第16話 嘘月 ※性描写あり
無心で料理を作っていて気付かなかった。
いつの間に起きたのか、シャツ一枚羽織っただけの月彦がキッチンの入口で壁にもたれながら京弥を見ていた。
「うわ、びっくりした。いつの間に起きてたんですか。
大丈夫ですか、寝てても良かったのに」
数秒後、その月彦の中身が今までの陽人ではなく月彦だとわかる。
「月彦さんっすか。
ケーキありますよ、あんたが好きそうなやつ」
「……なんでお前はいつも俺たちがわかるんだろうな。
親もわかんなかったのに」
驚くよりも最早呆れているといった調子で月彦が呟く。
京弥のそれは、京弥自身にも言葉で説明できるようなものではなかった。雰囲気、目つき、態度、ちょっとした仕草、言葉遣い、笑い方。無理やり言葉にすればそのような細かい部分の違いなのかもしれない。とにかく、京弥には、同じ身体を共有している二人の人格の区別がついた。
冷蔵庫の中からマンゴーのタルトを取り出すと、釣られるように月彦が傍へ寄って来る。
「うまそう。このままでいい。このまま食べたい」
「え、このまま?」
「だってカットしようとしたら絶対マンゴー崩れて潰れるじゃん」
小さいサイズだったのでホールと言っても直径はそれほど大きくない。甘いものが好きなら独りで食べきれないこともないだろう。
「今日だけ特別っすよ、誕生日だから」
タルトをそのまま大皿に移しカウンターに置いてやると、月彦は嬉しそうにフォークをタルトに突き刺した。
「こんな時間にホール一つ丸ごととか、太っても知らないですよ」
「大丈夫だろ、さっきまで晩飯も食べずに運動してたらしいし」
「……それに関してはほんと弁解の余地もなく……」
出来上がった料理をタッパーに移し替えながら、宝石のようなマンゴーを黙々と口に運ぶ月彦を盗み見る。
「……ほら」
月彦がタルトの刺さったフォークを差し出してくるので、そのまま口を開けて入れてもらった。
「美味いすね、さすが有名店」
「自分じゃない意識が自分の身体でセックスしてる感覚ってさー、あれみたいなんだよな。
ほら、エロい夢見てるときって想像上だから実際よりめちゃくちゃ気持ちいいときあるじゃん。あんな感じ。
陽人が初体験だったもんだから俺の意識じゃないときのセックスって初めてだったんだけど」
口の中で少し青臭いマンゴーがクリームとねっとり混ざりあって甘ったるい塊がごくりと喉を通過した。
「……あの、」
「起きてみたら身体はくっそダルいのに、気分はまだなんかムラムラしてるわけ」
「……あー、なんか……すいませ、あぐ」
月彦がタルトを次々と京弥に差し出してくるので、黙って従うしかなく口を開け続ける。
「身体に火だけ着けられて、でも当人たちはスッキリしてのんきに寝てたり料理してたりしてるわけ」
「はあ、あの……んぐ」
半ば押し込まれるようにタルトを口に含まされ、言葉を挟む余地がない。
「別にさ、陽人がヤるのはいいんだよ。
あいつ、潔癖なところがあって、好きな相手としかできないタイプだったんだなって、まあ、この年になって初めて気付くこともあるよな。
兄弟とはいえ、なんでもかんでも知ってるわけじゃないからさ」
京弥に食べさせることに満足したのか、ようやく自分の口にもタルトを運び入れ始める。
「……平気だと思ってたんだけどな」
ため息交じりの小さな独り言はタルトと一緒に飲み込まれて京弥にはよく聞こえなかった。
「? なんか言いました?」
「いや? ケーキ、ありがとな」
「ああ、そう言えば月彦さんにはまだでしたよね。
誕生日おめでとうございます」
月彦が片方の口端を少し上げて微笑む。
