第2話 獣の森・1 馬車の中で
アラウダ・レムナスは今しがた読み終わったばかりのその本を、真っ二つに引き裂くところだった。そうならなかったのは本を破ることに抵抗を覚えたわけでも、そうするだけの力がないわけでもない。ただ単純に、破れ目の場所が悪かっただけだ。
金色の長い髪と一際豪奢なドレスが目を引く女性の挿絵、そのすぐ上に破れ目が来ている。あとほんの僅かに力を入れるだけで、絵に傷が付く。それに気付いたから手を止めたのだ。そうでなければ、今頃『本だったもの』の残骸が床に散らばっていただろう。
胸元に手を当て、深呼吸をする。それから改めて本を見る。この国の――ユーティツィア帝国の伝説や説話を童話形式に纏めたもので、レムナスが読んだのは建国についての伝説だ。他にも「皇帝陛下の王冠」、「サーリタンの民、ベアルフの民、ミットルムの民」、「墓守と
やや大袈裟だったり、割愛されたりと大衆向けに編み直された建国の伝説。編集者の解釈が誤っている箇所はあるが、建国の歴史を伝えるものとしては概ね正しい。
そう、解釈の誤り。これさえなければ。
レムナスは商人の一団が率いる馬車に、用心棒を兼ねて乗り合わせている。今乗っている馬車には、レムナスの仲間の一人がいるだけだ。あとは商売の品が所狭しと積まれている。先ほど紙くずになりかけた本は、元々レムナスが踏みそうになって拾い上げたもので、暇つぶしも兼ねて読み始めたものだ。そんな都合もあり、あまり派手な行動は好ましくない。しかし少しくらいならば――
右手で本を持ち、左掌を広げた状態で上に向ける。そして口の中で何かを唱え始める。
「……え、ちょっと班長、何をしているの!?」
様子に気付いたヒナ・アストルナが駆け寄って本を取り上げる。レムナスは本がヒナの手に渡ってからも、じっとそれを睨みつけている。その目には多大な不快感と多少の憤りと嫌悪感、そして僅かに諦観の念が滲んでいる。ただ幸いと言うべきか、本の傷を確認することに意識を向けていたヒナはその視線に気付かなかった。
ヒナは丁寧に破れ目を調べると、顔を上げてレムナスへ非難を込めた目を向ける。
「なぜこんなことをしたのか聞いてもいい?」
慣れていない者であれば背筋が震えるほど、ヒナの声が冷たい。破れていたのは本文のページ数枚と裏表紙。まだ薄いページはともかく、分厚い裏表紙まで纏めてとは……と相変わらずの握力には呆れるが、この本は一応、商人達が扱っている商品の一つだ。それを勝手に読んで破いたのだから、本の買取どころか弁償金を払わなければならない可能性もある。
レムナスは無言を通そうとするが、やがて沈黙に耐えきれず、口を開いた。
「……挿絵が。その、違っていたもので」
挿絵? とヒナが破られたページを開く。宝石の付いた王冠にドレス姿の金髪金眼の女性。四等身に描かれているが、紛れもなくユーティツィアの初代皇帝だ。前後のページを見ても、そちらに挿絵はない。つまりこの絵を指して言っているに違いない。しかし本文との矛盾でもあるのかと思ってざっと読んでみても、別にはおかしなところはない。
「ごめん班長、わたしにはどこが間違っているのか分からない。教えてくれる?」
レムナスは問題のページを開いた状態の本を受け取ると、ヒナが見やすいように本を回転させて説明を始めた。
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