第10話:予期せぬ裏切り

 裏山にはあまたの禍鬼まがつきがうようよといる。


 だから長居するのは例えその道の者であったとしても決していいわけではない。


 コハクがもう、ここに長居をするだけの理由はなくなった。


 なくなったのならば早急に立ち去るべきである。それがわからないほど、コハクも愚かではない。


 しかし、何故かコハクは山頂にて留まり続けた。


 さらさらと草木が擦れ合う音が、何故だか今日はいつになく心地良さすらある。


 それはきっと、ギンガがいるかだろう。コハクはそう思った。


 禍鬼まがつきを退ける力は、対極に位置する陽の力である。


 陽……それは、例えば太陽であったり人の明るい活気などを差す。


(やっぱりこいつは、すごいな。アイドルの中のアイドルだよ)


 と、コハクは感嘆の時をそっともらした。


 ギンガという存在が、この裏山を覆う陰気を退けているのである。


 いうまでもなく、彼女自身に特別な力の類は一切ないと断言してもよい。


 元々ギンガ自身にある持ち前の明るさと優しさが、あろうことか禍鬼まがつきの力を抑制していた。



「お前は、ドリスタが誇る最強で最高のアイドルだよ」


「と、突然どうしたのスタッフさん。そんな風に褒められると……なんだか照れちゃうよ」


「純然たる事実を言ったまでだよ俺は。とにかく、お前がいればドリスタは安泰だな」


「あ、それは違うよスタッフさん」



 と、ギンガがきっぱりと言った。


 相変わらずギンガの言霊はまっすぐで揺らぎが一片もない。



「わたしや、他のみんなもだけど……裏で仕事をしてくれている音響さんや脚本家さん、みんながいてこそだよ。もちろんスタッフさんの存在が一番大きいけどね」


「……そこまで買われてるとは光栄だな」


「わたしだって、純然たる事実を述べたまでだよ」



 くすり、と忍び笑うギンガ。


 月光によってほのかに照らされた彼女の頬はほんのりと赤い。


(これで後、ハイライトがオフってなかったらなぁ……)


 と、コハクはしみじみとそう思った。



「――、とりあえず戻るぞ。俺がどういった仕事をしているかは知ってもらえたわけだし」


「うん。これはわたしたちだけの秘密ってことだね」


「いや、他の奴らにも教えるぞ」



 一人だけ知っていたのでは意味がない。


 ギンガは例えよしとしても、他のメンバーが果たして同じかどうか。それはやってみなければわからない。


 とは言え、ギンガの様子からしてコハクはすでに諦めにも似た心境にいた。


 恐らく……いや、ほぼ確実に他の面々もギンガと同じ反応だろう。コハクは内心で小さく溜息を吐いた。



「え? どうして他のみんなにも教える必要があるの? わたしだけでいいと思うんだけど。ねぇどうして?」


「突然の圧かけるのやめてもらっていいか? 普通に怖いから」


「わたし怖くないよ? 別に怒ってないもん。ただちょっとだけ気になっただけで、スタッフさんの回答次第じゃどうなるかわかんないけど」


「それを世間一般じゃあ怒ってるって言うんだよ。マジでやめろよ……」



 あくまでも二人だけの秘密という形にしておきたいらしい。


 せっかくの穏やかだった雰囲気も、ギンガによってたちまち陰気なものへと戻ってしまった。


 そのためなのか、とコハクは盛大に溜息を吐いた。



「これはこれは、また随分と厄介そうな禍鬼まがつきなことで……」



 コハクの目前にいるそれは、先程までの禍鬼まがつきとは明らかに異なる形状をしていた。


 通常、禍鬼まがつきは獣に近しい形状となる。


 それがより力を持つことで、古来より日本を代表する妖怪……鬼へと彼らは成るのだ。


 そんな鬼でさえも、人間っぽい形ではあるものの真の人とは程遠い。


 現在、コハクが対峙しているのは明らかにヒトであった。


 全身が闇夜のように黒く、禍々しい顔さえ除けばすらりとした成人女性となんら変わりない。


(一応、胸らしきものもあるけど……形だけだな。エロさがまるでない)


