第六章『終わる世界、続く世界』

Prologue「虚数層の超魔術士」




-1-



 おそらく関わった者のほとんどが同じ感想を抱いていると思うが、渡辺綱がここに至るまでの道のりは極めて複雑だ。

 状況は時間を超え、世界を超え、無数の因果がお互いに絡み合い、更にはそれすら書き換えられているのだから当然といえる。個人が手に入れる事ができる情報ではあまりに断片的過ぎて、それぞれの関連性に気付けるかどうかすら怪しいだろう。

 これを理解するには世界を超えて俯瞰する視点が必要であり、それが可能なのはおそらく唯一の悪意と剥製職人、そして最初からすべて折り込み済で創られたイバラくらい。……あとは、超常的な視点ですべてを俯瞰してしまった俺くらいのものだ。


 もちろん、理解したからといってそれを誰かに説明するのも困難である。

 あらすじはシンプルに、必要のない情報は省いてというルールがロクに成立しない。

 たとえば、極端なまでに簡潔に言ってしまえば今回の一件は、『世界を滅ぼされた男が、世界を滅ぼした相手の口車に乗せられて、世界を滅ぼした相手を滅ぼすために、終わりかけた自分の世界を含む多数の世界に手をかけた』……という意味不明な話になってしまう。


「まったく意味が分からないねぇ」


 うん、当たり前だがこれじゃ関係者にだって理解できないし、ほとんど無関係の相手では尚更意味不明だ。

 無数の世界や、それを繋ぐ無限回廊、そこで生まれた数多のスキル、亜神、転生システム、それらの基礎情報を理解していないと何故そうなるのか繋がらない上に、体験して初めて理解できる事柄だって多い。単純に前提となる情報量が多過ぎるのだ。

 あと、滅ぼすって単語が多過ぎ。


「だから、順に説明していこうと思う。元々、俺も理解できているか怪しいんだから、整理ついでだ」

「なに、ここじゃ時間はあってないようなものだからね。どうせ暇してたんだから付き合ってあげるよ」


 無数の書籍と書き殴られたノート類で乱雑に散らかった部屋。その部屋の中央に申し訳程度に備え付けられたテーブルで向かい合って、俺たちは話を続ける。

 この部屋の外側には数えるのが馬鹿らしくなるほどの蔵書を蓄えた超巨大図書館が広がっていて、果てのない知識が誰に知られる事もなく鎮座しているそうだ。もちろんこれらは実体のない情報に過ぎず、拡張現実のようなもので単に扱う者に利用し易いように形を変えているだけだろう。実態はおそらく膨大な量のデータかなにかで、本や紙、もっというなら文字に変換されているんじゃないだろうか。


 俺は椅子から立ち上がり、先ほどまでは存在しなかったホワイトボードに向かって情報を書き連ねていく。


「というわけで、まずは大前提となる舞台の定義からだ。複数の世界に跨る問題だから、土台を理解しないと始まらない」

「長く生きている自覚はあるが、そのあたしにしたって行った事のある場所はたかが知れているくらいだからね。異世界に行った経験もないし」

「たとえとして挙げるには、あんたは例外に過ぎるがな」


 あの世界の住人のほとんどは、自分の生まれた国や地域から離れずに一生を終える。下手したら生まれてから死ぬまで村を出ない人だっているくらいで、俺が生まれた村モドキなどは山を降りるのにすら許可が必要なほどである。

 そんな中、人の行ける領域のほとんどを踏破済というのは規格外ってレベルじゃ済まない。地球最強の登山家である三蔵法師だってそんな大冒険はしていないだろう。化物か。


「まずは、前世で俺たちがいた地球を含む世界を『地球世界』、今回消滅の危機にある迷宮都市を含む世界を『迷宮都市世界』と定義する。あとは、皇龍の管理する『龍世界』」


 本来なら世界が複数存在するという部分から説明しなければならないのだろうが、お互いその概念は理解しているから省く。


「平行世界すべてに迷宮都市とやらがあるわけじゃないが、説明って意味なら問題ないだろうね」


 厳密には迷宮都市自体は存在しているらしいがな。ダンマスがいない場合は、荒野の集落といった規模らしいけど。

 大体、それを言い出したら地球を中心に考えていいものかどうかってのもかなり怪しい。


「この場合の『世界』の単位はどう定義付けるつもりだい?」

「少なくとも文明や生活圏、惑星単位じゃない。そこまで明確に定義はできないだろうが……宇宙単位かな」

「今回に限ってなら妥当だろうね」


 とりあえず、地球と迷宮都市、龍の世界は宇宙単位で存在すると考えていいだろう。亀の背中に乗った大陸がすべてとか、電子情報しか存在しない世界とか、物理法則の異なる世界も多そうだ。

 しかし、説明する相手が宇宙って概念を知ってるってだけでずいぶん楽になるな。


「これらの他に、あまり関わりはないがネームレスが管理する『蟲世界』、未確認故にはっきりしないが無量の貌が管理する『貌世界』や剥製職人の管理する『剥製世界』も存在するんだろうと思う」

「仕組み上はないとおかしいだろうからね。そりゃあるんだろうね」

「あとはベレンヴァールのいた……そうだな、『魔人世界』もある。今回の一件でわずかにでも関係があるのはこれだけだ」


 これらの世界には俺も行った事はないし、他にも世界は大量にあるんだろう。

 今回はそういう世界もあるという以上に情報は必要ない。


「そして、これらにはそれぞれ可能性で分岐する平行世界が存在し、それらを扱う場合には便宜上地球世界A、Bと付ける事にする。これらをまとめて表現する場合は世界群と呼ぶ」

「ちなみに、坊やのいた迷宮都市世界はどちらがAでどちらがBなんだい?」


 その質問が出るあたり、ここまでの適当な説明でもおおよその部分は理解しているのだろう。

 口に出し辛い部分を指摘してくれているのは彼女の優しさなのか、単なる好奇心なのか。嫌がらせっては……ないと思う。


「……主観的には俺のいた世界をAとしたいところだし、心情的にはエリカのいた在るべき世界をAとしたいところではあるが」

「あるが?」

「そもそも、あの世界は平行世界じゃなく同一の世界だ。つまり、まとめて迷宮都市世界Aって事になる。……ただ、それじゃ区別が付かないから……そうだな、星の崩壊する因果が流出していない更に元々の世界をAとする。俺が在るべき世界と呼んでいるのはそこから改変されたA'。俺のいた裏の世界は他に類似しないものだから、引っ繰り返して∀とでも呼ぼうか」


 くそ、どういうわけだか分からないが、∀の文字を見ると言い様のない不安に駆られる。

 まるで触れてはいけないモノに触れてしまったような。……いや、メタ的なネタで笑い取りに行く場面じゃねーから。


「どれも元々は同じものだから分けて考えるのは違うと」


 平行世界どころか、ダンマスの言っていた可能性だけの隣接世界ですらない。自分がやった事ではあるが、迷宮都市世界Aに関しては例外中の例外と考えるべきだろう。


「迷宮都市世界Aとは言ったが、実のところ管理者の存在する世界は基本的に近しい平行世界が存在し得ない。管理者たるダンジョンマスターが誕生した時点で可能性が収束し、分岐が発生しなくなる」


 なんでこんな仕様になっているのかは知らん。創った奴に聞いてくれって言いたいところだが、開発者の一人らしいディルクには記憶がないし、そもそも自律進化する過程で生まれた仕様かもしれない。


「世界を繋ぐ回廊の仕組み上、同一の管理者が複数存在するのはまずいのかもね」

「実際の理由は知らんが、まあそんなところなんだろうな。……あんたも知ってるだろうが、厳密にいえば分岐が発生しなくなったわけじゃねーし」

「主流となる可能性以外は発生直後に消滅している」

「そうだ。そういう意図的に消去する仕組みがある以上、システム的な都合があるって考えるべきなんだろう」


 迷宮都市世界含む管理者の存在する世界は、可能性が生まれる度に剪定のような形で消され、主流だけを残す仕組みになっている。……それで、その仕組みを利用している奴もいると。まったく、世界は都合によって成り立ってるな。


