その無限の先へ

二ツ樹五輪

第一章『迷宮都市の二人』

Prologue「二つ目のプロローグ」

-1-




 荒野の地平線から射し出した朝日を浴びながら、ガタゴトと音を立て馬車は進む。

 俺が乗っているのは本来客を乗せるようなものではなく、簡易な幌が付いただけの馬車だ。その荷台に直座りしているため、すこぶるケツが痛い。

 タダで乗せてもらったのだから文句は言うまいが、俺のケツへのダメージは深刻だ。三日半かけてひたすら進んできたが、この揺れには未だ慣れない。


 幌の隙間から見えるのは無限に広がるような荒野で、地平線の彼方まで碌に草木も生えていない。

 本当にこんな土地に噂の都市が存在するのかと、不安になるほどの不毛の土地だ。

 御者のリザードマンが話していたが、ここは遥か昔から荒野で人の寄り付かない場所だったらしい。



『迷宮都市』と呼ばれる街がある。

 王国の一部ではあるらしいのだが、行き来する場合は王国からの"出国"手続きが必要になるという、半ば以上に独立した自治権を持つ特殊な街だ。

 そこには、その名の通りダンジョンがあり、無数の『冒険者』が探索をして日々の糧を得ているのだという。ダンジョン自体は各地にいくらでもあるらしいのだが、それを探索する事が職業として成立するくらい有効利用されているのはここだけらしい。

 この世界に生まれて十数年経つが、ダンジョンを探索するだけで金が稼げるような、そんな仕事はこの迷宮都市の噂以外で聞いた事がない。

 正直言って胡散臭い、眉唾ものの噂でしかなく、俺もある程度の確信を持っていなければこの馬車に乗る事はなかっただろう。

 実際、この迷宮都市・王都間を往復する馬車に乗っているのも、御者を除けば俺ともう一人だけだ。荷物もほとんどないので、スッカスカである。


 そんな怪しい噂にすがって博打を打たないといけないほど、この世界は厳しい。俺がこんな夢みたいな話に縋っているのだって生きるためだ。

 王侯貴族みたいに良い生活がしたいとか、英雄染みた名声が欲しいとかじゃない。人並み、いや、せめて人間としての尊厳を保てる程度の生活をしたいと、一縷の望みをかけて、俺は迷宮都市に向かっている。




 いきなりな話だが、俺には前世の記憶がある。


 輪廻転生を信じていたわけでも、転生を題材にしたネット小説のように転生トラックに轢かれたわけでも、誰かに召喚されたわけでもない。

 ネット小説で無数に氾濫していたような、神様のミスで死んだ可能性はまだ残されてはいる。……いや、ねーな。


 気付いたら、地球とは異なるこの世界に生まれていた。……もとい、この世界の俺が前世の記憶を思い出した。

 記憶にある前世の最後は普通の日常だったはずだ。そもそも死んだのかどうかすら定かではない。


 そんな特別感溢れる展開だったのに、残念だがこの世界では前世の記憶持ちというのは、そこまで珍しいものでもないらしい。

 珍しい事は珍しいが、三十~五十人に一人くらいはいるもののようだ。クラスに一人くらいはいた珍しい名字の奴程度の割合だ。

 記憶を取り戻した際は、自分を特別だと感じて将来に胸膨らませたものだが、俺の希少性はその程度のものだった。

 ただ、記憶があるといっても内容や程度は様々で、うろ覚えどころかほとんど何も覚えていない事も多く、俺のように鮮明に記憶しているケースは"多少珍しいくらい"にはなる。

 大抵は前世の名前や性別が"記録"として残っているか、印象の強い体験のみが思い出せる程度だそうだ。


 前世日本にWeb上で読めるネット小説というものがあった。

 ユーザが書いたものを投稿して、他のユーザが読めるというシステムで、そのネット小説の投稿サイトで流行っていたジャンルの一つが異世界転生モノだ。

 この異世界転生ものは読者の感情移入のためか、ある種のお約束として主人公は現代日本から転生する場合が多い。今の俺のような状況だ。

 だが、無数に転生者が存在するこの世界の場合、転生元の世界は何も日本……いや、地球に限らない。

 実際に前世持ちに会ってみると、地球以外の世界から転生している人のほうが遥かに多いのだ。それも複数の世界から。

 今、こうして俺が乗っている馬車の御者をしているリザードマンのおっさんはどこかの世界の馬頭人と呼ばれる謎の種族だったらしいし、故郷の村ではこの世界の三百年前の貴族だったと自称する人もいた。

 俺のこれまでの人生十五年で、元地球人に会ったのはわずかか二人。王都の宿屋で給仕をしていた元ネパール人と、今向かいに座っている元日本人の少年だけだ。


『僕も元日本人に会ったのは初めてかな』


 自己紹介でそう言った奴の容姿は、日本人とはかけ離れていた。というか、地球では有り得ない顔してやがった。

 背は低い。150センチあるかないかくらいで、まあ十四歳という年齢の事もあるからこれはいいだろう。

 光沢のある、緩いウェーブのかかった白い髪。「しらが」なんていうと年寄りみたいだが、その幻想的な美しさは、髪の色が多彩なこの世界でさえ目を惹く。

 瞳は真っ赤だ。充血しているわけでなく瞳孔と虹彩が赤いのだ。髪と合わせてどこか兎っぽい。

 そして、女と言われても違和感がなく、むしろ男と言われると違和感しかない顔の作りは、美形という表現しか浮かばない。敢えて美男子とは言わない。

 精悍さは欠片もないので、逞しい男性像を求めている女からしたら対象外だろうが、間違いなくお姉さんにモテるショタっ子だ。下手しなくても男の娘である。

 こいつの名前は『ユキト』というらしい。自己紹介の際に本人から『ユキ』と呼んでくれと言われているのでそうしている。

 日本人っぽい名前に違和感を感じるかもしれないが、これがこいつのこの世界での名前だ。

 俺の名前にも当てはまるのだが、どうも前世の名前を元に命名されているようで、これまで知り合った人でもおやっと思う人は多かった。

 なので、この世界では国ごと、地域ごとの命名ルールや習慣はとても弱く、とても自由な名前が多い。統一性は欠片もない。

 独自の言語を使っているような亜人種にその傾向が見られる程度だ。


 この原因の一つとして、ステータスが挙げられる。

 ゲームみたいな話であるが、この世界では教会などの施設で神父がステータス……名前、性別、能力値、スキル等を教えてくれるのだ。専用の道具を使えば文字として見る事もできる。

