第28話 獣の森・27 問題と解明(後)

 ハルトマンは再び葦パイプに口を付けると、そのまま深く息を吸う。いつもはパイプを咥えても普段の変わらない呼吸を続けるため、珍しいことだ。何度かそうした後、ハルトマンはようやくパイプを口から離し、呟いた。

「……rave」

「はい?」

「小屋の水瓶の中にあった文書だ。ズタズタに切り裂かれていたが、辛うじて読めた。頭にMr.も付いていたが、間にかなり空白があった。人名、もしくはその一部じゃないか」

 そう言って、正面からまっすぐにレムナスを見つめるハルトマン。その目には、強い光が宿っている。レムナスはrave、と口の中で復唱する。

「確信を持っているようですが、何か理由があるのですか?」

「文書は水瓶の中にあった。水瓶には布がかけられていた。布には動物の毛が付いていた。さて問題だ。この毛は一体、何の動物のものだったか?」

「その言い方からすると、犬や熊、猪ではないのでしょうね」

 ハルトマンはレムナスの返答に、質問の意図が正しく伝わっていると分かり、にやりと笑った。

「ご明察。正解は山猫だ。特徴のある銀色だったから、ベアルフ山脈の銀嶺の王ガラー・カローリに間違いない」

 犬は樵の相棒、熊と猪はこの辺りにも生息する野生動物だ。どれも、樵小屋にあっても不思議はない。だが山猫はいない。特に、銀嶺の王と呼ばれる個体などは。

 それは、今二人がいるテイズ領より北にある帝都アルティアよりも更に北、一年の半分以上が氷に閉ざされ、険しい山と冷たい雪が領地のほとんどを占めるとまで言われる、最北の領地ヴォロフ領にのみ生息する。より正確に言えば、北の国境となっているベアルフ山脈の麓から中腹にかけてを生息域としている。国の南に建つ樵小屋の水瓶を覆う布、という場所に毛が付着するなど、まずありえない。何者かが意図的にやったと考える方が自然だ。

「言いたいことは分かりました。ですが、そんなことができるような合成獣なんて、」

「いたさ。班長が下でり合った奴。アイツなら可能性がある。むしろ、アイツ以外にできる奴はいない」

 ハルトマンの声は静かだが、迫力があった。レムナスは口を噤み、黙って話を聞いている。

「樵小屋の水瓶を覆う布に熊の毛が付いていたところで、中を見ようとは思わない。ただ『熊が中に入ったんだな』と思うだけだ。犬や猪でもそうだ。普通の山猫でも同じかもな。だが、銀嶺の王は別だ。寒冷地に特化しているおかげで、生身だとモルエンリーノでも暑さでへばる。そんな猫が、更に南に下るはずがない。だからこそ、おかしいと思って中を見たんだ。それがなければ、近づこうとすら思わなかっただろう」

 モルエンリーノとは帝都のすぐ北に位置する領地である。帝都に比べれば雪が多く気温も低いが、ヴォロフ領には遠く及ばない。ハルトマンはパイプに口を付け、ゆっくりと深呼吸をして続ける。

「――ここでおかしなことがある。犬や猫は水瓶に文書を入れることができる。布をかけることもまあ、できるだろ。だが銀嶺の王の毛を付けることはできない。銀嶺の王はどうか。さっき言った三つを全部できるだろうが、場所がヴォロフ領、最大限譲歩しても、隣のトラスカーティナ領でなければならない。それ以外じゃ、まともに動けないからな。テイズ領なんて以ての外だ。なら、どういうことか?」

 ハルトマンの目がレムナスへ向けられる。アンタも分かってるだろ、と言いたげに。レムナスは頭痛を堪えるように目を閉じて頭に手を当て、絞り出すように答えた。

「あの合成獣ならできる……水瓶に文書を入れ、銀嶺の王の毛を付けた布をかけるように、他の合成獣に指示をして……自身は光に弱く、外に出られないから……」

 そこまで言ったところで、レムナスは首を振った。その動きは何かを否定するものというより、理解を拒んでいるかのようだ。少なくとも、ハルトマンの目にはそう映った。

「合成獣が互いに意思の疎通ができる可能性は以前から指摘されていますが、そう上手くいくとは……」

「できるさ。彼らに足りなかったのは、言葉じゃなくて知恵だ。その問題を乗り越えたのがアイツだ。班長も見たろ」

 葦を口から離し、ハルトマンは宙を仰いだ。頭上を覆い尽くして余りある星が輝き、星花の光が視界を横切っていく。うんざりするほど幻想的な光景だ。思わず嘲るような笑みが溢れた。

「アイツの肩……何かあっただろ。棒に見えたが、そうじゃない。あれは腕だ――そうだろ?」

 問いかけるようにハルトマンが言う。しかしレムナスの答えを待たず、先を続ける。

「あの腕は邪魔だったな。おかげで俺にも分かった。あんな腕の動物なんざ一種しかない。アイツは――だ」

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