第9話:ガチなホラーなや~つ
鬱蒼とした森の中をどんどん進んでいく。
屋敷の裏にある山の山頂が、コハクが目指す場所だった。
祓御家とその関係者以外立ち入ることは決して許されない。
「スタッフさん、手を離さないでね」
「はいはい、わかってるから」
さしものギンガも、夜の森には恐怖を憶えるらしい。
森は当然ながら、都会のような喧騒は微塵たりともない。
しんとした静寂は時に穏やかであり、反面得体の知れない不気味さをかもし出す。
祓御家の裏に広がる森は、時間帯問わずいつも鬱蒼としていた。
それは単純に木々が生い茂っているからだけではない。
ここには、飛び切り危険な存在が潜んでいるからに他ならない。
それを祓御家では代々、封じ管理し時には己の為に使役してきた。
力なき者がここへ来ることが何を意味するか、それはあえて説明する必要もなかろう。
つまりギンガにとってこの森に入る行為は自殺行為に等しいものだった。
だからこそ、コハクは今回のこの行動について罪悪感が拭えずにいた。
(でも、これもこいつらのためだ。住む世界が違うってわかれば、さすがに納得してくれるだろ……)
もっとも、そうでなくては困るのだが……。
これすらもギンガたちは許容しそうな気がする、とコハクはそんなことを思った。
恋は盲目、とは度々耳にするがいざ実際に当事者となるとこれほど厄介なものもまぁあるまい。
「そうだ。おいギンガ、これ持っておけ」
と、コハクはギンガに一つの数珠を渡した。
「これは?」
透き通った水晶がわずかな月光を浴びてきらり、と美しく輝く。
中でも特に、手の甲に位置する大きな水晶には龍が彫刻されている。
不思議そうな顔をして、しかしどこか恐怖が和らいだ表情のギンガにコハクは静かに言葉を紡ぐ。
「そいつは、まぁお守りだ。常に肌身離さずそれを持っておけば、大抵のことからは守ってくれる」
「きれい……」
と、ギンガがほう、と吐息をもらした。
「そういえば」
と、ギンガがはたと口を開く。
「これって、言い換えればスタッフさんからのプレゼントだよね?」
「まぁ、プレゼントって言えるほどのものでもないけど……そうなるのか?」
「スタッフさんからのプレゼント……えへへ」
「んな大袈裟な」
「そんなことないよ」
呆れつつも笑う、そんなコハクにギンガはきっぱりと否定する。
ギンガが発したその言葉には揺らぎない、強い意志をコハクに感じさせた。
まっすぐで美しい瞳が、ジッとコハクを視界に捉える。
思わず吸い込まれそうな、そんな錯覚しそうになったギンガの瞳を、コハクも真剣な眼差しで返した。
「好きな人からのプレゼントだよ? 嬉しくないわけがないよ」
「そりゃ、まぁお前が言わんとしていることはわかるけど……」
「だからこれはわたしの宝物。ずっと大切にしていくからね」
「……あぁ、そうしてくれ」
そんなものでと喜んでくれるのならば、もっといくらでもいい品物がたくさんある。
ぎゅっと大切そうに数珠に触れるギンガの姿を目前に、コハクは口を閉ざした。
やはり今すぐにでもこのような危険な行為はやめるべきだ。
(やっぱり、もっと違う方法でアピールした方がいいな)
今すぐにでも引き返すべきだ。
コハクがそう判断を下して――だが、彼の歩みはそこでぴたりと立ち止まってしまう。
これまでになんの不祥事も起きなかったのは、ある意味奇跡であると言ってもいい。
数珠の効力があったためか、はたまた長く実家を離れていたため環境が変化したのか。
いずれにせよ、あまりにもスムーズな移動だったため、目的地にすっかりついてしまった。
「あの、スタッフさん……なに、ここ……?」
先程までの穏やかな表情は消失し、こわばらせた表情でギンガが呟くように尋ねた。
目前にある大きな鳥居は、かつては色鮮やかな朱色だったと聞く。
それも長い年月と、周囲一帯を覆う邪気によってすっかり朽ちてしまったらしい。
修繕もかつてはされていたそうだが、いつしかコスト削減として止めてしまったそうだ。
いかんせん罰当たりなのでは、と幼いながらも疑問を抱いたのは今となっては思い出の一部にすぎない。
その鳥居をくぐり抜けると、広々とした空間が来訪者をまず出迎える。
特にこれと言って目立ったものはなく、あるのは奥に小さな祠がちょこんと祀られているのみ。
この異様極まりない空間には、さしものギンガも恐怖を憶えてしまったようだった。
(まぁ、無理もないか。ここはホラーゲームじゃなくて、現実のホラーなんだし)
ギンガは、ホラーゲームに対する耐性がどのメンバーよりもずっと強いのは有名な話だ。
他の実況者たちが阿鼻叫喚な状態になっている中で、彼女だけが平然としたプレイを魅せる。
悲鳴をあげるどころか、逆に大声で笑ってしまうぐらい豪胆な性格のギンガでも、やはり実際の恐怖と対峙すればそうはいかないらしい。
だからこそコハクは、珍しいものがみれた、と不謹慎ながらもそう思った。