 前世持ちの場合は、生まれたばかりの子供でもすでに名前が付いている事があるらしいので、そのまま使うケースが多いというわけだ。

 そりゃ、名前の習慣に統一性など生まれるはずがない。


 ちなみに、親が別に命名すればその表示も変わるし、前世の名前を元にして新たに名前を付ける事も多いらしい。

 ユキの場合は、元々が『ユキ』で、『ト』はあとから付け足されたと聞いた。

 本人はこの名前を気に入っていないらしく、『ユキト』と呼ぶと機嫌が悪くなる。


『だって、ユキトだと男の名前じゃないか』


 いや、前世の読み方だとそうかもしれないし、そもそもお前男なんだろと言いたいところだが、ユキは前世では女だったらしい。

 もう十四年も男として生きているのに、本人は納得していない。頑固である。



「そういえば、ツナはどうして迷宮都市に行くの?」


 そう言ってきたのは、俺の回想ではない現実のユキだ。

 こいつは声すら女の子だ。実は騙されてる可能性もあるから、あとで付いてるか確認したほうがいいかもしれない。男同士なのだから大して問題はないはずだが、ちょっと興奮してしまいそうだ。


「生活のためだ」


 自分で言ってても俺の答えはひどく現実的だと思うが、世の中そんなものだ。

 何でも叶う街というのだったら、とりあえず普通の暮らしをさせてくれ。そのあとはそれから考える。


 この世界での俺の故郷はひどく貧しい村で、碌に食うものもなかった。年に数人は餓死者が出るレベルである。

 そんな村で、俺は村長的な立場の家の三男として誕生したわけだが、三男という立場はこういう世界の農家ではひどく低い。

 長男は家の後継者だし、継ぐ家も畑もある。次男は、長男に比べて相当立場は弱いが、それでも長男のスペアとして生きる事はできる。

 だが三男なんて、スペアのスペアだし、回ってくる食事の量すら少ない。碌に服だってもらえない。冬は地獄だった。

 親が言うには、『女の子だったら売れたのになんで男ばっかり』との事だ。嫡男が生まれない家に謝って欲しい。


 ひどい話だが村ではこれが普通で、女の子なんか毎年ドナドナされていったので、どこの家も長女くらいしかいなかった。

 物語とかだと、本格的に本編が開始する前に村の可愛い女の子とのロマンスが描かれたりするわけだが、そんなイベントが発生する余地はない。

 ちなみに若い男もほとんどいない。俺が幼い頃に起きた戦争で大半は徴兵された上に、戻ってきてもドナドナされてしまった。

 家は村長もどきをやっていたので生き延びられたようなものだ。村の連中はもっと悲惨だっただろう。

 村にいたのは数人の若い男と老人、あとはわずかな子供だけである。限界村落っていうレベルじゃなかった。限界突破村落だ。

 売れる人間は売り、人数が少なくなって尚、食料が足りなかった。山に食べられる動植物がある内は良かったのだが、それすら採りつくし、ひどい時には村人を食う計画まであったのだ。


 まあ、毎年そこまでひどかったわけでもないが、とにかく辛いという事は分かって頂けただろうか。ただの自己紹介だ。

 日本の豊かな生活の記憶があるとこれが輪をかけて辛いのだが、そこは慣れるもので、毎日必死にサバイバルしながら生き延びて来たわけである。


 そんな中、長男の結婚が決まり、前もって仕込んでいたのか半年後には跡継ぎとなる息子も生まれ、次男と三男の俺はお払い箱となった。

 兄弟二人で生きていく事を余儀なくされたのだが、ほとんど着の身着のまま追い出された俺たちは、つい数日前まで王都で下働きをして生活を続けてきたのだ。

 実はお払い箱になるタイミングが悪ければ食われていた可能性すらある。


「それはひどい」

「いや、こんなもんだって。日本での常識に拘り続けてると死ぬね、確実に。……まさか、奴隷市場の価格暴落で、身売りすらできない状況なんて想像してなかった」


 王都に行ったあと、奴隷でも飯くらいは食えるだろうと身売りしに行ったのだが、まさかの買取拒否である。

 あまりに数が多過ぎて維持費で赤が出る状態で、奴隷になるにも保証金を払って引き取ってもらうような有り様だった。

 王都で一番の大手と呼ばれていた奴隷商でもそんな感じだ。どこも買い取ってくれない。

 なので、どうしようもなくなった俺たち兄弟は、遠い親戚に土下座という名の実力行使でお願いして、その伝手で酒場の丁稚として働いていたのだ。

 酒場で働けるなら飯の心配はいらないだろうと思うだろうが、残飯はスラムの連中に二束三文で売りに出され、俺たちに回って来る賄いは生存可能なギリギリの量だ。

 ほとんど給料ももらっていなかったので、別に食料を買う事もできなかった。それでも故郷の村よりマシだったと思う。

 東京の路地裏で残飯漁れるならすべてを投げ出しても行く。コンビニの賞味期限切れとか、いまでは御馳走にしか思えない。それくらい、記憶の中の飽食の国は輝いて見えた。


「僕はもう少し……いや、かなりマシかなあ、同じく三男だけど、家は割と裕福だったからご飯は食べられたし、追い出される事もなかったし」

「まあ、俺がこうして過去バナを普通に話せるのも、王都に行ってからもっとひどい話を聞いたからなんだけどな。

いや、マジでやべえ。割ときつい生活してた俺がドン引きするくらいの話がゴロゴロ転がってんの。奴隷商で下働きしてるクリフさんとかひど過ぎて夢に出てくるレベル」

「いや、聞きたくないから」


 なんだよ、クリフさんすげーんだぞ。人間の尊厳なんて木っ端微塵な半生送ってるんだからな。

 俺なんかが不幸自慢なんかしてごめんなさいってレベルだ。幼馴染を解体させられるエピソードとか、聞いてるだけで最悪だったぞ。

 これからの俺の人生にクリフさんの出番はおそらくないが、彼の壮絶な半生はいまだ俺の心に焼き付いて離れない。


「まあ、そういうわけで、一攫千金を夢見て迷宮都市の冒険者になるのはそこまでおかしくないだろ。市民権があったら引っ越しに制限かかるけど、そんな上等なもんはなかったしな」

