第13話「勝利への道筋」




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 夥しい血液によって彩色された石造りの部屋。四辺や天井、床に至るまで通路も窓も空気穴も存在しない完全な密室空間。

 ここは龍人ゲルギアル・ハシャを閉じ込めるために用意された場所であり、渡辺綱が惨殺された場所でもある。

 眼の前には剣を振り下ろすゲルギアルと、為す術もなくそれを受けた渡辺綱が決定的瞬間を捉えた写真のように停止して存在していて、そんな惨殺現場が固定されたままの光景を、俺は第三者のように眺めていた。

 物理的に完全に遮断された部屋で行われた完全密室殺人ではあるが、科学では決して証明できない究極のトリックが採用されている。これをミステリーとして題材にしようものならクレーム待ったなしだろうな。……最初にその思考に至ったあたり、多少は冷静になれているような気がしないでもない。

 ふーむ、改めて見ても死んだ瞬間の俺はひどい有様だ。片腕がなく、胴体は腹から右脇腹まで裂けていて、内臓がこんにちわしていないのが不思議なほどである。ラディーネの薬を大量投与して一時的に動けるようになっていたが、ここに拉致される以前の段階でもゾンビのような状態だっただろう。本当にただ動けるだけで、傍目から見てもなんでこいつ動けんのって感じだったのではないだろうか。

 ……いや、自分の死体を検分しても仕方ない。興味深いが、はっきりいって趣味が悪いだろう。


「……さて」


 果たして、どうするべきか。

 おそらく正答は決まっているし、俺はそれを理解している。しかし、どうにも二の足を踏まずにはいられない課題だ。

 無残な死体を晒している渡辺綱……というか俺の本体に触れるつもりはない。現時点で俺を動かしてしまえば、ただでさえ頼りない因果改変の確率が更にミクロなものになってしまうからだ。現在クーゲルシュライバーでやっているお膳立てもすべて無駄になる。つまり、俺の本体を動かすのは今ではない。それは選択するまでもなく明白な回答なのである。

 ならば、なぜわざわざこんなところにやって来たのか。ゲルギアルによって隔離された空間から座標を特定し、紫トマトさんことネームレスに頼んで転送してもらったのには当然の如く意味がある。もちろん自分の死体を鑑賞しに来たわけじゃない。……用事があるのは、その手前にいる殺人犯のほうだ。


 原初の龍人ゲルギアル・ハシャ。因果の虜囚の一体であり、皇龍を殺害した超戦力の持ち主。こんな化物ジジイも完全な時間停止には逆らえないのか、俺を殺害した瞬間のまま動きを止めている。

 今、悩んでいるのは、このジジイを動かすべきかどうか。いや、どこかで動かす必要があるのは確定なのだ。問題はそのタイミング……動かすべきが今かどうか。

 正直に言えば、俺の中では今動かすべきという回答が九割を占めている。だが、どうしても拭い去れない不安が一割存在しているのも確かなのだ。


 俺が現在保有している因果改変能力は少々どころではない反則技だ。

 エネルギー効率さえ無視すればなんでもできる。あった事をなかった事にできる。存在し得ない事象ですら、近しい可能性から無理やりこじつける事も可能である。

 たとえばこの現場……渡辺綱が死んだ直後なら、死からの蘇生だって容易。というより、これから行う博打には確実に行わなければならない。前提が崩れるためにやらないが、斬り殺された事実をなかった事にだってできる。

 もちろん、こうした現実を再構築するかのような行いにかかるコストは本来膨大といえるもので、真っ当な方法では到底収集できないほどのエネルギーを消費する。しかし、因果の獣が蓄え続けたエネルギーは膨大で、この程度の改変など全体からすれば誤差のようなレベルの消費で賄えてしまう。そういった意味では本当の意味でチート能力といえるだろう。チーターマンである。


 しかし、この特異点にはそんな力を以てさえ覆せない事象が楔のように打ち込まれている。

 あまりに巨大な影響、あるいは根本となる原因が強大な力を持つ場合、干渉の程度にもよるが、そういった現象は外道を以て蓄積し続けたエネルギーでさえ改変には足りないのだ。

 俺が因果改変を行うにあたり、今回起きたすべての悲劇をなかった事にするには不都合な点は三つ。

・イバラによって引き起こされた那由他さんの殺害、及び星の崩壊

・無量の貌による大量の簒奪

・そしてゲルギアルによる皇龍の殺害

 あまりに強い因果によって平行世界にまで流出するに至ったこれらの事象は特異点を創り出し、固定化された。どれだけの改変を行おうとも、根本的に原因を取り除かない限りは同じ事が発生する。改変が改変たり得ない。

 もちろん特異点における固定化された事象はこれだけではない。各因果の虜囚による介入に始まり、剥製職人が見切りをつける事、俺の死、眼の前にある光景に至るほとんどの事象は通常なら有り得ないレベルの強度で固定化されているといってもいいだろうが、これらは否定の必要がないから除外する。

 つまり問題は先に挙げた三点。否定しなければならない事象であり、改変によるコストが桁外れに大きいこれら特定点の楔をなんらかの形で弱めなければいけない……というのが、現在の課題だ。


 一番分かりやすい対策は、楔の起点となった因果の虜囚の殺害。

 無量の貌なり、イバラなり、ゲルギアルなり、"後付けでも"対象を滅ぼせるなら、楔の強度は圧倒的に弱まり、改変が容易になる。

 たとえば、今この場でゲルギアルを動かして殺害できるのなら、楔の一つは取り除かれたも同然だ。いや、殺さなくとも干渉できなくするだけで十分結果は果たせるが、とにかくそういった処置が必要になる。

 それを実現する事は"不可能ではない"。《 土蜘蛛 》の使用と消費を躊躇わないのであれば、それは俺一人でも十分に実現可能な範囲だろう。そして、それは想定していた最も現実的なプランでもある。


 しかし……そう、しかしだ。実は、これは回避できる問題ではないかとも思うのだ。

 ゲルギアル・ハシャの殺害は必ずしも必要ではない。特異点における三つの楔の内の一つは、容易に引き抜けるものではないかと。

 それが可能なら、因果改変に伴うエネルギー消費に大幅な余裕ができる。それをして勝率一割が二割、三割になる程度ではあるのだが、その差は大き過ぎるメリットなのだ。そして、俺は半ばそうなる……そうするであろうという確信を持ってここに立っている。

