第1話「第三十一層の壁」
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「ふむ……」
なかなか悪くない。
シャワートイレ板の情報を漁る事数日、多くの商品から吟味されたこの温水洗浄便座だが評価に違わぬ素晴らしい出来である。
やはり、同好の士がオススメするだけあって、痒い所に手が届く設計だ。その上、遊び心も忘れてない。正に新居に設置する第一号として相応しい出来といえる。
大手メーカーの商品という事で『どうせただ無難なだけの商品なんだろ』と無駄に玄人的な考えを抱いてしまったが、やはり大手には大手である理由が存在するようだ。
平成日本で販売されていた商品も素晴らしかったが、こちらはまた違う技術で作られているため、"何か良く分からないがすごい機能"もたくさんある。
さすがにモノづくりの日本とはいえ、魔法を再現するのは困難だろう。なんとこのトイレは流す必要すらなく、勝手に排泄物を分解してくれるのだ。
だが、『分解したあとの水は飲む事も可能です』というキャッチコピーについては、いくら俺でも試したくない。
最終判断を下すにはまだ早いかもしれないが、少なくとも寮に設置されていた適当な物とは格段にレベルが違う。
あれと同じ世界の商品とは思えない。もはや次元が違うと言っていいだろう。別世界から召喚されたといってもおかしくない出来栄えだ。
きっとトマトさんあたりなら、これを題材にして異世界召喚ものの小説を一本位仕上げてしまうに違いない。
つまりこの温水洗浄便座は召喚された勇者様である。……となると敵役はあの憎きハイパージェットシャワーだな。
そして、俺は体験していない……体験したくもない上位機種、ダイナマイト・インパクトは魔王だ。ラスボスである。
……く、あきらかに外道な相手だというのに、とてつもなく強敵に感じる。勇者様が勝てるビジョンが浮かばない。頑張って、勇者様!
あの日の激痛は今でも夢に見るほど強烈だった。モンスターから受けた痛みよりも遥かに強烈な印象を以って、今尚俺を苦しめる。とんでもない商品だ。
しかも、サージェスについ先日『ダイナマイト・インパクトは買ったのか』と聞いてしまったのだが、あいつの回答は……。
『買うには買ったんですが、来月ノズルが三つになったトリプル・インパクトが発売するらしいんですよ。私が買った直後に発表だなんて、なんて阿漕な商売なんでしょうか』だ。
ダイナマイト・インパクトの下位機種のハイパージェットシャワーですら、いや、その『弱』設定ですら俺には耐え難き苦痛だったのだ。あれの倍、しかもそれが三つの噴射口から襲いかかってくるとしたら、それはもはや常人どころか冒険者でも耐えられる限度を越えているのではないだろうか。
下から受けた水が口から出てきたりしないだろうか。そして、そんなレビューを一体誰がするというのか。知りたくない謎である。
そんな脅威がサージェスの部屋で稼働していると思うと、ただ恐怖を感じるばかりだ。……間違っても使わないようにしたいものだ。可能な限りあいつの部屋に近づかないようにしよう。
とにかく、この商品はアリだな。しばらく使ってみよう。レビューサイトにも書き込みしないと……。
「……なるほど」
こうして使用後にレビューサイトを見てみると、同じレビューでもまた異なった部分が見えてくる。
他人が良いと評価している部分が俺にとってはさほどではなかったり、逆に悪いとされる点が俺にとってのツボを突いてくる点であったりするのだ。勉強になる。
やはり、こういった商品は万人が満足する物は作れないという事だな。俺にとっても良い商品は、自分で探して判断しないといけない。トイレ道は奥が深いものだ。
そんなレビューの再確認を終え、使用感についての書き込みをしようと書き込みページを開こうとしたら、新たに別のレビューが加わった。
インターネットの使用感に慣れているとあまり馴染めないのだが、こういった書き込みもブラウザ更新をする事なく反映される。F5いらずだ。というかファンクションキー自体がない。
新しい書き込みの名前は『アスタ』さんだ。多分*マークから取った名前なのだろう。微妙に卑猥だ。
匿名も使えるサイトでわざわざハンドルネームを入力する人は少ないのだが、こうしてわざわざ入力する人もいる。俺のハンドルネームも『ザ・ロープ』だ。
アスタさんが言うには、俺が購入したこの商品は六十点らしい。随分と辛い評価である。
ただ、指摘している点は俺も気になっていた部分ではあったし、全体的に厳しい内容でも的を射ている。なかなか良い観察眼をしているな。
ハンドルネームにはリンクが張られており、アスタさんは自分のホームページでもシャワートイレのレビューをしているらしい。
本来、トイレという物は簡単に買い換えたりしないというのに、アスタさんのページの商品レビューは数十に及ぶ。
……その量と質には、すさまじい熱意を感じさせる。俺も見習わなくてはいけないな。
レビューだけではない。レビューに際して心掛けている事などについて、簡単なコラムもあった。
彼はトイレを使用する時は必ず全裸になり、外界の音を完全にシャットアウトした上で評価に挑むそうだ。
昔、全裸にならないとトイレを使えないという人がいたが、俺には理解できなかった。だが、これはまさかそういう意味だったのだろうか。
裸一貫で挑み、全身でトイレを評価しようという意気込みだったのだろうか。
……くっ、なんて険しい世界なんだ。俺も今度試してみる事にしよう。
そんな新しく購入したシャワートイレの吟味とレビューを終えてリビングに行くと、ユキが新聞を広げていた。
朝食の時間に朝刊を広げる昭和時代の親父のような姿である。御飯食べるか新聞読むかどちらかにしなさいと奥さんに怒られそうな体勢だ。
「新聞取るのか?」
ユキならネット上で情報を漁る方が早いようにも思えるのだが。
地球のインターネットとは使い勝手が違うとはいえ、ユキはすでに熟練の域に達している感がある。
放っておいたらギルドのデータベースにハッキングして色々情報を抜き取ってきそうな勢いだ。兆候が見られたら注意しないといけない。
「んー、これはさっき新聞の勧誘が来て置いていったサンプルだよ。なんか新しいクランハウスができる度に回ってるみたい。契約件数が取れなくてどうしてもって言うから、サンプルだけもらったんだ」
そうなのか。こっちの世界でも新聞屋は大変だな。日本でもあの手この手で勧誘してきたが、サラダ倶楽部の……誰だっけ? 強面の奴に頼んで追い払ってもらったら、めっきり訪問回数が減ったものだ。
「やっぱり日本の新聞と違ったりするのか?」
「気持ち悪いくらい同じだね。もちろん内容は迷宮都市のものだから違うけど、レイアウトとかそのまま。紙の材質までわざわざ合わせてあるっぽい」
裏から見る限り、番組欄も似た感じだな。どんな番組やってるかいまいち分からないから、あとでそこだけ見せてもらおう。
……というか、四コマまで載ってるんだな。『コーホーちゃん』という、覆面付けて光る剣を持った謎の男が書いてある。狙っている層は良く分からない。
「ユキはそういうのは断るタイプだと思ってたが」
訪問販売とかしても買ってくれなそう。あと、日本引き籠り協会の受信料とか。
「勧誘員がパンダだったんだけど、名札がミッシェルだったから、あれマイケルのクローンなんじゃないかな。ちょっと可哀想になっちゃってさ」
