最終話 旅立ち 

 建物の一番大きな広間にそれらはあった。

 いつか見た、巨大な冷凍庫ひつぎ

 その数は五十個。

 一つ一つ中をあらためる。

 開けなくても結果は分かっていた。

 その行為はただの義務であり懺悔ざんげでしかない。

 きっちり五十人の子供の遺体が保管されていた。

 それはカナがこの国を訪れてから経った年数。

 いけにえがなくなった年月、のはずだった。


 死の間からタカシを出す。

 そうした後、「それ」は広間に無言で炎をかけた。

 こんな場所で、こんな熱で。

 酷いとむらいだ、と思った。

 それでも。

 かつて「いけにえの神」マサキの犠牲者を、この国の人々と共にいたんだ時のように、暖かくして送りたかった。

 

                    *


「カナ様……」

 やがて国長と取り巻きがやってきた。

 鎮魂ちんこんの火から目を離し、「それ」は彼らの方に向き直る。

 努めて、冷静な口調で詰問を試みる。


「どうして? 私が来てから雪は降らなくなったでしょう? 空は雪雲もなく青くなったでしょう?」

「申し訳ありません」

「私を信じてくれてなかったの?」

「申し訳ありません」

「あなたたちにとって、命はそんなに軽いの?」

「申し訳ありません」


 ねえ、そこのあなた。

 「それ」は国長の隣の男に声をかける。

「あなた、カイトだよね」

「……はい」


 に私と一緒に過ごしたよね。


「これを知った時どうも思わなかったの? 何度も私を訪ねてくれたよね。笑ってたよね。幸せですって。どうして、黙っていられたの? 隠していられたの?」


 私は何のためにこの国に来たの。

 犠牲を失くしたかったのに。

 意味がなかった。

 私は役立たずだった。


「そういうことでしょう」

「……申し訳、ありません」


 そうだった。

 人間はそういう生き物だった。

 不安で仕方がない。

 いきなり続いてきたしきたりを急にやめられない。

 怖くて落ち着かなくて、不安で不安で不安で。

 そして隠す。

 情けないみっともないとちゃんと分かっていて。


 私は迂闊うかつにも人間の良心を信じてしまった。

 そのみにくさを誰よりも知っていたはずなのに。

 私がもう少し頭を使っていれば……。

 自分の至らなさが歯がゆい。

 しかし、残念ながら、それよりも、


 怒りが勝った。


             *


「もういい。どうでもいい」

「……え?」

「私はもうここに居たくない。行く。どこか別の所に行く」

 「それ」は激情を胸に、嘆きの炎に背を向ける。

「え、え、ど、どこへ行かれるのですか!?」

「ここではないどこかだよ」

「こ、困ります。あなたがいなくなったら、また雪が……!」

「は?」

 凍え切った声。


「だったら……、またいけにえを用意すればいいんじゃない? そうしたら無能と思われていた私に代わって、この国を守ってくれていた、どこぞの優しい優しい神様が守ってくれると思うよ?」


 たぶんね。

 その悪意の笑みは、まさしく神のものだった。



               *


 話を終えた「それ」は呆然と立ち尽くしていた幼気いたいけな少年の元へ近寄る。

 「彼女」はタカシを温かい体で包み込む。

「もう大丈夫だよ。だいじょうぶ」

 君は死なない。

「君と出会えた奇跡に感謝を」

 ありがとう。


 少年の両の目から涙が流れる。

 彼の心は死んでいなかった。


「行こう」

「……どこへですか?」


 ここじゃないどこかへ。


                   *


 「それ」は五十年間、自宅としていた場所に帰る。

 タカシを外で待たせて、玄関をまたぐ。

「おかえりなさい」

「おかえり」

 二人の家族が「それ」を迎える。

「ただいま。あのね、ケイタ、ヤスト。本当に急なんだけど」

 大事なお話があるの。

「私はこの国を出ることにした。理由は聞かないで」

 一緒に行く? それとも残る?

「申し訳ないんだけど、今すぐ決めて欲しいんだ」

 ごめん。


 最大級の酷な決断を迫られた二人の少年は、たったの、たった数分で答えを固めた。


 どうして?

 こんな急に?

 勝手だよ。

 国の人々はどうしたらいいんだよ。

 僕たちはどうしたらいいの?

 考え直してよ。

 死にたくないよ。

 みんなに死んでほしくないよ。


 問いただしたいことは山程あっただろう。

 訴えたいこともたくさんあり過ぎただろう。

 しかし、「それ」の冷酷で無機質な瞳は何も答えないし、何の妥協も許さないとありありと語っていた。


「……俺は一緒に行く。お姉ちゃんが大好きだから」

 ケイタは「彼女」が気まぐれ中の気まぐれで選んだ子だった。

 ちょっと引き取ったのを後悔するくらい言うことを聞かない子で、でもものすごく甘えん坊で。

「ありがとう。私を選んでくれて」


「僕はここに残る」

 ヤストはおとなしく口答えをしない、よくいうことを聞く子だった。

 でも信念がある芯の強い子で、今もその眼差しは強く輝いていた。

「そう。同級生のエミちゃんが好きだったよね。置いていけないよね」

「うん……」


 百年近く、北の山脈で押しとどめられていた寒災は、この国を雪で完全に沈ませるだけの力をゆうに蓄えている。

 それでもカナの奇跡の残り香が完全に途絶えるまで、数年の猶予はあるだろう。

 すぐに破滅が来るわけではない。

「早く告白した方がいいよ。残された時間を十分に楽しんで」

 さようなら。

 「それ」は最愛の家族と、簡潔すぎる別れを告げた。

 未練はもはやなかった。


                  *

 あの関所へ向かう。

 五十年前と逆方向へと三人でのろのろ歩く。

 街並みが見えなくなる最後の地点で、カナは振り返り目を向ける。

 昨日までと何も変わらない、穏やかな営み。

 光と笑みと生の匂い。

 だが「それ」にとって、それらは今ではとてつもなく汚らわしく感じた。


 「彼ら」はこれから、


 いけにえを止めるだろうか。

 いけにえを増やすだろうか。

 きっと――――――。


 どっちでもいいよ。

 心底そう思った。


「行こう」

「……うん」

「……はい」


 旅立つ三人の足元に白いものが落ちる。

 五十年ぶりの、雪だ。


(完)

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