 動くならこのタイミングしかない。後に続く大博打を少しでも有利にし、かつ万が一の保険もかけられる今しかない。

 ……脳裏に浮かぶのは、死の瞬間に見たゲルギアルの表情。


『さようなら、渡辺綱。とりあえずはここで終わりだ。……続きを期待しているぞ』


 正直、この展開は気に入らないが……乗るしかない。このジジイに続きを見学させてやるのが最良手なのだ。


「…………くそ」


 俺は停止したゲルギアルへと手を伸ばす。最大級に警戒し、何があっても即応できるように。

 だがそれもおそらくは杞憂であり、保険に過ぎないと確信している。だからこそ、この状況を予測し誘導したこの男が理解できない怪物に見えてしまうのだ。


 空間がズレる。停止した時間が切り取られ、動き出す。

 時間の動き出したゲルギアルは軽く周囲を一瞥。主観ではたった今惨殺したばかりの渡辺綱と俺を見比べた。


「……ふむ」


 驚いている様子は微塵もない。それはまるで、すべてこうなる事が分かっていたかのような反応だった。




「……どこまで読んでたんだ?」

「貴様が大罪を受け入れるかどうかについては未知数だったが、その大前提さえクリアしてしまえば、私との直接対決を避ける事はまず間違いないだろうと思っていたな。より正確に答えるには、現状がどうなっているか知る必要はあるが……」


 ゲルギアルはこの盤面を創り上げるために、自分との交戦は避けられ得るものであると仕込み続けた。わざわざ争わずとも、俺の博打に乗ってやると。知的好奇心を満たすためならば、因果の虜囚としての本能は優先度を下げても構わないと。


「……それも、おおよそ想定した通りだろう」


 ああ、そうだろう。あの時点で俺の深淵まで覗き込んだんだ。さすがに迷宮都市世界A'におけるフィロスとの邂逅、リアナーサや無限回廊虚数層での出来事は想定していないだろうが、それ以外はすべて的中させていてもおかしくはない。


「とはいえ、一応はっきりさせておきたいのだが、この状況から判断するに即座の敵対意思はないという事でいいのかね?」

「そうだ。あんたの手の平で踊るってのは癪だが、メリットがデメリットを上回り過ぎている。……それも狙い通りなんだろ?」

「そういう仕込みをしたからな。そして、賭けには勝ったらしい」


 そう言って、ゲルギアルは抜き身の剣を鞘に収めた。大仰に見えるそれは、戦闘するつもりがないという意思表示なのだろう。

 こいつにしてみれば、どう転んでも構わないのだ。因果の虜囚にとって唯一絶対である優先度を上下できる時点で、デメリットはデメリットでなくなる。

 俺が改変に失敗しても状況は変わらない。俺が改変に成功すれば好奇心は満たされる。皇龍との戦いは巻き戻されても、もう一度戦えばいい。楔を取り除くために俺が直接対決を望むならそれも一興。こうして戦闘を回避する方向を選択するなら、それはそれで高みの見物ができると。……そんな事を考えているのだろう。


「一番つまらないのは、貴様が大罪を受け入れず私がイバラに逆恨みされる事だからな。その可能性は潰えたようでなによりだ」


 因果の虜囚に存在する不文律。対存在が残っている虜囚に対しては極力手を出さない。

 絶対ではない。事故はあるし、どうしてもそれをしなければならない場面は想像できる。しかし、意図して殺害する事は正直難しい。

 ゲルギアルはその法則でさえ捻じ曲げられる。同じ状況に至って、俺を殺す事ができるのはこいつだけだろう。

 因果の虜囚に植え付けられた憎悪を無視し、本能を理性で押さえ込み、己の知的好奇心を優先する。そういう意味不明な怪物なのだ。


「ここからどう転んでも、あんたの損にはならないって事なんだろうな」

「然り。あとは貴様が因果改変などという馬鹿げた反則技を成功させるのを見届けるのみよ。楽しい舞台を期待しているぞ」


 すでに観客気分である。


「その舞台鑑賞の代価として、皇龍との決着を一時棚上げにしてやるってところか」

「そんなケチ臭い事は言わんよ。それはあくまで前提条件だ。何か対価が欲しいというのなら、とりあえず言ってみるといい」

「……とりあえずって言われてもな」


 こちらは最悪戦闘になる事を想定していたのだ。皮肉を言いはしたが、真正直に対価と言われても困る。

 当たり前だが、対価といってもなんでもってわけにはいかないだろう。こいつは俺が演出する舞台を鑑賞したいのであって、舞台に立ちたいわけではない。たとえば、無量の貌を代わりに殺してくれっていうのは呑むはずがない。

 言い分からして俺からの対価を払われていて、あと見返りを要求するだけという場面ではあるが、相手が相手だけに下手な行動には移れない。交渉を行うには、この老人の精神性は異形に過ぎるのだ。


「私が想像するに、貴様が今一番の懸念としているのは因果改変のコストだろう?」


 悩む俺に痺れを切らせたのか、ゲルギアルから話を切り出してきた。


「……そうだな」

「たとえば……ここで今死に至った渡辺綱の本体。生き返らせたところで、どうやってイバラの元へ向かう? おそらく大規模な改変を行う事で距離か時間を調整するつもりだったのだろうが、そんな有り得ない事象にはどれだけのコストがかかるのだろうな」

「…………」


 ……なるほど。その程度なら干渉しても構わないと。


「望むなら、私がその距離を斬ってやろう」


 それはたとえだ。交渉の前提として、こんな事をできるという提示に過ぎない。しかし、今の俺にはあまりにも魅力的なたとえだった。

 確信したが、すでにペースを握られているな。やりづらい事この上ない。


「もちろん、別の何かでもいい。追加で取引をする事も考慮しよう。逆に、ここから離れて目の届かないところで見学していろというのでも構わない。さて、どうする渡辺綱。今の私は機嫌がいいぞ」




