第6話:お嬢様ご乱心、の巻
天鳳院トモエ……若くして起業に成功した女社長。
企業家としての腕前はもちろんのこと、性格も優しく社員からの信頼も極めて高い。
正しく非の打ち所がないエリートではあるが、ホラーの類が大の苦手というかわいらしい一面も持つ。
罰ゲーム企画でホラーゲーム実況をやった際には、あまりにも泣きじゃくるため途中で中断した。
これも一つの放送事故と言えるが、そこは彼女の配信にやってくるリスナーの民度である。
文句をいう者は誰一人おらず、むしろ暖かいコメントであふれ返った。
これもトモエだからこそ成せた、人望だろう。コハクはそう関心していた。
リアルでのトモエは、名実ともに大企業の令嬢である。
自身も名門校に通うほどの成績優秀で、人望もとてつもなく熱い。
名声に胡坐をかくことなく、自らの力で道を切り開こうとする姿勢は尊敬すべきだ。
そんなトモエが今日、はじめて常識から逸脱した行動に出た。
この事実がコハクは、とても信じられずにいた。
ドリームスターライブプロダクションの中でまだ比較的常識人といっても過言ではない。
暴走しがちなメンバーのストッパー役としても、トモエの存在は大きかった。
「トモエ……お前まで本当に何やってるんだよ……」
「当然、決まっていますでしょう。スタッフさんを連れ戻しにきましたの」
「いや、連れ戻しに来たって……俺は正式に手続きを踏んだ上で退職したんだぞ? そこには未練も後悔もない」
「ですが、ドリームスターライブプロダクションを退職したのはお家のことが原因なのですよね?」
「……一応聞いてもいいか?」
すでにこの時点で嫌な予感しかしない。
「トモエ、お前は
大企業というだけあってトモエが、いわゆる金持ちなのはわざわざ尋ねるまでもない。
金の力を使ったのではないか、とコハクはそう思った。
まっとうな企業であるから、裏社会とつながりがあるとは思いたくはないが……。
「――、今回ばかりはさすがにいろいろと手を使わせていただきましたわ。悔しいですけど、わたくし一人だけの力じゃどうしようもありませんでしたので」
「いややっぱり金の力を使ったんかい」
と、コハクは深く溜息を吐いた。
(はぁ……それにしても、ギンガに続いてトモエまで。一期生勢揃いじゃねぇかよ)
このままでは、遅かれ早かれ全員がここに来そうな気がしてならない。
一応、祓御家は表舞台に出ないようずっと活動を続けてきた。
それは単純に世間にいらぬ恐怖と混乱を招かないようにするためである。
古来よりずっと暗躍してきたはずが、現代になってよもやアイドルグループに明かされるなど笑い話にもなりはしない。
一刻も早くどうにかしなければ、、もっと面倒で大変なことが起きるに違いない。
果たしてそれがなにかまでは、さしものコハクもわからなかった。
とにもかくにも、大変なことという結果だけは容易に想像がつく。
コハクはそう思っては、ゾッと顔を青白くさせた。
「それにしても……シルヴィさんに先を越されるとは不覚でしたわ」
「フッフッフ~。ウチとスタッフ様との絆はdiamondよりカッチカチなのデース!」
「さてと、それではさっそくわたくしは交渉してきますわ」
「おい、どこにいくつもりだ?」
と、コハクは怪訝な眼差しを送った。
「というかお前、気になってはいたんだけど……それはなんだ?」
銀色のアタッシュケースの存在が、先ほどから気になって仕方がない。
中身はもちろんだが、その用途についてもしかり。
「もちろん、これは交渉ですわ」
平坦な胸をふんと張る姿はどこかかわいらしい。
得意げにそう口走るトモエに、コハクはますます表情をしかめた。
嫌な予感が現実として、形になろうとしている瞬間である。
「えっと……誰と? 何に対しての?」
「もちろん、決まっていますわ。スタッフさんのお父様に、スタッフさんの人権を買収しにです」
「は?」
と、コハクは素っ頓狂な声をもらした。
トモエの提案は、明らかに一般常識からひどく逸脱している。
早い話が、トモエは人身売買に着手しようとしているのだ。
アイドルがやっていいことではないのは言うまでもないし、それ以前に人として決してやってはならない。
いかに大企業の令嬢で財力があったとしても、だからと犯罪に手を染めてもよい理由にはならないのだから。
「トモエ、それはいくらなんでも駄目だぞ」
「どうしてですの?」
と、トモエが不可思議そうな顔を示した。
(コイツ……マジで言ってるのか??)