「まあ、ダンジョンマスターがいる世界にしても近しい世界が消えてるだけで、ダンマスがあの世界に召喚されなかったような遠い平行世界は存在する。ただ、今回はそこまで関係ないから、あえて言及はしない」

「あんたがオーク引き連れて戦争してる世界とかあるらしいんだけどね」

「……言及しねーから」


 何がどうなってそんな事になってしまったのかは知らないが、今回の件には関係ないのである。

 話を戻すと、今回平行世界として区分けが必要なのは地球くらい。ダンジョンマスターがいないらしい魔人世界もこのルールに当てはまらないが、直接絡んでこない以上は分けて考える必要もない。つまり、今回の説明においては……。


 ・俺と美弓がいて、唯一の悪意が襲来した地球世界A。

 ・唯一の悪意が襲来しなかった地球世界B。

 ・皇龍がダンジョンマスターを勤め、根幹地としている龍世界。

 ・杵築新吾が迷宮都市に召喚され、ダンジョンマスターとなった元々の世界である迷宮都市世界A。

 ・そこに星の崩壊の因果が流出した迷宮都市世界A'。

 ・そして、俺が改変を行った迷宮都市世界∀。


 ……が、直接的に関わって来る世界となる。

 加えて本件に直接関係はないが構造の説明には必要なため、ホワイトボードには蟲世界、貌世界、剥製世界、魔人世界も書き加えておく。


「次は世界の権限構造。これらの世界はそれぞれ独立した世界ではあるものの、無限回廊によって接続され、相互に影響を受けているらしい。どこから発生してどう変化していったのかは分からないが、スキルやHPなんかのステータスはある程度共通して存在している。これらを管理し、ある程度自由に変更できるのが世界の管理者。各世界の無限回廊の第一〇〇層を初攻略した者は亜神となり、その世界の管理権限を得ると。ちなみに、迷宮都市世界では杵築新吾が現在の管理者って事になってる」

「亜神というだけなら他にもいるんだけどね。連中、死なないから厄介なんだよねぇ」

「あんたの奇想天外な冒険はともかくとして、実のところ無限回廊を通さずに亜神化した獣神や上位精霊も管理者ではあるらしい。限定的な世界へのアクセス権限を持ち、システムに組み込まれている」


 システムなたとえを出すなら、サーバー全体の管理権限を持つAdministrator、もしくはrootがダンマス。個別のフォルダやファイル、あるいはシステムといった限定的な権限を持つのがその他の亜神って事だ。

 他者へのギフト付与……加護などの形で行われるそれも世界の管理者権限を使って行われるものらしい。

 ガルドのような下位精霊や亜神の巫女もシステムに組み込まれてるのは同じらしいが、今回は関係ないだろう。


「そんな強力な権限を持つ以上、ダンジョンマスターは事実上世界の支配者なわけだが、無限回廊のシステム的にはより上位の権限が存在する」

「より深層の第二〇〇層や第三〇〇層を攻略した者たちって事だね。あたしゃ蟲が嫌いだから、そんなのが世界の支配者ってのもゾッとしない話だね」

「まあ、あいつは蟲だからとか以前に嫌われてるけどな。今はトマトだし」

「意味が分からないねぇ」


 いや、俺も良く分かってない。何故、よりにもよってトマトちゃんなのか。ダンマスのセンスは一体どうなっているのか。


「そんな感じで、世界それぞれは独立して存在していても、権限上は上下が存在する。上位階層の管理者は自分の根幹地となる世界の他に、下位の階層に属する世界の管理権限を持つピラミッド型の構造になっているわけだ」


 迷宮都市世界群は蟲世界群の一部分であり、その蟲世界群も龍世界群の一部分である。そして、おそらくは無量の貌はそれより大きな世界群の管理権限を有している。ベレンヴァールやフィロスの件から想像するに、奴の《 名貌簒奪界 》はその支配の及ぶ世界限定で作用するものなのだろう。

 情報がないために分かり辛いが、地球もどこかのピラミッド構造に含まれてはいるはずだ。

 この構造はその世界の管理者がより上位の権限を持つ事によって入れ替わる可能性が残されている。



□貌世界群(管理者:無量の貌/詳細不明)

├□貌世界根幹地(詳細不明)

├□龍世界群(管理者:皇龍/蟲世界、迷宮都市を内包する)

│├□龍世界根幹地(迷宮都市と回廊が結ばれた星を含む宇宙)

│├□蟲世界群(管理者:ネームレス/迷宮都市世界を内包する)

││├□蟲世界根幹地(詳細不明)

││├□迷宮都市世界A(管理者:杵築慎吾/星の崩壊しない世界)

││├□迷宮都市世界A'(管理者:杵築慎吾/星の崩壊する因果が流出した世界)

││├□迷宮都市世界∀(管理者:杵築慎吾/渡辺綱の改変途中で死亡した裏の世界)

││├□迷宮都市世界B~(管理者:なし/遠い平行世界)

││└□その他複数の世界

│└□その他複数世界

└□その他複数世界


【構造不明】

□剥製世界群(管理者:剥製職人/上記世界群に含まれないか更に上位)

□魔人世界(管理者:なし?/上記世界群に含まれない/少なくとも貌世界群の外側に存在)


□地球世界A(管理者:なし?/唯一の悪意+αが襲来/滅亡)

□地球世界B(管理者:なし?/おそらく平穏無事)


「また、各ダンジョンマスターが誕生した世界は根幹地と呼ばれ、ダンジョンマスターが死亡した時点で消滅すると。……ここまでで、なんか矛盾あるか?」

「ないんじゃないかね。ここで得た無限回廊準拠の知識から見ればだから、実際のところは間違っている可能性だってないわけじゃないけどね。あたしは異世界とやらに行った事もないし」


 今まとめている情報は俺だけが把握したものではない。この無限回廊虚数層に残された情報、及びこの婆さんから得た知識を元にしている。説明の体で話してはいるが、半分は確認のようなものだ。


「伝説的な天才魔術士様でも分からない事はあると」

「何当たり前の事言ってるんだい。なんでもかんでも知ってたら、魔道の深淵を求めてこんなところに来ちゃいないよ。魔術にせよ人生にせよ、知らない事を知るから面白いのさ」


 要点だけを抜き出せば、それはあの龍人ゲルギアル・ハシャに通じるものを感じるが、果たしてそれは同じものか。

 俺にはまったくの別モノに感じられるな。




-2-




「さて、舞台設定の次はここで何が起きたのかだが……今回の一件は、大元の大元まで遡れば唯一の悪意と呼ばれる情報生命体が引き起こし続けている災害の一部って事になる。もっとも、唯一の悪意ってのも皇龍がそう呼び始めただけで本来の名前じゃないけどな」

「無限回廊二〇〇〇層の管理者だったね。そこまで深層になると、ここからじゃ情報を追うのも難しいけど」


 唯一の悪意だけではなく、無量の貌にせよ剥製職人にせよ、個体を識別するための名前を持たない存在は多い。ネームレスもそうだ。


「唯一の悪意は出現し、そこに在るだけで、その世界に存在するすべてに悪意の芽を植え付ける。有機物、無機物問わず、ひょっとしたら概念的なものまで含めて、その者にとっての悪意を呼び起こす超災害だ。囚われたが最後、自分自身を含めたすべてが悪意に塗れた敵性体と化す」

「傍迷惑な存在だね」

「いるだけでその世界の文明が消滅するんだから、迷惑極まる話だな」


 傍迷惑で済ませてよい存在ではないが、実態を知らないのだからそういう感想になるだろう。実体験した身としても、これ以上を言葉で説明するのはなかなかに難しいし。


「俺が前世で住んでいた地球……この舞台定義なら地球世界Aは、この唯一の悪意が出現した事によって事実上の滅亡を迎えた。同じように龍世界、多分貌世界、剥製世界も唯一の悪意の出現によって滅亡しているはずだ」


