第4話:久しぶりの我が家に不法侵入者がきました

 鬱蒼とした森の中をしばし進んだところに、その屋敷はあった。


 外観は正しく、立派――この一言に尽きよう。


 広々とした敷地にどっしりと構えた屋敷を目前に、コハクの表情はひどく忌々し気だ。


(毎度思うけど、本当に交通手段が不便な場所にあるよなぁここは)


 人里から大きく離れ、車はおろか人の気配さえも皆無である。


 並大抵の者であればまず近付こうともしないだろうその場所に、コハクの実家がある。


 離れて数年が経過した実家は、以前となんら変わりなし。


 威厳と神聖さを保つ外観をしばし眺めていたところで、一人の男とはたと目が合った。



「――、失礼ですがどちら様でしょうか?」



 男の口ぶりから、明らかに警戒している。


 わざわざ人里離れたこの場所に人がきたのだ。ましてやコハクの格好は上下共黒のスーツに赤いインナーシャツである。


 セールスマンと捉えられなくもないが、いずれにせよわざわざセールスをしにやってくる場所ではない。


 コハクは自嘲気味に小さく鼻で一笑に伏した。



「俺だよ……って言ってもわからないわな。久しぶりの実家だから一応、それなりの礼儀はしてきたつもりが仇となったか……まぁいいか。クソ親父にこう伝えてくれ――お前の息子のコハクが帰ってきたってな」


「コハク……様? では、もしかしてあなたが?」


「一応免許証あるけど見るか? それとも、わざわざ俺の家調べ上げてまで送ってきたこの手紙・・を見せたほうが早いか……」


「……確かに。これは当主の筆跡――失礼いたしました。どうぞこちらへ」


「へいへいっと」



 応接室にて周囲を一瞥してすごしていたコハクに、一人の男がやってきた。


 威厳に満ちた顔付きは正しく、当主の座につく者として相応しい。


 そんな男に対しコハクが送った視線はいぶかしげなものだった。


(こいつ……本当にあのクソ親父なのか?)


 と、コハクはそんなことをふと思った。


 彼の記憶の中にある父の姿はもっと威厳に満ち、他者を寄せ付けない威圧感を放つ男だった。


 それが息子であっても変わりなく、むしろ子供だからこそ他よりもずっと厳しかった。


 物心つかない幼子にトラウマを与えるには十分すぎる、その父のあまりの変わりようにコハクは怪訝な眼差しを送るしかできない。


 黒だった髪はすっかり白に染まり、頬もすっかり瘦せこけ血色も良好とは言い難い。


 ぎろり、と向ける眼光も弱々しく覇気の欠片もない。


 今にも倒れてしまいそうな雰囲気をひしひしと放つ父の代わりように、コハクの胸中にあった忌々しさはすっかり消失していた。


 自分がいない数年間の間にいったなにがあったのだろうか。


 こんなにも人とは、著しく変化してしまうものなのか。


 コハクははて、と小首をひねった。



「――、久しいなコハクよ」


「あぁ、久しぶりだな。それで、今にもぶっ倒れそうになってるクソ親父様はいったいどうしたんだ?」


「……ふん。相変わらず減らず口だな貴様は」


「アンタが俺をそうさせたんだよ――それで、早速本題に入ろうか。絶縁までした息子にいったいなんのようだ? あんな手紙まで寄越してきて……いったいなにを企んでいる?」