「珍しいけど、おかしくはないね。近隣の街で冒険者やったって金なんて稼げないし、一攫千金なんてチャンスもないし」


 そう、この世界にも腕力を活かした職業や、ファンタジー小説やゲームで存在した冒険者も存在する。酒場で働いている際には沢山目にしたし、話も聞いた。

 存在はするのだが、聞けば聞くほどひどい職業だった。なるのは簡単だが、まともな生活などできそうになかった。

 だから余計に、迷宮都市の噂を信じるのは博打なのだ。


「噂に聞く迷宮都市の話は、チャンスがあるとか、金が稼げるとか耳聞こえの良い話だけじゃないだろ。あそこは――

――「日本人の臭いがする」でしょ?」


 おそらく俺の言う事が分かっていたんだろう。ユキは俺の台詞に被せてきた。

 そうだ。あそこの噂話は、日本人にしか分からないキーワードが数多く含まれている。まるで、呼んでいるかのように。

 そして、俺たちと同じ転生者と想像できる噂の発信元は並の存在じゃない。俗にいうチート主人公ばりの力があると、そう感じるのだ。

 それこそ、神様に土下座されてチート能力を付与してもらった類の奴だ。もしそうなら羨ましい。


「一攫千金ってほどじゃなくても、そこでなら俺も人並みの生活できるかなってな。ひょっとしたら、この世界のシステムの抜け道とか知ってるかもしれないし」


 見えても碌に役に立たないステータス、碌に習得できないスキルなど、ほとんど役に立つ事はなかったが、システマチックな世界である事は間違いないのだ。

 何か、このシステムの穴をついて権力を手に入れたとか、そういった話を聞けるかもしれない。


「あー、そこまでなのか。ちょっと情報収集が足りないかな」


 ……おや。


「なんだよ、何か含みのある言い方だな」

「ごめん、てっきりもう少し情報を集めているんだと思っていた。普通なら、怪しい噂も多いあの都市に行こうって踏ん切りがつくには勇気がいるから。街の中で聞くあそこの噂はどれも胡散臭いものばっかりだからね。僕は出てきた人に会った事あるけど、入ったら二度と出て来れないって噂もあったし。……でもまあ、そうだね。話を聞いてる限り、そういうケースもあるんだなって思う」

「なんか秘密でもありそうな口調だな。同郷のよしみで聞かせてくれや」

「うーん、もう王都は離れたわけだし、ここまで来たらいいかな。……実はさ、あの都市について書かれたほとんどの資料には、暗号化された『日本語』で記述があるんだ」


 それは臭いもクソもなく、いるって確信じゃねーか。


「そうか、俺は噂話しか知らなかったから盲点だったな」


 というか、俺はほとんど字が読めない。書けるのも自分の名前くらいだ。


「といっても、一つ一つは日本語に読めない事もないって程度の暗号なんだけどね。色々集めていくとある事が分かるんだよ」

「どっかの商人の子は流石地盤が違うわ」


 そもそも、俺がこの世界で生まれてステータス画面以外で字を見たのは王都に行ってからだ。

 ちなみに下働きしてる店の看板が初。本とか存在しないと思ってた。……王都に入る時の申請は代筆だったし。


「迷宮の攻略者には、大いなる力と、大いなる財宝と、大いなる栄光が与えられるだろう」


 なんかすごそうだな。


「――という、解読文の他に『よーするにローグ的な不○議のダンジョン作ったんで、みんなで遊ぼうぜっ!(・∀・)b』って書いてあった」


 と言って、そのままずばり書かれている本を開いてみせた。

 座ってるのにずっこけそうになった。なんじゃそら。久々に見たよ日本語、と顔文字。

 王国で使われてる共通語や謎の文字と混在しているが、斜め読みになっているだけで暗号もくそもない。

 目を丸くした俺の表情を見てユキが笑う。いや、そりゃびっくりするわ。


「これは一番簡単な例だけど、なんかね、特に顔文字の部分が解読が難しくて、それに引っ張られて他の文字の意味も良く分かんなくなってるみたいだよ。上手い具合に古代文字に見えるんだってさ。確かに顔文字とか、知らない人が見たら顔に見えないかもね。ちなみにどれも暗号自体は簡単だったよ。日本語知ってれば子供でも解けるレベル。これとかただの斜め読みだし、日本語部分以外はほとんど謎言語だし」


 なんだろう、この脱力感。


「あー、ここで言ったのは、競争相手を増やしたくないって事か」

「そうそう。もう行くって決めている君の様な人ならともかく、普通に生活している人も迷宮都市に行きかねないからね。蹴落とす必要はないと思うけど、わざわざ親切に教えてあげる事もないかなって。それに、迷宮ってのがどの程度のものかは分からないけど、モンスターとの切った張ったがないわけがないからね。普通に生活できるなら、そのほうがいいんだよ。……うちの家族にも言ってないし」


 それはそうかもしれない。

 街で傭兵や冒険者をやってる荒くれ者ならともかく、手に職を持ってる人間がわざわざ痛い思いをする事もないだろう。

 そういう荒くれ者とは、普通あまりお近づきになりたいとも思わないしな。


「他に何か情報はないのか? ……あ、有料?」


 この馬車がタダだったので、まだ金はある事はあるが、そこはまけてもらえないだろうか。


「お金は別にいいよ。まあ、向こうでパーティ組んでもらえると助かるかな。ローグっていっても"的"だし、ソロじゃないだろうしね」

「ちなみにローグってなんだ?」


 あれ、ユキさんの動きが固まった。

 不○議のダンジョンのほうは知ってるぞ。腹出たおっさんがパンを片手に、入る度に構造の変わるダンジョンへゾンビアタックするゲームだ。


「そうか、あまり知名度ないのかな……」


 一気に疲れた表情になったユキが説明してくれた。

 ローグというのは、テキストベースで表示されるマップ自動生成型ダンジョン探索RPGの事らしい。不○議のダンジョンもその亜種のようだ。ユキはこれのファンで、グラフィカルなゲームが出るようになっても、テキスト表示のものをやり続けていたらしい。

 ちなみに、ローグ"ライク"といって色々なクローンがあるらしいが、聞いても違いが分からなかった。そもそも、腹出たおっさんと三度笠の違いも良く分からんし。


「そもそも、子供の頃は家にゲーム機がなくてね。倉庫で埃被ってたUNIXマシンで始めたのがきっかけだよ。最初は何がなんやら分からなかったけど…」

「いや、元のゲームの話は今はいいから」


 この手の中毒者は話し出すとキリがないと相場が決まっている。前世でもそういう奴がいたので良く分かる。


「それより、つまり迷宮都市のダンジョンは入る度に構造が変わるって事か?」

「いや、それは分からないよ。実際に見たわけじゃないし、詳細な情報もなかったしね。ただ、元ネタを知っていると有利にはなるんじゃないかなぁ、程度には思っている」


 うーむ、やった事ないから良く分からん。

 どうもLv1に戻るのが馴染めなかったのだ。この世界にレベルの概念がないから、その仕様はないんだろうけど。

 そもそもコンピュータゲーム自体、超大作とかの定番以外はそこまでやってない。まったくやらない連中からは、ゲームばっかやってるとか言われたりもしたが、かなりライトゲーマーだったと思う。


「ちなみに、分かってる情報だと、件のダンジョンの中では"死なない"らしいよ」

「え、死なないってすげえな、どんな技術だよ」

「仕組みは分からないし詳細も分からないけど、どうもそういう事らしいよ。実際にダンジョン内で死んだことがあるって人にも会ったし」


 死んでも大丈夫ならゾンビアタックができるって事か?

