第2話 傍生

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 リゲルを包みこみながら、黒い樹のウラグは小型の嵐のように激しくうねり、建物から建物へと飛び移って、ひと気のない街を疾駆していた。

 逆巻く黒い枝に触れたものは、コンクリートでも鉄骨でもなんでも、木屑のように削り飛ばされた。あたり一帯の〈煤〉を掻き乱しながら進み、ついに動きを止めたと思ったら、リゲルはペッと吐き出された。

 どこをどう移動してきたのか、内部で身動き取れずにいたリゲルにはわからない。

 転がった床には、タイルが敷き詰められていた。身を起こし、あたりを見回してみる。等間隔に並ぶシャワーと鏡、大きな浴槽――公衆浴場だ。ただし、何年も人間が足を踏み入れていないらしく、壁のタイルは剥がれ、間仕切りは崩れ、湯の気配はなく全体的に乾ききっていた。隅のほうには〈煤〉がこびりつき、一部崩落した高い天井からは夜空が見える。

 この天井の穴から侵入したのだろう、黒い樹のウラグは、すっかり干上がり埃だけが積もる浴槽で、バキバキ音を立てながらとぐろを巻いていた。枝と枝の隙間から、SAKaU隊員の姿がちらちら見える。ついでに運んできたらしい。きつく締め上げられており、首もあさっての方向に曲がってしまって、あれでは間違いなく死んでいる。

 ではなぜ自分は生かされたのか。

 SAKaUの銃撃によるダメージが大きい。体を動かすごとに、体内で砕けた弾丸が、周囲の組織を傷つけているのがわかった。現状、まともに立つことも難しく、リゲルはタイルの上に座りこんでいた。

 露尾したりスフィアを出せば気づかれるか。

 そもそも敵なのか。

 こんなウラグは見たことも聞いたこともない――ウラグのほとんどは尖兵型と呼ばれる、二足歩行の獣のような姿をしている。だがこいつはどうだ。手も足も頭もない、ウラグの最大の特徴である尾すらない。黒い枝が集まっただけのような姿。シュマリ器官があるかどうかもわからない。

 何が目的なのか。

 注視していると、密に寄せ集まった黒い枝から、指が覗いた。人間の指だ。

 その白い指に黒い枝はバキバキ掻き分けられ、そして、人間の形をしたものがずるりと現れた。男のものとも女のものともつかない、ほっそりした体つき。あの鋭い枝が触れれば切れてしまいそうに淡い肌。

 擬態している。見事な擬態だ。破綻がない。

 体に続いて、長い髪の毛が糸を引くかのごとく伸びた。

 ひび割れたタイルの上に降り立つやいなや、リゲルにひたひたと歩み寄ってくる。

 長い黒銀色の髪が、白い四肢に蔓のようにまとわりついていた。顔も大部分が髪に覆われ、表情が見えない。辛うじて口元が見えるだけだ。

 リゲルは身構えながら訊いた。

「誰だ」

 銀髪のウラグは無言で距離を詰めると、タイルに膝をつき、リゲルに腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。

 驚きのあまりリゲルは固まった。

 銀髪は優しい声で尋ねた。

「寂しくなかった?」

 リゲルは身じろぎもできなかった。

 こんなふうに訊かれる理由がわからない。

 初対面のはずだ……

 リゲルが何か答える前に、銀髪はあっさり体を離して立ち上がった。

 リゲルは困惑しながらもう一度訊いた。「誰だ」

「おまえと同じく信太陽子をさがしている」

「??? 俺たちは、会ったことあるか?」

「ない」

「じゃあ……いや、というか、なんで信太陽子をさがしてるんだ」

「死んでもらう」

 リゲルが言葉に詰まったのを察し、銀髪は薄く笑った。

「信太陽子に死んでほしくない?」

 リゲルは俯いた。「わからない」

「逆に訊くが、おまえはなぜ信太陽子をさがしてるんだ」

「知らないで俺を助けたのか?」

「おまえの口から聞きたい」

「俺は……理由を、聞きたいだけだ。信太陽子から、直接。俺たちをつくっておいて、要らなくなったから廃棄、だなんて、そんなの勝手すぎる。せめて理由を知りたい。なぜ俺たちを廃棄することにしたのか。俺たちが必要だったからつくったはずなのに、どうして……俺たちは、知ってもいいはずだ。俺たちはモノじゃない」