 基本、コハクの信条として真の外道でもない限り女性に手を挙げることは決してしない。


 禍鬼まがつきはまず人間ですらもないし、人類の天敵だ。


 それ故にコハクが放った正拳突きにも一切の容赦がない。



「俺の拳は痛いぞ?」



 ごうっ、と大気をうならせるほどの一撃がまっすぐ禍鬼まがつきを捉えた。


 コハクが空手と出会ったのは、彼がまだ齢六歳だった時のこと。


 陰陽師の家系として生まれ、ゆくゆくは跡取りになる。


 そのための修練を欠かせられない地獄のような日々の中で、ある感情がコハクの胸中で渦巻いていた。


 面白くない、と――コハクには才能があった。それも歴代最高峰と謳われるぐらいの天賦の才が。


 その才能にうぬぼれるような性格ではなく、日々の修練も真面目にしていた。


 だが、その胸中で言葉では言い表しようのない感情がずっと幼いころから渦巻いていたのである。


 この感情はいったいなんなんだろうか、と自問する日々が続く。


 ひょっとすると一生わからないままずっと続いていくのかもしれない。


 そう思ったある日、コハクはついにその感情の正体について知ることとなる。



「スタッフさん、空手やってたの!?」


「あぁ、子供の頃からずっとな。しかもただの空手じゃないぞ、なにせ烏天狗に鍛えてもらった空手だからな」



 烏天狗、というのはあくまでもわかりやすいものの例えでしかない。


 元を正せば、人生を大きく動かすきっかけとなったいわば師の正体は禍鬼まがつきなのだから。


 その禍鬼まがつきはとても変わっていた。


 決して人間と仲良くする気などないくせにして、幼いコハクに空手を教えた。


 正確には強制的に指導していた。殺すわけでもなく、己の技を徹底してコハクに教えた。

 常人であれば裸足で逃げてもおかしくない過酷な修練は、最悪の場合命を落とす。

 それほどの危険性があったにも関わらず、コハクは現在もこうして五体満足に生きている。


 挙句には超人的な強さを有したと言えよう。


 何故、幼かったコハクを殺そうとしなかったのか。


 理由については未だよくわかっていない、というのが本音なところである。


 いずれにせよ、この奇妙奇天烈が……出会いがコハクの人生を大きく変えたきっかけなのは間違いない。



禍鬼まがつき仕込みのしごきに、陰陽師としての修練……そんでもって実戦で磨き続けてきた技。あんまりなめてると痛い目見るぞ?」



 禍鬼まがつきが吼えた。


 腕を伸ばし、鋭利な刃物のように鋭い爪がまっすぐコハクの喉元目掛けぴんと突き出される。


 刃物と対峙した時、大抵の人間は恐怖で身体が竦んでしまう。


 平和となった日本だが、言い換えればそれだけ危険に対する自衛手段が低下したという意味でもある。


 だからいざという時、なにもできずにそのままあっさりとやられてしまうのだ。


 コハクという男は、常人以上の能力を有している。



「やられるかよ」



 真の空手家の受けは、自らを守る盾とするだけでなく相手を破壊する矛とも化す。


 実際、空手の試合で攻撃したはずの選手が受けられたことによって骨折した、という事例もある。


 コハクの鍛え抜かれた超人的な筋力による防御は、正しく鋼鉄と同等である。


 ならばどのような結果となるか――その音は、枯れ枝を力いっぱいにへし折るような音に近い。


 禍鬼まがつきの腕があらぬ方向へとへし折れている。



「お前カルシウム不足だな。もっと牛乳をたくさん飲んだほうがいいぞ」



 と、コハクは不敵な笑みを小さく浮かべた。


 そして鋭い正拳突きが容赦なく顔面を捉える。


 なんとも形容しがたい音と共に、禍鬼まがつきが遥か遠くへと吹っ飛ぶ。


 手応えはあった、確かに。コハクは拳に残る感触に、ふっと口角を釣りあげる。


 これが人であったならば確実に、相手の頭蓋骨は粉々になっていただろう。


 一撃必殺と呼ぶに相応しいその正拳突きに、しかし禍鬼まがつきはのそりと起きあがる。


 これが、彼らが人と圧倒的に違う要因だ。人であれば即死は免れない攻撃でも、彼らの異常すぎる肉体ではそれさえも防ぐ。


 とはいえ、まったくダメージがないというわけでもない。


 顔面部は拳の形に深々と陥没し、立ちあがったまではよいもののその足はひどく覚束ない。


 立っているのもやっとの状態なのは、火を見るよりも明らかだった。


(それでも、俺の拳を受けてまだ立っていられるとはな……こいつ、明らかに他の禍鬼まがつきとは違うな)


