3-2




 宇野真希葉からアギトのことを聞かされて以降、待てど暮らせど追加で情報が与えられることはなく、ベガはNAGIA日本本部地下一階で飼い殺しになっていた。

 とにかく、することがない。

 地下一階にはあまり職員がうろつかない――重要な設備がないというのもそうだが、ベガを恐れて避けているというのもあるだろう。誰も来ないし誰ともしゃべらないので、ベガは一日の大半を、休憩スペースでテレビを見て過ごしていた。地下階なので外の景色が見えるわけでもなく、テレビくらいしか見るものはないのだった。空き部屋を改良した個室を与えられており、ゆったり横になれるベッドもあったが、アストルムは人間のように毎日何時間も睡眠をとる必要はないので、あまり居つかなかった。

 自由に動き回ってはいるが、牢獄と変わりない。

 個室の隅にはペットボトル入りのミネラルウォーターがケースで積んであった。これは好きなだけ飲んでいいことになっている。このうちの一本を手にして、いつものように、休憩スペースに行こうと廊下を歩いていたら、物音がした。トイレの前あたりに、千々岩と九々庭と、それともうひとり、人間がいる。NAGIA日本の制服を着た男性だ。彼は、千々岩を強く蹴り、尻もちをついた千々岩をもう一度蹴っ飛ばすと、今度は九々庭からポシェットをむしり取り、これを逆さまにして中身を床にぶちまけた。

 気づいたときには足音を殺して忍び寄り、男性職員の腕を掴んでいた。

 男性職員は驚いて振り返り、自分の腕を掴んでいるのがベガだとわかるとまた驚いたようだった。しかしすぐに気を取り直して、腕を振りほどいた。

 相手がベガとわかっても、ねめつけてくる。ベガが――この建物にいるウラグやアストルムが、自分に危害を加えるわけがないと、高を括っている。

 そして男性職員は、手にしていたポシェットを床に叩きつけると、足早に立ち去った。

 その背中を見ながらベガは呟いた。「なんだあれ」

「放っときゃいいのだ」と千々岩が立ち上がりながら言った。

 ベガは千々岩を振り返った。「なんでだ?」

「ハア?」

「なんでやられっ放しでいる?」

「やり返したらあいつ死ぬのだ。そしたらBxパック作動なのだ」

「そうじゃなくて……」

「あんなこと日常茶飯事なのだ。いちいち怒ってられないのだ」

 日常茶飯事?

 ベガは顔を歪めた。

「俺はあんなことされたことない」

「そりゃおまえにはウンブラがついてるので。〈アストルム廃棄スキーム〉が中断になったおかげで、ウンブラはアストルムを自分とこのもんだと主張し始めたし、NAGIAはウンブラには逆らえないのだ。おまえは精密検査や耐久実験さえされたことないはずなのだ。おまえに手を出すことはウンブラが絶対に許さないので」

「……精密検査や耐久実験、されたのか、おまえら」

「そりゃされるのだ。何かもわからないものを内側に入れたりはしないのだ」

「……」

 このときベガは、なぜだろう、怒りのようなものをたしかに感じた。

 千々岩たちがどのような扱いを受けようと、NAGIAがウラグに対して何をしようと、ベガにはなんの関係もないはずなのに、気にする必要もないはずなのに、どういうわけか、体の芯から震えるような衝動が湧き上がってきた。

 それは見ている者にも伝わったらしい。

 千々岩が首を傾げた。

「なんでそんなに怒ってるのだ?」

「なんでって……」

 わからない。

 九々庭がしゃがみこみ、ぶちまけられたポシェットの中身を拾い始めた。

 ベガもまたしゃがみこみ、こまごまとした小物を拾うのを手伝った。

 よくもまあこれだけ集めたものだと感心するほど、いろいろなものがあった。

 ヘアピン、何かがメモされた付箋、イヤホン、食品用乾燥剤、ペットボトルの蓋……

 そうして、ふと気づいた。

 もしかして、靴をもらえないのは、嫌がらせなのだろうか?

 ベガはいまだに裸足だった。靴がなくても不自由しないので、今の今まで気にしていなかったが、もしかしてこれは、悪意あってのことだったのだろうか? 悪意、は言い過ぎかもしれないが、少なくとも、ベガとは必要以上に関わり合いになりたくない、という傾向は感じられる。やはり、NAGIA職員――というより、人間にとっては、ウラグやアストルムは厳然として異物で、排除したいものなのか。

 異物に対して人間は冷酷だ。

 掌に集めた小物を九々庭に差し出すと、九々庭はこれをポシェットで受け取った。

 そしてポシェットとぎゅっと抱きしめた。

「これ九々のだぞ!」

 ベガは小さく頷いてみせた。



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