-2-




「そういうわけだ。……せっかくだから自己紹介しておこうか。私は見物人のゲルギアル・ハシャ・フェリシエフ・ザルドゼルフ・アーマンデ・ルルシエスという。よろしく、迷宮都市の諸君」


 ……という流れで、この会議へと繋がったわけだ。

 何故、こんな場所にゲルギアル・ハシャが座っているのか。

 別に会議中に突然出現したわけではない。その席は最初から用意されたもので、そこに極々当たり前のように座っていたに過ぎない。

 つまり、堂々としているのも当然。洗脳を受けた結果とか、要求をゴリ押しできる戦力を持つからとか、そういう特殊な理由はなしにただ出席する権利を以てここに座っているのである。

 ……いや、あの石室に行ったのが会議の一時間前ほどで、周りに説明する暇もなかったというのは俺の落ち度だろう。

 ウチの身内には簡単に説明できたが、そんな説明で呑み込めるはずもなく、特に空龍などはあからさまに不機嫌である。


「…………は?」


 そして、たった今聞かされた者にとっては余計に衝撃的事実だろう。

 単純に顔を知らないだけの相手とは考えていなかっただろうが、それにしても予想外な正体に会議室の時が止まった。

 変わらないのはゲルギアル本人と俺、セカンド、あとは変わらず不機嫌そうな空龍だけで、残りは全員が呆然としている。

 当たり前といえば当たり前だろう。口頭で説明しただけとはいえ、相手は今回の騒動の一角であり、まさしく口火を切った存在だ。迷宮都市の同盟相手である皇龍とついでに俺を殺害した奴が、なんでこんなところで会議に加わっているのだという話になる。

 ……というか、俺も正直なところ理解し難い。実害がないとはいえ、相手のペースに乗せられ過ぎである。


「え……えーと、つまりあなたは渡辺さんの説明にあった因果の虜囚の一人であると?」

「その通りだ」

「……何故、ここに?」

「こいつが面白いものを見せてくれそうだったのでな。劣化龍との一時的休戦を取引材料に、特等席に座らせてもらった」


 こいつというのは、もちろん俺を指したものである。

 確かに、その席を用意したのはこの会議を主催した俺であり、準備をしたセカンドなのだから間違いではない。まさか物理的な席を用意する事になるとは思ってなかったが。


「あなたは渡辺さんを殺した敵という認識なのですが……それとも、さきほどの説明になにか間違いでも」

「いいや。端的ではあるし都合の悪い事はボカしているようだが、渡辺綱の説明に間違いはない。一部、私の知らない事の真偽は分からんが、それも概ね合っているだろう」


 反応に困っていた者たちを代表して、紅葉さんとゲルギアルの質疑応答が始まった。脱線気味なのはともかく、この爺さんの扱いには俺も困っているから、正直助かる。


「それは……結局、私たちと敵対関係にあるという事になるのでは?」

「分かっていて言ってるのだろうが、ならんな。私が殺し合いを挑んだのは劣化龍であって、君たちでも渡辺綱でもない。そこの劣化龍のコピーは別としても、我々が争う理由はないだろう? 君たちの文化については触り程度しか知らんが、まさか特別な条約もなしに同盟国の敵対国がそのまま敵対国になったりするのかね?」


 感情を別とすれば、言っている事は間違っていない。皇龍と迷宮都市は軍事同盟どころか、ようやく交流が始まっただけの関係だ。もし龍世界が戦争になったとしても、それに介入する義理も権利もない。

 それはそうなんだが、迷宮都市の人間に国の関係でたとえられても上手く伝わるかは微妙だぞ。紅葉さんはクレスト出身らしいから問題なさそうだが。


「……ああ、渡辺綱を斬り殺した件については個別に話はついているから、君たちが気にする必要はない」

「あんたが言う事じゃないがな」


 何の蟠りもないというのは嘘だし、そもそも割り切れてもいないが、呑み込みはした。それが、現状での最良であると。そして、俺には手段を選択している余裕などはない。


「もちろん、人間的な倫理でいうなら私は極悪人だ。青い正義感や憤りによって私を許せないというのであれば相手になるのも吝かではないが、渡辺綱も含め、君たちにそんな余裕があるとも思えんしな。危険かもしれない、というだけで戦力を割くのは愚かというものだろう」

「…………」


 問答で理解するのはお手上げなのか、紅葉さんは説明を求めるように俺へと視線を向ける。


「あー、ようするに、これから状況を引っ繰り返すために巨大なハードルになるはずだった奴がただの見学人に変わったって事だ。俺をぶっ殺した張本人ではあるから呑み込み難い話ではあるが、受け入れる事のメリットがでか過ぎる」


 俺たちの立場が絶望的苦境にあるのは間違いない。ここから逆転するにもリソースは限られている。それを節約してくれるというのだから、感情的なものを抜きにすれば乗るしかない。


「……信用できる相手なので?」

「無量の貌よりは」

「そんな冗談を求めてるわけではないのですが」


 本人談なんだから仕方ねえだろ。


「人間の価値観で判断していい相手じゃないし、独特の価値観と精神構造で理解不能な面も多いが、誠実ではある……と思う。特に自分自身の知的好奇心には正直だ。とはいえ、全面的に信用していい相手じゃないから距離はおきたい」

「まったく道理であるな」


 本人を目の前にして言う評価ではないのだろうが、ゲルギアルはそれに同調してみせた。


「加えて、戦力的な意味でも手を出し難い。今は大人しく席に座っているだけだが、この爺さんはクーゲルシュライバーにいる戦力すべてを余裕で皆殺しにできる存在だ。簒奪された奴ら全員を含めても同じ結果だろう。実利的な面でも感情的な面でも折り合いを付けて飲み込まざるを得ない」

「他はともかく、お前は私を封殺できる手段があるのではないのかね?」

「有限な力を無駄に消耗させるつもりはない」


 そのつもりだったら、動かした段階で行動している。戦わずに回避できるのなら、そりゃ回避するさ。そもそも、そのメリットを甘受するためにこいつを引き込んだのだ。

 それに……他の虜囚相手でもそうだが、《 土蜘蛛 》を使ったところで確実な勝利など有り得ない。……もしやるなら、手段と犠牲を問わずに勝率は三割ってところか。ゲルギアルはそれを看破している。その上で、俺がその選択をしないと確信しているのだ。もっとも、そうなったところで結果は粛々と受け入れるのだろうが。