 唯一の悪意がもたらしたものはあくまで"事実上"の滅亡ではであるが。


「あたしも小国レベルなら滅ぼした経験はあるんだけどね」

「何故そこで張り合う」


 この人の場合、冗談でなさそうなのが怖い。敵対した国があったら普通に滅ぼしてそうだ。


「ところで、その唯一の悪意が出現しなかった地球世界Bが存在するという根拠は? 在るだけで滅亡するような奴なら、周りの世界群をまとめて滅ぼしていてもおかしかないだろう?」

「ダンマス……杵築新吾が迷宮都市に召喚された時点で、召喚元の地球は俺たちが滅亡を体験した時系列よりあとだったらしい。もちろん確定じゃないが、少なくとも時系列上の差異は存在する。あとは……あとで説明する奴の目的から考えれば、それは無意味に等しいからってのもある」


 よしは多様性の問題だ。唯一の悪意の目的からして、同じような世界を複数壊すのは効率的とはいえない。


「つまり、唯一の悪意の行動はまったくの無差別じゃない。ある程度は法則が存在するって事なんだろうね」

「実際のところは分からないが、その世界を含めた世界群をまとめて滅ぼすんじゃなく、ターゲットは絞られているように感じるな」


 同じように滅んだ龍世界にしても、滅亡しなかった平行世界は存在しているはずだ。あの世界でダンジョンマスターが誕生した時点で可能性は収束している以上、近しい可能性ではないにせよ。

 ……唯一の悪意もそうだが、同じように無量の貌だってなんらかの指針を元に出現してる可能性はあるだろう。


「次は話に少し出た唯一の悪意の目的だ。奴の目的は、端的に言ってしまえば自己の消滅……らしい。奴は複製体のようなものを使って自分を滅ぼし得る存在の前に現れるんだが、その際にご丁寧に説明してくれる」

「それが虚偽である可能性は?」

「個別に説明しているとはいえ結局は自己申告に過ぎないから、当然だがある。ただ、複数の相手に同じ事を言っているって証言はとれている」


 俺と皇龍、あとは会話の内容から察するにゲルギアルも同じ事は言われてるはずだ。


「更に大元の原因……何故わざわざ殺されるように仕向けているのかは不明だが、存在の根底に関わる部分で自殺ができないようになっているとか、そういう理由なんだろう」


 推測に過ぎないが、三原則を破れなかったロボットとか、そういう独自のルールに基づいて行動していると考えれば理解できなくもない。同じ人間だって分からない事は多いのに、まったく別の概念から生まれた存在の行動原理など推測できるはずもない。


「自殺できないのか、それ以外の理由があっての事かは不明瞭だが、とにかく唯一の悪意はその手段を自分以外のところに求めた。それが、俺たち因果の虜囚だ。今回の特異点を作り上げた事実上の原因だな」

「坊やが主に裏で描き上げた構図って話じゃなかったかい?」


 なんでもかんでも俺のせいにして終わらせるつもりはないぞ。あんた相手にもそんな事言った覚えねーし。


「俺のせいでこうなったのは間違いないが、計画したものでも誘導したものでもない。先の見えないどん詰まりが生まれたのは、あくまで偶然。俺の悪足掻きが極まった結果というならそうかもしれないがな」


 だが、意味不明な特異点が生まれたからこそ逆転の目が残されている。

 ……逆転の目が残されてしまったからこそ、それを利用しようと取り返しのつかない大量の犠牲を積み上げてしまった。


「今回、関わって来た因果の虜囚は俺を合わせて六体。龍世界群の管理者である皇龍。同じく龍世界出身の龍人ゲルギアル・ハシャ。ゲルギアルに合わせるように出現した無量の貌。この状況を外側から観測しつつ後々の目的に繋げようとした剥製職人。迷宮都市世界∀の地下深くに封じられつつ、タイムリミットが来たら星を崩壊させるべく動き出すイバラ。そして俺、渡辺綱だ」

「一人だけ格下感が拭えないね」

「うっさいわい」


 んな事は分かってるんだよ。だから他の連中よりも無茶を強いられ、多大な代償を要求されるのだ。

 矮小な人間が化物連中と張り合うのだから無理があって当然。ましてや、唯一の悪意を滅ぼすのなんて夢のまた夢だ。

 だからといって引けない。引けないからここにいる。


「この因果の虜囚六体それぞれが今回の一件における陣営と言っていい。協力関係にある俺と皇龍以外は基本的にバラバラに動いている。ついでにいうなら、それ以外の主要関係者……迷宮都市やダンマスたち、龍世界の龍たちも俺や皇龍と同陣営って考えていいだろう。つまり五つ巴だな」

「ようするに、坊やたち以外は単体でそういう組織立った連中をまるごと相手にできる存在って事だね」


 俺たちっていうか、俺だけだな。皇龍もそのカテゴリで間違いなさそうだし。


「単純な戦闘力でいうならウチのダンマスが群を抜いてるが、そういう単純な構図じゃない上に、因果の虜囚はどいつもこいつも一筋縄ではいかない格上殺しばかりだ。ダンマスでさえ必勝とは言い難い戦局を生み出すだけの切り札を持っている。ただし、それだけである保証はないし、確認できたものでも表面的な部分でしか把握できていない」


□無量の貌:天体規模の質量と無数の手駒。対象の名前と顔を簒奪、存在自体を抹消した上で自己へ取り込む《 名貌簒奪界 》。

□ゲルギアル:世界を任意の概念で限定的に上書きする《 宣誓真言 》。汎用性・応用力が極めて高いが制限も多い。

□イバラ:《 暴食の右腕 》。未確認だが、あらゆる防御を貫通し、捕食する。

□皇龍:衛星規模の質量。詳細不明だが、《 宣誓真言 》で殺されても滅びていない以上、なんらかの能力は保有。

□剥製職人:不明。対象を観測するための観測器を創り出す能力のみが確認済。


「……書き出してみると、改めて頭おかしい連中って実感するな」


 どーすんだよこれって奴しかいない。


「足りないよ。坊やはどうなんだい? いくら格下だからって、なんの見通しも立たない状況で自殺しに行くわけじゃないんだろう?」


 当たり前だが、やっぱり突っ込んでくるよな。


「ああ。ひどく限定的で使い所に困る力ではあるが、対抗用の力は用意してある」


 ロクでもない動機、ロクでもない経緯で得たロクでもない力だが、戦力差を補って余りあるポテンシャルは秘めている。

 ただし乱用はできないし、してはいけない。発動の前提条件は緩いものの、行使できる回数や規模には限りがある。その上補給はできない使い捨てときた。


「あんたに隠しても仕方ないから説明するが、俺の切り札は因果改変能力だ。あらゆる事象を因果律ごと捻じ曲げ、書き換える事ができる。《 土蜘蛛 》と名付けた」

「大体想像つくけど、因果の捕食能力はどこへ消えたんだい?」


 察しがいいな、糞ババア。

 出会ってからこれまでの限定的な説明で、このババアはどこまで察しているのだろうか。直接的にでなくても、断片的な情報さえあれば、どれだけ超常的な事だろうとある程度は読み解いてくるだろう。本物の魔術士とはそういうものなのだ。


「残ってはいるが、《 土蜘蛛 》に変質して改変能力に特化された時点でほとんど失った。少なくとも世界丸ごと食うなんて事はもうできない。基本的には今あるものだけ、補給ナシの勝負になる」