「…………」
ラディーネは何体クローンを作ってるんだろうか。郵便配達のバイトにもいたし、この前はティッシュ配りをしてる奴も見かけたんだが。その内、迷宮都市がパンダだらけになるぞ。
「随分熱心に読んでるが、なんか面白い記事でもあったのか?」
向かいのソファに座り、テレビをつける。
このテレビは引っ越し祝いにアーシャさんからもらった物だ。個人で使用していたお古らしいが、かなりの大型なのでこうして共用スペースに置くのにちょうどいい。
未だ放送局や番組は把握できていないが、ここに居る時は大抵つけるようにしているのだ。光熱費はギルド持ちだし。
「えーとね、王国が戦争するんだって」
「……え、マジで?」
意外な回答だった。大ニュースじゃねーか。
ちょっと時期がずれてたら、俺も徴兵されたりしたのだろうか。……これで奴隷商も在庫が捌けて、クリフさんもマシな生活ができるかもしれないな。
「戦争なんてどことやるんだよ。……また迷宮都市とか?」
「まさか。隣にある小さいラーディンっていう国らしいよ。元々王国の属国だったんだけど、いきなり宣戦布告してきたんだって」
隣といっても、王国は広い上に周り小国だらけだからな。名前なんて覚えてないし、どこにあるのかも分からん。
帝国すらまだ名前を調べていないのだ。……というかこの国、なんて名前だっけ。今更ユキに聞くと阿呆の子扱いされそうだな。
「どんな勝算があって宣戦布告なんてしたんだろうな」
詳しくは知らないが、内戦で迷宮都市にボロ負けしたとはいえ王国は大陸有数の大国だ。規模でいうなら帝国とやらくらいしか相手にならないと聞く。属国如きが太刀打ちできるとは到底思えない。
「さあ、もう結構経つけど……内戦で弱ってると思ったとかかな。ダメージは抜け切ってないし、不景気には違いないから間違いじゃないんだけどね。でも、最悪の場合、迷宮都市が出張る可能性もあるから無謀としか言い様がないよね」
そうだよな。迷宮都市も一応王国の一部だ。仲は良くないみたいだが、別に戦闘している状態でもないし、遠征の依頼も受け付けてるらしい。
要請があれば戦争にも行くみたいだし、どうやっても勝ち目ないぞ。……迷宮都市の実態とかも知らないんだろうな。ご愁傷様って感じである。
「となると、遠征の仕事とか募集かかりそうだな」
「ミユミさんにくっついて参加するの?」
「それは分からないが、C-以上なら請けられるんだから別にあいつじゃなくてもいいだろう」
アーシャさんとか、剣刃さんとか。行くかどうか知らないが、報酬のGPの額によっては参加したい。
当然クランでメンバー選抜して行くんだろうが、美弓と行くくらいならそちらに混ぜてもらいたいな。
「GP稼ぎにはいいかもしれないけど、僕はパスね」
「なんだ、行かないのか。風呂拡張できるぞ」
「街の外に出て知り合いに会ったりしたら最悪だから。というか、わざわざ殺し合いなんてしたくないよ」
「まあ……それもそうだな」
感覚がおかしくなっているが、迷宮都市の外では人を殺せば死ぬ。ダンジョンで死んだ場合のように生き返れたりはしない。
戦闘力が違い過ぎるから俺たちが死ぬ事はそうそうないにしても、相手は普通の人間なのだ。
「ニュースでもやってるんだね」
つけたテレビでは正にそのニュースが報道されていた。
あっという間に切り替わって水族館のペンギンのインタビューが始まったが、この扱いの小ささだと迷宮都市的には大した話題じゃないんだろう。かつての内戦もこんな扱いだったのかもしれない。
『今度のショーは何か目玉となる演目を用意しているとか』
『ええ、ウチのエンペラーが張り切ってますからね。来週はお客さんをあっと言わせますよ』
そのまんまだが、エンペラーというのは皇帝ペンギンの名前らしい。
こうしてペンギンがインタビューを受けていても、違和感を感じなくなってきたのは慣れなのだろうか。喋る動物が当たり前になるのは怖いんだが。
「面白そうだね。可愛いし、見に行こうかな」
ユキも違和感を感じなくなっているようだ。文明汚染とは恐ろしいものである。
-2-
「さて、準備はいいか」
中級昇格から随分と時間が空いてしまったが、今日はいよいよ無限回廊のダンジョンアタックだ。
メンバーは先の試練からフィロスとゴーウェンを除いた、俺、ユキ、サージェス、ガウル、ティリア、摩耶の六名である。
別に< アーク・セイバー >に入ったからといってフィロスたちをハブっているわけではないが、あいつは今絶賛デス・ペナルティ中である。
ゴーウェンにペナルティは関係ないが、人数が足りなければ参加すると言っていたので、今後はどこかのタイミングで組む事もあるだろう。
ちなみに言っていたというのはメールの返信だ。ロッテと戦った時に喋っていたのは俺の幻聴だったのかもしれない。……極限状態だったからな。
「ちなみに今回の目標とか決めてるの?」
「そりゃできれば第三十五層くらい行きたいが、事前情報だと無理っぽいし、今日は感触を掴むのが最優先だな。第三十一層の安全地帯である程度戦ったあと、行けそうなら先に進むつもりだ」
三十一層の挑戦者は、基本的に入り口にキャンプを張って制限時間いっぱいレベルアップをするのが基本なのだそうだ。
そうして三つ目のクラス、セカンドツリークラスに就いてから先に進むのが鉄板らしい。
あまりのんびりするつもりもないが、死んでペナルティ喰らうのも嫌なので、今日は様子見という事でいいだろう。
「無難でしょう。私とユキさんで可能な限り情報収集しましたが、不確定要素が強過ぎます」
「事前の対策が難しそうだよね」
話だけは聞いているが、第三十一層からはダンジョンのランダム性が極端に上がるらしい。モンスターの種類も増えるので、文字通り入ってみないと分からないというのが結論だ。
一度ダンジョン構成が確定すれば、一ヶ月はそのままらしいので、その間に情報収集して突破しろという事だろう。マッピングを済ませてしまえば、次回挑戦時には楽になる。
この仕様は浅層でも同じなのだが、大体一度で抜けて来たため、体感する事はなかった。それが本格的に必要となってくるのがこの中層以降という話である。
ただ、逆に考えると極悪な難易度の構成になった場合、一ヶ月はそこで足止めを喰らう可能性もある。
この階層の話ではないが、ひどい例として虫が大量に湧く構成になったパーティの例がどこかのサイトに書いてあった。体験談として、虫が大量に配置された落とし穴に落ちた話が記載されていたが、妙に生々しくて身震いしたものだ。
……だからというわけではないが、虫のモンスター種は人気がないらしい。虫ダンジョンはハズレの代名詞のような扱いだ。
また、別の人間とパーティを組んだ場合も同じ構成のダンジョンとなるらしい。来週に予定しているラディーネたちとの攻略も同じ物になるわけだから、今回のダンジョンアタックはその先行調査にもなるというわけだ。
あまり関係ないが、違う構成のダンジョンを経験したメンバー同士が組んで挑戦した場合は先に挑戦した構成のほうが適用される。
ひどい構成になったからといってメンバーを変えてチェンジというのは通用しない。
逆に楽な構成のダンジョンに当たった場合はチャンスだ。フリーで活動している冒険者はそれをエサにメンバーを集める事もあるそうだ。