 あ、でもゲームじゃないんだから、死ぬまでに相当痛みや苦しみは味わうのか。


「え、それなら頑張れば簡単にクリアできるって事か? いや、クリアとかないシステムかもしれないけど」

「死なないってのは、逆の意味にも取れるよ。――何度も死ぬのが当たり前の難易度なんじゃないかな。ローグって死んで覚えるゲームの代名詞みたいなところあるし」

「………………」


 それはきつい。でも、死ぬよりはいいか? ……いいのか?


「おい、坊主共、城壁が見えてきたぞ。まだ距離はあるが、あれが迷宮都市だ」


 御者の蜥蜴人が振り返りながら言う。

 馬車の荷車から顔を出してみると、完全に夜が明けていた。

 向かう先に見えるのは、地方都市と呼ぶにはやたら巨大で重厚な城壁だ。

 見渡す限りの荒野の中に巨大な亀裂があり、そこに掛けられた橋の先に圧倒的な存在感を放つ壁がある。


「あれが……迷宮都市」


 どちらが言ったのかは良く分からない。

 ただ、現代日本でも見たことのない重厚さに圧倒されていた。




-2-




 トカゲのおっさんと別れ、迷宮都市のやたら厳重な入街? 審査の列に並んでいる間、ユキが他愛もない話題を振ってきた。

 あまり触れたくなかった俺の名前の話である。


「そういえば、君の名前は本当に日本人か疑わしくなる名前だよね。元々の名前はシーチキンかな?」

「ねーよ」


 普通なら他愛もない話である。だが、俺に名前の話は鬼門だ。

 『ツナ』という名前はこの世界でも変な部類だ。ましてや現代日本ではもっと特異な名前に聞こえる。ああ、ユキと違って、元々ツナなのだ。

 日本人がツナと聞くと大抵思い出すのはツナ缶だ。どこかの登録商標だが、ユキの言うシーチキンでも良い。その二つが前世でのあだ名で、本名よりも使われた呼び名だ。


「ちなみにどんな字かな?」

「『綱』だよ。『網』と良く間違えるあれ」


 ぶっちゃけ、漢字を知っても変な名前だろう。


「ああ、という事は苗字は渡辺かな。すごいね、鬼退治できそうだ。友達に金太郎とかいなかった?」

「知ってるのかよ。……そうだよ、元々の苗字は渡辺だ。渡辺綱。つーか公時も頼光もいねーよ」


 そう、平安時代の武将、渡辺綱が元ネタだ。といっても親はそんな歴史に詳しいわけでもなく、渡辺姓の偉人を探して付けただけらしい。ほとんどDQNネームである。

 でも子供がそんな歴史など知るはずもなく、小学校低学年で『ツナ缶』と呼ばれて以来、ずっと俺のあだ名は『ツナ缶』か『シーチキン』だった。稀に『サラダ』。

 俺と親しかった友人は、無理矢理サラダに入ってそうな渾名を付けられていた。喜んでトマトと呼ばれてた奴もいたが。


 ユキの言う金太郎は、渡辺綱と同じく源頼光に仕えていた坂田公時の事である。絵本になった子供時代の方が有名な偉人だ。

 もちろんそんな友達はいない。


「ここのダンジョンは、素質のあるスキルが覚え易いらしいから、名前由来で《 刀術 》スキルとか覚えるんじゃないかな?」

「覚えてどうするよ。こっちで日本刀なんて見た事ないぞ」


 あるなら使ったっていいが、そもそも日本にいた頃でも触った事すらない。鉈って刀と分類違うよな?

 大体、平安時代の刀って、所謂俺たちが知ってる日本刀とは別の作りだったはずだし。


「僕も見た事ないけど、ここにならあるんじゃないかな、刀」


 ユキが見上げるのはやたら重厚な迷宮都市の門。

 確かに有り得なくはない。ここまで巨大な都市を造り上げる権力を持っているなら、日本刀を作る事もできそうだ。


「ただ、前世でも刀なんて使った事ないけどな。学校でも剣道の授業はなかったし。部活も入ってなかったし」


 せいぜい、修学旅行の御土産で買った木刀くらいだ。確か数回振り回して押入れの肥やしとなった。


「なんだ、異世界ファンタジーものでありがちな刀主人公にはならないのか」


 言われてみれば多かったな、刀主人公。


「そういや、武器どうするかな。拾った剣以外はナイフくらいしかつかった事ないんだけど。あと棍棒」

「なんというか、良く冒険者になろうって思ったよね」


 馬車の中でも話したが、選択肢がなかったんだよ。


「お前はどうなんだ? 異世界ファンタジーの主人公さんよ」

「僕は片手剣と短弓が得意だね。あんまり力がないからサイズが小さいやつ」


 くそ、普通だった。ユキの体格と武器の重量を考えると現実的なラインだ。

 大剣とか大鎌とか言い出したら中二病乙とか返してやったのに。


「迷宮都市っていうくらいだから武器も色々売ってるだろうと思って、普段使いのナイフだけしか持ってないんだよな」


 出処は言えないが、俺はこの都市にすべてを賭けているので所持金はわりとある。蜥蜴のおっさんの馬車もどういうわけかタダだったし。

 といっても武器の一本くらいはなんとかなるだろうって程度だ。

 迷宮探索の本場のほうが良い物を買えるんじゃないかと王都での購入は見送ったのだが……安く買えるといいな。

 ダンジョン探索に、ナイフじゃなんともならんよな……。最悪、丸太とか角材を振り回すって手もあるが、武器くらいちゃんとしたい。


「登録する前に何か武器でも買う? パーティ組んでくれとは言ったけど、訓練するのを待ってるほどのんびりはしたくないんだけど」

「いいや、俺、《 近接戦闘 》と《 片手武器 》のギフト持ちだから、その二つのどっちかに合致するものだったら大丈夫だよ。弓とかじゃなければ、最悪棍棒でもなんとかなるぞ」

「うわ、すごいね。農家にはまったく役に立たないスキルだ」


『スキル』というのは、読んだ通りの代物だ。これを持っていると技術が向上したり、身体能力が向上したりする。魔法が使えるようになったりもするらしい。

 このスキル、あらゆる行動、才能ごとに存在しているんじゃないかというほど数が多い。そして、これを持っているのと持っていないのではあらゆる意味で差が出る。


 例えば、《 剣術 》というスキルがある。これは剣にカテゴライズされる武器であればなんでもいいのだが、使った際の技術に補正がかかる。なんとなく上手い使い方が分かるらしいのだ。

 ただ、何もないところからこのスキルを習得するのにかかるのに大体の目安として、一年くらいの修行が必要だという。もちろん、どんなに努力しても適性がないものは習得できない。

