第16話 獣の森・15 散開

「ねえ……リアノ。いいの? 班長に相談もなしに、大事なこと決めちゃって」

「いいよ。途中で魔力が切れたりしてないし、聞こえてるでしょ?」

『実際にその通りですし、ややこしくなるので黙っていましたが……何か一言あっても良かったのではないですか?』

 先ほど使用した針を数本、袖の中から魔導書のページに落としているリアノは、魔結晶から聞こえるレムナスの声に聞こえないふりをした。針には柘榴石ガーネットよりも尚黒い、乾いた血がこびりついている。これに残った魔力を辿り、合成獣がどこから来たのかを探ろうとしているのだ。魔導書に置いた針に右手を重ね、魔力を通す。

「『灯せzünde eine Kerze an』」

 針先の血を燃やして、そこに火が着いた。魔力を燃料とする蜂蜜色ハニーイエローの炎だ。魔導書から針を取ったリアノは森へ向けて火の粉を払う。地面に落ちた火はすぐに見えなくなったが、離れた森の中で炎が揺らめくのが見えた。

「上手くいった。後はよろしく」

「おう。そっちこそ、よそ見して被害を出したりするなよ?」

「な、人のことを何だと……」

 ハルトマンの軽口にリアノが応じかけたところで、三人が乗る馬車が動き出した。馬車が動く前には御者から声かけがあるはずだが、話し込んでいた三人は気付かなかった。ヒナは咄嗟に、近くに積んであった木箱を掴んで難を逃れるが、他の二人はそうもいかなかった。

 リアノは驚いて木箱にぶつかり、荷台の床に膝を着いた。ハルトマンは「危なっ!?」と言いつつも大きく体勢を崩すことはなかったが、衝撃でポケットから白く細い筒のようなものを落としてしまった。気付いたヒナが拾って投げ返すと、笑みを浮かべながら礼を言い、そのまま軽やかに馬車を飛び降りた。

「じゃ、また後でな。そっちは頼んだぜ」

 振り返ったハルトマンは馬車へ向けて手を振り、ついでにリアノに向けてわざとらしく片目を閉じ、炎へ向けて走って行った。その背に向けて、馬車の荷台から身を乗り出してヒナが叫ぶ。

「ちょっ、サグ! さっきは反射で返しちゃったけど、あれって煙草でしょ! 後で話があるから!」

「ミントシガレットだよドクター。心配はいらないぜ!」

「するに決まっているでしょう!?」

 二人の言い合いをよそに、リアノは大きくため息を吐き、膝を手で払って荷台に座り直した。そして、

「班長。聞こえてたよね。待ってたら道標が見えるはずだから、それを追って。住処が分かったら教えて」

『把握。それまで待機することにします。それでは、切りますね』

 魔結晶から色が消える。リアノは肩から力が抜け、そのまま寝転がりたい衝動に駆られる。が、まだまだ任務中である。ハルトマンへの文句も言い飽きたらしいヒナが戻って来るのを横目に、欠伸を噛み殺しながら魔導書の『curabilis canaria危険告げる金糸雀』のページを開く。金糸雀の姿を思い浮かべながら魔導書に魔力を通すと、ページの上で魔力が光の粒となって渦を巻く。

飛べFliege

 魔力が小さな金糸雀の姿に変わり、魔導書の上から飛び立つ。その軌跡は羽根の先から零れる砂金のような光に彩られている。金糸雀はリアノと、ヒナの周りを飛び回ると、空高く舞い上がり、馬車列の先頭へ向けて羽ばたいて行った。

 小鳥の軌跡に手をかざし、見えなくなるまで見つめていたヒナが、ぽつりと呟いた。

「相変わらず綺麗だね」

「……そうかな」

 咄嗟に上手い返しが思いつかず、結局素っ気ない言い方になったことを、リアノは若干後悔しながらヒナに視線を向ける。ヒナに気にした様子はなく、両膝を立てて座り、そこに頬杖を付いて景色を眺めている。リアノはその横顔をしばらく見つめていた。

『それだけじゃないだろ。だって――』

 不意に、ハルトマンが言っていたことを思い出す。と言っても、ヒナとの会話をリアノが勝手に聞いていただけなのだから、正確にはヒナに言っていたことなのだが――。

 この『だって』の意味を、後に続く言葉を、リアノは知っている。おそらくヒナも分かっているだろう。その時ヒナは何と答えただろうか? 今気にすることではないと分かっているが、どうにも気になってしまう。あれこれと思考を巡らせかけたところで、そんな自分に気付いて嫌になった。

「……余計なお世話、だよ」

 思わず口に出して毒づくと、聞こえていたらしいヒナが振り向いた。何か言った? と問われたリアノは、何でもないとだけ答え、空を仰いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る