「そうだな。おまえの言う通りだ」

 銀髪は、黒い枝の塊に腕を突っこみ、SAKaU隊員の死体を掴み出すと、力任せに引きずり降ろした。

 頭部には執拗なまでに枝が巻きついており、フルフェイスマスクは陥没するほど念入りに破壊されていた。位置情報を送信させないためだろう。SAKaU隊員が装着するフルフェイスマスク――SiriusL09は、防具であると同時に、NAGIA独自の人工知能〈アイラス〉を搭載した高度な情報端末でもある。

 砕けたマスクの割れ目から、死体の顔がわずかに覗く。

 リゲルはこれをじっと見た。

 そんなリゲルを見て、銀髪は言った。

「死体が珍しいか?」

「死体を出さないように細心の注意を払ってきた」

「へえ」

「人間は守るべきものだと言い聞かされてきたから」

「バカげた話だ。人間を守る必要などない」

「どうして」

「どうせ滅ぶ」

 銀髪は、浴槽内に横たわった死体のそばに屈みこむと、ポンチョを剥がし、装備を剥がし、その下に着ている策戦服まで剥がし始めた。

 リゲルはその後ろ姿を見ながら訊いた。「なぜ俺を助けた」

「信太陽子をさがすため」

「どういうことだ。俺も信太陽子をさがしてる。どこにいるかはわからない」

「私はずっとずっと、おまえが生まれるずっと前から、信太陽子をさがしている。だが信太陽子は隠れるのが上手くてね。なかなか捕まらない」

 しゃべりながらも手を動かし、銀髪はSAKaU隊員の策戦服を脱がしてしまった。

 そしてその策戦服を、自分が着始めた。

「そこに、おまえが現れた。信太陽子に生み出され、信太陽子に棄てられ、信太陽子を求めて暴れるアストルム7・リゲル。信太陽子のほうもおまえにはこだわりがあるはず。おまえを利用すれば、信太陽子が姿を現すかもしれない。一縷の望みだが、私もやれることはなんでもやるつもりでね」

「……」

 長い髪を巻きこまないように捌きながら、前開きのジッパーを上げ、振り返る。

「私はおまえを利用するつもりだが、その代わり、おまえが信太陽子を見つけるために必要なことにはなんでも手を貸す。おまえがこれまで考えもしなかった方法を使うこともあるだろう」

「これまで考えもしなかった方法って?」

「そろそろわかってきたはずだ。NAGIA関連施設を片っ端から訪ねても信太陽子は見つからないと。正攻法で得られるものはないと」

「……」

「NAGIAはベガまで投入してきた。本当に信太陽子に会いたいなら、もう手段を選ぶな」

 ほっそりした体に、大柄なSAKaU隊員が着ていた策戦服を着たので、袖や裾がダブついていた。

 銀髪は余った袖を折り返しながら、リゲルの前に立った。

 全身にまとわりつく長い髪で、相変わらず表情は見えない。

「立てるか」

「いや」

 すると銀髪は首を傾げた。

「アストルムシリーズは再生力に優れてるんじゃないのか?」

「え?」

「そんな傷はたちどころに治るんじゃないのか?」

 どこから聞いた情報だ。

 こいつは何を知っているんだ。

 わからないことが多すぎる。

「……たちどころに、ってわけじゃない。それなりに時間はかかる。かなり深い傷だし。露尾すれば一発だが、でもここで露尾したら検知されるだろ。アストルムシリーズはマッキベンスケールの数値がでかいんだ」

 銀髪はあまり納得いっていない様子で「ふうん」と首を回した。

「なら、しばらくはそのままでいいだろう。私が補助する」

 リゲルは考えた。

 突っぱねるべきだろうか、と。

 だがこいつの言う通りでもある。

 手段を選んでいられない。

 信太陽子に会いたいなら……

 リゲルは目を上げ、銀髪を見た。「あんた、名前はなんていうんだ」

「ウラグは名前を持たない。持っているとすればそれは人間がつけたものだ」

 そう返されて、リゲルはちょっとしゅんとした。

 リゲルという名も信太陽子がつけたものなのだ。

「まあでも確かに名前があったほうがわかりやすいな」と銀髪は続けた。

「では、私のことはアギトと呼べ」

 やけにあっさり具体的な名前が出てきたことが不思議で、リゲルは首を傾げた。

「それは人間につけられたのか?」

「これからそう呼ばれることになる」

 そう言うとアギトはうっすら微笑んだ。



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