誰に説明しているわけでもないが、ダンジョンは基本的にこういった仕組みになっているらしい。
俺たちは訓練でこれ以上の階層クラスの敵と戦っているし、[ 鮮血の城 ]の極悪難易度も体験しているが、さすがに一度の挑戦で第三十五層まで到達するというのは厳しいと判断している。
一層分攻略するのも困難なのだ。一度で次の帰還用ワープゲートがある第三十五層まで抜けるのはなかなかキツイ。そりゃ、入り口付近のレベリングが鉄板にもなるだろう。
「入ってすぐは安全地帯だから、取り敢えず中に入るか」
「了解、了解。忘れ物とかないよね」
ユキは何故俺にだけ言うんだろうか。そんなに忘れっぽいつもりはないんだが。
というわけで、やっと来ました第三十一層。
この街に来た六月には第三十層まで攻略している事を考えると、えらい時間がかかった気がする。もう九月下旬だぞ。
「ゲート付近は変わらないんだな」
見慣れた、ゲート以外は何もない広々とした空間である。
「先にキャンプを張っておきますか?」
「そうだな、ここで長時間過ごす事を考えると、さっさと準備したほうがいいか」
わざわざこれに合わせて、使い捨ての簡易コテージを購入したのだ。様子見で当面は先に進む気がない以上、拠点を設置するのは当然だ。
カードを物質化すると、いつかのダンジョン籠もりで使ったようなコテージが出現する。予定通りなら、ここがこれから三日間の住処となるだろう。
「では、私が先行して辺りの様子を確認して来ます」
「ああ、頼む」
摩耶はコテージを物質化すると、中も確認せずにダンジョンの偵察に向かった。
ダンジョンの構造、モンスターの種類や配置、罠をこの付近だけでも調べておけば危険も減るだろう。
単独行動になるが、< 斥候 >の偵察任務に付いていけるメンバーはこの中にはいない。ここは適材適所で任せておくべきだ。
「意外と中は広いもんなんだな。テントとはえらい違いだ」
「下級ではあまり使う機会もなさそうですが、これがあれば長期のダンジョン探察もかなり楽になりますね」
コテージの使用は初というガウルとティリアを伴ってコテージの中を覗く。
中級になるまで、こういった本格的な宿泊アイテムを使用する経験はないものらしい。大抵はゲート付近で寝袋か、精々がテントだ。
「持ち運びできないのがネックだな。今回みたいに一箇所に留まって戦う事を想定していないと値段的に厳しい」
このコテージはかなり高価だ。しかもカードから物質化してしまったら戻せない以上、使い捨てになる。
「< 荷役 >クラスだったら、無理すれば入らない事もないらしいけどね」
ユキが言っているのは、以前ダンジョン籠もりの際に一緒に参加したペルチェさんの事だろう。
メインのクラスではないが、同じ冒険者ツリーの< 荷役 >も取得しているので、そういった事も可能な者もいると言っていた。簡易とはいえ、家を持ち運べるんだから専門職は大したものである。一体、どうやって《 アイテム・ボックス 》に入れるのやら。
「部屋割りはどうするんだ。と言っても、あまり選択肢はないんだが」
あの時よりも安価なコテージのため、当然の事ながら部屋は少なく三部屋だ。
ただ、ガウルの言う通り、俺たちが三部屋に別れるとなると選択肢は少ない。
女性という事でティリアと摩耶は同室になる。なので残りは二部屋になのだが、要はサージェスの押し付け合いになるのだ。
サージェスだってダンジョンアタック中はある程度弁えているし、別にホモというわけでもないから貞操の心配はないが、なんとなく嫌なのだ。
野宿なら仕方ないとも考えられるが、部屋に一緒というのはできれば避けたい。
「私は誰が同室でも構わないのですが」
それはお前の意見である。
というわけで、俺とガウル、ユキがじゃんけんで争った結果、ガウルがサージェスと同室になった。
「な、なあ、ツナ。三人部屋っていうのはどうだ。俺床でいいから」
「答えはノーだ」
見苦しい奴め。
肝心なところで貧乏クジを引くのはこの狼さんの運命なのかもしれない。
「二段ベッドなんだね。ツナはどっちがいい?」
スペースの違いもあるのか、あの時と違ってベッドは二段だ。
「どっちでもいいが、こういうのはデカイのが下になるもんじゃないか」
「あんまり関係ないと思うけど、じゃあボクが上ね。……あんまりいい布団じゃないね。なんか固いし」
「この手の商品の中じゃ安物だからな」
あまりいい布団ではないが、贅沢を言うつもりもない。迷宮都市の感覚に毒されているが、本来ならベッドと布団がついているだけでも豪華だろう。
旅をする場合は大抵はマントに身を包んで寝るのだ。それに比べれば雨風をしのげるだけでも有難いもんだ。
ここでは雨は降らないし、大した風もないが、それでも外で寝るよりは遥かに疲れはとれるだろう。
「だいたい迷宮都市に来る時の馬車じゃ、雑魚寝だったろうに」
「あー、あれも大変だったね。三日もかかったし。移動中は揺れてあんまり寝れなかったし」
「ケツが痛かったのは俺もそうだが、あれでもかなりいい馬車だと思うぞ」
俺と兄貴が王都に行った時は悲惨だったからな。馬車ですらなく行商人の荷台だから、揺れはあの時の比じゃない。
「そういえば、王都にドナドナされて来たんだっけ」
「別に売られたわけじゃないが、文字通り荷物扱いだったな。代金代わりって訳じゃないが、一応夜番もしたぞ」
「あー、外だとそういうのもあるのか。ここは安全地帯だし、夜の見張りが必要ないのは助かるね」
「ここはそうだが、先々では考える必要があるんだろうな」
ここから第三十五層まで、ワープゲートの安全地帯はない。一層あたり一日以上の探索時間がかかる事を想定すると、どうしても途中で休む必要がある。モンスターに強襲されるリスクを背負いながら、休憩・睡眠を取らないといけない。
当然ながらこのコテージは持っていけないし、テントを使えない場面も多いだろう。安全地帯じゃなければこういう施設を壊される可能性もある。
[ 鮮血の城 ]では関門ごとに時間制限付きとはいえ待機部屋があったから、これは俺たちにとって未知の体験になる。
常に六人で戦う体制が出来上がってるパーティは厳しい事になるな。二交替だと三人、三交代では四人の体制で番をしないといけない。
ウチはみんなある程度の個人戦闘が可能だからなんとかなるが、完全に分業しているところは悩ましい問題だろう。
「見張りの番については別途練習したほうがいいでしょうね。私が参加しているレンジャー訓練にでも顔を出してみますか?」
突然後ろから会話に割り込んで来る声があった。摩耶だ。
「随分早いな。もう偵察終わったのか」
「……終わったというか……みんなを集めて情報整理しましょうか」
どうやら万端無事に偵察を終了させて来たわけではなさそうだ。この顔だと、あまり良くない状況らしい。
「ホワイトボードはいる? 必要かもしれないから一応持ってきたんだけど」
こういった説明に必要になると思ったのか、ユキは用意周到な事だ。
「……書くような構造でもないですが、長期戦になりますし、一応書き出しておきましょうか」
単純な構造だったのだろうか。
ユキが《 アイテム・ボックス 》からホワイトボードを取り出すと、摩耶がそこにドラム缶のような絵を描き始めた。
その真ん中あたりの端から外に向けて線が一本。その線の先には正六面体と……扉、いや、ゲートかコレ。 まさか、これがここの構造なのか?
