第3話:銃刀法違反って知ってる?

 空がまだ東雲色のころ、コハクは大きな欠伸を一つこぼした。


 彼が駅に着いたのは、ちょうど午前六時。


 一睡もすることなく移動をしてきたので、耐え難い睡魔が甘く誘惑していた。



「とりあえず、ある程度は眠れるかな……」



 実家までの距離は遠く、新幹線だけでも片道4時間はかかる。


 流れゆく窓の景色をぼんやりと眺めている内に、瞼がどんどん重くなっていくのを感じた。


 後は目的地まで心地良い睡眠に身を委ねようとした、とほぼ同時。



「…………」



 コハクはふっと、目を覚ました。


 隣に誰かが座ってきた。


 別段、これは珍しいことでもなんでもない。


 自分と同じように指定席を取った乗客が座った、ただそれだけのことにすぎない。


 問題は、肝心の乗客にあった。


(は?)


 と、コハクは目をカッと見開いた。


 驚愕が勝ったことによって、ついさっきまであったはずの眠気ももはや欠片すらもない。


 どうしてここにいるのだろうか、とコハクはひどく狼狽した。



「おはようスタッフさん……寝てるところ邪魔して……ごめんなさい」



 その少女は、有体にいうのであればとても暗い少女だった。


 美しい濡羽色の長髪に端正な顔立ちをしているのに、シワだらけの白いシャツに短パンと質素な恰好だ。


 言葉悪くしていえば、だらしないの一言に尽きようが――元の素材がよければ、それだけでも十分に映える。


 それはさておき。



「お、お前は――」


「……スタッフさん。寝なくていいんですか?」


「お前のおかげでなにもかもきれいに吹っ飛んだよ……」



 魂響たまゆらリンネ――ドリームスターライブプロダクション随一の根暗キャラ。


 当人の性格をもとに、キャラクターコンセプトは遊びを知らぬままこの世を去った美少女幽霊という設定である。


 しかしゲームの腕前については超一流で、事実EスポーツからVtuber界の代表として出場し、あろうことか優勝までするというとんでもない実績を作り上げた。


 付け加えて、アイドルでもあるから歌唱力のほうもうまい。



「というか、どうしてここにリンネが?」


「……スタッフさん、辞めるって本当ですか?」


「その話かよ……というか、それをわざわざ確認するために追いかけてきたのか?」



 と、コハクは頬の筋肉をひくり、と釣りあげた。


 退職については、今頃は全員が知ったに違いあるまい。


 さもなくばこうも情報が漏洩しているわけがないのだから。


 一番の問題は、何故リンネが同じ新幹線に乗車しているのか。コハクはそれがわからない。



(実家のことは誰にも教えてないんだぞ!?)



 いかなる手段を用いたのか。


 リンネだけなのか、全員が知っているのか。


 活気がなく、いつもどんよりとした雰囲気をひしひしと放つリンネには、さしものコハクもこの時ばかりは恐怖を憶えてしまった。



「……そんなことより、答えてください。どうなんですか……?」


「うっ……た、退職については、マジだ」


「……どうして」


「実家の都合ってやつだよ。俺としてはもう少しがんばっていたかったんだが、さすがに放っておけないからな」


「……あたしたちよりも、家の都合が優先ですか?」



 次の瞬間、リンネがカバンよりスッと出したものを目の当たりにしてコハクはぎょっと目を丸くした。


 それ自体は、特にこれといった珍しさはない。


 高級なものならばともかくとして、最寄りのスーパーにいけば手軽な値段で容易に入手できる。


 料理をするのに必要不可欠な物――しかし、ひとたび使い方を誤れば命をも簡単に奪えてしまう。


 リンネの手に握られた柳葉包丁がぎらり、と怪しく輝く。


 どうしてそのようなものを所持しているのか、などと言及するだけの余裕は今のコハクには欠片さえもない。


 ずっと面倒を見てきたアイドルが、まさかこのような暴挙に平気で及ぼうとしている。


 その事実がどうしても受け入れられずにいた。


 リンネは超絶ヤンデレである。


 彼女のリスナー……通称、タマみんたちもよく知っている。


 あくまでもVtuberとしての設定だ、と全員がそう思っているだろうが実際は、大きく異なっていた。


 コハクがその事実に気付いたのは、リンネが所属して半年がすぎたあたりだった。


 リンネがそも、ドリームスターライブプロダクションへ所属したのは彼女自身が生まれ変わりたいという強い願いがあったからだった。 


 人見知りで根暗な性格をどうにかしたい。


 自分も、先輩たちのようなきらきらとした明るい性格になりたい。


 そんな強い想いと共にドリームスターライブプロダクションの門を叩き結果、魂響リンネとして所属した。


 とはいえ、もともとの性格がそう簡単に変わろうはずもなし。


 記念すべき初配信では、まさかの数分間無言という大失態をもやらかした。


 そこで一肌脱いだのがコハクである。



「スタッフさん……あたしのために力になってくれるって、いったじゃないですか……それなのに、どうして……」


「よしリンネ。まずはその包丁を下ろすところから始めようか。というか車内で堂々とそんなもん出すんじゃないよ」



 初配信での大失態で、リンネはひどく落ち込んでしまった。


 やはり自分のような人間では無理なのではないか、と本気で引退する勢いすらあった。


 初配信の失敗など気にする必要はない、自分が思うようにすればいい――今にして思えば、いささか無責任な発言だったのではないか。コハクは今でも時折、ふとそう思うことがある。