 手紙の内容は、謝罪の言葉と共に絶縁宣言を取り消すというものだった。


 父――ゲンゾウは決して自らの非を素直に認める性格ではなかった。


 明らかにそちらが全面的に悪いだろう、と誰しもがそう結論をくだしても頭を下げようとしない。


 恐ろしいぐらいプライドが高く、そしてその形はとても歪だ。


 そうした父と幾度となく方向性で衝突し、結果――コハクは絶縁されると共に家を出た。


 その父が、手紙という形ではあれどはじめて謝罪の言葉を口にしたのである。


 到底、信じられるわけがない。父を見据えるコハクの眼光は鋭利な日本刀のように鋭く冷たい。



「……企んでいる、の意味がわからんな」


「とぼけるな。あれだけ当主の座に執着していた親父が、俺にその座を譲るだって? それこそ天変地異が起きてもありえないだろう」


「その言葉に嘘偽りはない。あれは、本心だ」


「…………」



 嘘は言っていない。


 仮にも親子であるし、嘘か否かを見抜くのはそう難しくはない。


 だからといって、そこで父に対する警戒心が完全に消失したわけではない。


 真実であるからこそ、余計に父への強い警戒心が芽生えていった。



「……絶縁の解除および俺に祓御の家督を譲る、ね。いったいどういう風の吹き回しやら」



 父から直接言葉を聞いた今でも、コハクは信じられずにいた。


 あの父がそう簡単に当主の座を譲渡する、などという姿を何故想像できよう。


 父の執着はすさまじいものであったし、そのためであれば例え肉親であろうと容赦しない――あくまでもコハクの勝手なイメージにすぎないが、まるで違和感がないことが余計におそろしくもある。


 絶対になにか裏があるに違いない、とコハクはそう結論を下した。


 まずはその裏どりをするべく、コハクは続けて質問を投げかける。


 咳き込む父の容態は、見るからによろしくない。


 こうして会話を交えている時でさえも、父の肉体への負担は相当なものだ。



「……単純に病気とかってわけじゃなさそうだな。でないとアンタがそんなにも弱くなってるわけがない」


「……何がいいたい」


「俺にみなまで言わせる気か?」



 しばしの静寂が流れる。



「――、貴様に家督を継がせるには条件がある……」



 さっきの質問に対する回答としては不相応としか言いようがない。



「今はそんなことはどうだっていいんだよ。俺はなにがあったんだってそう聞いて――」


「とあるお方と結婚をしろ……それが条件だ」


「……はぁ?」



 と、コハクは素っ頓狂な声をあげた。



「いやいやいやいや、いきなり何を言ってるんだこのクソ親父殿は。結婚って……どこの誰と? いつ? どこで?」


「詳細は、貴様がこの誘いを受けるか否かだ。否だというのであれば早急にここから立ち去るがいい」


「それ、つまり受けたら最後もう後戻りできないってことじゃないのか?」



 父の言葉の意味が、まるで理解できない。


 家督を継ぐ条件が、指定された相手との結婚などコハクは漫画やアニメの世界でしか知らない。


 それ以前に、素性がまったくわからない相手との結婚だ。そう易々と承諾できる案件でないのは言うまでもなかろう。


 なにせ己の人生が大きく関与するのだ。


 ましてや現在のコハクに結婚願望は欠片さえも持っていない。


 以上からコハクがここで下すべき結論は拒否する、それ以外の選択肢は一つもない。


 ないのだが――



「……結婚する相手になにか問題があるって感じっぽいな」


「……ッ!」



 父の身体が大きく打ち震えた。


 非常にわかりやすい反応を目前にしたコハクも、合点がいったとばかりにうんうんと頷く。


(まぁ、ウチは特殊な家系だからな。この手のパターンがないとは思っていなかったが……)