「そう言いつつも、もしの場合の想定をしている点は評価できるな。今後に期待できるというものだ」

「息をするように人の考えを読むんじゃねーよ」


 俺だって、感情の面で折り合いをつけたとは言い難いのだ。……空龍なんてもっとだろう。

 ……とはいえ、他の冒険者には直接関係ないのも事実ではある。実際、こうしてても他の出席者に憎悪など欠片も感じられない。


「元々、特異点の改変をするために必要な要素は三つあったんだ。それが、この爺さんが見学人に回る事によって二つになるっていうなら受け入れざるを得ないだろ」

「……その場合、お母様の扱いはどうなるのでしょう」


 そりゃ、詳細を説明されていない空龍からすれば一番気になるところだろうな。


「改変さえ完了すれば、皇龍の死亡はなかった事になる。もちろんこの爺さんも健在なわけだから、戦いにはなるだろうが……」

「あちらが望めば分からんが、戦いの舞台は別に用意する事になるだろうな。仕切り直しだ」


 改変が上手くいく事前提の話ではあるが、最低でも龍の根幹地が崩壊する事による巻き添えは回避できる。

 皇龍がどう考えるかは分からないが、一度敗北した勝負がやり直しになるというのもメリットだろう。誇り高い勝負を汚したとか言われたら困ってしまうが、こちらにも都合というものがあるのだ。


「……あなたはそれでよろしいので?」

「これは自ら望んだ事でもあるからな。邪魔されるなら斬り捨てるまでだが、最初から仕切り直しというのなら別にそれでも構わん。まあ、改変に成功する前提の話だ。失敗した場合は貴様もただではすまんだろうし、そのまま私の勝ちが確定するかもしれん」


 ゲルギアルに必要なのは因果の虜囚としてステージを上げる事であって、皇龍の命に拘っているわけではない。




「というわけで、多大過ぎるメリットを提示されて、この会議の直前でこういう形になったってわけだ。予備知識がないと紹介しても意味不明だから、こんなタイミングになったが……」

「理解できたとは言い難いですが、とりあえず今どうこうというわけではないと」

「その認識でいい」


 今すぐ何かある懸念があるなら、不意打ちのような会議出席にも同意していない。とりあえずではあるが、この爺さんは現時点で無害かつ有益だ。


「……それで、どの程度協力して頂けるのでしょうか? ……"味方のつもり"なんですよね?」

「はははっ、なかなかいい返しだ。渡辺綱が言いづらい部分を代弁したというわけか」

「それはどうも」


 意識を切り替えたのか、紅葉さんは更に突っ込んだ会話を始める。

 正体不明、実力差が決定的な相手に対して物怖じしないのはさすがだ。正直、めっちゃ助かる。ここでゲルギアルの口からはっきりと線引きされるのは大きい。律儀なこの爺さんなら口約束でも反故にしない……だろう。自信はないが多分。


「そうだな……まず、大前提として直接的な戦力を提供するつもりはない。私は渡辺綱がやらかす事を見たいのであって、それに参加したいわけではないからな。観客が舞台に上がるのは興ざめだろう」


 当然だろう。全面的に参戦してくれるというのならありがたいが、そこまで信用はできないし、扱いにも困る。

 理想は無量の貌相手に勝手に暴れ回ってもらう事だが、それは期待できないし、すべきではない。


「ただ、私の不利益にならない程度であれば情報提供はするし、そちらが良いなら技術指導くらいならしても構わんよ。得体が知れないのは自覚しているから、渡辺綱の言うように距離を置くべきというのも同意するがね」

「あなたの提供する情報の保証は?」

「そんなものはない。こちらは聞かれた事を淡々と答えるくらいだな。……聞きたい事があるのなら、とりあえず何か聞いてみるといい」


 そのゲルギアルの言葉に、紅葉さんは問いかけるように視線を向けて来た。

 ここで質疑応答に入れば会議の進行が中断するが、どうする?って感じの問いだろう。


「どの道休憩を挟むつもりだったし、簒奪された記憶を戻さないといけない以上今回で終わらせる気もなかったんだ。脱線……とは言わなくても、気になる事があるなら解消するためにぶつけてみるのも悪くないかもしれない。……ただ、その爺さん見ただけで情報抜いてくるから気をつけてくれ」

「よほどの事がなければ、そんな事はせんよ」


 やられた相手としては、それで安心できるはずもないが。


「では、あなたの弱点など」

「ははは、それはさすがに黙秘する。知ってどうにかなる弱点はないつもりだがな」

「スキル《 毛根死滅 》を無効化する方法は?」

「知らんが、オーブなどで消去するか、真逆のスキルを習得すればいいんじゃないか?」

「オマエコロス」


 おい、語尾の『ウサ』が取れてるぞ。


「と、わざわざ基準になりそうな質問を出してくれたようだから、とりあえずでも口にしてみたまえ。……いや、ここは私から聞いてみようか。渡辺綱、簒奪された記憶を戻すというのは一体どんな仕組みかね? アレに簒奪された記憶を戻すなど、聞いた事がないのだが」


 どうやら、わざわざ一問一答の方式に誘導してくれたようだ。無駄に気の回る爺さんである。


「簒奪が完了した記憶に関しては不可能だが、逆に言えば《 名貌簒奪界 》が終了していない今なら完全に取り込まれたわけじゃない。この特異点に限ってのみ通用する理屈だ」

「……アレはやはりギフト付与を利用した目眩ましか。となると、《 名貌簒奪界 》完了まで時間が不安定なのも、それが原因だな。しかし、そうだとしてもお前の力だけでは不可能だろう」

