第8話:秘密とはひどく甘美なものだ……

 賑やかな食事も無事に終わり、コハクは一人縁側にてぼんやりとしていた。


 茜色だった空も今や美しい満天の星がきらきらとして輝いている。


 そこにぽっかりと浮かぶ金色の月をしばし眺めてから、コハクはその場にて大の字に横になった。


 今日だけでいつになく刺激的な時間をすごした。


 我が家がこれまで大いに騒がしくなったことが果たしてあっただろうか、という自問にコハクは自嘲気味に小さく鼻で笑う――そんなもの、あの頃のうちにはなかった。



「とりあえず、どうするかな……」



 結局のところ、未だ父からは何一つ情報をもらっていない。


 今からでも尋ねにいくか――問題は早急に処理しておくに限る。


 縁側から腰を上げようとした、正にその時である。



「スタッフさん」


「ギンガか……」


「その、ごめんなさい。突然押しかけちゃって」



 と、ギンガが深く頭を下げた。


 今更過ぎるだろう、と心の中だけに留めコハクは代わりに小さな溜息で返した。


 ここで注意すべきは、気にしていない――ついつい使いがちになるこの言葉だが、少なくともギンガたちの前では間違っても発言してはならない。


 すぐに調子に乗るのは、ドリームスターライブプロダクションのアイドルたちの悪い癖だ。


 事実、気にしていないと口にしたことでコハクは過去に多大な被害を被っている。


 何事も限度が大切なのだ。



「それで、いったい何の用だ? 明日は早いぞ。それにお前らだって配信とかあるだろ」



 すでに各々、今日の配信を休んでしまっている。


 これにはさしものコハクも、元スタッフとしてリスナーに申し訳ない気持ちが生じた。


 彼らは彼女たちの配信をいつも心から楽しみにしてくれている。


 そしてリスナーという支えがあってこそはじめて、この活動は成り立つのは言うまでもない。


 救いは、彼らがこの程度のことで不満をあげるような小さな器ではないことだろう。


 すでにSNSでは突然の休みに対してあたたかなコメントであふれ返っている。


 これもひとえに、ギンガたちの努力があってこその賜物だろう。



「……わたしは、やっぱりスタッフさんを諦められない。これからもずっと傍にいてほしいの」


「ギンガ、だからその話についてはもうしただろ? 家の都合でって」


「じゃあその家の都合ってなんなの? わたしにも教えてよ!」


「それはいくらなんでもプライバシーの侵害だぞ。逆に俺が明日は何するんだって尋ねられるの嫌だろ?」


「スタッフさんにだったらすべてをさらけ出してもいいもん!」


「そこは普通に嫌がれよ。なんでオープンになってるんだよ……」


「他の男だったら絶対に嫌だもん。だからスタッフさん……責任、取ってくれるよね?」


「責任を取るだけのこと、まだ何もしてないんだけど?」



 一向に諦めようとしないギンガのその姿勢に、いよいよコハクは呆れを通り越して感心にも似た感情を抱いた。


 一体全体、何が彼女たちをこうさせてしまうのだろうか――恋は盲目、という言葉はあるが果たしてこれが該当するか否か。コハクにはそれがわからない。


 わからないが、とにもかくにも事態はどんどん厄介な方へ進んでいるのはまず、確かだと断言してもよかろう。


 どうすれば納得してくれるだろうか、とコハクはうんうんと唸った。



「……なぁ、ギンガよ」



 ふと、脳裏に一つの妙案が浮かぶ。


 いくらなんでもこれはやりすぎだ、とコハクはすぐにその案を否定した。


 しかし、口はそんな意志とは裏腹に絶えず言葉を紡いでいく。



「俺が本来、どういうことをしているか知りたいか?」


「えっ!?」



 それはギンガにとっては甘い誘惑となった。


 想い人の情報が少しでも手に入るのであれば、それを欲するのは人としての性である。


 愛する者のことを誰よりも、自分だけがもっと知りたい。独占したい。


 コハクはそうした心理を利用したのである。



「そんなの、知りたいに決まってるよ! わたしはスタッフさんのこと、もっともっとたくさん知りたい!」


「……一応聞くけどさ。そんなに知りたいって思うものなのか?」



 これは純粋な疑問である。


 想い人のことをもっと知りたいという心理は、あくまでも対象者になんらかの感情を抱いていることがまず大前提である。


 どうでもよい人間のことを、いろいろと知りたいなどと思う人間はよほどの変わり者だ。


 この質問を投げかけた直後のギンガの瞳に、一際強い輝きが宿ったのをコハクは見逃さない。


 ギラギラとしたそれは期待というよりかは、さながら獲物を発見した肉食獣のよう。



「当然だよ! だって、スタッフさんだよ!」


「いやスタッフさんだよ、ってそうハッキリと言われても困るんだけどな……」


「それで!? どんなことをしてるの!? 早く教えて!」


「わ、わかったから! わかったから落ち着けよギンガ……」


「……って、ちょっと待ってスタッフさん」



 不意にハッとしたギンガに、コハクははて、と小首をひねる。



「どうしたんだ?」


「それって……他の子にも言ったりした?」


「え?」


「答えて」



 有無を言わせない雰囲気に、コハクは思わずたじろいでしまう。


 裏の世界を少しも知らない、危険とは一切無縁の温室育ちの一般人――それがギンガたちだ。


 現在、目前にて対峙しているギンガの威圧感はかつての父をコハクに強く連想させた。


(こいつ、本当に普通のアイドルか?)


 と、コハクはすこぶる本気でそう思った。



「答えて、スタッフさん」


「あ、えっと」



 これ以上待たせることは得策ではない。


 コハクは咳払いを一つして、静かに言葉を紡いでいく。



「いや、この話を持ち掛けたのは今のところお前だけだ」


「本当に?」



 と、ギンガがぎろりと睨んだ。



「本当だって」



 と、コハクは冷静に返した。


 ただし内心では、滝のような汗がどっと流れていることをギンガはもちろん知る由もない。



「……よかったぁ! やっぱりわたしが一番スタッフさんに愛されてるんだね!」


「いや、別に愛しているとかは関係なくて――」


「愛されてるんだよね?」


「あ、はい――もうそれでいいや」



 と、コハクは大きな溜息を吐いた。



「さてと、それじゃあ少し場所を変えるとするか――今から少しだけある場所・・・・にいくけど、いいか?」


「もちろん!」


「んじゃ、いくか――あ、懐中電灯持ってくるから少し待っててくれ」


「え? そ、そんな……いきなりはじめてが外でやるなんては、恥ずかしいよスタッフさん……」


「頭大丈夫かお前」



 と、コハクはすこぶる本気でそう尋ねた。

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