「まず、このワープゲートのある四角型がこのフロアです。そして、ここから続く通路が一つ。これは一直線です。その先に巨大な円筒形の空間がありました」
「コロッセオみたいな感じの丸い空間って事か?」
それにしちゃ絵は縦に長いが。
「……いえ、まるっきり円柱の内側の構造です。上も下も見える端まで。この絵のままですね」
絵の通りだと、ドラム缶の内側みたいな場所って事だろうか。
説明は終わりじゃなかったのか、続けてそのドラム缶の中にいくつかの線が引かれる。
「その丸い内縁に沿うようにして階段や足場があり、ところどころ壁同士で蜘蛛の巣のような通路が繋がっている感じです。このフロアの出口付近の通路は若干広めになっていましたが、パッと見では人が二人通れるくらい幅しかない通路もありました」
絵が一本線なのは、それだけ細いって事ね。
「壁の階段とその通路を伝って、行ったり来たりしながら上に登っていく感じか?」
「移動方法はおそらくそうですが、下もありましたのでどちらが正解かは分かりません。……また、軽く見ただけなので確定ではありませんが、道が全部繋がっていない可能性もあります」
「先に進む道がないって事か?」
「壁を登攀したり、下の別の通路へ落ちたりする必要があるかもしれないという事です」
落ちた先の床が抜けたりしないよな。……そういう体験を最近した覚えがあるんだが。
「そして、ここのフロアのように、ところどころ壁に穴が空いています。その先に次の層へのワープゲートや宝箱があるのだと思います」
「ここは[ 尖塔の間 ]の内側バージョンみたいな層って事?」
「……そうですね。イメージ的にはそんな感じでいいと思います」
あそこもあんまりいい思い出はないんだよな。
「[ 尖塔の間 ]ってのはお前らが受けた三つ目の試練だよな」
「この中だと、私とガウルさんだけが未体験ですね。難易度的にはどんな感じだったんですか?」
「落ちる感覚は単調なので、あまり苦しくないですね」
「お前の意見は参考にならんと思うぞ」
実際に体験していないガウルとティリアに向けて、軽く[ 尖塔の間 ]の説明をする。
ついでに反対側の[ 選別の間 ]の話も聞いたが、ティリアはともかく、最後に残ったガウルはかなり厳しい戦いを強いられたようだ。
状況も含めると、ガウルはあの中で最難関のルートを辿ったのかもしれないな。
「つーか、第三十一層でいきなりあそこに匹敵する難易度が出てくるのか」
あれ、相当先取りした難易度だと思ってたんだがな。
「ギミック的な難しさはあれよりは遥かに簡単だと思います。時間制限も三日ありますし。強風も雨もおそらくないでしょう。ただ……モンスターがちょっと厄介そうです」
摩耶が確認できた限りでは、細い通路を塞ぐタウロス種、オーガ種と、上の方には結構な量の飛行生物が飛び交っているらしい。そして……。
「一番まずいのが、遥か上方で微かに目視できたワイバーンです」
「……ボスって事じゃないよな」
第三十一層にボスモンスターはいない。次にボスがいるのは第四十層のはずだ。第五十一層から先でも五層ごと、一層おきにボスが出現するのは第六十六層以降だと聞いている。とはいえ、亜竜でも雑魚でドラゴンさんが出てくるのは早過ぎやしないだろうか。
「雑魚ではないでしょう。……あれは多分討伐指定種です」
「ああ……中級に上がる際の講習で言っていたやつか」
討伐指定種というのは、無限回廊第三十一層以降に現れる特殊なモンスターだ。
その層で現れる通常のモンスターよりランクが高く、同種のモンスターと比べても強い。目安としては大体十層~十五層くらい上の雑魚と同じ強さらしい。ほとんどボスと変わらない。
ただし、得られる経験値、ドロップ品は通常よりも遥かにいいものになるそうだ。特別に討伐するだけでGPも出る。
どの層でも現れるわけではなく、むしろエンカウントする確率は低いらしい。ほとんどユニークモンスターのような扱い……いや、どっちかというばFOEかな。
冒険者の中には、これを狙って狩りをする連中もいるらしいが……。
「上に行くと確実に戦う事になりますね」
状況が悪い。無理をして先に進む気はなかったが、完全に蓋をされてしまった感じだ。しかも、そこに陣取っているという事は、一ヶ月は変わらない状態のはず。
「今回はともかくとして、先に進むつもりなら倒す方向で進むべきでしょうね」
「のっけからハードだな。おい」
ガウルがぼやくが、俺の懸念はもう一つある。
「でも、ツナって飛んでる相手苦手じゃなかったっけ」
ユキさんの言う通りなのである。……なんか当たらないんだよね。ロッテと空中戦した時も、結局まともに当ててないし。
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俺たちの戦闘フォーメーションはシンプルだ。
盾役はティリア一枚、俺、サージェス、ガウルがアタッカー、遊撃にユキと摩耶という非常に前のめりな構成である。
ただし、盾役は本職ほどでないにせよ俺も兼務可能だし、サージェスもサブタンク程度はこなせる。ユキも摩耶も短弓や投擲武器である程度の遠距離攻撃もできる。今回は攻撃魔法が必須な場面ではないので、魔力攻撃をできるのがガウルのブレスのみという状況は特に問題ない。
問題は回復役だ。いくら躱しても長期戦になればどこかでダメージはもらう。インターバルならともかく、ティリアが盾をこなしながら回復も兼務するのは、かなりのハードワークだ。
「ツナ! また降ってくるっ! 後ろっ」
「くそ、後ろの盾役は俺がやる。徐々に後退するぞ」
フロアを出た先の空間は、摩耶の言った通りの真っ直ぐな通路だった。床はある程度頑丈で、オーガの巨体が落ちてきても問題ない。
……そう、落ちてくるのだ。上の通路から無数の巨体が降ってくる。下手に進もうものなら挟み撃ちだ。
前後両方に対応する必要があるためその場合は俺が攻撃から離れないといけない。
――――Action Skill《 ブリザード・ブレス 》――
ガウルの切り札である、《 ブリザード・ブレス 》が前方に放たれた。
「ダメだ、こんな数全部凍らせられるかっ!! 早く下がれっ!!」
「急かすなっ!!」
こちらは攻撃力が足りないのだ。サージェスが奮闘していても、数が多過ぎて捌き切れていない。
「やば、ブリーフさん三体追加っ、何体降ってくるんだよっ!!」
「ああくそっ!!」