「剥製職人のスキルオーブを使って、《 土蜘蛛 》で処理した」

「……どうやってスキルオーブを手に入れたかが気になるが、キリがなさそうだな。一応は理解した」


 あんたに必要以上の情報を渡すつもりもないしな。その情報は高いぞ。


「あー、じゃあ俺から聞いてもいいか?」

「構わんが、意外だな」


 ペースを握られるのは癪だが、最初だからと俺が率先して乗ってみる。これが終われば各々勝手に質問を始めるだろう。

 あまり核心に迫った内容はなしだな。微妙に外れてて気になっている事は……。


「皇龍の拠点にしていた星に生えてた樹がなんなのか知らないか?」

「……樹?」

「俺たちや龍は< 黒老樹 >って呼んでるんだが、嵐の中でも直立し続けてる異様に硬い樹だ」


 ゲルギアルはあの世界の出身者だ。星系単位で文明が広がっていた事を加味すれば、一惑星の植生について知っているかどうかは微妙なところだろうが、頭の片隅に引っ掛かっていたのも事実である。


「ああ、アレか。知ってはいるが、アレがどうした?」

「無量の貌が出現した時、顔がアレに群がっていた。ただの樹なら簒奪の対象になる……かどうかはともかく、優先されるような事はないと思うんだが」

「…………ほう」


 一問一答の方式を形作るためにした質問だ。端的な解説が返って来るかと思っていたのだが、ゲルギアルの反応は少し違った。

 何か未知の情報が混ざっていたのか、その表情には興味の色が浮かんでいる。


「まず、あの星は監獄星オウラ・ギラといって、崩壊以前の旧時代でいう末期に監獄として使われていた惑星だ。特に凶悪で当時の最高刑でもまだ足りないとされた凶悪犯罪者に、真の意味での極刑が下されていた場所だ」


 なんか予想以上に曰く付きの場所みたいだな。皇龍があの星を拠点にしていたのは無限回廊の入り口があるからで、直接的な因果関係はなさそうだが。


「当時、転生の概念が一般的になっていた事から、死刑は最高刑たり得ないという認識が広まっていてな。ならば、殺さずに延命処置を施しつつ極端に長い服役を課すのが主流になっていたのだ。お前たちが< 黒老樹 >と呼んでいるのは、おそらくかつての重犯罪者を生きたまま固めた< 罪人の柱 >の事だろう。まあ、確かに材質としては樹に分類されるな」

「…………」


 予想以上にヘビーな回答だった。


「え……ちょ……じゃあ、ワシらは罪人の塊を加工してたって事になるのか?」


 反応したのは、< 黒老樹 >を嬉々として加工していた職人代表のオーギルだ。

 そして空龍は現実逃避なのか、ゲルギアルを睨んでいた視線が宙を泳いでいる。知らなかったとはいえ、そんなものを輸出しようとしていたのだから困惑するだろう。正直、俺もその正体にはドン引きである。


「アレに魂が残り続けるかどうかは眉唾ものではあったが……どうやら、残っていたという事なのだろうな。その事実自体は他愛もない事だが、興味深いのは無量の貌が引き寄せられたという事実だ。奴と戦うための対策になり得るかもしれん。いやいや、なかなか面白い話だったぞ」

「……そりゃどうも」


 なんだろう、この……一方的にこちらが損をしたような気分は。

 場の流れをスムーズにするためだけの軽いジャブのつもりだったんだが、まったく関係のないところでダメージを受けた気分だ。




-3-




 俺の質問によって深刻なダメージを受けた空龍とオーギルを除き、ゲルギアルとの質疑応答という面では問題なく進行した。

 質疑応答だけ続けていてもキリがないので、会議に参加している者がそれぞれ一問ずつ、その後にゲルギアルが質問を投げるという形に落ち着いたが、どちらも深く踏み込む事はしなかった。

 終わってみれば< 黒老樹 >以外、基本的に真新しい情報はないという結果になってしまったが、とりあえず聞けば答えてくれるという事は証明されたので、成果はあったとみて構わないだろう。分かっていた事ではあるが、やはり話は通じるのだ。

 根本にある異常性を理解していない以上仕方ない事なのかもしれないが、関わりの薄い者たちにはただの気のいい爺さんに見えるかもしれない。


「じゃあ、会議を進めたいと思う。まずはこれからの予定だ……セカンド」

「はい」


 宙空モニターに、予め用意していた今後のスケジュールを表示してもらう。

 詳細なものも用意しているが、とりあえずはシンプルなガントチャートだ。


「まず、作戦開始時期として予定しているのは体感時間にして一週間後。これは他のメンバーへの情報周知や編成、連携訓練を加味したものだ。編成や各々の準備、簒奪された記憶を戻した際の影響には個人差があるだろうから、数日程度ならズラす可能性は高い」

「いきなりですが失礼。その一週間の根拠はどこから? ここが時間停止しているというのであれば、万全の準備を整えてから挑むほうが良いのではないでしょうか?」


 最初に手を挙げたのは紅葉さんだ。彼女の言う事はもっともで、巨大な相手に対して修行期間を設けるというのは現状を理解していれば当然の考えだろう。


「一週間ってのは仮のスケジュールだから拘る必要はないが、これは準備に必要な作業を細分化して出した目安だ」


 セカンドに指示して、チャートに詳細情報を追加してもらう。

 常識的な範疇で、これくらいかければ達成できるだろうという見込みでしかないが、目安にはなるだろう。


「ある程度余裕を持って計算してるつもりだが、大きな問題が発生しない場合での想定だから目標値として捉えてもらってもいい。ただ、なるべく早く行動に移したいのは確かで、何ヶ月もかけてここで修行……なんてスケジュールは組めないと思って欲しい。……理由はいくつかあるんだが、一番大きいのは俺の因果改変に使うエネルギーの問題だ。実はこのクーゲルシュライバーもどきを維持しているだけでも目減りしている」


 ほとんど誤差みたいなものだが、それでも積み重なれば結構なものだ。総量の1%しか違わないとしても、その1%が明暗を分ける可能性は十分にある。


「第二に、簒奪された記憶の劣化が懸念される。無量の貌の《 名貌簒奪界 》は存在そのものを根刮ぎ簒奪するようなスキルだ。現象が未完成の状態とはいえ、ないものの記憶を戻す以上緩やかに抜け落ちていく。個人差はあるだろうし、都度戻せもするが、それによる劣化はあると想定している。このあとに説明する対無量の貌対策を考えると、ちょっと無視できない」


