第6話 見えてる景色、知りたい景色

 車窓を流れる、という慣用表現がある。

 どうしてそんな言い方をするかといえば、クルマが速く走ることによって景色が後ろに流れていくのを、窓越しに見るからだ。

 じゃあ窓越しでないなら、なんと呼ぶんだろう?

 つまり、いまみたいな状況だ。

 まどかさんのオープンカーに乗せられている私が、窓を介さずに全身で感じているこの状態は、なんと呼べばいいんだろうか。

 たんに景色が流れるというより、世界が丸ごと流れているような気分になる。すごい。これは、すごい。


「ちひろちゃーん、うちの子の乗り心地はどう?」


 風に負けないような声量で、まどかさんが尋ねてくる。


「なんていうかその、すごく……」

「すごく~?」

「こ、こわいですー!」

「おおふ、すこし落とすわ、スピード」


 まどかさんが車線を変更して、速度を緩めてくれる。

 私たちはいま高速道路を走っていた。

 提案された二つの未来のうち、後者を私は選んだのだ。

 そんなわけで急遽はじまった日帰りドライブ旅。

 目指すはまどかさんのオススメ──……


「富士山は近いぜっ。思ったよりね!」

「どのくらいで着くんですか?」

「いま何時じゃホイ」

「ええと、11時ですけど」

「ほんならお腹がすくころには着くよ!」


 私を乗せたロードスターは高速道路を駆けていく。街中とは違って、一本の道をずうっと走っている気分になる。実際にはそんなことないんだけど。

 助手席に座ってるだけの私でも楽しい。風をダイレクトに感じるのは慣れないけど。

 そして私よりも幸せそうなのがまどかさん。

 ハンドルを握る彼女の楽しそうな顔といったら。


「本当に好きなんですね、クルマ」

「えー? 好きだよぉ。ずっと言ってたじゃん」


 まどかさんは鼻歌まじりに答える。


「ちひろちゃん前にさ、どうしてクルマを好きになったのかって訊いてくれたじゃん」

「ええ。ひとめぼれとも、だんだん好きになったとも言えるような、って」

「それそれ。あたしは街で見たロスタにひとめぼれしたわけだけど、実際に走ったらまた違う発見があったのよ」

「発見、ですか」

「うん! ちひろちゃんはどう? 実際に乗ってみて」

「えと……」


 助手席で膝の上に手を置いてるだけの自分でも感じられることといえば。


「ロードスターは可愛いって前に言ったじゃないですか。でも、ちょっと違うかもって」

「ほほー? というと?」

「乗る前に見ていたよりコンパクトに感じるんです。二人乗りだからなのか、車高が低いからなのか……ほら」


 話している最中にも、真横の追い越し車線をトラックが通りすぎていく。轟々と重たい音が耳だけじゃなく全身で感じられる。


「遠くから見てるだけじゃ分からなかったんです。実際に乗ったらこんなにもサイズの差を感じるんだなって」

「そうだねえ、あたしもそう思ったよ」

「まどかさんも?」

「ぶっちゃけ初めは怖かったね。車高が低いとスピードも速く感じるし。でも同時にカッコいいなって思った。小さいボディでも負けじと走るのが、やるじゃん、って」


 まどかさんは遥か前方を見つめている。もちろん運転のためなんだけど、それがなんだか懐かしむような目にも見えてくる。


「あたしは自分で発見したんだ。自分の手で運転したからこそ、ロスタのカッコよさを発見できたんだよ」

「……それって」

「ん?」

「それって、助手席でも分かりますか?」


 問いかけると同時にロードスターはトンネルに入り込む。視界がギュッと狭まり、一気に明るさが欠ける。

 灯りがついていても太陽のようにはいかないらしい。

 トンネルに入る時の音で掻き消されてしまった質問を、言葉を変えて尋ね直す。オープンカーだと、こういうときは声を張らないといけない。


「ロードスターの魅力って助手席にいる私でも分かるでしょうか?」

「そうねー、助手席には助手席の楽しさがあるけど……」


 まどかさんはハンドルを人差し指の腹でトンと叩く。


「運転してると不思議な感覚に陥ることがあるんだ。だんだん私とロスタの境界が無くなっていくような、感覚」

「……オカルトなハナシです?」

「アハハ、ちがうちがう」


 苦笑交じりにまどかさんは首を横に振る。


「自分の体の何倍もあるクルマを自分の意のままに運転し続けてるからだろうね。言ってしまうと、自分の意志がクルマと繋がる感覚。でも」


 まどかさんは寂しそうに肩をすくめた。


「助手席にいたら感じないかな。あたしは」


 ずいぶんと感覚的な話だ。


「分かったような……分からないような」

「まー、大げさに言ったけど、ようは自分でクルマを運転したらめっちゃ楽しかったよーってだけのことだよん」


 まどかさんはおどけるように話をまとめた。

 軽いノリで締められてしまったけれど、彼女の瞳の奥に熱があるのを私は見た。彼女と初めて会った日、彼女に感じた熱。クルマが好きだという気持ちの源。きっとそれに触れたんだろうという予感がする。

 けれど今の私には、助手席に座る私には、まだ分からないような、そんな気もする。

 うず……と指先が疼く。

 知りたい。その感情を。

 見てみたい。彼女の見ている景色を。


「ちひろちゃん、抜けるよ」


 まどかさんの言葉が聞こえたすぐあと。

 視界がパッと白く包まれる。

 トンネルを抜けると快晴が飛び込んできた。

 真っ青で、遠くて、透きとおった空の下を私たちは走ってゆく。遠くに見えるは、富士山。


「さーて、ちひろちゃん! どこに行きたい? なにがしたい? なんでも言っちゃって!」

「えと……じゃあ、気になってたパティスリーがあるんですけど、でも山の中で行きづらそうで……」

「任せてっ」


 まどかさんはウインクして言う。


「この子と一緒ならどこへだって行けるんだから!」



 そして私たちの旅が始まった。

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