3-5




 大きなショッピングモールである。

 歩いても歩いても店舗が続く。

 ただし、内部が空っぽで、テナント募集の貼り紙が出ている建物もある。

 ひとごみに姿を紛れこませたくて、ひとの気配が多いほう、多いほうへと進み、やがて、スーパーマーケットなどが入っているひときわ大きな建物に行き着いた。ドラッグストアやファストフードの店など、いろいろ併設されている。老若男女が出入りして、ビニール袋を提げ、あるいはカートを押して、買い物をしている。

 平穏そのものだ。ついさっき、すぐそこの配給会場で、男がナイフを振り回して暴れたことなど、誰も知らない。

 カペラは、ウインドウの前をひとりとぼとぼ歩いていた。

 よせばいいのに、おばさんから浴びせかけられた言葉を反芻してしまう。

 そしてそのたびに新たにショックを受けていた。

 頭の中のカペラさえ無言になっている。

 なんであんなふうに怒鳴られたんだろう。

 せっかく、助けたのに。

 せっかく、勇気を出したのに……

 いや、感謝されたくて助けたわけではないのだが。

 でも非難されるとも思っていなかった。

 なぜ非難されたのかわからない。助けるべきではなかったのか?

 正しいことをしたつもりだ。あの行動は間違っていなかった、はずだ。

 でも「もっと早く助けてたらこんなことになってない」は、たしかにそうかも……

(俺は本当に三樹を止められるんだろうか?)

 頭の中のカペラは答えなかった。

 その代わりに言った。

(後ろだ)

 振り返る。

 男性がひとり、立っていた。

 髪をさっぱり短くし、作業着の上下を着ている。

 破綻なく人間の姿をしているが、右腕の肘から下がない。

 こいつは――

「なぜ」

「え」

「なぜ攻撃した?」

 なんのことか一瞬わからなかった。

 しかしすぐに気づいた。あの夜のことを言っているのだと。

 人間勉強会。あっさり殺された三人の男女。斬り飛ばされた右腕。

 なぜこいつがここに?

 追いかけてきたのか?

「あの」

 カペラがそれ以上何か言う前に、作業着のウラグはカペラの胸ぐらを掴み、すぐそばのウインドウに叩きつけた。ガラス一面に一瞬にしてヒビが入り、粒状に割れて、バケツの水をぶちまけたかのようにまき散らされた。

 ガラスを突き破ってカペラが投げこまれたことで、そこにずらりと並べられていた自転車が一斉になぎ倒された。テナントで入っている自転車販売店である。品物を見ていた店員と客が悲鳴を上げて後退った。

 身を起こそうとするが、自転車のハンドルやペダルが引っかかってしまう。もたついているうちに、作業着のウラグがカペラのそばに立ち、カペラの顔面を一発殴った。後頭部が激突して、フローリングシートの張られた床が陥没した。

 作業着のウラグは、さらに、カペラの頭を鷲掴みにして、まとわりつく自転車ごと無理やり持ち上げると、そばにそびえ立つ太い柱に叩きつけた。柱の表面に蜘蛛の巣状のヒビが走り、高い天井から埃が降ってきた。

「穏健派ですらないな。おまえは人間の味方をしている。なぜだ? 理由が知りたい」

 などと言っているわりに力を緩める気はないようで、カペラの頭を柱に沈めんばかりに押しつけ続けている。

 割られる。

 頭の中のカペラが緊迫する。

(まずいぞ、戦え!)

(む、む、無理だ)

(戦わないなら逃げろ! やつはやる気だぞ!)

 たしかにそうだ。

 両足を揃えて縮め、一気に伸ばして、作業着のウラグの腹を蹴った。力が緩んだ一瞬に、すかさず肘の内側を殴る。と、カペラの頭から手が外れた。

 柱のそばに設置されていた消火器を掴み、フルスイングする。頭部を狙ったが、作業着のウラグは左腕でこれを弾いた。消火器は歪み、内圧に耐えきれず、破裂した。消火剤が勢いよく噴出し、一瞬にしてあたりが白く煙る。

 カペラは消火器を投げ捨てるなり走りだした。

 出入口がどちらかわからないので闇雲である。とにかく走った。

 買い物客たちが何事かと見送り、あるいは道を譲る。

(追ってきてる!)

 わかる。振り返らなくても、ひたひたと追ってくる気配を背中に感じる。

 頭の中のカペラが言った。

(ブレイドを出せ!)

(無理だ!)

