第5話 終鳴日
5-1
十三時五十六分、SAKaU日本本部の即応指令室が受電。
通報者はスカーラエビル警備室。
プルウィス製薬日本支社のオフィスにウラグが立てこもった、オフィスにいた社員数十名がそのまま人質になっている、監視カメラは破壊されたらしくモニターできない、内線は生きているがかけても誰も出ない、といった内容だった。
これを皮切りに、主にスカーラエビルに入っている企業から「上階で何か起こっているようだ」との通報が相次いだ。
通報者の中に、プルウィス製薬日本支社長を名乗る者がいた。
人間に擬態したウラグにオフィスが制圧された、逃げ出そうとした社員が数名すでに殺されている、ウラグは支社長を指名してこの電話をかけさせている――
彼の口を借りて、ウラグは次のように要求した。
「信太陽子をここへ連れてこい。連れてこなければ今ここにいるプルウィス製薬社員全員を殺す。時間は指定しない。いつまでも待つ。ただし待っているあいだ人質には飲食も排泄も睡眠もさせない」
即応指令室はすぐさま〈ラミナ〉――静音性と機動力に優れたNAGIA独自開発の小型観測体を一編成飛ばし、スカーラエビルの様子を確認した。プルウィス製薬日本支社のオフィスである二十五階と二十六階が、黒い樹のようなものに覆われていることを視認。また、ラミナが観測したアリスティド放射光の波形が、先月のリゲル捕獲作戦の際に観測したものと一致することを確認。アイラスは当該ウラグを〈アギト〉と断定した。
SAKaU及びNAGIAは丸の内警察署と連携し、スカーラエビル他階と周辺の建物からの避難を進めた。日本経済の中枢とも言えるビジネス街のど真ん中、しかも平日の午後だったため、非常に多くの人間が就業中であり、避難完了には時間がかかることが予想された。なにせ日本人である、近所でウラグが暴れたくらいでは仕事の手を止めようとしない。
先遣隊としてSAKaU三分隊が現着。
警備室に聴取。
「オフィス棟エントランスのセキュリティゲートが突破された形跡はありません。裏口や地下への通用口に取り付けられている監視カメラにも何も映っていません。ウラグがどこから侵入したのかわかりません……」
警備室に保護されていたプルウィス製薬社員にも聴取。
「弊社は入退室のセキュリティがしっかりしてまして、受付も直接応対は基本しませんし、ドアも外側からは社員の虹彩認証がないと開かないようになっています。えっと、ごく稀に、リクシュツカ規制派の活動家とかが入ってこようとすることがあるので……でも、そういうのとは違って見えました。髪が長くてほっそりしてて、おとなしそうで、インターンの女子学生でも迷いこんだかなって感じで。
でもよく見たらやっぱり変でした。だって、裸足だったから。
しばらくすると、どういう経緯かわかりませんが、男性社員がひとり、受付に出てきました。でも、その社員はいきなり羽交い締めにされて――彼の虹彩を認証させてドアを開けると、裸足の人物はオフィスに入っていきました。社員は倒れたまま動きませんでした。これはなんかやばいぞと思って、僕はそのときたまたまエレベーターホールにいたんですが、倒れた社員に近づいてみたら、死んでたので、怖くなって、もうエレベーターなんて待ってられません。避難階段に逃げこんで、自力で一階まで降りました。それで、警備員に助けを求めたんです」
里見丙二等官率いるNAGIA日本本部配備SAKaU第四分隊、通称〈里見隊〉六名が偵察に出された。南側エレベーターで二十階まで上がり、それより上へは避難階段を使用する。
二名×三の隊列で、慎重に階段を上がっていたときだ。
先頭を行くふたりの耳が小さな異音を捉えた。
こん、こん、こん……
見れば、ビー玉よりひと回り大きいくらいの、煤色の球体が、階段を一段一段、跳ねながら降りてくる。
ハッと視線を上げると、踊り場に、青年がひとり立っていた。
こちらを見ようとせず、じっと俯いている。
SiriusL09のシールド内側に張られたディスプレイには、戦況分析情報が常時オーバーレイ表示されているが、そこに〈アストルム7・リゲル〉の文字が追加された。
最後列の里見が声を上げた。
「攻撃開始!」
と同時に、直近のドアが勢いよく開き、〈煤〉が突風のように吹きこんできた。
