第18話 獣の森・17 追跡と調査
「……っと」
目の前に迫っていた木の枝が、ハルトマンを思考の海から引き揚げた。寸でのところで首を傾けて避ける。今のは危なかった。三メートルほど先に見える、蜂蜜のような色をした炎を追いながら冷や汗をかいた。炎の進む速さは小走りで追いつける程度だが、リアノ達と別れてしばらく経っているため、もしも枝にぶつかって炎を見失いでもしたら大変なことになる。
ハルトマンは走る速度を少しばかり上げ、炎との距離を詰める。この炎は魔力のみを燃やし、炭や油に近づけても反応しない。ただ普通の炎と同じように、土や水をかけると消える。踏みつけて消してしまわないよう、一メートルほどの間隔を保つことにして、更に五分ほど走った時だ。
「ハルトマン!」
「ああ、班長。やっと合流できたな」
左斜め後方から茂みをかき分けてレムナスが現れた。
「よかった。これで多少はよそ見してもよくなった」
「周囲の警戒は必要ですからね。ところで、そちらはどうでしたか?」
「リアノが全部片付けてくれた。数は結構いたが、班長が倒したようなヤツはいなかった」
「そうですか。……偏りがありすぎて、どうにも不自然ですね」
レムナスの言葉にハルトマンは同意を示す。しかし、何故偏りが生まれたのか。元々頭脳労働は苦手な質であり、色々な道具をいじり回す方が性に合っていると自負しているハルトマンは早々に思考を放棄し、レムナスの見解を聞こうと先を促す。
「班長は何か考えがあるのか?」
「ええ、あります。しかしその前に、そちらが迎撃した合成獣について、特徴など知っていることを教えてください」
「そうだな……鳶やら蛇やら犬やら、別に珍しくはなかったと思うぜ。ああ、でも……」
言いかけたハルトマンの前で、突然炎が自分の目線の高さよりも大きく燃え上がった。魔力の残滓が多い証だ。ここはちょっとした広場のようになっている場所で、炎は大きさを変えないまま、広場を彷徨い始めた。ハルトマンはその場に片膝を付き、注意深く地面を観察する。
「かなり踏み荒らされてるな……ここに長くいたのは間違いなさそうだ。それと班長、見てくれ。ここに粘液の跡がある」
レムナスがハルトマンの指した方を見る。その跡はまだ乾ききっていないように見える。周りには放射状に飛び散った痕跡がある。こちらは完全に乾いているようだ。
「粘液溜まりに踏み入った、そそっかしい個体がいたようですね。これをどう思いますか?」
「……この時期は雨に濡れた地面が乾くまで半日かからない程度だ。粘液は水より、森の中は街中より、多量は少量より乾きにくい。ここを動いたのは……少なくとも、この粘液溜まりができたのは今日の正午より前だろうな。ただ――」
立ち上がり、ポケットから何かを取り出すハルトマン。手にすっぽり収まる大きさの細長い筒の先に台座があり、そこに丸い魔結晶がはめ込まれている。よく見ると筒には三本の切れ目が入っている。ハルトマンはこの魔結晶を広場へ向け、切れ目の部分で筒を何度か回転させる。最後に魔結晶の表面を布で磨くと、魔結晶に白い光が灯った。その光で広場を照らすと、炎以外に光るものが見えた。粘液の跡に違いない。それを確認し、ハルトマンは筒を下ろす。
「他の痕跡はほとんどが乾いてるな。乾いてないのは、粘液が溜まっている場所のみ……ここで一夜を明かしたんだろう。夜が明けて、移動しようとした時に脚を突っ込んだ――そんなところか」
ハルトマンはそう答えると、自分の目で確かめられるようにレムナスへ筒を渡す。
「……とは言え、だ。ここから俺達が乗っていた馬車までの距離を考えると、移動距離が短すぎる。それに、俺の通って来た道に粘液の跡はなかった。明け方に粘液を持つヤツがここを発ち、それ以外のヤツとは別行動を取っていたと見た」
広場をざっと照らしたレムナスは口元を綻ばせた。
「素晴らしい。貴重な情報をありがとうございます。あなたの知識を頼って正解ですね」
「やめてくれ、さっき言ったのは全部叔父に教わったことだ。褒めるなら俺に知識をくれた叔父にしてくれ」
レムナスから筒を返されたハルトマンは顔を逸らし、口早に告げる。その横顔は心なしか赤い。
「それより、どうするんだ? 粘液の跡、班長が迎撃に向かった方向にだけ続いてるが、どこから来たのかは辿れないぞ」
ハルトマンの言う通り、粘液の跡に広場から出て行くものはあるが、入って来たものはない。まるで、突然この広場に現れたかのように見える。
この現象についてだけで言えば、ハルトマンには思い浮かぶ人物がいる。だが同時に、まず間違いなく今回の件とは無関係だと断言できる。レムナスも「もっと上手くやるでしょうから、除外してもいいでしょう」と呟いたところを見るに、同じことを考えていたらしい。
「なあ班長。こんなことができるの、あの人以外で誰か知っ――」
言いかけたハルトマンの前で、炎が木の中に消えた。特定の魔力しか燃やせないはずの炎のため火災の心配はないが、「木の洞に入った」ではなく、「木に吸い込まれた」ように見えた。明らかに挙動がおかしい。
幻影だ――そう直感したハルトマンは弾かれたように件の木へ近づき、幹に手を伸ばす。だが、
「!? 幻影、じゃない。触れる……?」
「ハルトマン、下がりなさい!」
レムナスの声にハルトマンは後方へ跳び退く。その横をすり抜けるようにして、氷の槍が激しい音を立てて幹に突き立てられた。深々と刺さった槍と幹の間には亀裂が入っている。その断面はやはり、木のものではない。槍を手にしたまま、レムナスは詠唱を紡ぐ。
「『氷杭よ。滾れ。爆ぜよ。破壊せよ』」
「な、ばッ……!」
ハルトマンがレムナスの空いている方の手を取って更に後ろへ飛んだのと同時に、槍の輪郭が崩れた。一瞬の間を置いて、氷の槍だったものが爆発を起こす。極小規模なものだったが、偽物の木から幻影を剥がし、二人の人間を吹き飛ばすには十分な威力だった。鈍い音がして幹が内側から裂け、爆発の衝撃で吹き飛んだ二人は地面を転がった。特に怪我をすることもなかった二人はすぐに立ち上がり、先ほどまで木に見えていたものへ目を向けた。
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