何故、と口走ったことにコハクは大いに驚愕した。
一般常識があるのであれば、まずこのような台詞は絶対に口にしない。
例え日本という国が人身売買と無縁の関係であり、共通点がなかったにせよ。
それが犯罪であり非人道的行為という事実だけは、皆わかっているものだ。
その常識がトモエからは欠如している。
「当たり前だろ。お前がやろうとしていることは単なる人身売買だ。それに俺はお前に買われるつもりは一切ない」
「ですがスタッフさん。どれだけきれいごとを並べたとしても、最終的に力を持つのは財力ですわよ」
「それだけじゃない。人間は……心は、金だけで簡単に取引できるほど軽いもんじゃないぞ」
「それはやってみなければわかりませんわ。確かにスタッフさんのような方はそうかもしれませんけど、でも本当にお金に困っている人だったら? 例えば早急に治療が必要な恋人を救うために莫大な医療費を必要としていたら? ほら、結局人間はお金なくしては生きていけないのですよ」
トモエの言い分は、ある意味正しい。
単純に金が欲しいから、ではなく真っ当な理由がそこにあったとしたら。
例え結果悪の道に進むことになるとわかっていても、そうせざるを得ないだけの理由があったのならば。
トモエが言うように、心を金で打ってしまう輩がいてもなんらおかしくはない。
「お前、そんな金金いうキャラクターじゃなかっただろ……」
「スタッフさんが辞めると仰るから、そうなってしまったのですわ……」
「……ちなみに、お前はいくらで俺を買うつもりなんだ?」
何気なく、コハクは自身の値段について気になってしまった。
もちろん、人間をお金で換算するなど間違っている。
とはいえ、やはり気になってしまうのは人としての性でもあった。
おそらく、そんなに安い値段ではないと思うのだが……。コハクはアタッシュケースのほうをジッと見やった。
「一億円ですわ」
「い、一億……!」
と、コハクはぎょっと目を丸くした。
一億という数字がどれだけ途方もない数字かは容易に理解できる。
加えて、まず普通に生活していく中でそれほどの莫大な金額を目にする機会はない。
生まれてはじめて見る、生の一億円があのアタッシュケースの中にぎっしりと詰まっている。
その光景を想像して、コハクはごくりと生唾を飲んだ。
「先に言っておきますけど、わたくしだったらスタッフさんには百億出しても安いぐらいですわよ」
「そ、そうなの? というか俺、それだけの価値があるとは思えないんだけど……」
大前提として、人間の価値を金額で例えること自体が間違っている。
とはいえ、いざ値踏みをした時に果たして己にそれだけの価値があるだろうか。
(いや絶対にないわな)
と、コハクは自嘲気味に鼻で笑った。
ふと、ある疑問がコハクの胸中に生じた。
「じゃあ仮に俺が百億あるとして、残りの金額はどこにいったんだ?」
「もちろん、そこから色々と差し押さえてもらいましたわ」
「差し押さえ?」
「まずスタッフさんとの結婚式の費用です。まずは海外で盛大に挙式をあげて、そのまま新婚旅行ですわね。それからスタッフさんと住むための家や設備もろもろ、他にも――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「なんですの? まだまだプランはありますのに」
つらつらの語るトモエは、まだ語り足りないと言わんばかりに頬をむっと膨らませる。
しかし、コハクにはどうしても彼女を制止せねばならないだけの理由があった。
本当に自分の人生が、他人によって好き勝手されつつある。
その事態に焦燥感を抱かない者は、もはや鈍感を通り越して愚者だ。
コハクは愚者ではない。これは本格的にどうにかしなければならなくなった、と大いに焦った。
「結婚って……いやいやいやいや。いくらなんでもそれは――」
「早すぎることはありませんわよスタッフさん。わたくし、スタッフさんとお会いした時からずっと思っていましたの――この人こそ、わたくしの運命の人なんだと」