 コハクは地を思いっきり蹴り上げた。


 戦闘が長引くのは、コハクとしても望まない状況である。


 自分だけならばともかく、ここにはギンガもいる。


 彼女に被害が及ぶ前に、早急かつ迅速に処理する。


 その判断が誤りであるとは、当然ながらコハクは微塵たりとも思っていない。



「これで終わりだ禍鬼まがつき!」



 頭部を狙った上段回し蹴りが繰り出される。


 鞭のようにしなるコハクの蹴りは、鉄骨ぐらいならば難なくへし折ってしまうほどの破壊力を有する。


 例えそれが禍鬼まがつきであろうとも、直撃すれば無事では済まされない。


 更には陰陽師としての浄化の力の付与おまけつきだ。


 終わった、とコハクは確信した。いつものように迅速に仕事を終え、帰ったらのんびりと風呂に入る。


 なんら変わらない日常をすごすはずだった予定は――予期せぬ形によって大きく狂う。



「なっ……」



 刹那、絹を裂いたような悲鳴が周囲に響き渡った。



「……おいおい。いったいどういうつもりだぁ、クソ親父・・・・?」


「…………」


「あ……あ……」



 ギンガの瞳が恐怖によって支配される。


 想い人が背後から刀で刺された。この光景を目の当たりにしただけでも十分にトラウマとなるのは言うまでもない。


 ましてやそれが、想い人の父親であれば尚更のこと。


 かくいうコハクも、この裏切りには驚愕を禁じ得ない。


禍鬼まがつきばっかりに気を取られて……そうなるように最初から仕向けやがったのか)


 絶縁された身だ。親子仲が元より悪いのは今に始まったわけではない。


 だからいつか、こうなる日がくるのではないか。コハクもそう考えた日は少なからずあった。


 その日が今日だったらしい。口端から一筋の血を流しつつも、不敵な笑みをコハクは崩さない。



「……口惜しいが、この禍鬼まがつきを祓えるのは貴様しかいないと思っていた。歴代最高峰の傑作とまで謳われた貴様ならば――あるいは禍鬼まがつきを術式もなしに支配下においた貴様だからこそ」


「そういう、ことかよ……」



 合点がいった、とコハクは内心で舌打ちをもらす。


(つまり最初から、この結婚話とかでたらめだったってわけか……)


 コハクは理解すると同時に、改めて父の異常性にゾッとした。



「……当主の座は、この屋敷は誰にも渡さん。すべて……このワシのものだ」 



 絶縁したといえど、実の息子さえも己の欲望のために利用するなど外道の極み以外のなにものでもない。



「その結果、実の息子を殺すの……かよ……」



 いったいなにがこの男の心をこうも歪ませてしまったのか。


 むろんその答えがわかるはずもない。



「スタッフさん!!」


「ぐ……こんのクソ親父がぁ……この俺を、なめてんじゃねぇぞぉ!」



 依然刀はコハクの腹部から生えたまま。


 月光に照らされた白刃にも、べったりと赤々とした血が付着している。


 致命傷であるのは誰の見ても見ても一目瞭然だ。


 だが、コハクは獣のごとき雄叫びをあげると共に肘を思いっきり背後へと振り抜いてみせた。


 修練の必要もなく、もとより堅牢にできた人体の一部……肘。


 そこに空手の技量が加わればどうなるか。時には肉をも切り裂く鋭利な刃物と化し、時には鋼鉄をも砕く鉄槌と化す。


 祓御家の当主であろうと元を正せば彼も人間にすぎない。



「がはぁっ!」


「はぁ……はぁ……ざまぁみろってんだ。この野郎」



 顔面にまともに喰らって立てるわけもなく。


 派手に後方へと吹き飛んだ父はしばらく地を背中で滑走した後、頭部から大木に衝突した。


 そのままぴくりとも動かない父に、コハクは忌々し気な視線をちらりと送ってその場に倒れた。


 おそらく父も今の一撃で死んだだろう。仮にそうでなくとも致命傷であることになんら変わりはない。


 そして今回の一件は知られるだろうし、そうなってしまえばもう当主の座につくことは永遠に訪れない。


(とりあえず、ギンガだけでも無事ならよかった……)


 薄れゆく意識の中で、コハクはぼんやりと空を見上げた。


 かすかに視界いっぱいに広がっていた満天の星が、ボロボロと涙を流す少女の泣き顔で埋め尽くされる。


 なんてひどい顔をしているのだろう、とコハクはふっと頬をわずかに緩めた。



「スタッフさん! お願い死なないでスタッフさん!!」


「ギン……ガ……」



 コハクは静かに瞳を閉じると、意識をついに手放した。

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