 しかも、《 剣術 》を習得する訓練をしていて《 両手武器 》のスキルを習得したりと、狙って習得する事も難しい。

 また、《 剣術 》と《 小剣術 》が別スキルで、《 短剣術 》や《 細剣術 》もあるらしい。細分化され過ぎだ。


 そして『ギフト』というのは先天的に持っているスキルの事を指す。両者の性能に区別はなく、ステータス欄の表示位置が違うくらいだ。

 ただ、稀にユニークなスキルを持つ者がいて、そういうのをギフト持ちとか呼んだりする。


 俺の場合は生まれた時から《 近接戦闘 》と《 片手武器 》のギフトを持っていたらしい。

 基本的に転生者は前世の技能をギフトという形で持って生まれる事が多いらしいが、俺は何故か極端に戦闘向きな技能だ。

 プレイしていたMMO-RPGで戦士職だったからとかだろうか。だとしたら物すごく適当である。


「ちなみにスキルは《 サバイバル 》と《 食物鑑定 》もあるぞ」

「うん、その類を持ってるとは思ってたよ」


《 サバイバル 》と《 食物鑑定 》は俺が後天的に取得したスキルだ。生きるために必死だったからともいえる。

《 弓 》や《 狩猟 》、《 動物解体 》などは、才能がなかったのか持っていない。動物性蛋白質を得るために欲しかったのだが。


「お前はどうなんだ? ……ああ、言える範囲でいいぞ」


 この世界、基本的に他人にスキルを教えたりしないし、専用のスキルでも持っていなければ早々見る事はできない。

 生活習慣などもスキルとして現れるので、プライバシー的な問題もある。

 ただ、教えてはいけないという法律があるわけでもなく、冒険者としてパーティを組む相手のものなら、戦闘関連のスキルを聞いても良いだろう。


「戦闘に結び付きそうなのはさっき言った《 剣術 》と《 投擲 》かな、《 算術 》とかもあるよ。君も持ってるとは思うけど」

「まあ、《 算術 》はな。前世で小学校低学年レベルの算数習得しただけでも持ってるらしいしな」


 前世で四則演算ができる程度に算数を習得していれば、大体は《 算術 》を持って生まれてくるらしい。元ネパール人さんから聞いた話だ。

 とはいえ、この世界で一から算術スキルを覚えるのは結構大変で、商人が活用するような算術を習得してもスキルとしては現れないそうだ。

 生まれてこの方、このスキルが役に立った事はないが、前世で勉強しておいて良かったと思わせる話である。

 実はこの《 算術 》、持っていると商人の丁稚になる際にかなり有利になるスキルなのだが、俺は文字がほとんど読めないので対象外だった。

 ……まあ、俺が字を読めないのもアレだが、この世界はそもそも識字率自体が10%に満たないと言われている。大半の人間は自分のステータスも読めないのだ。


「それじゃ、僕らはわりと前衛スキルは充実してるって事かな」

「後衛二人よりはいいと思うけど、回復職が欲しいな。魔法使い」


 ゲームであれば、他に盗賊(斥候)や魔法使い、僧侶がいればバランスがいい。


「この世界、魔法使いなんてほとんどお目にかかれないよ」

「知ってるよ。言ってみただけだ」


 この世界もファンタジーらしく魔法使い……魔術師はいることはいるが、ほとんど雲の上の存在だ。話だけで、実際に見た事もない。

 魔力があっても魔法を覚える事が困難で、公開されている術式なんて存在しない。漫画っぽい詠唱があるかどうかも分からない。ほとんど一子相伝の世界だ。

 そんな技術を独占している魔術士は基本的に金持ちである。そんな人間がわざわざ危険な冒険者になる必要なんてない。

 なので、ネット小説でテンプレ化している、赤ん坊の頃から魔力トレーニングして俺TUEEEもほとんど不可能だ。


 因みに、教会にいる神父さんたちはステータスを見るスキルは持っているが、回復魔法は使えない。回復魔法も魔術士の領分らしい。

 神の力で治療して信仰心を煽ったりもしない。結構真面目な人たちだ。……というか、教会はあるのに神様の話とか聞いた事がないな。


「まあ、しばらくは二人で泥臭い殴り合いかな」

「地味な絵面になりそうだな」


 華やかさが欠片もない。異世界転生なんていっても現実はそんなもんなんだろう。

 でも、ここなら少しはファンタジー成分を味わう事ができそうだ。男の子なら憧れるよね。


「そういえば、この列に並んでいる人たちって、みんな冒険者志望なのかな」


 言われてみれば、列に並んでいるのは、武器を身につけた冒険者・傭兵に見える人が多い。

 実物はお目にかかった事はないが、魔法使いっぽいローブを着た人もいる。というか、目の前のちっこい人がそうだ。


「そうなんじゃないか? 迷宮都市ってくらいだし」

「でも、普通少しくらいは商人とか混ざってそうなものだけどね。それっぽい人がいない」


 確かに不自然なほどに、戦闘できます的な人しかいない。


「あなたたち、知らないの?」


 前のちっこいローブが話かけてきた。声で分かったが、なんとこの脅威の男性率の中で女の子のようだ。

 あ、いや、後ろのユキのような例もあるから、まだ女の子かどうか分からんな。

 ローブで顔がほとんど見えないが、見える範囲では可愛い……と思う。


「知らないってのは?」

「ここの審査の事。迷宮都市は基本冒険者しか受け入れない」

「そういう決まりなのか?」


 そういえば、馬車に乗る際にもトカゲのおっさんにそんな事を言われたような気もする。

 貿易とかどうするのかね。王都の一部なのに、国の中で鎖国でもしてるのか?


