第5話 二つの未来

 七月某日。カフェ『ヴェロシティ』にて。

 まどかはPCから顔を上げて、大きく伸びをした。


「んぬァ~……! 終わったァ……」


 依頼されたイラストのラフを仕上げ、クライアントに提出を終えたところだった。

 各方面とのメッセージのやりとりもひと段落ついて。


「自由だ、あたし」


 時間を確かめるとお昼にはまだ早い。

 ひとっ走り行こうか、それとも──


「お疲れ」


 店長でまどかの叔父・シゲが、お冷の入ったグラスを差し出してくれる。


「ありがとシゲさん! モテる男はよく見てるぅ」

「おだててもサービスはないぞ」

「ちぇっ、可愛い姪っ子にコーヒーの一杯くらい奢ってくれてもいいじゃん。ドーナツも二つくらいつけてさ」

「それだけ口が回るなら労わなくてよかったか」


 シゲがお冷のグラスを下げようとするので、まどかは「わー、うそうそ! シゲさんの愛があふれるお水は嬉しいなあ!」とグラスに飛びついた。

 持ち上げるとカランと涼しい音が鳴る。かたむけて一口飲んだ。

 それから店内に年下の友人の姿がないかと見渡す。

 最近よく遊びに来てくれるあの子。

 いつもなら一緒にお茶してる時間だ。


「ねーシゲさん、ちひろちゃんは──……ってああ、今日は旅行で箱根か~」


 納得しかけたところで、シゲが「いや、それがな」と言って店の外を指差す。

 そこにはテラス席しかないはずだが、と目を向けると、そのテラス席にちひろの姿があった。

 頬をふくらませて、唇を尖らせて、ストローに口を付けた彼女の姿が。


「ありゃ?」


 旅行のはずでは? と首を傾げる。

 まどかはシゲに目で問いかける。

 どういうことなの、と。

 さあ、と肩をすくめられた。


「むむ」


 自分で訊くか。


「シゲさん、アイスコーヒーとドーナツをお願い」

「……ドーナツは二つ、か?」

「さっすが、気が利くぅ~! それとさ、アイスコーヒーはテイクアウトカップでお願いしていい? たぶん、そっちの方がいい気がする」


 まどかの奇妙な言い回し


「? よくわからんが、わかった」

「ひひっ、あたしの勘は当たるんだ~」



 まどかはドーナツの乗ったトレーを机に置く。


「で、ちひろちゃん」


 不服そうに頬を膨らませる友人へと話しかけつつ、彼女の前の席に腰を下ろす。


「どしたの、そんな顔して」

「べつになんでもないです」

「そんな、ひまわりの種をほっぺに詰めたハムスターみたいにぷくっとさせてるのに?」


 まどかが両頬に空気をふくませておどける。


「そ、そこまでじゃないですっ」


 ちひろは顔を赤くしてストローを吸い上げる。しかし、ズズッと虚しい音が立つだけ。

 それが恥ずかしかったのか、ちひろは頭を下げた。


「……うそつきました。本当はモヤモヤしてます」

「素直でよろしい! ほれ、ドーナツ食べなよ」


 まどかが皿を押しやる。

 ちひろは「ありがとうございます」と小さく呟くと、手を合わせてもぎゅもぎゅと食べ始める。


「ねえ、ちひろちゃん。もしかして旅行は中止かい」


 むぐっと、のどが詰まったような音がする。

 ちひろがきまり悪そうにそっぽを向いている。


「……仕事が入ったっていうんです」

「ほほう」

「しかも二人とも」

「おおう」

「分かってるんです、私だって社会人なので。仕事が大事だっていうのも、分かるんです。でも」


 ちひろは噛みつくようにしてドーナツの輪っかをかじって、かじって、かじって。

 もがもが言いながら、うつむく。


「二人は悪くないけれど、私の楽しみだった気持ちだって悪くないじゃないですか。だから、むかむかするけど、どうしたらいいのかわからなくって……すみません」


 話せば話すほど気分が落ち込むのか、ちひろは萎みきった風船のようだった。


「ふっふー、それであたしに会いに来てくれたのかな」

「そ……そういうわけじゃ……」

「んん~?」


 まどかは覗きこむようにちひろを見つめる。


「……まあ、そういうつもりがないこともないです」


 不器用な白状だった。


「それでお店に来たけどあたしが仕事してたから邪魔をしないようにってテラス席で待っててくれたんだ?」

「そうです、そうですよっ。もういいじゃないですか、からかわないでください」


 ちひろは再びそっぽを向いてしまう。ほんのりと赤らんだ頬は、見透かされたことによる恥じらいだろうか。


「ごめんごめん」


 まどかは手を合わせて謝る。

 それから自分のドーナツをひょいと手に取り、穴を覗きこむようにしてちひろを見た。


「いま、ちひろちゃんの未来を視てみまぁす」

「はい? なんのことです?」

「まあまあ聞きなさい」

「はぁ……」

「一つは、このままカフェで時間を潰して、昼下がりにおうちに帰る未来。憂さ晴らしをするみたいに、いつもよりちょっといいお惣菜を買う未来だ! デパ地下お総菜コーナーのなんか高そうなサラダとローストビーフだね」

「そ、そんなことしたこと……」

「おやおや、心当たりがあるって顔だね」


 まどかが愉快そうに微笑む。


「まあ、それもわるくない。たまには自分の時間を過ごすなんてのもイイもんだよね、わかる」

「……もう一つの未来はなんです?」


 まどかは待ってましたとばかりにドーナツをかじり、オーバーオールのポケットからカギを取り出す。

 それはロードスターのキー。


「これからあたしと日帰りドライブに出る!」


 まどかはニヤッと笑った。


「ユウウツなんて吹っ飛ばそうぜ」

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