その後、オーガの持っていた大棍棒がドロップしたので、< 童子の右腕 >でそれを振り回し、通路から叩き落としながら元のフロアへと帰還。辿り着いた時には全員息も絶え絶えだった。
「くそ……なんだありゃ」
通路を出たあと、しばらくは良かった。
正面通路の先で待ち構えていたのはオーガだ。三体いるにしても、訓練で似たようなレベルの相手と制限付きで戦っていた俺たちの敵じゃない。
だが、順調に二体を倒して最後の一体にトドメを刺そうという時になって追加の敵が現れた。……後ろからだ。
もちろん俺たちの出てきた通路から現れたわけじゃない。上の通路から降ってきたのだ。そして、動揺している内に前方にも敵が追加。
フロアに出てすぐに落ちて来なかったのは、俺たちを挟み撃ちにするためだったのだろう。前後に挟まれれば、ポジションを変更するしかない。そうしてバタバタしていると、更に追加の敵だ。あいつら、下手したら通路の脇から更に下に落ちかねないのに、躊躇する事なく落ちてくる。
中には、直接俺たち目掛けて落ちてくる奴もいる。オーガやブリーフタウロスの巨体による落下攻撃は、サージェスの《 ドラゴン・スタンプ 》とほとんど変わらない威力だ。
その後、ひたすら増える敵を処理しながら後退、なんとかここまで戻ってきたが、全員座り込んで誰もコテージへ戻ろうとしない。
わずか三十分に満たない戦闘で誰もが消耗していた。特にティリアの消耗具合が顕著だ。
「ティリア、MPの残量はどれくらいだ?」
「か、からっけつです。連戦は……ちょっと……」
まずいな。ちょっと負担が偏り過ぎてる。
「立てるか? ちょっとコテージまで戻ろう」
「す、すいません。もう少し休憩を……」
ティリアは全身甲冑なので、そのまま運ぶのは大変だ。俺たちはしばらくその場に座り込んでいた。……思ったよりハードだな。
休憩のあと、コテージの部屋に全員集まり、顔を付き合わせる。
「さて、反省会だ」
たった数十分の戦闘でいきなりだが、対策を練らないといけない。ティリアのMPも回復していないし、このまま再挑戦しても同じ事になるだろう。
「つーかよ、アレ、第三十層に比べていきなり難易度上がり過ぎじゃねーか。あきらかにぶっ殺しに来てますって感じだったぞ」
「ボクらが調べた時は敵の強さよりもダンジョンの構造の複雑さが強調されてたんだよね。正直、敵自体は訓練の時と大差ないから、あんなはっきりした連携してくると思わなかった」
そう、前後とついでに上方を抑えられて、次々に増えるのはかなり厄介だ。隊列を崩される上に、どうやっても消耗戦になる。
「リーダーが気付いていたか分かりませんが、上の通路に色の違うオーガがいたのが見えました」
「気付かなかったな。……悪いがちょっとテンパってた」
他の連中も気付いてなかったらしい。サージェスは良く見てるな。
「あれはおそらく指揮官ですね。自分は安全地帯にいて、下に落ちた連中を指揮してるんでしょう。《 指揮 》スキルの効果のかかる距離でしょうし、《 念話 》で指示出ししているかもしれません」
……そいつは厄介だな。妙に連携してくると思ったらそれが原因か。
「ユキか摩耶のどちらかで撃ち落せないか?」
「当てるのはできると思うけど、相手がオーガじゃね。《 クリア・ハンド 》も届かないし」
「右に同じくです。毒などの状態異常は狙えますが、遠距離からの撃破は厳しいですね」
……だよな。そもそも、一対一で対峙しても、ユキや摩耶にオーガを一撃で仕留める火力はない。それができるのは俺とサージェスとガウルだろう。
「ガウルのブレスは届かないか?」
「俺も気付いてなかったからなんとも言えないが、一つ上の通路の時点で厳しい。届いたとしても威力が減衰する。そもそも連発もできねえしな」
ブレスで迎撃も無理と。となると、誰かが単独で上の通路まで行くとか。
「……ユキさんの鉤付きロープを貸してもらってもいいですか?」
「いいけど、どうするの?」
「私が先行して、指揮官を倒します。その後、降りて合流という流れはどうでしょうか」
多少上位種だろうが、一対一でオーガを倒すのはこの中の誰でもできる。なら、別次元のスピードを持つ摩耶に単独先行してもらって、指揮官を仕留めてもらうのはアリか。
「それが現実的か。危険だろうが、一度試してみよう」
その後、指揮官を確認した時点で摩耶が単独での敵中突破。オーガ・コマンダーの撃破は成功する。
ただ、いくら《 指揮 》の効果が消えたとはいえ、数が数だ。先には進めない。
ガウルの《 ブリザード・ブレス 》なら広範囲に渡って凍結効果を及ぼし、足止めする事も可能だが、連発できるわけじゃない。
結果的に経験値稼ぎ、戦闘訓練としてはいい現場になったが、先には進めそうもなかった。
「アレに囲まれてワイバーンが乱入してきたら全滅必至だね」
「や、やめて下さいよ。真正面私なんですから」
ティリアの防御力は並じゃないが、ワイバーンの突進は防げないだろう。
多少余裕ができたので遠目で姿を確認できたが、ちょっと尋常じゃない。あれは、街の竜籠で飛んでいるワイバーンとはまったく別物だ。
討伐指定種は出現する層よりも先のモンスターが出てくるというが、あれが第四十層のボスだと言われても納得してしまう迫力である。
現時点、オーガとブリーフタウロスに囲まれた状況だけで難儀している俺たちにアレを突破するビジョンは見えない。
討伐指定種はギルドで情報公開されているから、戻ったら詳細を調べてみるとしよう。
「しかしアレだね」
「なんだよ」
「ここ、多分ハズレだよね」
「…………」
ユキさんや。誰もが思ってても口にしない事を軽々しく言わないで下さい。
ダンジョン構成のルール上、来週のラディーネたちとの合同攻略もここになるんだよな。気が重い。
-4-
ダンジョン攻略二日目が終了した。この層から第三十五層まで、各層の攻略制限時間は三日である。つまり、あと一日で制限時間だ。
この分だと、レベル上げだけで終わりそうだな。当初の予定通りといえば予定通りだが、実は先に進めるかもなんて思っていた部分もあったので少し落ち込んでいる。
一応、ドロップ品も稼げてはいるが、出口前の通路だけしか移動していないので、宝箱もお目にかかっていない。
「このパンツ、ツナがまとめて持ってもらってもいい?」
「……超嫌だが仕方ねえな」
《 アイテム・ボックス 》がでかいのはユキも同じだが、こんなモノを管理しろっていうのは絵面的に問題があるだろう。
< ブリーフパンツ >とかいらないんだが。買い取ってもらえるのかな、これ。
尚、摩耶に聞いたら結構高いらしい。ガッデム!