「……だろうね」


 どのみち、この一件を乗り越えたあとは行使するつもりのない力だ。使い切って終わりの能力である。

 自覚し、目を向けてしまった以上、世界を食らうなんて所業はもうできない。




-3-




「続けて、その《 土蜘蛛 》も絡む、今の状況に至る経緯だ」

「渡辺綱の原罪って奴だね」

「……そうだ」


 今の状況を創り上げた大元の原因を辿れば、それは当然唯一の悪意だろう。しかし、それは遠因に過ぎず、直接的なものはすべて俺……いや、"この渡辺綱"が原因といえる。そこから発生したものすべてに責任を負うつもりはないが、根本を見ればやはりそこにいるのは俺なのだ。


「話は俺の前世に遡る。唯一の悪意が出現し、滅亡を待つだけとなった地球世界Aにおいて、俺は無限回廊の狭間へと足を踏み入れ、唯一の悪意と邂逅した」

「そこで因果の虜囚になったって事かい?」


 普通に考えるなら、そういう経緯になると思うだろう。だが、実際のところはもう少し複雑だ。


「……違う。あいつが求めるものは自らを滅ぼしてくれる強者だ。いくら強い因果律を持つ人間とはいえ、あまりに脆弱な存在に資格はないと判断したらしい」


 当たり前だが、前世の渡辺綱もただの人間だ。無量の貌やゲルギアル、皇龍などと比べれば存在そのものが矮小といえる。

 無限回廊で鍛え上げたあとならばともかく、そんな者が自分を殺せるはずがないと考えてもおかしくはない。将来的な成長を期待するにしても、基本的なスペックが低すぎる。


「そこに至るまでですでに半死半生。全身が悪意によって人ではないものに変質し、左腕に至っては原型を留めないほどの異形と化している。それを引き千切って武器にして戦い、ようやく辿り着いたような存在だ。そのまま死に絶えて終わるのが普通だろう」

「サラっと言ってるけど、坊やも大概無茶苦茶やってるんだね」

「便利だからって、弟子の目玉抉って入れ替える奴には言われたくない」


 無茶苦茶やってる自覚はあるが、目の前の婆さんだって大概なのだ。


「しかし、あとはただ死ぬだけっていうそんな状況で、あいつは俺に"チャンス"を与えた。因果の虜囚っていう復讐者へと堕ちるチャンスだ」

「その心変わりはどういう理由からだい?」

「知らん。一度不要だと判断したものを拾い直す……ただの気まぐれか、俺には理解できない超常の理論があるのか、あるいは最初からそのつもりだったのか。……俺に分かるのは、奴に復讐するための機会が本人から与えられたって事だけだ」


 復讐を果たすための武器でさえ、仇から与えられる。それほどに脆弱で矮小な存在なのだ。


「死に瀕した俺に対し奴は言う。基盤が脆弱ならば他所から力を集めて強くなればいい。そのための器官をやるから、お前は世界を食らえと。……滅亡寸前の世界を前に、トドメを刺して自らの糧にしろと。そうすれば、最低限舞台に立つだけの資格は得られるだろうと」

「……回答は?」

「当然だがノーだ。魂レベルで刻まれた悪意を前にしても、そこまでの罪を重ねる事はできなかった」


 どれだけの苦痛でも受け入れる覚悟はあった。どんな理不尽でも飲み込む覚悟はあった。

 だが、結局のところそれは俺自身限定の事で、他者の存在そのものを食らってまでという覚悟ではなかったという事だ。


「しかし、坊やは因果の虜囚としてここにいるね」

「……一時的に断っても、結果として俺は受け入れてしまった。世界に終わりをもたらすトリガーを引いてしまった。救いがないのは、引かされたのではなく自らの意思で引いた事。誘導された結果であるにせよ、自分の意思で引いたって事だ」


 唆したのは唯一の悪意だ。しかし、トリガーを引いたのが俺自身の意思である以上、その罪は俺が背負うべきものだ。

 可視化されるようになった《 原罪 》ツリーの《 デストラクション・トリガー 》はその戒めのようなものなのだろう。


「まずあいつは、俺が死んだあとに生まれ変わってどんな人生を送るか……転生後の姿を見せた」

「この表でいうところの迷宮都市世界Aの渡辺綱だね」

「そうだ」


 元々の原型で、今はもう影も形も存在しない世界。俺が消し去ってしまった世界だ。


「平穏無事とは言い難いが、充実した人の生だ。冒険者なんていうハードな職業ではあるが、生命の保証があって、生活水準は高い環境、同じ冒険者の嫁さんがいて、子供が生まれて、そこそこ長生きして満足して死ぬ人生だ。……そんな、前世で何があったのかも忘れてただ幸せになる自分を、お前は許せるのかと問いかけてきた」


 魂に刻まれた悪意は呪いのようなものだ。価値観を狂わせ、人としての根幹を汚染する。


「俺は来世の渡辺綱を憎悪した。許せなかった。幸せな人生を突きつけられて望んだのは尚復讐だった」


 それが他人であるならいい。他ならぬ自分自身であるからこそ、看過できなかった。


「だが、それだけで目の前の世界にトドメを刺せるかっていえば、そんな事はない。俺に引き金を引かせた理由は別にある」


 来世の自分と目の前の世界は別物で、天秤にかけるようなものじゃない。

 あいつが俺に来世を見せたのは、引き金を引かせるためではなく、もっと別の……あとにこの復讐心を更に純化させるための一手なのだろう。


「……なるほど、坊やに引き金を引かせたのは地球世界Bって事かい」


 想像以上に勘がいいな。


「……大正解だ。奴は、俺の回答が否であれば、是と答える渡辺綱を探すと言った。つまり、引き金を引く俺が現れるまで近しい平行世界を壊し続け、問い続けると」

「坊やがやらなくても他の渡辺綱がやる。やる渡辺綱を探す。それまで破壊を続けるって事かい。外道ってレベルじゃないねえ」


 無差別に世界を壊して自分を殺す存在を創ろうっていう意味不明な奴に、人間の……生物の倫理を説いても意味がない。


「それで完全に詰み。この俺は是と答えてしまった渡辺綱ってわけだ」


 唯一の悪意の言葉が真実である保証はないが、少なくとも脅迫内容をそのまま実行できる力がある。

 俺が脅迫に屈して引き金を引いたアタリなのは間違いないが、俺が最初である保証もない。


「食らうために与えられた力は獣の姿を形取り、俺の意思通りに世界を食らった。食うっていう文字通りの……物理的な意味だけではなく、そこにまつわる因果を含めての暴食だ。ただし、取り込んだ因果を伝わって逆流してきた世界の悪意をモロに浴びた俺は精神崩壊を起こし発狂。同時に影響を受けた左腕は更に変質を起こし、俺を食らい、結果イバラが誕生した。……こうして因果の虜囚渡辺綱が迷宮都市世界に転生し誕生するって結末だ。……いや、それからの事を考えるなら、これが始まりといえる」

「なんとまあ……言葉もないね」


 あとから考えるなら、大人しく死んでおくのが最良の選択だったのかもしれないが、そんな事が分かるはずもない。

 藻掻き、足掻いた結果が更なる悲劇なんて、あまりに救いがない。


「愚か者が引き起こした惨劇はまだまだここからだぞ。だが、どうだ? 手助けする気がなくなったりしたか?」

「確かに大罪人もいいところだね。それも、あたしの長い人生の中でも想像が付かない規模の」


 こんなのが大量にいたら大変だがな。普通なら、幻滅どころか全力で距離を置きたい相手だろう。


「ただ、あたしにゃあんまり関係ないね」


 しかし、予想していたのとは裏腹に、返ってきたのは軽い言葉だった。


「意外かい? あたしの前に立ちはだかって邪魔をするというならともかく、直接的にはまるで影響はないからね」

「俺が被害をもたらし、改変し、このままだと崩壊するのはあんたの故郷でもあるんだが。加えて、愛弟子とその娘の未来をブチ壊してるんだぞ」

「弟子に関しちゃ、《 魂の門 》の術式を渡した時点で免許皆伝。あとはあの子の人生さ。あたしが口出すような事じゃない。改変したっていう世界に関してもあたしにゃ関係ない部分だろうしね。それに、星が崩壊する云々は、あんたが止めるつもりなんだろう?」

