第4話 どうしてクルマを好いたのか?

 まどかさんに勧められてドーナツをほおばる。シゲさんの手作りだというそれは、チョコでコーティングされてる割に素朴な味がした。

 私はひと口だけかじって、ドーナツを置く。気に召さなかったわけではなく。


「まどかさん。クルマのこと、なんですけど」

「むぐっ! 待ってまひた!」


 まどかさんはドーナツの残りをむさぼって呑み込む。


「もがが……なんでも訊いてちょ!」


 勢いがちょっぴりこわい。


「まどかさんは、ずいぶんクルマが好きみたいですけど」

「そうだねえ。ほんの趣味だけどねえ」


 やけに謙虚な返しだ。

 出会ってからの彼女の熱狂ぶりをみていると『趣味』の一言で片づけられるのだろうか、と思わされてしまう。

 が、それはさておき。


「どうしてクルマを好きになったんですか?」


 カフェが満席だったとき、待つよりも諦めてしまうのが私という人間だ。比べると、まどかさんのクルマへの熱意はそういうのとは違うような気がしてしまう。

 きっと特別な何かがあるに違いない。

 と思ったのだが。


「えっ、どうして……って聞かれると……」


 まどかさんが歯切れ悪そうにしている。


「クルマのどこが好きかは答えられるけど、どうして好きになったかって言われると……難しいなあ」

「……気付いたら好きになってた、ってことですか?」


 判然としない答えをなんとか私なりにかみ砕く。だが。


「うーん、どうだろ」


 まどかさんは腕を組む。


「親に言われて高校卒業前に免許を取ってた、ってのは少なからず影響してると思うんだけど」


 それなら私も同じだ。地元・倉敷では『とりあえず免許は取っておけ』というのはまだまだ普通のことだった。


「その時は運転をするのは嫌いじゃないなー、ぐらいだったんだよね」


 考えたこともなかった。運転技術は覚えるものであり、好きとか嫌いとかではないと思っていた。


「一時期この店でバイトしてたんだけどさ、自然とクルマ好きなお客さんと触れ合うようになったのよ」

「そこでクルマを身近に感じた、と」

「うん。そんな時に出会ったのがあの子」


 まどかさんはカフェの外を指差す。


「ロスタ……ロードスターってクルマなんだ」

「ああ。あの黄色くてかわいい」

「そこがカッコいいと思ったんだよね、あたしは」


 まどかさんは最初に話したときと同じことを言う。


「街中でさ、ガーリーな格好の女の子が乗ってたの。妙に記憶に残っててね。一見するとちんまりしててかわいい見た目だからこそ、颯爽と走る姿がカッコいいな~って」

「かわいいからこそカッコいい……」


 一見矛盾するようだけれど、妙な説得力のある響き。


「そ! 乗ればきっと分かるよ~」


 まどかさんはパッと笑った。


「てなわけで、気付いたら好きになってたとも言えるし、ひとめぼれしたとも言えるワケ。だから難しいなーって」

「なるほど……」


 まどかさんのクルマへの熱からして、てっきり劇的な出会いがあったのかと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。


「ま、ハッキリした理由がある方が珍しいんじゃない?」


 まどかさんに胸の内を見透かされた気がした。口を開けかけたところでスマホが鳴った。私のだ。

 出てみると、荷物の宅配がどうのこうのと慌ただしい事態になってしまい、けっきょくその日はお開きとなった。


「またおいで~」


 まどかさんに送り出されて、私はモヤモヤした心のまま家路に着くのだった。



 それからは週末になるとカフェ『ヴェロシティ』を訪れるようになった。そうして一ヶ月を過ごした。

 まどかさんのクルマの話を聞くのは楽しかったし、ドライブ旅行の話は私も一緒に盛り上がれた。なぜなら。


「へえ、ちひろちゃんも大学のころは旅行してたんだ?」


 カウンター席に並んで、私たちはドーナツをほおばる。


「仲良し三人組でよく旅行してたんです。カメラもそのころ始めたんだったかな」

「いいね。人に歴史あり、だ」

「最近は集まれてなかったんですけど、再来週、久しぶりに箱根に行こうって」

「おっ、最高じゃん! ロマンスカーで行くの?」


 私は頷く。小田急電鉄の特急、いまから楽しみだ。


「箱根登山鉄道にも乗ったりする?」

「もちろん、ケーブルカーにも」

「おっ、テンション上がるねえ! なかなか見られない景色だもんね~。いい写真撮れたら送ってよ」

「もちろんです!」


 と盛り上がっていると、後ろから「よぉ、お二人さん」と声を掛けられた。

 振り返ると、顔なじみになった常連客が二人。四十半ばにして経営者のオサダさんと、大学生のソーマくんだ。

 二人ともフルネームも、漢字も知らない。そのくらいの距離が心地よかった。二人はカウンター席に腰を降ろす。

 オサダさんがコーヒーを頼みながら尋ねてくる。


「ちひろちゃん、せっかくの箱根なのに乗らないのかい」

「乗らないって……クルマですか?」

「ああ。箱根は案外、移動に不便するんだ」

「けどさ、オサダさん」とソーマくんが割って入る。「箱根は運転慣れしてないレンタカーが多いじゃん。ちひろさんもそこまで慣れてないっぽいし、そっちのが優しくないんじゃない」

「あと二週間もあるんだろ? その間に都内で走る練習しとけばイケるんじゃないか」

「……確かに悪くないかも。俺らで引率したりする?」


 などと盛り上がり始める二人。

 えと、あの、私そこまでするつもりは……。正直、自分で運転する良さが分かってないですし……。


「はいストォーップ! 無茶言うんじゃないの」


 まどかさんだ。彼女が間に入ってくれて。


「そもそも頼まれてもないのに運転させようとしないの。クルマ乗りたるものマナーを守らないと、でしょ?」


 いちばん小柄なまどかさんのお説教に、オサダさんとソーマくんはしゅんと身体を縮こまらせていた。

 まどかさん、頼れるなぁ。

 ……でも。


「それってシゲさんに言われたセリフまんまですよね」

「しーっ! ちひろちゃん、しーっ!」


 慌てるまどかさんの姿に笑ってしまう。

 私、この場所が好きだなあ、としんみり思う。


 そして事件は二週間後に起きた。

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