頬をほんのりと赤らめ気恥ずかしそうに語るトモエは、いつになくかわいい。
Vドルとして活動している以外のトモエの姿を、コハクも知らないわけではない。
たびたびオフの時では外でばったりと会う――否、確実にタイミングを見計らっている――トモエとそのまま遊びにいくことも少なくはなかった。
(俺ぐらいなもんじゃないか? アイドルたちから半強制的に遊びに連れ回されるスタッフって)
と、コハクはいつもそうすこぶる本気で思っていた。
とにもかくにも、トモエの言霊に嘘偽りはない。
自分と本気で、彼女は結婚しようとしている。コハクは大きな咳払いを一つした。
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけどな? 俺にはその気がまったくないっていうか……」
「は?」
刹那、室温が一瞬にして氷点下に達した。
穏やかとは言い難いものの、少なくとも暖かかったはずの室内は今や氷河期が訪れたかのごとく。
骨をも突き刺す冷気が全身を駆け巡り、しかし逃げようにも目の前の修羅がそれをよしとしない。
(こいつ、本当に一般人だよな?)
と、コハクは怪訝な眼差しをトモエに送った。
凄烈にして膨大な殺気を放つトモエの姿は、アイドルとしては不相応極まりない。
鬼である。嫉妬に狂い、怒りと嘆きのままに他を圧倒する強く禍々しき存在――やはりトモエは、ただの一般人ではないかもしれない。
「まさかとは思いますが……他に女がいる、のですか? わたくし以外に想い人がいると?」
「い、いやなんでそうなるんだよ! そうじゃなくて、俺はまだ好きな人とかいないってだけで、誰とも交際はしてないって!」
と、コハクは否定する傍らで胸中ではほろりと一粒の涙を流した。
いくらトモエの怒りと誤解を解くためとはいえ、何が悲しくてこのようなことを口走らねばいけないのだろう。
別段、コハクは異性に餓えてはいないしましてや枯れてもいない。
単純に、そう焦らずともいい、というのがコハクのスタンスであった。
あるのだが、いざ彼女がいないと口にしたことで虚しさが胸中に生じた。
「では今からでも遅くはありません。わたくしと恋人になりましょうスタッフさん。スタッフさんを一番心から愛しているこのわたくしと交際すれば、バラ色の人生を歩めることを約束いたしますわ」
「い、いやだから俺は――」
「non non non……それは違いマース。スタッフ様が一番好きなのはこのウチ、シルヴィなのデース!」
「は? ぶち〇しますわよ?」
「アイドルなんだからそういうこというのはやめろっての!」
先程まで大人しくしていたシルヴィの発言はある種、トモエにとっては宣戦布告とも言えよう。
日本刀のように鋭利な眼光を飛ばし、ますますアイドルに相応しくなくなっていく姿にコハクは憂いた。
「おい! また誰かきたぞ!」
「今日に限ってどうしてこんな……いったい何がどうなっているんだ!?」
「……まさか」
またしても屋敷内が慌ただしくなった。
彼らの困惑は極めて正常な反応である。
これまでずっと明かされてこなかった我が家が丸裸同然になってしまっている。
不穏すぎる会話に、コハクはいよいよ卒倒しそうになった。
「マジで頭痛くなってきた……」
「oh……スタッフ様、ダイジョーブデスか?」
「すぐに横になって休まれたほうがよろしいですわ」
「いったい誰が原因だと思ってるんだ……」
件の元凶は、自らがその原因であるとは微塵にも思っていないらしい。
きょとんと不可思議そうな顔を見合わせてははて、と小首をひねる。
程なくして、廊下のほうからどかどかと慌ただしい足音が聞こえてきた。
音はだんだんとコハクらがいる部屋へと近付いてきている。
そして勢いよく、襖が開かれた。すぱん、という音は大変小気味よい音だった。
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