 父の衰弱ぶりは、有体にいえば異常と呼ぶ他ない。


 人間は思っている以上に脆弱な生命体だ。


 それ故に突然病を患うことだって確かにあるだろうし、コハク自身もそれについては否定しない。


 たまたま、自分の父親がそうであったからこそ。コハクはこれが異常であると察したにすぎなかった。


 あの父が、そう易々と病を患ったりするものか。心のどこかでコハクは、そう確信できるだけの自信がわずかばかりにあった。


 だからこそその自信を信じた結果、案の定とも言うべき挙措にコハクは小さく溜息を吐く。



「まさか、あの親父殿が後れを取るとはなぁ……いやぁ、本当に時代は変わったもんだなぁ」


「……侮辱するつもりか?」


「いんや、別に」



 と、コハクはあっけらかんと返した。


 父のことよりも、こうもなるまでに追い込んだ相手についてコハクは強烈な興味を持った。


 結婚には興味は依然としてないが、相手について一度その顔を拝んでおくのも悪くはない。


 コハクは不敵な笑みを小さく浮かべた。



「しかし、要するにあれか。俺を人柱として差し出すことで自分は助かる、と……アンタも腐っても死に恐怖する人間だったってわけだ」


「……なんとでもいうがいい。アレは、貴様が考えているような次元ではないのだぞ」


「その類と密接な関係にある祓御家の当主様がいったいなにを言っているのやら……目先の富や名声ばかりに目が眩んでそこまで腑抜けたかよクソ親父」



 幼少期の頃より、父に対する感情はお世辞にも好意的なものではなかった。


 しかし、そんな中でも共通していえたのは――仕事をこなす姿は誰よりも、遥かにかっこよかった。


 友人の父親より、テレビに出てくる俳優よりも遥かにずっと。


 そうした背中に憧れを、あろうことか抱いてしまった時期も確かにある。


 現在の父に、かつての時のようなかっこいい姿は微塵も見当たらない。



「幻滅したぞクソ親父。もともとアンタに好かれたいとは思ってなかったけど、前よりもっと嫌いになった」


「…………」



 父は、答えない。


 静かに口を堅く閉ざしたまま、顔を俯かせる。


 落胆しているのか、後悔しているのか。コハクにそれを知る術はなく、知ろうという気もさらさらない。


 静かに席を立ち、背を向けて一言だけ――。



「家督の件については受けるつもりはない。ただ、アンタをそんなまでにした俺の結婚相手とやらが気になったから残ってやる。そいつと話をつけたら、それで終わりだ」



 と、コハクはその場を後にした。


 最悪――この一言がもっとも相応しいであろう心境にあるコハクだが、けれども帰省したという事実にはなんら変わらない。


 せっかくの実家なのだから、のんびりと周囲を見て回るというのも一興だろう。


 父との思い出はロクでもないものばかりだが、それ以外であれば懐古の情にも浸れる。


 裏山へ向かおうとした、正にその時だった。



「こいつ、いったいどこから侵入した!?」


「こい! 怪しい奴め、神妙にしろ!」


「なんだ?」



 穏やかな静謐の中にあった屋敷内が、突如として騒がしくなった。


 たまたま耳に入ってきた言葉も穏やかとはお世辞にも言い難い。


(この屋敷に侵入するとか……どこの馬鹿なんだ?)


 金目の物ならば確かにあるだろう、がいかんせん選んだ場所が悪すぎる。


 よっぽど下調べをせずに目先の欲だけに駆られたのだろう、とコハクは喧騒のするほうへと向かった。


 すでに数多くの使用人らが現場に集結しており、それらによって件の愚か者の姿が見えない。


 ただし、実行犯のものであろう声だけは青々とした空にしっかりと昇りそして消えていった。



「うぉぉぉぉぉぉ離せぇぇぇぇぇぇぇぇっ! ウチはスタッフ様に逢いにきたんデェェェェェス!」


「この声は……って、まさか!」



 と、コハクは大いに驚愕した。


 使用人らが取り囲んでいるその女性は、怪しくはあるが決して怪しい者ではない。


 コハクがそうと断言できるのは、彼女が自らの知人であるからに他ならない。


 とはいえ、祓御家とはなんら関りがないのはもちろんのこと。


 表の世界ですくすくと育ってきた女性は、言うなればどこにでもいる一般人も同じだ。


 だからこそコハクはどうしてここにいるのか、それがわからないからひどく困惑せざるを得なかった。



「あ、スタッフ様!」



 と、女性の顔にぱっと笑顔が咲いた。


 金色のポニーテールに碧眼、そして端正な顔立ちは男であればまず、二度見をしてしまうぐらい美しい。


 容姿についてもしっかりと出ているところは出ている――当人曰く、バストのサイズはHカップであるらしい。


 黒いハイヒールと登山や自然道を歩くには不相応極まりない格好こそしているものの、色気は抜群と断言してもいい。


 それはさておき。



「……どうしてあなたがここにいるんですか、シルヴィさん」


「うふふ……きちゃったデス!」


「それは彼女が彼氏に対して言うセリフなんじゃないですかねぇ」



 ドリームスターライブプロダクション一期生、シルヴィ・アマガネにコハクは深い溜息をもらした。

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