「冒険者の中で出回ってる情報では、そうらしいって事になってる。難民とか、移住者とかは受け付けてないっていう話だった」

「ふーん、本業の冒険者は独自の情報元があるの? 僕はその話は聞かなかったんだけど」

「うん。帝国の冒険者ギルドで、ある程度の実力があるって判断された人にだけ公開されてる情報」


 それじゃ、ユキの情報網には引っかからんだろうな。冒険者って独自の世界築いてるところがあるみたいだし。


「そうなんだ……。って帝国から来たの? すごい長旅だね」

「うん。かなり面倒なルートだった。国境をいくつ跨いだか分からない」


 そう呟く姿は非常に疲れているように見えた。よっぽど帝国とやらは遠いのだろう。

 まあ、俺はそもそも帝国がなんなのかも分からないわけだが。

 帝国っていう国家体制を知らないわけじゃないぞ。この世界にどんな国家があるのか良く知らないのだ。

 興味もない上に、知る機会もなかった。酒場の噂話だと断片的にしか聞けないし、変な略し方してる場合も多いしな。今だって帝国としか言ってないし。……何帝国だよ。


「ここにいる人は基本同業者。あなたたちもそうでしょ? ……そうなの?」


 こいつ、俺の格好見て自信なくしやがった。

 確かに武器らしい武器は持ってないし、格好もマントの中の服はスラムにいても違和感がないレベルでボロボロだ。


「えーと、そういう事で、移住者は受け付けてないらしいから……」

「いや、冒険者志望なんで問題ないっす」

「そう……なんだ。頑張って」


 それは、冒険者業頑張ってという意味だよな。街に入れるように頑張ってという意味じゃないよな。




-3-




「おおおお……」


 長い行列を待つ事数時間。審査と登録待ちに数時間。列に並び始めたのは早朝だというのに、都市に入った頃には昼を回っていた。

 俺の目の前に広がる光景は、この世界では王都ですら見る事のできなかった、都市と呼ぶに相応しい光景だ。

 王都でも城以外はせいぜい二階建ての建物ばかりだというのに、ここは見渡しただけでも数十の巨大な建物があった。超すげぇ。


 行き交う人々も多彩だ。これまでの人生でほとんど他人種にお目にかかれなかったというのに、ここは多種多様な人種の坩堝だ。

 なにより活気がある。人々の顔に笑顔があった。正にここは生きている街だ。

 普通の店も多いが、ここは都市の外から来た人相手なのか屋台がやたら多い。辺りから非常に美味そうな匂いが立ち込めている。


「お、竜が飛んでる」


 空を見ると、建物よりも高い場所を翼の生えた生物が飛んでいた。

 あれはワイバーンって奴だろうか。噂に聞いた事のある竜籠って奴だな。

 馬車も王都より多いし、馬だけじゃなく翼のない竜が引いてるのもあるし、ここはやっぱり都会って事なのかね。辺境でも何でもない。


「あ、ようやく終わったんだね。待ちくたびれたよ」


 阿呆みたいに街を眺めていたら、ユキが声をかけてきた。

 長かったのに待っていてくれるとは、わりと律儀な奴だ。あのちっこいのが言ってたように審査で弾かれる可能性とか考えなかったのだろうか。


「悪い。ホモっぽい人が審査官でさ。時間ばっかりかけてやたら体を触ってきやがるんだよ」

「ああ、ツナは確かにゲイ受けは良さそうな感じだよね。前世でやったBLゲーの登場人物にもいたよ、君みたいなの」


 やめろ。やめて下さい。


「ぶん殴ったら台無しだから耐えてたんだけど、ついに俺のケツに手が伸びてきたから手が出ちまった」

「よ、良く大丈夫だったね」

「前世で習得していた多彩なプロレス技を駆使したら観客が沸いた。ちょっとしたヒーローだったぜ。おひねりももらった」

「大丈夫かな、この街」


 あの鬼畜眼鏡はしばらく動けないだろう。

 というか、あんなのを審査官にするんじゃねえよ。いやがらせか。


「そういや、おひねりに混じって変なチケットもらったぞ。この街って独自紙幣があるんだってさ」

「はっ? なにそれ」

「お前も知らない情報なのか。普通の通貨も使えるらしいから路頭に迷う事はなさそうだ」


 王国の通貨が使えなかったらどうしようかと思ったが、そんな事はないらしい。このチケットがどれくらいの価値かは分からないが、併用できるそうだ。

 チケットには割と質のいい紙にモンスターの絵と数字が印刷されている。100MPとかいわれても単位が分からん。マジックポイント?


「ふーん」


 ユキはまじまじとその紙を覗き込む。

 それ、俺のお捻りだから返してね。


「すごいね、これ。日本のお札ほどじゃないけど、かなり高度な技術使ってるよ。透かしまで入ってる。……外じゃろくに印刷技術もないのに」

「え、確かに本とか見なかったけど、活版印刷とかないのか? 誰か他の転生者が作ってそうじゃん」


 現代技術チートとかでさ。農業に比べたら数は少なかったけど、そんな創作物もあった気がするぞ。

 ……まさか、王都ではパピルス紙とか羊皮紙使ってたりするのか?


「ないね。写本が職業として成り立ってるくらいだから。植物紙すら碌に普及してないのに、印刷はハードルが高いよ。インクもすごい高いし。活版印刷は僕も概要くらいしか知らないけど、世間で出回ってる技術はせいぜい版画レベル。つまり、外は中世以下の文明って事。魔法とかあるから比べてもしょうがないけど。製紙技術を確立するだけで大儲けできると思うよ。ウチの実家だったら喜んで買うだろうね。」


 そういえば、王都にいる間でもこの世界の文明の程度なんて調べてなかった。良くある中世レベルですらなかったのか。

 村にいる時は文明というものに触れる機会すらなかった。記憶戻った時、原始時代かと思ったくらいだし。……さすがに原始時代は言い過ぎだったけど。……古代くらい?


「この手の技術は、専門知識がないと碌に成果が出せないんだよ。知識があっても一足飛びにその技術を開発できるはずもないし。そもそも、お金かかるしね。農家に生まれて肥溜め作ろうとして大惨事になるのが関の山じゃない? 寄生虫とか」

「俺、村外れの森で腐葉土とか作っていたぞ」

「できてもそれくらいだよね。ツナは賢明だと思うよ。金も専門知識も試行錯誤もなくNAISEIなんて無理だって。失敗した本人が言うんだから間違いないよ」


 体験談かよ。

 ちなみに、腐葉土も最初は効果ないわ、虫が湧くわで大変だった。


「だから、この街はおかしい。やっぱりチート主人公の臭いがする」

「ふーん」


 紙幣一つで、そんなに違うものかね。信用通貨(多分)ってだけでもすごいのか。


「とりあえずさ、飯食おうぜ。お前は馬車の中で干し肉食ってたけど、俺、途中で食料尽きて昨日から何も食ってないんだよ」

「あ、そうだね。なるべく節約したいから安いところがいいな……」


 さて、迷宮都市の飯はどんなものか。

 あたりを見渡すと、意外に飲食店が多い。昼時だからか屋台も多く出ている。街の入り口っていうのも関係あるかもしれない。

 日本人転生者らしく、米とか出してないのだろうか。焼き魚定食とか。


 ユキが無言で袖を引っ張ったので振り返ると、飲食店の看板を指していた。


[ 本日の日替わり 鯖の味噌煮定食 ランチタイムご飯味噌汁お替わり自由 ]