(無理か……)

 うあん、うあん、うあん。

 突然、館内放送からけたたましいサイレンが鳴り響いた。

『緊急放送です。当施設内に敵対的ウラグが出没しました。速やかに安全なところへ避難してください。これは訓練ではありません。くり返します――』

 ガラス張りの出入口を見つけたので、そちらに方向転換し、走り抜ける。

 外に飛び出し、出ていこうとする自動車にぶつかりそうになりながら、停まっている自動車や逃げ惑う買い物客たちのあいだを縫うように走り、広大な駐車場を突っ切って、腰の高さほどの防護柵を飛び越えた。

 さらには植栽帯を飛び越えて、道路に飛び出す。

 スピードを出して走行する自動車がビュンビュン行き交っている。

 そこそこの交通量の中へ、しかしカペラは躊躇わず突っこんでいった。自動車の動きはすべてよく見えていた。特に危険とは思わなかったのである。

 背後でバン!と大きな音がした。追ってきていた作業着のウラグが自動車とぶつかった音だ。カペラは中央分離帯に辿り着いたところでようやく振り返った。道の真ん中で一台の軽自動車が停車している。そのボンネットは大きくへこみ、運転席はエアバッグが膨らんでいた。作業着のウラグは、体勢を崩してはいるものの、立っていた。軽自動車を一瞥したあと、よろりと歩きだして、隣車線に足を踏み入れた途端、後ろから来た四トントラックに撥ねられた。絶叫のようなブレーキ音が響き、作業着のウラグは吹っ飛んだ。

 作業着のウラグの体は錐揉みで中央分離帯を越え、反対車線に落ちた。そこへちょうど走ってきた自動車が、彼を踏みつけ、大きくバウンドした。さらに後続車も同じように作業着のウラグを踏みつけてしまう。甲高いブレーキ音が次から次へと連鎖し、時折、どこかでガシャンとぶつかる音がした。

 トラックの運転席から男が降りてきて「これ俺が悪いのか⁉」と叫ぶ。

 カペラは唖然とその場に立っていたが、

「君!」

 声をかけられ、ぎくりと振り返った。

 心配そうに近づいてきたのは、どこかで見たことのある男性。

 飴玉をくれた、眼鏡のボランティア男性だった。

「君、さっきの子だよな。大丈夫か?」

「あ、あの、あの、あの」

 ひきつけを起こしたように「あの」をくり返すカペラを遮って、男性はあたりを見回した。

「とりあえずここから離れよう。警報が鳴ってる。ウラグが出たんだ。ここはやばい」

 駐車場に設置されたスピーカーから、聞く者の不安を掻き立てる甲高いサイレンが鳴り続けている。

 うあん、うあん、うあん。

 緊急放送です。当施設内に敵対的ウラグが出没しました――

「乗って」

 男性は、少し離れたところに停めてあった白いSUVに駆け寄り、乗りこんだ。

 カペラはもはや細かいことを考えられず、男性に従って助手席のドアを開けた。



 ほんの二、三分走っただけで、大事故の喧騒は遠ざかり、道路は嘘みたいに穏やかに流れた。カペラもようやく落ち着いてきたところで、ふと気づく。

 防煤マスクがない。どこかで外れたらしい。

 そういえば、サンダルも履いていない。裸足である。

 作業着のウラグに投げ飛ばされたとき、どこかに飛んでいってしまった。

 もらったばかりだったのに。

「あのおばさん、ひどいよな。あれはあんまりだ」

「え」

 助手席に収まっていたカペラは、ハッと運転席を見た。

 眼鏡のボランティア男性は、まっすぐ前を向いたまま言った。

「君、勇敢だったよ。刃物を持った相手に向かっていってさ」

「……」

「えらかったよ。でも、ああいうときは、あんまり無茶しちゃダメだ。相手は錯乱してたし、危ないんだから。武術の心得とかあるの?」

 カペラは俯いた。「あの」

「君、名前は?」

「あ」

「僕は早見ってんだけど」

「あの……あの、あの、あの」

 舌っ足らずに「あの」をくり返すカペラを見て、ある程度察したのか、笑うことなくイラつきもせずに、早見さんは言った。

「もう大丈夫だよ」

 今まで聞いたどんな言葉より衝撃的な一言だった。

 びっくりするあまり、カペラは、しくしく泣き始めた。

 早見さんはぎょっとしたようだった。

「えっ、何、どうした」

 カペラは何も答えることができないまま、しくしく泣いた。

 赤信号で停止したとき、早見さんはグローブボックスからティッシュの箱を取り出すと、カペラに差し出した。

 カペラはティッシュ箱を抱えながら、言葉を絞り出そうとした。

「かぺ、かぺ、かぺ」

 そして、ようやく言った。

「カペラ、です」

 早見さんは微笑んだ。

「そうか、カペラくんか」



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