それは、どこか憂いを帯びていて、目を離すとすぐに腕をすり抜けてどこかへ行ってしまいそうで、焦燥感や苛立たしささえ感じてしまう。こんな笑い方は、陽人はしない。
「なあ、もう一回くらいやれるだろ」
そう言うと月彦は立ち上がり、下着を脱ぎ捨てた。
「え?」
シャツでかろうじて隠れているが、裾がぎりぎりだからこそ、どうしても視線がそこへ向いてしまう。
月彦の腕が京弥の首に絡み、唇よりも先に舌が入って来る。月彦の身体は押し付けられ、京弥の太腿を挟み込むようにしてすでに自慰をするように腰が動いている。
「これ、まだ使えるだろ」
月彦の人差し指が京弥の股間を下から上につうと辿る。
「言い方」
まるで、身体だけを欲されているような。後は必要ないと言われているような。
苛立つ。
勝手に独りで気持ち良くなっている月彦の腰を止めて、あえてゆっくりとキスをしてやる。
マンゴーと生クリームとタルト生地のバターの味だ。
「ん、はぁ、なあ、さっきまで挿入ってたからもうすぐ挿入る」
京弥に背を向けて、カウンターに手をつき自分で尻を広げて見せつけるポーズをとる。
「なんでいつもそんな勝手なんだよ……!」
悔しいのは、そう言いつつ逆らえない自分の性だ。ズボンの前を寛げると、しっかり反応しきった自分のものを取り出して、性急に月彦の腰骨を掴み後ろから深く埋めた。
「は、あぁ……、っン、あん、深い、ん、きもちい」
月彦の上半身を抱えて起こし、より深く突き込む。
「あ、はぁ、さっき、お前が出したやつが、まだ中にあるから、んっ、ローションも、いらね、っふ、んん、はぁ、動けるだろ、もっと」
確かに、月彦が開けば奥から垂れてくるものがある。自分が先ほど陽人との交わりで胎内に放ったものだと言われると、背徳感と興奮で頭が沸騰しそうになる。
「っ……、あんたわざと煽ってるだろ……!」
「ははっ、簡単に、煽られてくれて、助かる……っあ、あん、ひ、んんっ」
どんなに煽られても先ほどまでに何度か出してしまっているので、長く胎内に居られる。月彦の顎を持って後ろへ向かせてキスをする。
「月彦さん、好きです」
「おれは、んっ、好きじゃない……、お前の、借りてる、だけ……ん、あっ、ン、いいぞ、もう、イって」
カウンターに手を付かせ、後ろから抗議するように動きを強める。
苛立ちがつのる。
嘘だとわかるから愛おしいのに、月彦が嘘をつく理由もわかっているから苛立つ。
だから無理やり認めさせることができないこともわかる。
「あんたが満足してくれたらもうそれでいいっすよ」
月彦は少し振り向き半分だけ見せた横顔で口の片端を上げた。
「そんで、また飯作りに来て、今度はなにに悩んでんだよ」
繁華街から通り一本、いや二本も三本も隔てた路地裏の昔ながらの食堂兼小料理屋「活彩(かっさい)」は、定食だけのランチ営業を終えて、夜の営業のための大皿料理の仕込みをしているところだった。
京弥は勝手知ったる店のカウンターの中で、仕込みを手伝っていた。
「んー、ここで料理作ってるとなんか集中できていいんだよなぁ……、ストレス発散っていうかさ」
「だからよ、発散しなきゃなんないほどなにを悩んでんのかって聞いてんだよ」
先日、この店を両親から受け継いだ翔平は、京弥の幼馴染だった。
「お前が親父に料理教えてくれって言って店に来るようになったのはいくつの頃だったっけ?
あー、確か、最初はあれだ、お前の母ちゃんが亡くなったときだったか。
父ちゃんと二人で生きていかなきゃならねえから俺が飯作んなきゃ、だっけか。
その後はすぐに親父さんが再婚して、俺がまだまだガキだから父ちゃんは再婚しなきゃいけなかったんだ、俺が頼りなかったからだ。
で、次が新しい母ちゃんも働いてるから俺が飯作るんだ、だっけ?