「そりゃまあ、そうだが……」


 ドライ過ぎねえかな、この婆さん。


「あたしの価値観が真っ当であるなんて言わないし、思ってないよ。魔術士なんて大小あれどみんなおかしな連中ばっかりだからね。けど、そもそもあんたを責める資格があるのは食われた世界の住人であって、あたしじゃない」

「しかしだな……」

「あんたは責められたいだけだよ。贖罪すべき相手ごと食らってしまったが故に、糾弾してくれる代理人を求めてるに過ぎない。あたしゃそんな意味のない役目はゴメンだね。他をあたりな」

「そんな事は……いや、誤魔化しはやめだ。確かにその通りなんだろうな。……悪い」


 自覚もあった。いっそ、誰かに殺されたいとも。しかし、それは俺が最もやってはいけない逃避なのだろう。


「なら続けな。まだ状況の整理すら終わってないんだからね」


 ……くそ、すげえなこの婆さん。




-4-




「そうして俺が因果の虜囚として転生した時点で、迷宮都市世界Aは迷宮都市世界A'へと変質した」

「定義に従うなら、その時点で星の崩壊が決まっていたって事かい?」

「経緯や時系列は俺も把握できていないが、俺に対するタイムリミットとしてイバラが送り込まれたのは確かだ。つまり、俺とイバラはセットで考えないといけない」


 因果の虜囚である渡辺綱がいるのなら、同時にイバラも存在しているはず。

 俺が生まれた瞬間から、迷宮都市世界は星の崩壊に向けてのカウントダウンを始めたのだ。


「そして、まったく別の視点から、この状況に便乗して改変を試みた奴がいる」


 脳裏にユキの顔がチラつく。


「……因果の虜囚、剥製職人。こいつは俺が円滑に、効率よく改変を行うべく助っ人を送り込んで来た」

「そいつの目的は?」

「俺……というか、成長後の俺を剥製にしたいんだとさ。この助っ人……ユキも、成長を期待しての援護のつもりらしい」

「……これまた理解できない価値観の持ち主だね」


 まあ、現時点でもほとんど詳細の分かっていない相手だしな。詳細知っても理解できそうにはないが。


「とはいえ、剥製職人の介入は極わずかだ。どうも、基本的に本人は前に出ず、最小限の介入で最大限の効果を期待するってスタンスらしい。ユキも元々迷宮都市世界の住人で、転生によって失うはずだった記憶を残されただけって話だ」


 しかし、たったそれだけの事で状況は激変した。


「実際、ユキの存在があった事で俺の成長速度は増し、その延長線上で迷宮都市全体の意識改善にも一役買っている。最も決定的なのは異世界のダンジョンマスターとの邂逅だ。ラーディンとの戦争を通じて無限回廊第二〇〇層管理者のネームレス、そのネームレスを追って第三〇〇層の皇龍と接触を果たす。そして、それはあまりに巨大な差異となった」


 剥製職人が誘導したのはネームレスではなくベレンヴァールとの邂逅だった可能性もあるが、真相は分からない。

 どっちもかもしれんが、どちらもついでであった可能性もある。


「おそらく、星の崩壊……イバラの覚醒っていうタイムリミットへ備えるために、《 因果の虜囚 》とユキの存在が誘導した結果なんだろうが、俺を成長させるための試練は他の因果の虜囚を巻き込む事態へと発展した。表面上だけ見れば、それぞれがそれぞれの思惑で動いた結果だが、より効率的な試練を求めて因果を誘導されていた可能性は高い」

「その結果が五つ巴ってわけかい」


 どこまでが俺の……剥製職人の意図した結果なのかは分からない。あるいは相乗効果が発生した結果、暴走して決して抜けられぬ袋小路に追い込まれた可能性もある。事実、剥製職人はこの五つ巴の終盤で観測を放棄したのだから。


「一応、五つ巴のそれぞれの勢力がどういう思惑で動いていたかも整理しておきたいところだね」

「そうだな。……それを説明するには、俺たち因果の虜囚の仕組みに触れる必要がある。説明した通り、因果の虜囚は唯一の悪意を滅ぼすという共通の目的を持っている。ただし、あくまで自分が唯一の悪意に引導を渡す事が前提で、自分以外の存在がそれを成す事を良しとしない」


 例外はゲルギアルだが、思惑や目的はともかくその道筋は同じと考えていいだろう。


「だから、究極的にはお互いにお互いの存在を許容できない」

「協力関係っていう、あんたと皇龍も?」

「今のところ争うつもりはないが、最終的な目標が一つである以上は相容れないな」


 そこまでの道のりが遠過ぎるから、今は気にするような事でもないが。


「俺と皇龍だけじゃなく、俺たちは基本的に相容れない。必ずどこかで利害がぶつかるようにできている。その仕組みを利用したのか、それとも登竜門的な試験として用意したのかは分からないが、因果の虜囚それぞれには敵対する対存在が存在する。皇龍に対するゲルギアル、俺に対するイバラのように最初の敵として創り出された奴らだ」


 ゲルギアルは元々存在した龍人であるが、皇龍が因果の虜囚になる際に死亡して新生しているし、イバラは前世の渡辺綱の左腕が変質したものだ。それぞれに合わせた敵として、争い合う事を義務付けられて誕生した。


「剥製職人と無量の貌は?」

「分からん……が、おそらくあいつらはその段階はすでにクリアしているんだろうな」


 あれだけの力を持った連中が、最初の宿敵すら倒していないというのは考え難い。


「対存在は因果の虜囚に用意された最初の敵であり、登竜門であり、同じ因果の虜囚でもある。殺し合ったあとは残ったほうが継続して役目を果たすようにできている。ゲルギアルは皇龍を滅ぼすべく現れたし、イバラもまた俺を滅ぼそうとしている。この二対は完全なる敵対関係と考えていい」


 イバラの場合はもっと回りくどい、面倒な構図だが、構図としては同じだ。


「この五つ巴は、本来俺とイバラ、皇龍とゲルギアルの戦いで、それに便乗したのが無量の貌だ。剥製職人は勢力として存在していても基本的には観測しているだけで直接的に関わってくる事はない。無視はできないが、対峙するとしてもこの状況を乗り切ったあとの事になる」


 一度観測をやめたように、このままフェードアウトしてくれればいいんだが、そうもいかないだろう。


「つまり、今回どうにかしないといけないのは、あんたの対存在であるイバラとゲルギアル・ハシャ、そして無量の貌って事になるね」

「突っ込んでいうなら、皇龍とゲルギアルの戦いも本来俺たちとは切り離して考えるべきなんだ。ゲルギアルが龍すべてを一括りにして考えているのと、俺たちが龍世界……皇龍の根幹地にいた事で無視できなくなっているが」


 無関係とはいわないが、その関係に口を出すのは筋違いで、本人たちもそう思っている。

 もちろん俺としては皇龍の味方だし、その過程で空龍や他の龍が巻き込まれるのは看過できないが、関係ないところで決着をつけるというのならどちらが勝っても文句は言わない。文句が"ない"ではなく"言わない"ってだけだが。

 争うなら周りに迷惑かけるんじゃねーよと言いたいところではあるが、俺が言うと冗談にもならんな。


「そんな構図で五つの勢力がぶつかり合ったわけだが……その結果は俺たちの完膚なきまでの敗北だ。皇龍は完全ではないもののゲルギアルに敗北し、ついでに俺もぶっ殺された。俺が死ぬ事をトリガーとしたイバラは復活し、眼の前にいたダンマスの嫁さんを殺害・捕食。それを目の当たりにしたダンマスは暴走して星が崩壊する。剥製職人は早々に見切りを付けて観測を終了した。便乗した無量の貌は大暴れで、龍世界の龍と現地に赴いた迷宮都市の冒険者はほとんどが顔と名前を簒奪された。どこからどう見ても終わっている。九回裏ツーアウトどころじゃなくゲームセットだ」