「確か、ラディーネとかいう奴との合同攻略でこっちから出すのは三人の予定だよな」
当番のティリアと摩耶が食事を作るのを待つ間、ガウルが言い出した。ラディーネとの合同攻略は来週の予定だが、その事についての話だろう。
「ん、ああ。向こうが三人だから、六人で合わせるには半々でちょうどいいだろ」
「じゃあ、俺は外しておいてくれ」
「なんだ、何か用事でもあるのか」
サイボーグとキメラがどんなポジションかは分からないが、前衛は充実しているから問題ないと言えばない。
ラディーネがガウルの名前について暴露した事は知らないだろうから、ボイコットって事はないだろうが。
「ちょっと故郷に帰ろうかと思ってな」
……これは実家に帰らせてもらいますとか、そういう意味なのだろうか。
「ガウル、まさか冒険者辞めるの? 名前の事で嫌になったとか……」
「……はぁっ?!」
ユキさんや、いきなり不要な爆弾発言はやめなさい。この反応だと、絶対こいつ知らなかったぞ。
「ま、まさか……知ってるのか」
ガウルは体毛の上からでも分かるほどに冷や汗をかいていた。毛が湿ってダランとしている。狼って汗腺があまりないはずなんだが、獣人は違うのだろうか。
「この前ね、冒険者学校で銀狼族の人に会ったんだよ。その時にガウルと間違えちゃてさ」
「馬鹿な……」
こちらにも『お前も知ってるのか』という目線を向けてくるが、『知ってるんだ、すまない』という視線を返しておいた。
深く項垂れるところを見ると伝わったらしい。まあ、いつかは知られる事だろうからな。仕方ないよね。
「……言い触らしてないだろうな」
「し、してないよ」
ユキはわざわざ広めるような事はしないだろうが、俺がな……。
「悪い、フィロスにだけはメールしちまった。前から気にしてたみたいだから」
「なんてこった……」
つまり、ゴーウェンにも伝わっているだろう。
「ガウルさんの名前がどうかしたんですか」
事情を知らないサージェスが話に入ってきた。
「えっとね、銀狼族の古い言葉で……」
「おいこらユキてめえやめろっ!! サージェスも忘れろ」
「は、はい」
「……はあ。良く分かりませんが。了解しました」
今にも掴みかかりそうな形相である。サージェスは気にしなそうだが、その分ふとした事で口を滑らせそうだからな。知らないほうが安全だろう。
「で、まさか冒険者辞めるわけじゃないんだろ」
こんなタイミングで辞める理由がない。名前変えるにも冒険者は続ける必要あるだろうし。
「いやいや、そんなわけねーだろ。こないだの試練の報酬でちょっと交渉してな。オーブとアイテムの代わりにGPもらったんだ。で、関係者ならギリギリ一人呼べるようになったから、ちょっと故郷行って結婚してくる」
「そうなのか」
例の婚約者さんか。あっさりと結婚するとか言われるとちょっと変な感じだ。気楽に言っているわけでもないんだろうが。
「めでたいね。すぐに結婚するんだ」
「配偶者だと移住にかかるGPも減るらしいからな。むしろ結婚しないと足りねえ」
移住にどれくらいGPがかかるのか調べてないが、随分とハードル高そうだ。迷宮都市としては冒険者以外はいらないって事だろうから、しょうがないのかもしれないが。
「どれくらい留守にする予定なんだ?」
「ちょっと分からんな。最短で一ヶ月くらいだが、ついでに獣神様の加護ももらってくるかもしれん」
「加護?」
獣神って……神様って事か? この世界に神様とかいたのか。しかも、交渉とかできそうな相手なのか。
「この世界にも神様っているんだね」
「俺は詳しくないんだが、教会の人たちは何を崇めてるんだ?」
「ボクも良く分からないんだけど、ステータスを授けてくれた神様がいるって称えてるね」
そんなのいるんだろうか。下手したらダンマスって事にならないか?