 俺たちは無言で頷きあって、フラフラと吸い込まれるように店に入っていった。

 節約とか、その看板が日本語で書かれていたとか、そういう事も頭から消えて、どこかへ飛んでいってしまった。




-4-




「ふおおおおおお」


 俺たちは目の前に置かれたお盆を彩る究極の色彩に心奪われ、変な声をあげていた。

 鯖の味噌煮、味噌汁、茄子の漬物、冷奴、生卵、そして炊きたての白飯。どれ一つとっても、現代日本で出しておかしくない出来栄え。

 この世界なら、数百年時代を先取りした明らかなオーバーテクノロジーだ。

 というか、それぞれの食材でさえ、外の世界ではお目にかかった事がない。生卵とか、現代の地球でも日本位でしか食えないだろうに。


「お、俺もうここに永住する」

「僕も、帰る故郷なんてなかったんや」


 わりと本気だった。

 というか、俺の場合は何年かしたら故郷なくなってる可能性あるしな。


「外から来た人たちは大げさですねー。スプーンとかフォークいりますか? お箸じゃ食べ辛いですよね」


 大げさ……だと。

 やたら可愛い服を着た猫耳ウエイトレスが寝言を言ってらっしゃる。

 俺はこれほどの食事にありつけるなら、死んでもいいとさえ思っていた。

 ユキだって、飢えた事はないと言っていたが、食うものはこの世界基準のもので、決して日本で食えるものと比較なんてできない。だって、自覚してるのか分からんが涎出てる。

 俺たちは猫耳ウエイトレスの言葉を無視して、噛み締めるように食事を始めた。ユキにつられたが、『いただきます』なんて言ったの何年ぶりだろう。体は変わっていても、染み付いた箸の使い方は忘れていなかったようだ。