「九回裏……? ああ、野球ってやつかい。分かりづらいよ」


 むしろ、なんですぐに返せるんだよと突っ込みたい。




-5-




「で、あんたはそれでも諦めずに足掻いていると」

「諦めが悪いのが性分なんでな。……確かに俺たちは完膚なきまでに敗北した。跡形も残らないほどの大敗北だ。だが、俺は精神体だけになってもまだここにいる」

「それにしたって極まり過ぎだろうにね。まあ、そういうのは嫌いじゃないよ。リリカもそういうところに惹かれたのかね」

「……やめろ」

「やめないよ。今のはただの不意打ちだけど、それはあんたがずっと背負っていかなければならないモノだ。忘れるんじゃないよ」

「…………」


 ……そんな事は分かってるんだよ。


「で、どうやってここから引っ繰り返すつもりだい?」

「残り滓のような俺に残されたのは、過去の罪が積み重なったモノだ。因果改変能力に必要な力は、俺が向き合えてない間も自動的に周囲の因果を捕食し続け、蓄積されていた。同一の可能性とは言い難い遠く離れた平行世界や、迷宮都市世界から分岐した可能性を無限回廊が消滅させる前に割り込んで食らったりな。その蓄積された罪の塊が俺の最後の切り札だ」

「因果をどう改変して収拾をつけるつもりだい? まさか、あんたが生まれないように改変するって頭悪い話じゃないだろうね」

「それはできない」


 それができるなら、それでもいいような気もするが……いや、できたとしても無責任極まるな。


「特異点って言ったのは比喩でもなんでもなく、因果の虜囚六体が絡む異常事態によって強固な因果を固定されてしまった。それ以前に遡って手を加えたとしても、なんらかの形で無理やり似たような事が起きる」

「無量の貌は暴れまわり、龍世界は滅び、迷宮都市世界はイバラが覚醒して星が崩壊、その因果が平行世界に流出すると。どこまでが範囲か分からないけど、どのみち未来はないね」

「改変を加えるなら特異点の発生直後だ。そこから発生するすべてをなかった事にする」


 壊れたゲーム盤の代わりを、積み重ねた罪で創り直す。


「言葉にしたら簡単に聞こえるが、そう簡単にいくのかねえ。強固な因果で固まった特異点なんだろ?」

「もちろん容易じゃないし、成功する確率だってわずかなもんだろうな」


 《 土蜘蛛 》は強大な力だ。無数の世界を飲み込んで蓄えられ、因果改変能力に変換されたそれは、他の因果の虜囚が持つ力でさえ霞むほどの力を秘めている。しかし、それだけの力で以てさえ特異点を丸ごと改変するには足りない。

 元々、効率の悪い力なのだ。自然発生した1を改変するのに、3も4も10もエネルギーを消費する。強固な因果で固まった特異点に手を出すのなら、もっと非効率的な取引になるだろう。


「特異点を特異点足らしめているのは、因果の虜囚の行動とその結果に集約される。それらが楔になって、全体の改変は阻まれる。……なら、この楔を集中して取り除いてやるより他はない」

「……ふむ。どうやってか聞こうじゃないか」

「取り除くべき楔は主に三つ。イバラによる那由他さんの殺害という結果、ゲルギアルによる皇龍殺害、無量の貌によって簒奪された名前と顔だ。厄介なのは簒奪された顔と名前で、おそらく奴の内部にまで入り込んで取り除く必要がある。だから俺が直接乗り込んで奪還、時系列を操作したあとにゲルギアルやイバラの……」

「駄目だね」

「は?」


 説明の途中で、それを遮られた。


「いや、確かに無謀なのは百も承知だが、特異点をどうにかしないといけないのは変わらない。だからこそ、この虚数層でその確率を上げるための相談をだな……」

「あたしが助力するのは構わないよ。そこは合格としてもいい。だけど、それ以外は……」


 周囲の気配が一変した。景色が歪み、今までそこにあったものが書き換えられる。


『不合格だね』


 先ほどまで座っていた椅子やテーブル、大量に鎮座していた書籍類が影も形もなく消え失せ、ロクに視界も確保できない猛吹雪に襲われた。

 実体があるわけでもないのに……いや、だからこそ吹雪は魂を直接凍てつかせてくる。


「さ、さささささ……」


 あまりの急展開に言葉を失う。想像すらしていなかった環境の激変に意識が対応できていない。ぶっちゃけ、めちゃ寒い。


「お、おいっ!! リアナーサっ!! てめえこの糞ババアッ!!」

『ああ、糞ババアだよ。覚えておきな、ツナ。長く生き過ぎたババアなんてのは、大抵お節介なのさ』


 吹雪の向こう側から聞こえてくる鮮明な声。それは、これが突発的な事態による転移などではなく、人の手による……おそらくは幻術のようなものだと確信させた。


『人の身には余りある大罪を受け入れ、自らのやるべき事が鮮明になったこの状況で尚、あんたの目は曇っている』

「俺がやろうとしてる事が間違ってるとでも言う気かよ!」

『目的は間違っちゃいない。手段も無謀ながら仕方ないと妥協できる範疇。だが、そこに至る道筋がまるでなっちゃいない。ババアがプランの叩き台作ってやるから、あんたはそこで少し頭冷やすんだね』

「…………」


 くそ、分かってはいるんだよ。俺が間違っている事も、何が間違っているのかも。原罪を受け入れて頭茹だってるのだって自覚してる。


「……分かったよ。分かったから、とりあえず吹雪止めてくんない? めっちゃ寒い」

『駄目だね』

「分かった。糞ババア呼ばわりは謝る。これからはお姉様と呼ばせて……」

『呼び名なんて気にしちゃいないよ。ジジイにババア呼ばわりされたら殴るけどね』


 あのー、こんなところに放り出されたままじゃ、もの考える余裕なんてないんですけど。


『それはあくまで魔術的に創り出された精巧な幻影に過ぎない。魔術的な干渉で無効化できる類のものだから、自力でなんとかしな。これからやろうとしていた事に比べれば屁でもないだろ?』


 いや、まあそれはそうなんだが……。

 それはつまり、根本的な対策ができていなければ、《 アイテム・ボックス 》から防寒具出して着込んだとしても無意味って事なんじゃ……。実際、俺の体は芯から凍えている。元々、多少の環境変化はものとしない精神力は持っているつもりだし、冒険者の身体スペックなら、吹雪を耐えるくらいなんともないはずなのに。


『《 魂の門 》で受けるはずの魔術的な試練はすっ飛ばしてるみたいだから、その代わりとでも思いな。本物に比べたらヌルいヌルい』


 と残して、声が途切れた。俺はただ一人吹雪の中に取り残される。


「おのれ……ババア」


 ……まあいい。この短時間でも、如何に俺が駄目な思考をしていたか思い至っている。

 ここはあの超魔術士の助言に従って、この状況をどうにかしてみせよう。




-6-




 手にしたスコップで雪を掘る。掘った雪を積み上げる。

 手にしたスコップで雪を掘る。掘った雪を積み上げる。積んだ雪の形を整える。

 手にしたスコップで雪を掘る。掘った雪を積み上げる。積んだ雪の形を整える。中に入る。


「うむ、完成だ」


 適当極まりない造りではあるが、カマクラが完成した。

 こんな時に何やってんだって感じがしないでもないが、別に遊んでいるわけではないぞ。


 いきなり過ぎてビビッたが、あのババアがやっている事は正しいのだろう。

 ここに至る状況を確認し、整理し、考察し、来るべき逆襲の方法について検討し、駄目出しを受けた。代案の叩き台を用意してやるから、その間頭を冷やしつつ魔術的な訓練でもしてろという事なのだ。