 未確定だが、《 宣誓真言 》を使ったあとに発生する揺り戻しに似た現象が起きるのではないかとディルクから指摘されている。

 はっきりした事は言えないが、確実にないとはいえない以上懸念材料として残してはおくべきだろう。


「最後に、食料をはじめとした備蓄が足りない。すぐどうこうってレベルじゃないが、二ヶ月も三ヶ月も保つ量じゃない。あとで使用可能な備品一覧を渡すから、ここにいるメンバー以外に情報公開するかどうかも含めて検討してくれ」


 元々、世界間移動などという未知の航行だ。クーゲルシュライバーは余裕を持って物資を運んでいる。

 しかし、出港時に発生した艦内での戦闘、および航行不能になる際のダメージでかなりの物資が散逸、あるいは使い物にならなくなっている。水だけは魔力で生成できるらしいが、その他は潤沢と言えるほどではない。

 ……いや、保存食などを使って切り詰めれば半年くらいは保つかもしれんが、それで士気が低下する事を考えるならさっさと動くべきだろう。


「……なるほど。渡辺さんとしては可能であれば一週間以内、どれだけ遅くとも一ヶ月以内には行動に移りたいと」

「俺の理想としてはそうだ。ただ、各冒険者の取りまとめを紅葉さんたちに投げる以上、ある程度は考慮する。……逆に、簒奪された記憶を取り戻した段階で無理に行動しようとする冒険者の抑えもお願いしたい」

「それほどですか。正直、巨大な虚無感はあれど実感が湧かないのですが」

「ウチのメンバーの談によれば、失っていた事を忘れていた自分を殺したくなるらしい。たとえば紅葉さんなら……夜光さんと過ごした記憶や痕跡が全部なくなって、そうと気付かず過ごしていたって考えると近いかもしれない。……しかも、それが一人とは限らない」

「…………」


 ここにいる者に限った話じゃなく、この船に残った者はほとんどが何かしら簒奪され、喪失している。

 恋人や家族だけじゃない。それがパーティメンバーだったり、あるいはただの知り合い程度でも結構なショックだろう。

 仮にもクランマスターだから代表を勤められないかと先行して動かした< 森の賢人 >のゴリヲ氏は例外らしいが、そんな例外はほとんどないはずだ。……なんだよ、ゴリラは使い捨てって。パーティメンバーなんだからもう少し愛着とか持てよ。


「説明に戻るが、まず最初にやってもらう事はその記憶を取り戻してもらう事だ。そこの扉から隣の部屋に入って、しばらくすれば簒奪された記憶が戻るようにしてある」

「なにか注意点などはあるか? できれば最初に試してみたい」


 ウチのガウルさんのような反応をしたのはグルジカさんだ。同じ獣人という事で何か共通点でもあるんだろうか。


「さっきも言ったように精神的ショックは覚悟しておいたほうがいいが、中に入って立ってればいいだけだからその類の注意点はない。ただ、一通り説明を終わらせてからにして欲しい」

「む……そうだな」

「その後は状況を見て作戦に必要そうな冒険者の時間を動かし、グループごとに説明、各自記憶の処理を行ってもらう。メンバーの選定やグループごとの配分は任せるが……」


 と、この場にいたメンバーを中心としてやってもらいたい事を挙げていく。

 内容としてはグループ編成と説明、メンバー内で発生する問題の取りまとめや最終的に歩調を合わせるといった地味なものだが、冒険者の数が多い以上作業量は多い。適正のありそうな人を集めてはいるが、ここにいるのは本来ならリーダーではない人がほとんどだからスムーズにいくとは考え難い。




「そして、肝心の作戦……残った二つの楔を取り除く作業が主になるわけだが、基本的にイバラの対策は俺一人で行う。俺以外の戦力は対無量の貌に割り振る想定だ」

「…………」


 会議室のほとんどが俺に疑惑の眼差しを向けた。


「わ……俺たちが無量の貌と戦うのは何も問題はないが……それはいくらなんでも無茶に過ぎるんじゃないか? いや、こんな理解不能な事を実現しているのがお前の力だという以上、俺たちの理解が及ばない力を保有している事は分かるんだが」


 その疑念を口にするのは、冒険者代表陣の中では最年長の鉄腕サイガーだ。


「疑念はごもっとも。実際、俺の戦闘力自体は以前と大差はない中級冒険者に毛が生えた程度のものだ。素の実力のみで考えるなら、この場にいる誰よりも弱いだろうな。……だが、性質上イバラを止められるのは俺以外にいない。つまり、このオーダーだけは絶対だ」

「しかし、さすがに……」

「それしかないだろうな」


 断言する俺に対し、疑念を挟もうとしたフラファジヤの言葉を遮るようにゲルギアルが口を出してきた。


「なに、こいつにしても苦肉ではあるのだろうよ。なにせ、それ以外のオーダーが存在しない。イバラの対存在である渡辺綱以外はどれだけ強くとも有象無象。特異点の中心たる因果の楔を破壊するには至らず、干渉する事さえ困難。もちろん戦力は必要だろうが、その戦力として換算できるのがそもそも一人だけなら致し方あるまい」

「無量の貌とやら相手にいいようにされている我々が戦力足り得ないというのは、言われても仕方のない事ではあるが……」


 元々クランの中でも中堅であるガルディスが自らの戦力を卑下して尚食い下がる。しかし、そういう事ではないのだ。


「あー、みなさんの戦力がどうこうという話ではなくてですね……」

「これはイバラと渡辺綱という決して相容れぬ者同士が決着をつけるためだけに用意された舞台装置なのだ。その舞台に上がれる者は二人に限られている。最初からそういう形で造られている。仮に私が気が変わったと言って乱入しようとしても弾かれるだろうよ」


 喋らせろよ、クソジジイ。いや、助かるけどさ。


「なにも正々堂々一騎打ち、宿命の相手との戦いに割り込む余地はない……なんて事を言うつもりはまったくない。援護があるなら大助かり。人海戦術大賛成。そもそも無限回廊を十倍深く潜ってるような奴相手に真正面から挑みたいと思うほどネジ飛んでない。だけど、そうなるようお膳立てされているからどうしようもないって話なんだ。ここはそういうものと呑み込んでもらうしかない」