何年かして母ちゃんが妊娠して年の離れた弟ができたから俺は早く独り立ちして家を出てやらなきゃ?
よくもまあ、次々と勝手に責任を背負いこめるよなぁ」
芋の皮を一心不乱に剥いている京弥の横で、大量の豚串を揚げながら翔平が指折り数えて嫌味を言う。
翔平が数え上げたことは確かに京弥がここで料理を教わっていた頃に口にしていた理由だった。
「ぐっ……、お前、そんな昔のことまでほじくり返しやがって……。
もうそんな子供じゃねえよ。全部自分の責任だとか、全部自分が上手くやらなきゃとか、今はそんなこと思ってねぇから」
子供の頃から京弥はなにかある度にここで料理を教わり、その後、手伝いのお礼と称して食事をご馳走になった。
先代の翔平の両親や翔平は、いつもなにも言わず受け入れて京弥の望むままに料理を教えてくれた。
悲しいのに涙も出ないときは玉ねぎの皮むきをさせてくれ、京弥は玉ねぎで痛む目で泣きながら皮を剥いた。
寂しくて悔しいときは、揚げたてのとんかつを大盛りにして食べさせてくれた。
家に帰りたくないときも、難しい料理を毎日たくさん教えてくれたから一日では身に付かず何日も何日も通わなければならなかった。
その全ての場面に幼馴染の翔平の姿があった。
なにも聞かず、なにも言わず、まるで興味がないとでも言うように、ただ京弥と毎日バカみたいに遊んで、時々二人して叱られた。
「大将にも女将さんにも、お前にも、足向けて寝られねぇよなぁ」
「よぉっく感謝して崇め奉れよ」
「これからも通うし、宣伝するわ」
「それは普通にありがてぇな」
料理を作っていると、頭の中の考えがどんどんシンプルになっていく。美味しいもので腹が満たされれば前向きになれる。
「なあ、同時に二人の人間をちゃんと好きになれると思うか?」
「はあ? それ、俺に聞く?」
翔平が言い終わるか終わらないかのタイミングで、店の引き戸がカラカラと音を立てて開いた。
「お疲れさまぁ」
「まおちゃんっ! またそんな重たい物持って!」
店の玄関から入ってきたのは大きな臨月のお腹を抱えた女性だった。両手に持った買い物袋から大根やごぼうがはみ出している。
翔平は慌てて厨房から出ていき買い物袋を受け取った。
「家で休んでろよ!」
「だって暇なんだもん。歩いた方がいいんだってば」
「まおちゃん、もういつ産まれてもおかしくないんだからせめて独りで出歩いちゃだめだよ」
外出先でなにかあったらどうするのか。そんなことを思って京弥も口を出す。
「あれ、京弥くんじゃん。久しぶり」
おう、と手を上げるだけの挨拶をした。
彼女は翔平のパートナーで、臨月のお腹をふうふう言いながら抱えて店の椅子に腰を下ろした。
翔平は買い物袋を厨房の調理台に置くと、嫁であるマオを、見た目に反した甲斐甲斐しさで世話した。
遠目から見ているだけでも仲睦まじい夫婦だ。
ようやく厨房に戻ってきた翔平は、揚げ物を再開しながら言った。
「二人同時に好きになれるか、だっけ?
そんなもん、できなきゃ俺は父親失格だっつの」
確かに、家族が増えるということは好きな人間、大切な人間が増えるということだ。
京弥の家族だってそうだった。
父も、亡くなった母も、血の繋がらない母も、京弥も、お互いがお互いのことをちゃんと想っていたはずだ。人数も、出会ったタイミングも、血の繋がりも関係ない。
月彦たちの母親のように上手く愛せない場合だってもちろんあるだろうけれど、少なくとも京弥は二人のことを大事に想っている。
月彦も陽人も、どちらも失くしたくなくて、大切で、愛しているということを、京弥自身が示していく。
少しずつ、二人に伝わって乾いた地に雨が染み込むように受け取ってくれたらと思う。
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