 ……というか、俺の何が間違っているかなどとうに理解している。雪掘りしながら色々と考えをまとめてみれば、それが正解なのだろうという事も確信できる。だが、理解しても覚悟は追いつかない。……あれだけの大罪を受け入れ、その上でそれを利用して先に進む事を覚悟したというのに、未だ俺には覚悟できていない部分がある。


「よいしょ」


 カマクラの中で腰を下ろす。精神的なものとはいえ、直接吹雪に晒されなくなっただけでも落ち着いた。寒いのは寒いが、外よりは遥かにマシといえる。吹雪が奏でる轟音だって、カマクラの中からなら風情があるといっていいだろう。ついでに鍋とかコタツが欲しいところだ。……ないものねだりだが。




 あのババア……彼女の名は大魔術士リアナーサ・エーデンフェルデ。正式にはリアナーサ・ファリド・エーデンフェルデというらしい。

 エーデンフェルデの家名から分かる通り、彼女はリリカの縁戚にあたる。というか、数年前に死んだという師匠そのものらしい。

 死んだと思ったリリカの師匠は実は生きて……いるとも言い難いが、こうして存在が残っていたというわけだ。

 師匠といっても、実のところリリカが言っていたような祖母ではない。単に言っていないのか、指摘していないのか、単純に騙しているのかもしれないが、彼女は祖母どころか遥か昔のご先祖様だそうだ。


『こう見えてもエーデンフェルデ王国の第六王女だよ。遥か昔にリガリティア帝国に飲み込まれたけどね』


 ミドルネームのファリドはエーデンフェルデ王国の継承順位を示すものらしいが、正式な意味は聞いていない。重要なのは、エーデンフェルデ"王国"の王女だという事実だろう。

 俺の知るリリカ・エーデンフェルデの出身は大陸西部に巨大な勢力を持つリガリティア帝国だ。その中にあるエーデンフェルデ伯爵領の御令嬢という立場でありながら、何故かド底辺の冒険者をしていたというのが出自であり、実際それは正しい。

 つまり、エーデンフェルデ王国などという国はすでに存在せず、ただの帝国の一領地なのだ。

 では、何故リアナーサ・エーデンフェルデが現代でリリカの師匠などをしていられたのか。

 答えは単純な話で、あの婆さんは異様な長生きをしていて最低でも五百歳以上の高齢者なのだ。タイムスリップして現代にやって来たとか、コールドスリープから目覚めたとか、そういった理由があるわけでもなく普通に長生きしているのである。もはや妖怪といってもいいだろう。純妖精種や竜などの長命種であればそれも分かるが、純粋な人間であるというのもまた驚愕である。


 俺が彼女と出会ったのは体感時間にして数日前の事。

 自らの犯した原罪と、それを受け入れた事による因果の逆流で潰されそうになりつつ、因果の獣を"食らい"、《 魂の門 》の深部へと進んだ俺は第三門の先で迷子になった。そこには、やるべき事があって生半可ではない覚悟を抱いていても、簡単に道を見失うほどの領域が広がっていたのだ。

 元々、《 魂の門 》は第一門の時点で常人が発狂しかねない異常空間だ。第二門になれば現実世界へのフィードバックも発生し、そのまま死に至る可能性すらある。その更に先……第三門が容易であるはずがない。

 本来なら足を踏み入れただけで精神が分解され、魂ごと溶解するような場所だ。魔術的な素養が欠片ほどしかなく、更には《 魂の門 》の術式に用意されていた命綱も存在しない俺がバラバラになるのも当然といえた。

 こんなところで助力もなしに形を保っていられるのは、それこそ常軌を逸したレベルの魔術士だけなのだろう。

 単純に先まで歩いていけば元の体に戻れるなんて楽観的な考えは持っていなかったが、さすがに度が過ぎた異常空間には太刀打ちできなかったのだ。


 そこで、粉々に分解されかかっていた俺を救い上げたのがリアナーサ。

 目を覚ましたのは無限回廊・虚数層と呼ばれる空間。

 なんで自分の魂がそんなところに繋がっているのかは知らないが、幸いにも我を残したまま落ち着ける場所には辿り着けたわけだ。




『ここは無限回廊なのか?』

『一部といえば一部ではあるが、直接的な繋がりはなくへばりついてるだけ。《 魂の門 》と無限回廊が似ているが故かこうして接続する事もあるのさ』


 かつて、エリカがそんな事を言っていたような気もする。


『正数層は攻略している身だし、管理者用のマイナス層に行った事もあるが、虚数ってのはどういう事だ?』

『数学的な意味の虚数じゃないよ。ここは本来なら存在しないはずの空間。だけど理屈の上では存在していないとおかしい空間。故に虚数層と呼んでいるだけの事さ』

『良く分からん』

『無限回廊の中からは決して辿り着けない、外側の空間だと思っておきな』


 ダンマスが行ったっていう、世界の間にあった横穴の先みたいな? 確か狭間とか。


『それはただの未定義空間だろうね。ここはそれよりも外側さ』


 こいつ、直接脳内に……。


『あたしゃ大魔術士だからね』

『そりゃ普通の魔術士よりすごそうではあるが……』


 それなら魔法使いじゃないんだろうか。

 脳裏にチラつくのは、ここに来るまでに踏み台にしてしまった超すごい魔法使いの姿だ。


『魔法使いって言葉はあんまり好きじゃないのさ。……ああ、あの子に合わせて超魔術士とでも名乗ろうかね』


 ……どうやら、エリカとも既知の関係らしい。




 再び外に出て、手にしたスコップで雪を掘る。掘った雪を積み上げる。

 無心で手にしたスコップで雪を掘る。掘った雪を積み上げる。積んだ雪の形を整える。

 手が届かない高さまで積み上げた雪塊の形を整える。……出来上がったのは、不格好な雪だるまだ。


「……やっぱり、芸術的センスは皆無だな」


 魂だけの領域でならあるいはとも思ったが、やっぱり俺にそういうセンスはないらしい。魂レベルでセンスが壊滅的というわけだ。もし多少でも改善が見られるようなら、あのババアをモデルにした全裸の雪像でも造ってやろうと思ったのだが。


 あ、ババアといっても、リアナーサの見た目は妙齢のものだぞ。本人曰く全盛期の肉体が再現されてるとかなんとか。……って、俺は一体誰に説明しているというのか。


 どれくらい時間が経ったのか……そもそも時間の流れが曖昧な空間での体感などあてにはならないが、カマクラの中でじっとしているのに飽きた俺は、再び吹雪の中に飛び出し雪かきを始めた。暇というのもそうだが、ジッとしているよりも何か単純作業をしていたほうが考え事が捗ると思ったためだ。

 吹雪が運んでくる寒さにめげそうになるが、これは精神的なものと誤魔化しつつ手足を動かす。慣れてくればサージェスのように全裸でも問題ないんだろうなと思いつつ、そもそもあいつは寒さに関係なく全裸になる奴だったと思い至りながら雪を掘り、積み上げていく。

 しばらくすると塀ができた。カマクラの外に設けられた外壁である。無意識の内に風よけを造っていたらしい。


「……ふむ」


 少しだけコツが分かった。雪の形を整えた上で、それを氷のような形に変質する事くらいならできそうだ。

 というわけで建材のように整形した雪の板を造り、上手いこと積み上げていく。手が届かなくなれば足場を造り、壊れたら強度を考慮した構造を再度検討する。柱を立て、屋根を造り、無駄に巨大な立体構造を造り上げていく。ただ無心のままに。




『ここでは何ができるんだ?』

『なんでもできるといえばできるし、なんにもできないといえばできない。権限的なものを飛び越えて無限回廊内部に干渉する事もできるけど、それには代償が必要になる。人の身で大それた事をしようとすれば、あっという間に魂がバラバラになって根源へと溶け落ちるだろうね』