「俺たちの部族が崇めてる獣の神様がいるんだよ。神っていう割には気安い存在なんだが、俺はその加護をもらってる。獣神様が出す試練に合格すると加護をもらえるから、上手く行けば戦力も強化できるだろう」
ほう、それは有難い話だな。今度は火のブレスとか噴いたりするのかしら。
それともブレスとは限らないのか? 《 アイス・コート 》みたいに全身に火を纏ったりとか……。なんで火のイメージなんだろうか。ガウル冷気メインなのに。
こう……体の両側で半分ずつ氷と炎を纏ったりして……指それぞれから火球を発動させたりすると完璧だ。ロマンだな。
「興味深い話ですね」
「サージェスも興味あるのか?」
こいつが興味持ちそうな話題じゃないと思うんだが。
「以前、私が世界を放浪していた時に、その獣神と呼ばれる存在に会った事があります。私は獣人ではないので加護はもらえませんでしたが。……確か風獣神パロと言っていましたね」
「本当かよ。風獣神様は居場所が不明だったんだが、どこで会ったんだ」
「暗黒大陸です」
話には聞いた事があるが、別の大陸じゃねーか。こいつなんでそんなところで放浪してたんだよ。
暗黒大陸はほとんど人の手の入ってない未開の地だ。一応、海岸沿いに開拓村はあるようだが、野生のモンスターが多く中に進めないらしい。
生息しているのは無限回廊浅層クラスという話だが、それでも普通の人間にとっては脅威だろう。迷宮都市くらいしか開拓できそうにない。
「あー、そりゃ行くのは無理だな。さすがに遠過ぎる。交通手段考えねえと……つーか、風獣神様はなんでそんなところに……」
ガウルは暗黒大陸にも行くつもりなんだろうか。
「なんでサージェスはその獣神様と会えたの? 偶然会ったりするようなところにいるとか」
「そうだな。獣神様なんて、普通人の前には現れない方々だぞ。俺たちの部族でも族長筋しか面会できねえし」
気安いって言っても限度があるよな。
獣人の時点で人里にはあまり住まないのに、その神様が道端歩いてたら興ざめだ。……ダンマスみたいな感じになりそう。あの人、モンスターたちの神様みたいなもんだし。
「森の中でマゾヒズムの研究してる最中に興味を持たられたらしくて……」
「やっぱり、聞かないほうがいいね」
風の獣神様はマゾだったのか。
「風の加護は諦めたほうがいいかもしれねえな。ひでえ試練出されそうだ」
ガウルが帰って来てマゾになってたら目も当てられないしな。……いや、サージェスがいるから、今更増えようが問題ないか。
「マゾになったら、サージェスとダブルで肉壁になれるな」
「おお、それはなかなか楽しそうですね。行くなら道案内しましょうか」
「ボク、戦闘中に前で悶える人が増えるの嫌なんだけど」
「増えねえし、マゾにもならねえよ」
……マゾガウルって、最悪に卑猥な響きだよな。
「皆さーん、御飯できましたよ」
と、そこで食事の準備をしていたティリアが声をかけて来た。長く続けたい話でもなかったからちょうどいいな。
……飯はいいんだが、このあとどうしようかね。この拠点から全然先に進める気がしないんだが。
「二日目終わってかなり安定してきたけど、先には進めそうにないよね」
カレーを食べながら、ユキが言う。
確かにその通りだ。見通しが立たない状況のまま、最終日を残すのみとなっている。
「制限時間はあと一日ありますが、この分だとリタイヤになりますね。……あ、ティリアさん、らっきょう下さい」
「はい、どうぞ」
摩耶の言う通り制限時間も迫っている。二日経って入り口付近から進めていないという事は、残りの時間を使っても次の層に進むのは難しいだろう。入口近くのマッピングすらできていないのだ。
関係ないが、らっきょうばっかりそんなに載せたらカレー食ってるか、らっきょう食ってるか分からんじゃないか。ちなみに俺はどっちかというと福神漬のほうが好きだ。派閥争いが激しい話題を口にする気はないが。
「< 地図士 >が必要だっていう理由も分かるよね。単に地図描けるだけじゃダメって事だ」
先に進めてないから現時点では問題ないが、ユキの言うように< 地図士 >が必要だというのは同意だ。
立体構造だから、平面の地図が描けるだけでは話にならない。今回のような円柱型の上下に移動するようなダンジョンなら余計だ。ここは見るだけでも複雑怪奇である。ユキが《 空間把握 》を保有しているが、それだけでは地図を作成するには足りないらしい。
最低でも《 空間把握 》を持ち、立体的にダンジョンの構造を捉えて、地図に起こせる人間が必要なのだ。
そんな専門家の< 地図士 >は立体地図を作り、投射するスキルまで使えるらしい。地味かと思っていたが、超すげえ。
「まあ、今回だけじゃなく、しばらくはここでレベル上げになるのかな。……安全地帯を背後に置いておかないと危険でしょうがない」
「事前情報通りではありますが、これは厳しいですね」
「俺たちの連携がそこまで熟れてねえってのも問題だな」
訓練では六人で戦ったりもしたが、これまでの実戦で六人のコンビネーションの経験はない。
できてないわけではないが、練度は時間をかけてここまで来た他の冒険者に劣るだろう。時間的には即席も良いところだからな。
そこら辺の訓練になるから、それはそれでもいいのだろう。
しばらくはこの六人が固定に近いメンバーとなる。リリカにはクラン加入を打診しているし、ディルク……とセラフィーナが合流するにしても、半年は見ておいたほうがいいだろう。
時間があるなら、とりあえずこのメンバーで連携を強めていくのは優先される事項だ。
「あ、そういえば、来週の合同攻略の件ですが、私を外してもらってもいいでしょうか」
「なんだ摩耶もか。ガウルからもさっき外してくれって言われたんだが」
「実はフィロスさんとゴーウェンさんの< アーク・セイバー >入団試験の立会いをする事になりまして。パーティ組んだ事があるからちょうどいいと」
なるほど、あいつら入団試験やるのか。
「でも、ゴーウェンはともかく、フィロスはデス・ペナルティ中だぞ」
俺がぶっ叩いて。
「それを考慮しての内容になるらしいので、それは問題ないでしょう」
「そうか……となると、もう面子決めたほうが良いか。参加したい奴か抜けたい奴はいるか?」
「ボクは問題ないよ」
「私も問題ありません」
ユキとサージェスは問題ないと。
「あ、あの……では私を外してもらって良いですかね」
「ティリアも何か用事あるのか?」
「姫騎士ティリア2の発売イベントがちょうどその日なので……でも、夕方からなので無理すればなんとか」
「……姫騎士?」
「あー、うん、何も問題ないから行ってらっしゃい」
この話題は強制シャットアウトが必要である。ユキが気になっているようだが、どうしてもというなら、あのディスクを渡してしまおう。
しかしティリアがいないとなると、回復役がいない。あっちの誰かができる気がしないし……これは本当に様子見になるか。
-5-
最終日。やはり状況は膠着状態である。このままレベル上げだけで終わっても問題はないが、できれば次に繋がるきっかけが欲しい。
「次で終わりにする?」
「ああ、もう時間的に厳しい。今から先に進むのは無理だから、おとなしくレベリングだな。先に進むための対策は次回以降だ。具体的にはティリアのMPが余裕なくなってきたら終了って事で」
「は、はい。了解です」
どうも歯切れが悪い。ティリアは自分が足を引っ張っているように感じてるらしい。むしろ一番活躍してると思うんだが。