ギンガがこうも恐怖する姿は新鮮そのものといっても過言ではない。
恐怖によって表情を惹きつきつらせる彼女は、つい守ってやりたい。
男心くすぐらせるだけの魅力があった。
「ね、ねぇスタッフさん……ここは、どこなの?」
「……なぁギンガ。俺がドリスタのスタッフになる前、どんな仕事をしていたか知りたいか。そう聞いたよな?」
返答のないギンガを他所に、コハクは己の両腕にグローブを曾着した。
白と桃色を主にしたレザー製のオープンフィンガーグローブは、一見すると可愛らしい。
手の甲には純白に煌めく板金に覆われ、以上からこれが一種に武器であると察するのにそう時間はかからない。
それをしっかりと両手に装着して、コハクは静かに呼気をもらした。
次の瞬間――森がざわざわと大きく騒がしくなり始めた。
矢継ぎ早に肌を突き刺すような、凍てつく夜風がびゅんと木々の間をすり抜けていく。
そろそろやってくるだろう、とコハクはここでゆっくりと拳を構えた。
「ね、ねぇスタッフさん! いったいなにが始まるの……!?」
ギンガだけが、現状についてまるで理解ができていない。
彼女は、今やだれもが知る超人気を誇るアイドルだが元を正せばごくごく普通の人間だ。
だからこそ、非科学的にして非現実的なものへの理解が乏しいのは、致し方ないことである。
どうか卒倒しないでほしい、とコハクは切にそう祈った。
気を失ってしまっては、互いの世界がまったく異なることを理解してもらえないから。
「――、おいでなすったぞ」
「えっ……?」
と、ギンガがぎょっと目を丸くした。
それはギンガにとってはじめて目にするものである。
正確に言えば、漫画やアニメといった創造物の中では幾度となくその目にしてきている。
あれらは等しく架空の存在にすぎない。
実在することはなく、だからこそ人々の様々な想像によって彼らは創造されていく。
おそらくそれはこれから先ずっと、絶えることなく生み出されていくだろう。
それは俗に悪霊と呼称される存在である。
強い恨みや怒りなど。負の感情は皮肉なことに正の感情よりも遥かに強い力を生ずる。
そうした負の力が幾重にも収束したものが悪霊……正しくは、
彼らは古の時代より存在し、人々と相対してきた。
いわばこれらは陰と陽の関係であり、その関係は決して断ち切れるものではない。
そうした存在を祓う者たちを、古来から陰陽師と総称していた。
「――、とまぁ。つまりはこういうことなんだわ」
と、コハクはギンガのほうをちらりと見やった。
「…………」
茫然とした様子でジッと同じ場所を見つめるギンガの姿がそこにあった。
ギンガは今日、人生ではじめて陰陽師と
漫画やアニメの存在を実際に目にする。
そこに興奮した様子は微塵もなく、だからと言って恐怖する様子も一切ない。
ただただ、ギンガは困惑していた。
(まぁ、当然の反応だなわ)
と、コハクはそう思った。
瞬時に現状を把握できるのは、豪胆な者でなければまず難しい。
人とは、非現実的なものを目の当たりにした時にまず真っ先にそれの否定から入る。
あんなものは存在しない、これは夢だ……などなど。
それが正常であるといえば確かにそうであるし、しかしすっかり思慮が浅くなってしまった。
「……すごい」
もそりつ呟くギンガの瞳からは未だ困惑の感情がぐるぐると渦巻いている。
だが、そこにはついさっきまではなかった別の感情が生じていた。
それは好奇心、あるいは関心と呼ぶべき感情か。
とにもかくにも、恐怖の感情は欠片ほどもなく。キラキラと瞳を輝かせてギンガはパッと顔に花を咲かせた。
「スタッフさん、こんな仕事をずっとしてたの!?」
「え? あ、あぁ……まぁ……」
「すごいすごい! だってわたし、あんなのアニメとかゲームの中でしか見たことがなかったんだもん!」
「そりゃそうだろ。普通に生きてたらよっぽどじゃないと見ないからな」
もちろん、陰陽師やその他の同業者らの存在があってこそだが。
彼らは影で活動しなければ、今頃日本は魑魅魍魎が跋扈する魔界と化していたかもしれないのだから。
「じゃあ、スタッフさんはその……妖怪をやっつける仕事をしていたの?」
「厳密にいうなら、
「そうだったんだ……」
「これでわかっただろ? 俺とお前たちとでは住んでいる世界が違うんだよ。だからもう、これ以上俺に関わるな」
と、コハクはきっぱりとそう言った。
これでギンガも、否が応でも納得するしかないだろう。
いかに危険な存在と対峙しているか、そして自分という存在がどれだけ無力であるか。
どう足掻こうとも決して覆しようのない現実を目の当たりにすれば、きっとわかってくれる。
そう信じていただけあって――
「……それでも」
ギンガの瞳に宿る輝きは、満天の星のように美しい。
「わたしはスタッフさんと離れたくない」
ギンガの言葉は、愚直すぎるぐらいまっすぐだった。
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