 ひたすら食った。

 何回お替わりしたか分からないくらい食べて、おかずがなくなってもご飯と味噌汁だけで食べ続けた。それだけでもご馳走なのだ。

 動けなくなるくらい限界まで腹に詰め込んで、食後の緑茶を啜っていると、俺たちはお互いが泣いている事に気付いた。


「外の食事はゴミだな」

「エサだね」


 これまでの生活で食べてきたものは、ただ生きるのに必要なエサだ。これを本当の食事と呼ぶのだ。あまりに長い事この世界にいたせいで忘れていた。

 俺たちはここで生まれ育った人や、外で生まれた元日本人以外の人には分からない、究極の感動を味わっていた。


「あのー、そろそろ昼の時間終わりなんで、お支払いお願いしたいんですが」

「あ、すいません」


 究極の感動が台無しだった。




 勘定を済ませ、俺たちは広場のベンチで項垂れていた。


「おい、どうよ」

「何がさ」

「……あれだけ食って一人小銀貨一枚だぞ」

「うん」


 それは一回の食事代としては安くはない。外の世界だったら普通に数日分の食事代にはなる。

 一食にそれだけかけるのは、昨日までの俺だったらありえない贅沢だった。

 だが、それでも数日分である。数日我慢すれば、アレが食えるのだ。ありえない。


「地域格差ってレベルじゃねえ」

「実はここ異世界なんじゃないかな。僕らのいた世界とも違う」


 そうだな、あの壁はまさしく世界を隔てる壁だ。

 この広場だって、王都の汚い路地とは比べものにならないくらいの整備状況だ。ゴミ一つない。

 どんなチート野郎なら、ここまでの差を築けるというのか。


「迷宮で稼げるようになったら、あれを毎日食べられるのかな」

「そうじゃねえ? 忘れてるかもしれないが、あれ日替わり定食だぞ」


 庶民の食事のはずだ。きっと力仕事のおっさんとかが食ってるような飯だ。


「おかーさん、ケーキ食べたい」

「あらあら、しょうがないわね、どれがいいの?」

「あのね、あのね、えーと、……苺のショートケーキ!」


 通りかかった親子が、そんな事を言っているのが耳に入る。

 顔を上げると、広場に面した場所にメルヘンな装飾がされたケーキ屋があった。店頭に展示されてるのは前世日本で売られているようなケーキだ。

 いくらで売られているかは知らないが、庶民に手が出せる範囲の値段なんだろう。王都なら値段どころか、そもそも売られてもいない。

 横で倒れているユキは身動きしていないが、親子の会話に聞き耳を立てているのが分かる。


「おいお前、まさかケーキ食うつもりじゃないだろうな」


 俺達の腹は決壊寸前である。

 まさか、甘いものは別腹とか言い出すんじゃないだろうな。お前は今男なんだぞ。


「だ、駄目かな」


 駄目に決まってるだろ。なんで目が血走ってるんだよ。

 こいつだって分かっているはずだ。あと一口でも何か口にしたら俺たちは社会的に破滅だ。この綺麗な広場に汚い橋がかかる。

 新橋のおっさんたちでも昼間からは吐いたりしない。


「あとにしろ」

「だって、ショートケーキだよっ! 苺なんだよ!」


 分かってるわい。でも、お前今にでもリバースしそうじゃないか。


「男の子には分からないかも知れないけど、甘いものはまた違うんだよ」

「お前、男、オーケー?」

「くっ……」


 本気で悔しそうである。十年以上経ってるんだから諦めろよ。

 それに、あの親子の様子ならこの先いくらでも食う機会はあるだろうよ。


「ところで、このあとどうするよ。宿を決めるか、冒険者登録するか」

「先に登録だね。迷宮ギルドで冒険者登録すると色々割引とかあるって、定食屋の壁にチラシが張ってあった」


 良く見てるな。俺は飯だけに集中して目に入ってなかったわ。


「ほう。さすがは迷宮都市って感じだな」

「登録料がかかるわけでもないらしいから、とりあえず迷宮ギルドに行こうか」


 ギルドっていうのは、中世にあった職業別の組合のようなものだ。互助会的な存在に近い存在で、王国中にある。

 このギルド、本来は登録するにも身元保証が必要だし結構な金もかかる。場合によっては、専門の技術を持っていないと門前払いされる事があるらしい。

 かといって、この後ろ盾がない状態で何か商売などを始めようとすると、ギルドに加入している人をすべて敵に回す事になる。

 商人・職人の利権を護るために組織された、縄張り染みた組合だ。少なくとも、登録しただけで仕事を紹介してくれるハローワークのような組織ではない。


 ギルドは本来そういうものなのだが、前世のネット小説で流行っていた異世界転生ものやファンタジーを題材にしたゲームでは、ちょっと扱いが違う。

 冒険者ギルド=登録手数料がかからなくて、身元不明の怪しい人材に身分保障してくれて、仕事まで斡旋してくれるという、国家権力すら無視しかけている超組織な事が多い。

 多分、ゲームを円滑に進行するためのギミックとして扱われているから、そんな超組織になったのだろう。


 ここまでに仕入れた情報だと、迷宮都市のギルドは後者。そのテンプレに近いようだ。懐にはまだ余裕はあるが、登録料すらかからないのは非常に助かる。

 審査の時にも冒険者志望ですって言ったわけだし、是非、登録させてもらいたい。


「行くのはいいが、お前、動けるの?」

「……十分休憩したら行こう」


 十分で動けるようになるといいな。




-5-




「ここが迷宮ギルドか」


 俺たちの目の前にはそれと見て分かる看板を掲げた建物があった。

 やたら近代的で、外から見て単純に五階建て以上はある巨大な建物だ。というかコンクリ製のビルである。窓はガラス張りで中が見える。

 ファンタジーのお約束の酒場・食事処的な軽食屋チックなものが一階にある事はあるが、ギルド本体とは区切られている。

 そして、究極的なまでにイメージをぶち壊してるのは道を挟んで向かいにあるコンビニだ。

 景観のコレジャナイ感の上、役所的な雰囲気だが、中に冒険者ですって感じの人がたくさんいるので目的地なのは間違いないだろう。


「なんか近代的な建物だね」


 二人して萎縮していた。

 だって、俺の想像してたのは酒場兼宿屋な感じの汚い店だぜ。

 アウトローな感じのおっさんたちが昼間っから酒飲んで、入ってきた奴に絡んでくるイメージだ。なんで現代チックな役所なんだよ。


「ほら、異世界ファンタジー的なお約束だとさ、色々あるじゃない。大丈夫かな?」

「入ったら、ベテランに絡まれるみたいなやつか」


 入るのが怖いのか、ユキが変な事を言い出した。

 小説だと大抵返り討ちにしているが、俺たちにできるだろうか。……無理じゃない? 俺長いものに巻かれるタイプだよ。

 新人なんだから、先輩にはヘコヘコ低姿勢でいこうぜ。


「テンプレだと、他には魔力測定で異常な数値が出て、審査の人とか驚くとかあったよね」

「ユニークスキルが分かって騒ぎになったりな」


 ねーな。俺たちは多分一般人枠だ。そもそも、ステータスもスキルも確認済だし。


「安心していいぞ。きっと、俺たちはそんなトラブルに巻き込まれるような主人公的才能はない」

「そ、そうだよね。……じゃあ行こうか」


 緊張を紛らわすための会話だったのだろう。それともまさかフラグ立てだったのか。俺は、先行したユキに追いつく様に歩き出した。

 普通のドアではないまさかの自動ドアを潜り、中に入ると、空調が効いているのか若干涼しかった。




「よぉ、お前さんたち、見かけない面だが、ルーキーかい」


 ユキのフラグ立てのせいなのか異世界ファンタジーの宿命なのか知らないが、ギルドに入った途端、筋肉に絡まれた。

 ハゲで厳つい顔したテンプレート的なマッチョマンである。何故か上半身裸で、ワセリンでも塗っているのかテカテカしている。とてもいい笑顔だ。

 横を見ると、ユキは言葉を失っていた。


「まあ、緊張するなよ。別に取って食おうってわけじゃないんだ。俺たちルーキーに優しい先輩だから。先輩だから」


 もう一体筋肉が増えた。マズい事に両脇を挟まれてしまった。

 そして何故二回言った。そんな重要な事なのか?

 ここは後輩として、マジで下手に出る場面なのか。ジャンプしたほうがいいのか?


 あまりのお約束展開に、ユキを見捨てて逃げようとしたが、違う筋肉に回りこまれた。三人目だ。


「おーい、ボッヅ、お前みたいなのが先輩面吹かせてるんじゃねーよ。本当にルーキーに優しいのは俺。< マッスル・ランサー >のドビーゴ様だぜ」

「おいおい、お前みたいな凶悪面に立ち塞がられたら迷惑だろ。ほら、ルーキーたちが怖がってるじゃねーか」

「まてよ、ここは< モヒカンヘッド >のリーダーである俺がだな」


 なんか今度はモヒカンが増えた。


「いや、ここは< アフロ・ダンサーズ >の俺たちがルーキーたちの面倒を見てやろう」

「てめえ、悪評ポイントが限界近いからって出しゃばるんじゃねーよ」

「それはお前の事だろうが」

「はいはいはい、そこまでにしておくニャ」


 筋肉と筋肉と筋肉、それにモヒカンとアフロまで加わって、いよいよカオスになって来たところに、猫獣人が現れた。

 ユキはあまりの展開に顔面蒼白だ。明らかに情報を処理し切れていない。俺も処理できているか怪しい。


「あー、悪いニャ。ルーキーたちよ。こいつら評判悪くてこの街を追い出されそうだから、必死に良い事しようとアピールしてるんだニャあ」

「し、してねーし。俺は泣く子も黙る< モヒカン・ヘッド >だぜ」

「うるさいから黙るニャ。そろそろ窓口のお姉さんがブチ切れそうな顔してるニャ」

「やべ、逃げろ」


 筋肉たちが散っていく。逃げて行く際にもこちらに向かって『< 赤銅色のマッスル・ブラザーズ >をよろしくなっ!』とアピールしていた奴がいた。

 それはチーム名か何かなのか。


「は、いけない、あまりの展開にトリップしてた」


 完全なる現実逃避である。

 お前、俺と猫耳さんいなかったら、連れ去られててもおかしくなかったぞ。


「うちの相方が帰ってきたところで、できれば説明してほしいんだけど。……いや、窓口のお姉さんに聞いたほうがいいのかな」

「別に構わないニャ。さっきも言ったように、あいつらは評判悪いからこの街を追い出される寸前なのニャあ。

この街は悪い事をすると悪評ポイントっていうのが溜まって、それが一定値を超えると冒険者は強制的に引退。二度とこの迷宮都市にも入れなくなるニャ」


 すごいシステムだな。基準が良く分からないけど、悪評立つような事はできないって事か。

 ……あいつら、一応善意で声をかけて来たって事か。


「この街に慣れた人間が外で暮らせるわけはニャいから、死活問題なのニャあ」

「あー」


 さっき食べた定食の味が蘇ってきた。

 一瞬で理解してしまった。悪い事はできないね。


「だから、別に目を付けられて脅されるとかはまずニャいと思うから、安心していいニャ」

「ところで猫獣人の人って、語尾にニャをつけないといけないとか、そういう……」

「これは個性をアピールするためニャ。人気取りも楽じゃニャいのだよ。ウチのクランはみんなこんな感じニャ」


 ずいぶんと雑なキャラ作りだった。

 何のために人気取るんだろうか。


「……あのさ、さっきから、窓口のお姉さんがすごい焦れた感じでこっちを見てるんだけど」

「ああ、怒らせると怖い人だから、質問とか登録はあのおねーさんに聞くといいニャ。あちしもどっか行くニャ」

「はあ……」


 猫の人と別れて、ようやく目的だった窓口に辿り着いた。わずか数メートルでえらい体験をしてしまった。

 若干イライラしている雰囲気だが、お姉さんはとてもいい笑顔だ。


「あの、登録したいんですけど」

「はい、初めての方ですね。迷宮都市、迷宮ギルド本部へようこそ」




 こうして、ようやく俺たちは冒険者として歩み出す事になった。



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