 なんか卑怯な手を使う余地はないものかと検討してはいるが、望みは薄そうだ。

 俺としても、最低限那由他さんの殺害を止める自信はあるんだが……そのあとが問題なんだよな。


「とはいえ、無量の貌対策だって戦力が足りているとは言い難い。俺としてはまずこちらをなんとかしてほしいってのが本音だ。その結果次第では俺の余力も変わってくる」

「結果、そちらの援護にもなるという話ウサ?」

「簒奪された者を救出できれば、その分だけ楔の強度は弱まる。そうすれば因果改変に必要なエネルギーに余剰が生まれるってわけだ。どれだけ実力差があろうと、根本から引っ繰り返せればどうとでもなる」


 イバラが俺の対存在である以上、その対策を持っている可能性は高いが、ここで口に出すつもりはなかった。


「私としてはそこが一番興味を惹かれるところだな。未完了とはいえ、無量の貌に簒奪された者を救出する方法などさっぱり分からん。どんな無茶なプランを立てているのかね?」


 無茶なプラン言うな。……無茶だけどさ。




-4-




 再度、セカンドに画像を切替えてもらう。

 表示するのは迷宮都市世界と龍世界、そしてクーゲルシュライバーが停泊している回廊の簡易的な図だ。

 そこに追加で表示するのは俺たちとイバラの位置、そして無量の貌の侵食が及んでいる範囲である。


「ここにいる人たちなら、現在クーゲルシュライバーを中心に世界を繋ぐ回廊がダンジョン化されているのは知っていると思う」

「そうですね。緊急でパーティ編成を行い、涅槃寂静と名乗る顔の塊をダンジョン外に排出しようとしていました。陣頭指揮をとっていたのも私ですし」


 元々、紅葉さんが暫定リーダーやってたのか。


「これからやってもらう事はそれを更に進めた形になる。言ってみれば逆侵攻だ」

「……逆侵攻?」

「作戦開始のタイミングは時間停止を解く直前。俺が《 土蜘蛛 》を使い、無量の貌の体内をダンジョン化して繋げる。作戦に参加する冒険者はそれに合わせて無量の貌体内に突入。中にいる救出対象を可能な限り無量の貌から引き剥がしてほしい」

「…………」


 想定外の内容だったのか、会議室内の時間が停止する。


「くっ、くくくくくくっ!! これはまた思い切った作戦だ。さすがに相手そのものをダンジョン化して突入など考えた事もない。いやはや、確かにお前の《 土蜘蛛 》なしでは無理な作戦ではあるな」


 ゲルギアルさん、楽しそうね。


「簒奪が完了していない以上、救出対象者はまだ引き剥がせる状態にはあるはずだが、内部の詳細は一切不明。どうすれば救出できるのかも分からない出たとこ勝負になる。最悪、内部で簒奪されて同化するなんてパターンも十分にあるだろう」

「しょ、勝算は? 仲間の命を預かる以上、そんな無謀な賭けには……」

「さっぱり分からん。案外簡単に救出できるかもしれないし、とてもじゃないが手が出ない可能性もある。ただ、可能性はゼロじゃないのは確かだ」

「そんな無茶な……」


 まあ、紅葉さんも代表としては譲れないところだろう。やるしかないと分かっていても。


「ただ、当たり前だがそんな無謀な賭けに無策で飛び込んでくれなんて事は言わないし、保険は用意してある。簒奪の影響を阻害する装備は用意するし、一応実績もある通信機器も配布する予定だ。無量の貌内部で死亡した場合はクーゲルシュライバーの帰還ポイントに転送されるよう設定するし、クーゲルシュライバー内から指示して強制的に脱出できるようにもする。ただ、内部で簒奪が行われた場合はその限りじゃないし、元々未知の挑戦故に事故は十分に有り得る」

「失敗してもやり直せると?」

「……それは微妙なところだな。内部まで入り込まれて無量の貌が対策をしないとは思えない。できれば一発勝負で救出を完了させたいところだ。あくまで突入する冒険者の命綱程度に考えて欲しい」


 正直、ミイラ取りがミイラになる可能性は高い。そうして再挑戦して被害を拡大させるケースだって想像できるし、区切りをつけるのも難しい。救出対象が対象なだけに見切りを付けるのは難しいだろう。

 対策される懸念もそうだが、何度も挑戦できるって認識は避けたい。


「元々救出の見込みがゼロだったところに可能性を創り出したのだ。十分過ぎると思うがね」


 見学人の立場ならそうだろうが、突入する本人たちにとってはそうも言ってられない大博打だろう。

 迷宮都市の冒険者は基本的に入念な準備の元でダンジョン・アタックをする習慣がある。情報収集、装備の選定、訓練もそれに合わせて行う。ランクが上がるほどにその傾向は顕著になるはずだ。

 そんな冒険者にとって、最も不得手とするのは未知。今回の戦いは、いわば難易度不明、内部構造不明、勝利条件不明、失敗すれば大切な者を失うゲームを初見クリアしろと言っているのに等しい。かろうじて自身の命綱は確保できるものの、それだって絶対じゃない。


「当たり前だが、こんな条件で冒険者に参加してもらうよう呼びかけるのは容易じゃないと思う。簒奪の記憶を戻して、救出対象者の重要性を思い出したとしても、それだけで挑戦するには無謀な作戦だ。そんな連中を統制してもらうのは相当にハードなのは容易に想像がつく」

「だけど、やらなければ何もかもがなくなる」

「……その通り。理想を言えば、この特異点で簒奪された対象はすべて救出、最低でも半数は取り戻したい。最悪それだけ確保できれば特異点における無量の貌の影響を削り取って改変が行える」


 ……と見込んでいる。そこまでやって、ようやく俺とイバラが激突する下地が整う。


「……やるしかない、か。まさか、夜光様ですらなく私にそんな重責が与えられるとは……」

「正直、最も適正があるのは紅葉だから仕方ないウサ」

「……ハゲには任せられませんしね」

「ハゲは関係ないウサ」


 特に理由のない八つ当たりがロベルトさんを襲った。


「その後のプランも説明する。作戦完了のタイミングは追って検討になるが、無量の貌突入作戦が終了した時点で時間停止を解き、同時に俺の本体を蘇生、< 地殻穿道 >の中枢近くのイバラの元へと向かう。そこで那由他さんを救出すれば、特異点は特異点としての形を失う。《 土蜘蛛 》による因果改変はこのタイミングだ。とりあえずそこまでいけば星の崩壊なんて事態は避けられるし、救出できた簒奪対象者も元に戻る。時間ごと巻き戻すから、特異点内で死んだ連中も生き返ると」