狭い階段室で吹き捲く〈煤〉の中、リゲルはたちまち変容した。全身が爆発的に膨れ上がり、衣服が裂ける。その巨躯を煤色の外殻が幾重にも鎧う。背骨に沿って鶏冠状の背鰭が立ち上がり、腰からは身の丈よりも長い尾が伸びて、そう広くもない踊り場を占めた。
兜のような頭部に錣のような頸部、深い穴のような双眸。
アストルムの尋常でない佇まいに、寸刻、里見隊六名は息を呑んだ。
最前列ふたりが小銃を構え、警告なしで引き金を引く。
至近距離から5.56mmNATO弾をフルオートで喰らい、しかし露尾したリゲルはほとんどびくともしなかった。
次列の隊員が前へ出て、クロスボウを構え、すぐさま発射した。
リゲルはこれをすいと体をわずかに揺らしてよけた。
矢はリゲルの背後の壁にバン!と突き立った。矢筈の小さな赤いランプが一度だけ瞬き、次の瞬間、白い閃光を噴き上げる。
蛍光灯の薄い明かりだけが頼りの階段室の中で、その光は強烈だった。SiriusL09のディスプレイは光量を自動的に調節して使用者の目が焼けることを防ぎ、同時に、リゲルのシルエットをやけにくっきりと浮かび上がらせた。
神話の中の怪物のように。
リゲルがそれまで固く握りしめていた拳を開くと、スフィアがいくつかバラバラと床に落ちた。跳ねたスフィアは、突然意志を持ったかのように宙を走り、階段室を縦横無尽に跳ね回って、進路上にいた人間の胸を貫き、SiriusL09に覆われた頭を貫き、小銃ごと手を貫いた。防具は用を成さなかった。狭い場所での乱れ撃ちに、人間はなすすべなくたちまち肉の塊となった。
里見隊六名はその場で声もなく倒れ、ある者は壁に寄りかかって血の跡を残し、ある者は階段をガタゴト滑り落ちていった。
その場で立っているのはリゲルだけとなった。
一瞬のことだった。
アストルム7・リゲルの介入により、NAGIAは本事案を〈A7対策チーム〉対応案件と認定。指揮権は宇野真希葉乙三等官に移行した。
スカーラエビル一階のオフィス棟エントランスは、高い天井に木目鮮やかなウォールパネル、塵ひとつ落ちていない広々したフロア――とスタイリッシュなつくりだが、今、避難指示に従って屋外に出ようとするビジネスパーソンたちでごった返していた。一刻も早く逃げ出したいと焦っている者が半分、面倒臭そうな顔をしている者が半分、といったところだ。
そんな人間たちの流れの中に、不自然に突っ立っている者がいた。ひとりやふたりではない。よく見れば、階段の途中、エレベーターホールの物陰、カウンターのそば……いたるところにいる。
避難する者がすっかり捌けてしまい、警備員までいなくなると、彼らはぞろぞろと一箇所に集まってきた。
薄汚れたぼろぼろのポンチョを羽織り、さらにフードまでかぶって、とても会社員には見えない者がいる一方、いかにもビジネスパーソンらしく、スーツの上下を着てネクタイまで締めている者もいる。
だが彼らは一様に様子がおかしかった。
二本の足で立って歩いて服を着て、笑ったり言葉を話したり、人間のごとく振舞っているが、あきらかに人間とは異なる。人間のことをちゃんとは知らない何かが、表面的な知識だけで、人間のふりをしているような有り様だった。
しかも当人たちは、自身の奇妙さに気づいていない、あるいは、頓着していないらしい。
ウラグである。
普段から、こうして不格好ながらも擬態して、人間に紛れこんでいる。
それが今なぜか、スカーラエビルに集結しているのだった。
大部分は、まだ封鎖が始まっていないうちに地下通路などから入りこんできた者だが、規制線を越えて侵入し裏口から入ってきた者、ビルの中にもともと潜んでいた者などもいる。
あるウラグが、たまたま隣に立っていたウラグと、顔を見合わせた。
「なんでここに来た?」
「そういうおまえはなんでだ?」
すると、周りにいたウラグたちが口々に答えた。
「なんとなく!」
「行かなきゃいけない気がした」
「そうそう」
「ざわざわして、居ても立ってもいられず」
「〈煤〉が呼んだ」
「呼ばれた!」
「来たいから来た」
「本能だ!」
「〈煤〉の意志は〈煤の王〉の意志だ」
ワアワアと歓声が上がり始め、その熱狂はたちまち全体に伝播した。
ウラグたちは足を踏み鳴らし、踊るように腕を振り回した。喚き散らすウラグの群れに、急激に〈煤〉が集まり始め、そして、スカーラエビルオフィス棟エントランスは、無数の尖兵型ウラグで埋め尽くされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。