 いずれにせよ、コハクはリンネのメンタルケアを絶えず行った。


 結果的にいえば、リンネはそれから立ち直った。


 人見知りなのは相変わらずだが、徐々にそれも緩和されていきついにはリスナーとの会話が成立するまでに至った。


 これは、とても大きな成長であると断言してもよかろう。


 リンネがヤンデレと化したのは、ここからであった。



「スタッフさん……スタッフさんは、本当はやめてなんかいませんよね? ちょっと休暇みたいな、そんな感じですよね……?」



 リンネの手にしかと握られた柳葉包丁がぎらり、と怪しく輝く。


 入念によく研がれた刃を見る限り、よく手入れが行き届いている。


 さぞいい切れ味を誇るだろう――人間に用いれば立派な凶器として成立してしまうほどに。



「お、おい本気でやめような? 俺はお前がこんなところでアイドルとしての人生が終わるなんて展開見たくないぞ」


「スタッフさんがいない事務所に……意味なんて、ないですから……」


「お前な、なんのためにドリスタに入ったんだ? 一回原点回帰しろよ」


「そんなの、決まってる……じゃないですか」


「じゃあ言ってみてくれ」



 正直にいえば、リンネの回答にはあまり期待はしていない。


 ヤンデレの共通点は常識が一切通用しない、強い独自の価値観の保有していること。


 つまりは、いくら正論をぶつけようともヤンデレにはまったく意味がない。



「あたしの……運命の人スタッフさんと出会ったから……です」


「いや全然違うだろ。お前あの時の記憶ないんか?」



 と、コハクは深く溜息を吐いた。


 いったいどうしてこうなってしまったのだろうか、とコハクはふと思う。


 そも、リンネがこんな風になってしまったのは一応それなりに理由がある。


 そしてコハクはその理由に思い当たる節がいくつもあった。


(多分、俺がなにかと気にかけたのが原因なんだろうなぁ……)


 所属したはいいものの、ずっと根暗で内向的なリンネが早々生まれ変われるはずもなし。


 それ故にコハクはリンネに対し、とにかく時間をたくさん作るように心掛けた。


 まったくの余談ではあるが、この頃から他の面々より不公平であるという不満の声があがり始めた。



「スタッフさんは……あたしの運命の人……白馬の王子様なの」


「今時その例えは古い気がするが……」


「水を差さないで……ください」


「悪かったって。だから切先をこっちに向けるな」


「スタッフさんがいてくれたから……今のあたしがいるんです……陰キャでぼっちだったあたしにもはじめて……友達ができたんです」


「それについてはよかったなって心から思う」



 リンネは少しずつではあるが、確かに成長している。


 それはとても喜ばしいことではあるし、コハクとしても自分の対応が間違いではなかったと安堵するところだ。


 方向性が誤っていなければ、の話に限るが……。



「スタッフさん……今から帰りましょう……じゃないとあたし……メンヘラになっちゃいますよ……?」


「……メンヘラって、自分から言うものなのか?」



 いかにしてこの状況を打破するべきか、目前にある白刃を目前にコハクは沈思する。


 するとここで、リンネが不可思議そうな顔をして小首をはて、と傾げた。



「……なにを、企んでいるんですか?」



 そう尋ねたリンネの言葉には明らかな警戒心があった。



「別に、なにも企んでないぞ」



 と、コハクはさも平然と返した。


 嘘ではない。嘘ではないが、どうもリンネに警戒されてしまっているらしい。


 とはいえ、彼女が何故警戒しているのか原因がわからないわけでもない。


 包丁という恐怖を目前にして、コハクの言動はひどく落ち着いたものだった。


 並大抵のものであれば恐怖で身体が竦み、結果いいなりになってしまおう。


 人間としてこれはごく普通の感情であるので、恐怖したとしても責めるのはお門違いだ。


 そういう意味だと、コハクはまるで恐怖を感じていなかった。


 事実、コハクは包丁についてなんの感慨もない。


 目前に包丁がある、と強いて言葉にすればたったこれだけにすぎなかった。



「……あたし、本気ですからね? スタッフさんがいないドリスタなんて……いても、意味ないです……から……」


「そういうこというなよお前……せっかくここまでがんばってきたのに」


「褒めてくれる……認めてくれる人がいなかったら意味なんて、ないじゃない……ですか」


「だからって俺に拘る必要はないだろ――というわけでいい加減これはしまおうな」


「え……?」



 と、リンネが素っ頓狂な声をあげた。


 獲物を斬るための刃が、中ほどから消失していた。


 厳密にいうなれば、へし折れていたと言ったほうが正しい。


 突然の出来事にひどく困惑するリンネに、コハクはそっと言葉を紡ぐ。



「これは俺が没収しておくからな――とりあえず、お前は寝ておけ」


「あ、スタッフさ……――」



 コハクはリンネのうなじに手刀を静かに、それでいて鋭く落とした。


 糸が切れた人形のように気を失ったのを確認して――ようやく危機的状況から脱した、と溜息を吐いた。



「リンネのやつ……俺が辞めてからヤンデレにますます拍車がかかってないか?」



 どうか気のせいであってほしいと脳の片隅で思いつつ、しかしきっと気のせいではないだろうとして、コハクは自嘲気味に小さく鼻で一笑に伏した。


 もうすぐ目的地に着こうとしている。


 緩やかに速度が落ちていくのを感じつつも、コハクは窓から見える景色をぼんやりと眺めた。


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