左腕だけが長く太く筒状に、二メートル近く伸びた。その中ほどからバイポッドに似た脚部がバチンと生え、巨大な腕を支えた。腕まわりを中心とした上半身がどっしり重みを増していく一方、足はほとんど発達せず、細く短いままであり、重みに耐えかねたようについには座りこんでしまった。これでは機敏に動けない、どころか、ほとんど歩けないだろう。ただ、尾が左腕とバランスを取るべく長く太く伸びて床を捉え、全身を支えた。そして、背鰭が大きく変形し、パイプのようになった。

 三体いずれも、通常の尖兵型からは大きく異なる姿である。

 露尾を終えると千々岩はぐるりとベガを振り返った。

「どうだなのだ!」

 ベガは宇野真希葉と通話していた。

『ベガ、おまえは、』

「スカーラエビルへ向かう」

『……許可する。ではそこまで乗ってきた護送車に、』

「渋滞に巻きこまれたくない。自力で行く」

 通話を終えると、ベガは千々岩たちのほうに向き直った。

 千々岩たちは揃ってベガを見ていた。

 ベガは穏やかに言った。

「俺はスカーラエビルに行く」

 千々岩が、わはは!と笑った。

「まあせいぜい頑張るのだ!」

 ベガは微笑んでみせた。



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