「あのさ、お前は気にしてるかもしれないが、今回のMVPはティリアだと思うぞ」
「え、ええ? そうでしょうか」
「盾に回復役を任せっきりにするほうがおかしいんだ。そんな中であれだけ耐えられるんだから大したもんだ」
「そこら辺は課題だよね。盾役はともかく、回復魔術に適性がある人がなー」
フィロスがいたけど、< アーク・セイバー >行っちゃったからな。偶に組むのはいいかもしれないが、固定として考えられないのは厳しい。
まあ、そもそもあいつをヒーラーに固定するのはもったいないんだが。
「いっそ、ティリアが< 魔術士 >に転向するか? 盾役はなんとかなると思うし」
「それは駄目です」
軽い気持ちで口に出したが、反対するティリアの顔は真剣そのものだった。
「もう行きましょう。Lv40になって、三つ目のクラスに就ければまた話は変わってくるはずです」
「あ、ああ……そうだな」
普通はそこが転向を考えるポイントらしいし、その先には二つ目のツリークラスもある。……ちょっと時期尚早か。
ただ、……例のオーク陵辱願望以外にも、なんかこだわりがあるんだろうか。
というわけで、最後のアタック……もといレベリングである。
もう慣れたもので、指揮官が確認され次第摩耶が単独で撃破、降ってくるモンスターの数はあいかわらずだが、捌けないほどじゃない。
そして、ティリアのMPも尽きる頃だろうと、最後の締めにかかる。
「ガウル、最後にドでかいブレスで締めだ」
「おうよ!」
――――Action Skill《 ブリザード・ブレス 》――
ガウルのブレスは連発できる仕様じゃない。本人曰く、専用のチャージスキルを使って、《 アイス・ブレス 》以上の溜めが必要になるらしい。
それでも、緊急時でもない限りこうして温存も可能なくらいにはなった。
オーガとブリーフタウロスがまとめて凍りついていく。一時的とはいえ、溶岩すら凍らせる威力なのだ。足止めだけでなく、何体かは仕留めてるはず――
――その瞬間、悪寒が走った。
ガウルのブレスが放つ冷気じゃない。これは《 危険察知 》の感覚……。
「ツナ、まずっ――
少し離れたところにいたユキの声が上がり、その声は途中で途切れた。ユキがいたはずの場所に視線をずらすと、そこには見慣れた、いるはずのない巨体がある。
……ワイバーンだ。
ほとんど停止したような時間の中で、高速思考する。
何故こいつがここにいる。いや、そもそも前提がおかしい。何故こいつが移動しないと決めつけていた。こいつは雑魚ではないが、ボスモンスターでもなんでもない。ずっと動かないほうが不自然なのだ。目を離したのは俺の落ち度……。
ユキはどこに行った。ガウル、サージェス、摩耶はいる。ティリアは……ワイバーンで分断されている。あの場所は決死の位置だ。
「摩耶っ! ユキの回収に走れっ! サージェスっ! ガウルっ! ティリアと合流して後退だっ!!」
その判断は間違っていないはずだ。
突然のワイバーンの強襲に戸惑っていたメンバーが、俺の声に反応して動き出した。
すぐに行動に移ったのは摩耶。あっという間に通路から飛び降りて、ユキが落ちたであろう場所へと向かう。
摩耶とユキであれば、ワイバーンを擦り抜けて後退する事も可能なはず。ユキの状況次第では難しいかもしれないが、そこは信じるしかない。
俺もティリアの……ワイバーンのいる方向に向かって走る。ガウルとサージェスもティリアの救援に向かうのが見えた。
――――Action Skill《 アシッド・ブレス 》――
それはガウルと同じブレスではあるが、ワイバーンの口から放たれたものだ。
「ぐっ、ううううぅぅっ!!」
ティリアは大盾を構えてそれを防ぐが、名前の通り酸の効果を持つだろうブレスは、その盾ごと腐食させていく。
俺たちの攻撃によりワイバーンのブレスは止まる。だが、救出された時にはティリアは瀕死の状態だった。ワイバーンも健在だ。
ここからあいつを抜けてゲートのあるフロアまで駆け抜けないといけない。
ティリアは自分で《 フィジカル・ヒール 》をかけてはいるが、圧倒的に回復量が足りない
このまま全身甲冑の重量ごと担いで、あいつの脇を擦り抜けるのは無理だ。装備を脱がせる時間もない。
だが、幸いワイバーンが乱入した事でオーガたちは周りから吹き飛ばされたままだ。
「サージェス、ガウル、このままあいつを仕留め……」
……いや、待て。何かがおかしい。なんだこの違和感は……何かを見落としている。
「どうした、ツナ……おいっっ!!」
ガウルが口を紡ぐ俺の背後を見て叫ぶ。
……そうだ。あのワイバーン。あいつ、あんな色じゃなかった……。
――――Action Skill《 ポイズン・ブレス 》――
振り返る寸前、俺たちに向かって放たれたのは、毒のブレス。
反対側にいるワイバーンとは別の、俺が見た色の個体がそこに立ち、その口からブレスを噴射した。
つまり、討伐指定種は一体ではなく……。
「がああああっっ!!」
炎とはまた違う焼けつくような痛みを伴い、ブレスは俺たちを襲う。
その一撃でティリアの魔化が始まった。それどころじゃない。このままだと俺たちもお陀仏だ。
――――Action Skill《 トルネード・キック 》――
そのブレスに真正面から蹴りを放つサージェス。その姿は毒々しい色のブレスを突き抜けて、ワイバーンの元へと到達する。
――――Skill Chain《 ダイナマイト・インパクト 》――
サージェスは着弾すると同時に《 ダイナマイト・インパクト 》を炸裂させ、そのままワイバーンと共に通路から落ちていった。
底の見えない深淵へと、サージェスとワイバーンの姿が消えていく。……あれはもうリカバリは不可能な距離だ。
「くそ、ガウル! 抜けるぞっ!!」
「おうっ!!」
残ったもう一体のワイバーンに向かい、全力で駆ける。正直ぶっ殺してやりたいが、最優先は通路に抜ける事だ。
そのあとの事は良く覚えていない。
必死でワイバーンへ攻撃を繰り返し、突進攻撃をなんとか避けた隙で通路へ全力疾走。安全地帯に辿り着いた時には二人共ボロボロだった。
無言のまま倒れこんでいると、摩耶が戻って来た。
「……すいません。二つ下の通路で発見できましたが、すでに魔化が終わる寸前で……」
「いや、しょうがない。むしろ良く戻ってきた」
くそっ、最後の最後でとんだサプライズだ。生き残ったのは三人……壊滅じゃねーか。
「……他の二人は?」
「ティリアとサージェスもやられた。……戻ろう」
正直体は休息を求めていたが、こんなところに立ち止まっていたくなかった。生き返るのは分かっていても、仲間が死ぬのは堪える。
「一応聞きたいんだが、他の第三十一層もこんな感じじゃねーよな」
「調べた限りではこんな前例はありません。これはどう考えてもハズレですね」
「討伐指定種二体なんて大ハズレだろうよ。まったく……いきなりハードな展開だ。……呪われてるんじゃねえだろうな」
討伐指定種自体がレアモンスターなのだ。それが二体なんてまともじゃない。
手分けしてコテージから回収できるだけの物は回収し、俺たちは帰還用ゲートを潜る。
中級ランクになって最初のダンジョンアタックは、散々な結果を残して終了した。
……あれ、ラディーネとの合同攻略どうしよう。
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