『より上位の権限に対しても?』

『理屈の上でなら可能だろうね。まあ、せいぜいが無限回廊を通じて収集された情報を閲覧するのが関の山。無限回廊攻略者ならここを利用してショートカットを考えそうだけど、正数層はかなり強固なセキュリティに阻まれている。管理者に開放されたマイナス層はまだ緩いんだけどね』

『……二〇〇〇層とかは?』

『そこまでいくと、情報収集すらままならないだろうね。触れただけで粉々にされそうだ』


 ここから直接元の……俺が改変した裏世界に戻る事はできない。……できないが、その道標を用意する事くらいはできるという。

 特異点の、俺が生きていた時点まで時間を遡れば改変作業を開始する事もできるだろう。

 俺はそのための助力をリアナーサに求めた。


『どうせ暇だから構わないよ。どうやらリリカの旦那になる可能性があったみたいだし、無関係とも言いづらいしね。代償は……まあ考えておくよ』


 断られて当然の願いはあっさりと受け入れられた。言葉以上に彼女にも何かしら思惑があるのかもしれないが、今はただ感謝するより他はない。なにせ、こっちはリアナーサ・エーデンフェルデが本物であるかどうかの確認すらままならないのだから。


 事情を説明し、より良い解決策を模索すべく話し合った。

 ついでに、彼女の波乱を極める人生を聞いて、リリカから聞いていた以上の変人である事を理解した。

 そうして、いまいちまとまっていなかった情報を説明の体で解説。今に至る。




「えっほ、えっほ、えっほ」


 雪を掘る。雪を積む。そうしていると、語感の関係からか眼の前にある大量の雪がユキの裸体であるかのような妄想に囚われた。

 体勢のせいで上手いこと局部が隠れてしまったユキが絡み合うピンク色の構図である。

 気がつけば、謎の雪像が立ち並ぶ意味不明な空間が誕生した。冷静になってみれば俺の芸術センスでユキの像は作れない事は分かるのだが、作業中は妄想力だけでカバーするのである。


「……何やってるんだい、坊や」


 そんな光景を見れば、雪原に突如現れたリアナーサが呆れるのも無理はないというものだろう。




-7-




「とりあえず、あんたに魔術的センスがないのは分かったよ」

「スパコンに手足が生えたような生粋の魔術士連中と比べられても困る」


 この雪原だって、おそらくはそういった修行用として解析し易く創っているのは分かるが、俺にはそこが限界で、そこからどうこうする技術や才能はない。せいぜい寒さを誤魔化したり、簡単な雪の加工をするくらいだ。

 《 土蜘蛛 》を使えばあるべき可能性の形……ようするに魔術で創られた吹雪自体なかった事にもできるが、誤差のような消費エネルギーでも関係ない事に使用するわけにはいかない。だから、不格好な雪だるまを乱造してユキの全裸像を妄想するくらいしかできないのである。


「あたしのほうでも色々情報を集めた上で聞くけど、あんたの間違いは分かったかい?」

「……俺一人でなんとかしようとしてるのが間違いっていうんだろ」


 戻るためにリアナーサの助力を借りるにしても、作戦上特異点に飛び込むのは俺一人。そこで戦い解決するのも俺一人。そういう考えでいたし、そういう説明だった。確率を上げるためになんでもするつもりだったが、俺は俺自身の犠牲でしか物事を測れていなかったわけだ。


「最初から分かってるのに、認める気がなかったみたいだからね。それで解決するならそれでもいいけど、勝算の低い賭けに向かうにはあまりに無謀だよ。どうせ、世界の命運を賭けた勝負なんだから腹括りな。関係者全員巻き込んで戦うほうがよっぽど確率は高い」

「……それで取り返しのつかない犠牲者が出るかもしれない」

「その犠牲も飲み込んでこその覚悟なんだよ」


 ご尤もですね。


「ただ、まあどうせなら"これ以上の"犠牲者はなしで解決を目指してみな。目標にするだけならタダだからね」

「……ああ」


 すでに取り返しの付かない犠牲は出ている。表の世界……迷宮都市世界A'はどう足掻いても救えない犠牲だし、考え方によってその元になった迷宮都市世界Aだって犠牲だ。……あのエリカ・エーデンフェルデの存在はなかった事になる。


「クーゲルシュライバーに残った冒険者連中を全員巻き込んで、無量の貌に簒奪された名前と顔を取り戻す。そこから改変すれば、簒奪自体をなかった事にもできるだろうな」

「そう。ゲルギアルに関しては振り出しに戻るだけ、イバラに関してはあんたが決着つけないといけないのは変わらないけど、それくらいは分担しな。なんでもかんでも一人で背負うのは間違いだし、背負われるほうもたまったもんじゃないだろうしね。そういうプランを用意したから参考にするといいよ」


 俺がやろうとしてた事は、直接被害を受けた連中に対してでさえ手を出すなと言ってるのと同じだったという事だ。


「あとはコレ、持っていきな」


 リアナーサが俺に向かって何かを放り投げてきた。立てたプランの企画書か何かかと受け取ってみれば、それは見覚えのある光珠。


「《 因果への反逆 》のスキルオーブ?」


 渡したつもりはなかったんだが。


「ちょいとくすねさせてもらったよ。ここから出たら、その珠の導きに従いな。あたしの作った叩き台も放り込んである」

「それが特異点に向かう道標だと?」

「それは別に用意した。それが指し示すのは剥製職人が管理するマイナス層の領域。ユキっていう性別不詳の子がいる座標さ」

「……ユキの」


 説明からは省いていたが、ユキの存在は特異点から逸脱して失われている。

 俺がやろうとした事をすべてクリアしても、剥製職人由来であるユキが戻ってくる事はなかっただろう。


「しかし、座標が分かったところで上位権限者の領域に踏み込むなんて事は……」


 あいつは剥製職人の手がかかった存在だ。どこに消えたのかは分からないが、いるとしてもその管理領域……おそらくはマイナス層のどこかだろう。居場所が分かったところで容易に踏み込めるとは思えない。


「ここは無限回廊虚数層だって言っただろ? 完全な外部や他の管理者層からの干渉には対策があっても、ここからの干渉ならほとんど無防備さ。なんせセキュリティホールみたいなもんだからね。……ひょっとしたら、意図的に創られたバックドアかもしれないけど。幸か不幸か、その座標はマイナス層でもかなり浅い位置にあるしね。直接的な妨害を受けたら分からないけど、その場合は自分でなんとかしな」


 まあ、IT用語に詳しい婆さんだこと。


「あんたが無茶してきたのも、逆に過剰な無茶を止めるのも、その子が最適なんだろう?」


 ……確かにそうだな。


「……分かった。ユキを回収して、そのまま特異点に向かうよ」

「ああ、長居して根源に溶け込まないようにね。ほら、出口用意したからさっさと行きな」


 見れば、乱立した雪像の向こう側に穴が見えた。俺にとってのここは休憩所のようなもので、一時だけ足を止める事が許された最後の場所なのだろう。

 それは暗にリアナーサとはここでお別れという事でもある。はっきりとは聞いていないが、おそらく彼女はこの空間でしか形を保てない。……それが一時的なものかどうかは分からないが、そういった制限がある。


「少しくらい休憩してからでは駄目でしょうか」

「駄目だね。思うに、あんたは考えるよりも行動したほうがいいんだよ」


 出会って数日の相手の事なのに、良く分かってんじゃねーか。


「あんたにはでかい借りができたな……どうやって返せばいいのやら」

「もう一度、自力でここまで来な。そしたら返させてやるよ」


 また、魔術士でもない相手にハードルの高い要求だな。

 だが、道が続けば……向かうべき未来があるのなら、それも不可能ではないはずだ。




 そうして、俺は再び歩き出す。

 壊れたゲーム盤を引っ繰り返し、今度こそ勝利に向かうための茨の道を。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る