ハッピー・バースデイ
眼を開いた。
右手に浮かぶ得物。カタナ。かつてジャポネ国で用いられたとされている、片刃の剣。すでに失われた技術とされており実物を見たことはない。それでも、武器を形作ることはできる。必要なのは正確な知識ではない。現実をも超える想像力。ガンズとしての才である。
ブライアンはカタナを低く構えると、跳躍した。足下。男が一人。眼を閉じている。瞬間、眼を開いた。右手に浮かぶ曲刀。ブライアンと同じカタナだ。だが、それはブライアンのそれより劣ると感じた。
ブライアンはカタナに左手を添え、振りおろした。男もまたカタナを両手で握り、振りあげるように跳んだ。音もなく、交差する。手応えを感じたブライアンがゆっくりと振り返ると、男は胸から血を噴き上げて倒れた。
男は、ボバディ・メディスンのガンズだった。
一月前、中東国との国境付近で戦闘衛星からの攻撃から逃れたあと、ブライアンは遭遇したボバディ・メディスンのガンズを二人斬り倒した。相手が敵意を持っていたわけではなかった。ただ、ブライアンにとって、ボバディ・メディスンはもう敵なのだと思った。ボバディ・メディスンもまたブライアンを敵と認識し、追手を差し向けてきた。
ボバディ・メディスンのメインコンピュータであるロン・サカモト。そのアクセスも遮断された。物心がついた時にはボバディ・メディスンの一員だったブライアンにとって、仕事のみならず生活をも管理していたロン・サカモトの存在がこの一月の間に大いに感じられた。
馬鹿なことをしたとは思わなかった。もう元には戻れない。戻るつもりもなかった。
仰向けに倒れた男の装備を探る。小型の携帯食料。三日分にはなりそうだった。背中のデイパックを開け、無造作に押し込んだ。
一月の間、東に向けて歩き続けた。今は中東国を離れ、インダス国に入っている。かつて極東と呼ばれた世界の東の果て、ジャポネ国を目指していた。一月前に消えたメイのルーツがある国だ。
オフラインで使えるAIによると、ここからあと二カ月は歩き続けるようだ。なるべく人通りの少ない道を選んでいるが、最短距離とさほど差はない。ジャポネ国は大陸と海で隔てられているが、それもどうにかなると思っていた。ただ、歩き続ける。
日が暮れても、歩いた。今や世界中がルナ・リコリスで覆われていることもあり、どこまでも砂の上を歩いている。疲労は感じない。腹が減ったら、そこで止まった。一食分の携帯食料をかじり、水を飲む。それで十分だった。食い終わるとそのまま横になった。眠気は無いが、ほどなく眠りに落ちる。
夢を見るようになった。一月前までは睡眠も管理されており、深い眠りに落ちていたからか、ほぼ夢を見ることがなかった。
「やあ、今日も来たか」
夢の中にはメイがいた。いつもどおりの口調。外見もはっきりとしている。自分の記憶にあるメイそのままだった。
「今日も会えたな。毎日のように夢に出てくると、さすがに不気味に思える」
メイが微笑を浮かべた。
「前にも言ったかな。一月前の出来事が、きみの心に重大な傷を与えてしまった。だから、無意識のうちに夢の中で記憶を整理しようとしている。だから、そこに私がいる。そういうことじゃないかな」
自分の記憶の中にメイがいる。そのメイと夢の中で話している。だが、そうとは思えなかった。
眼の前のメイが後ろ髪をまとめている深緑色のスカーフ。同じものが自分の首筋に巻かれている。砂の中に埋もれていたものを拾っていた。このスカーフにメイの記憶が宿っているのではないか。非現実的なことだが、そんな思いを抱いていた。
「あれからもう一月になる。いろいろなことを話してきたね。とりとめの無い話だ」
ブライアンは無言で頷いた。
「今日はきみにおめでとうと言いに来たんだ。いや、来たというのはおかしいな。きみがこちらに来ているんだから」
こちらという言い方が気になった。これはブライアンの夢だと思っているが、そうではないのか。ブライアンは意識を失い、死後の世界を垣間見ているのだろうか。やはり、非現実的なことだった。
「何かめでたいことがあったかな。今日、ボバディ・メディスンの追手から食料を得られたことくらいか。他にいいことなどなかったと思うが」
メイが苦笑したような表情で、後ろ髪をいじった。あの日も同じような仕草をしていた。
「ほんとうに覚えていないのか? 今日は、いや今夜に日付が変わったら、きみの誕生日じゃないか」
「誕生日?」
ボバディ・メディスンでは年に一度、ランズもガンズも定期の試験を行なっていた。その試験を行なうのが各々の誕生日だった。
「そうだったな。だが、もうボバディ・メディスンには追われる身となった。試験のことも考えなくてもいいだろう」
もっとも、例年試験についてなんらかの準備をしていたことはなかった。管理側が現時点でのメンバーの実力を把握し、任務へのアサインを決めるために行なっていたものだ。
「そうじゃない」
メイが静かに言った。
「いや、今までのきみにとっては、ただ試験を行なう日という認識だったのかもしれない。でも誕生日はそういうものじゃないんだ」
ブライアンは要領を得ず、ただメイを見つめた。
「物心ついた時、きみには父も母もいなかっただろう。それは私も同じだ。それでも、きみにも父と母がいた。彼らはきみが生まれたとき、愛してるだったり、ありがとうだったり、様々な感情を持ってきみを迎えたはずだ」
「考えたこと、なかったな」
人間がどのように誕生するのか。それはボバディ・メディスンで与えられた教育で知っていたが、それが自分自身のこととしての実感はなかった。
「今は誰かがきみの誕生の日を祝うことはないかもしれない。だけど、ボバディ・メディスンを離れることになった今、もう一度誕生の日というものを考えてみてほしい。だから最後に、きみにこの言葉を贈りたい」
「メイ」
これは、自分の記憶だけなのか。ほんとうにメイの意志ではないのか。メイに向け手を伸ばす。あの時と同じ、かすかな笑み。ゆっくりと、遠ざかっていく。
「ハッピー・バースデイ。いとしき、きみへ」
メイの言葉と共に夢から醒めた感覚があり、ゆっくりと眼を開く。砂地の上。空を満たす星空が眼に入った。ブライアンは身体を起こすと、左腕の端末を見やる。零時二十分。誕生日である、十月十六日を迎えていた。
「誕生日、か」
夢の中のことは、自分の思いなのか。それとも、メイに教えられたのか。幾度となく抱いた問いを再び抱いた。
いずれにせよ、それはブライアンに新たな思いを抱かせた。自分にも父と母がいた。その父と母にもまた父と母が。それは千年の昔も紀元前の昔も同じ。国や文化が違っても、そこには自分と同じ顔をした先祖がいた。自分もまたその連綿と繋がる流れの一部である。
当然のことだと思う。ただ、気づいてはいなかった。そして、気づくことができた。
「ありがとう」
ブライアンはつぶやいた。メイに教えられたのだ。そう思い定めることにした。
「愛していた」
誰に届くこともない、自身にしか聞こえないつぶやきを虚空に放った。一年後の今日も、十年後も二十年後も、自分が生きている限り、そう言おう。そんなことを考えながら、ブライアンは再び眼を閉じた。
ブライアン・ラプソディ トモ・ヒー @Tomo_He
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