 懸念だった< 地殻穿道 >への移動に関しても目処が立ったから、一応の道筋はできたわけだ。

 粗だらけ、穴だらけで未知の要素も大量に含んでいるが、それでも道はできた。


「そのあとは……イバラと俺の一騎打ちかな」


 一応、イバラとの戦闘における勝利は必須条件ではないが、戦闘回避は許してくれないだろう。

 加えて俺が負けた場合にイバラがどう動くかの保証もないから、やはり勝たないと完遂したとはいえない。


「渡辺様、その……勝算は? 最低限の形を整えられたとしても、それで渡辺様が死んでしまっては……」


 ここまで口を開かなかった空龍が心配そうな表情で話しかけてくる。


「勝算は……ある」


 いくら絶望的な戦力差とはいえ、確実に負ける勝負に挑むつもりはない。未知の要素だらけで出たとこ勝負なのは変わらないが、俺なりの勝ち筋は見えている。


「すべて上手く行って、楽観的に見ても一割程度だろうな」


 空気を読まないゲルギアルが、自身の観点から俺の勝率を口にする。それは、俺の想定とほぼ変わらない数字だった。


「因果の虜囚は基本的に格上殺しだ。確率の大小など無視して勝利をもぎ取れる。そういう特性を持っている。貴様の場合はそれが更に顕著で、どんな大博打でも勝ちを拾うほど強い因果を持ち合わせているのだろうな。……だが、イバラの奴はそういった部分も含めて貴様の対存在だぞ」

「分かってる。どう足掻いてもこれ以上の勝率は見込めない」

「……だがまあ、ゼロを1にした時点で大したものよ。あとはこれを100にするだけだ」


 簡単に言ってくれる。だが、それをやるしかないのも事実。

 おそらく、これはゲルギアルの賞賛であり声援だ。味方のつもりと言ってたのもきっと嘘じゃなく、俺の勝利を望んでいる。異形の精神から生まれた評価ではあるが、それは素直に受け止めよう。




-5-




 その後、第一回目の代表会議は終了。参加者は簒奪された記憶を戻す処置を受けるため、一人ずつ隣の部屋へ移動した。

 案の定と言ってはなんだが、入った時と出てきた時では別人のように違う。あまりにショックだったのか、話しかけても反応しなくなる者、嗚咽する者、部屋の中で暴れ出す者もいた。

 こうなるのが分かっていたから会議を分割し、第一回目の最後に持ってきたわけだが、傍から見ているだけでも痛々しいものである事には代わりない。


「あのおバカ……私を庇うなんて柄にもない」


 その胸中は分からないが、そんな中にあって紅葉さんは比較的冷静でいられたようだ。

 ここから押し付ける事になる責任を思えば申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、それでも本人は折れずに立ち止まった。やはり、そういった資質があるからこそのサブリーダーなのだろう。



 冷静になる必要があるのはもちろん、取り戻した記憶の整理も必要な以上、どうしたって時間は必要だ。二回目の会議は明日の予定だが、場合によってはそれもズレ込む可能性があると考えている。

 順調にいけばその会議で作戦参加者のリストアップを行い、そのまま対象の時間を動かす処置を行う。どの程度の人数をまとめて動かし、説明できるのかはグループリーダーの資質によるだろう。


 時間を動かすのは基本的に冒険者で、一般人は基本的にその想定に入っていない。

 ただ、オーギルさんをはじめとする職人は装備のメンテナンス要員として必要だし、大人数になれば食事の用意も必要になるだろう。そこら辺の人数調整や人選も検討していく必要がある。




「一応寝室の準備はできたよ。部屋の数的に四人部屋がほとんどになるけど」


 ユキをはじめとして、ウチのクラン連中の約半数は受け入れる事になる冒険者向けの準備を行っていた。

 最悪、ダンジョン内に造る事も想定していたが、ギリギリクーゲルシュライバー内に収まったという感じだ。

 加えて、連携確認には必要だろうと戦闘用のシミュレーターの準備を進めている。


「……順調、だよね?」


 不安そうな表情でユキが問いかけてくる。

 確かに順調だ。このあと確実に巨大な嵐が吹き荒れると分かってはいるが、その準備段階としては十分だろう。


「順調だな」


 ゲルギアルの事は想定外だが、良い方向に転んだ結果だ。それも含めて順調である。

 ……だが、順調過ぎるとそれはそれで少し不安になる。有利な状況が続くと揺り戻しがあるんじゃないかとか、《 因果の虜囚 》が無理やり帳尻合わせにくるんじゃないかとか。……考えても仕方ない事ではあるが、気を緩ませる事は難しい。


「ディルクとセラフィーナはどうだ?」

「やっぱり参加するのは難しいみたい。特にセラフィーナは戦力として換算できるような状態じゃないし」

「……だろうな。ディルクには後方支援に回ってもらおう」


 《 宣誓真言 》の使い手として活躍をお願いしたい少年少女だが、対ゲルギアル戦で無理をした影響は大きく、作戦に参加するのは難しいと判断された。本来なら後方支援さえ厳しい体調らしいが、そこは無理してもらう。


「あとは……」


 準備すべき事は多いが、今の内に行動できる事は少ない。特に冒険者の編成が始まらないと片付かない事がほとんどだ。

 セカンドやラディーネからの報告が上がってくれば、検討すべき事項は大量に増えるのだろうが……ぶっちゃけ手持ち無沙汰である。




「ここにいたか」


 そんな測ったようなタイミングで、ベレンヴァールが部屋にやって来た。

 ……そういえば、こいつも何らかの回答を出さなければならない相手ではあるな。



「時間があるなら、ちょっと訓練に付き合ってくれ」


 そう誘うベレンヴァールの目は、確実にそれだけが目的でないと訴えていた。




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