第14話 欲

 心に少しだけ余裕ができたからか、そういえば、と思い出す。

「さっき、なにか言いかけなかったか?」

 京弥がなにかを言いかけたときにちょうど貴島が現れてうやむやになってしまっていた。

「ん? ああ、そうでした。

月彦先輩、今夜予定あります?」

 月彦も、今夜は一緒に居たくて予定をあけていた。

 といっても、いつも予定を埋めているわけではなくて、夜になるとたいてい睡魔に襲われ泥のように眠ってしまい自分ではどうしようもなくなって気が付くと朝、という毎日なので夕方には自宅に居るようにしているというだけの話しなのだが。

京弥が自宅に来てくれるときでさえ、睡魔に抗えず記憶がなくなっていることもある。そんなときは大抵、京弥が運んでくれて翌日の朝はきちんと自分のベッドで寝ている。京弥には申し訳ないし、なにより京弥ともっと一緒に時間を過ごしたかったのにもったいないことをした、と翌朝落ち込む。

 だが、今日は頑張って起きているつもりだった。

「なにもない。

今夜は……、一緒に、居たいと思ってたから」

「先輩、明日、誕生日っすよね」

「! なんで知ってるんだ?」

「俺、こういうイベントにかこつけて何かしてあげたり、プレゼントするの好きなタイプなんですよね」

 誕生日だからといって、特になにかをして欲しいとかプレゼントが欲しいとか思っていたわけではないし、この年になって誕生日というものに思い入れはない。ただ、京弥に気を遣わせずに、しかしいつもよりは少し長く一緒に居てくれたら、それだけで今年の誕生日は特別な気がしていた。

 京弥は、夕食は自分が作りたいからと帰りに買い物をして、月彦の家に行くことになった。わざわざレンタカーを借りていて、月彦を助手席に乗せて大型スーパーと有名なパティスリーに寄った。宝石のようなマンゴーがたくさん乗った小さめのサイズのタルトだった。

「……俺、甘い物、そんなに食べられないけど」

「大丈夫っすよ、明日の夜までに残ってたら俺が責任持って食います」

 京弥はにこにこしながら、甘いデザートもたくさん用意した。

「月彦先輩の食事は和食をたくさん作りますね」

 京弥は言葉だけでなく本当に嬉々として次々と料理を作り、所狭しとカウンターに並んで部屋中にあたたかくて食欲をそそる香りを充満させていた。

 しかし、月彦には冷蔵庫の中にしまわれた、自分が絶対に食べることのない甘いスイーツの行方がどうしても心の隅に引っかかったままだった。

 キッチンの端で壁に身体を預けながら、鍋の煮物の煮え具合を確かめる京弥の横顔や、包丁を使う大きな手ばかりを見ていた。

「……そんなに見られてたら穴開きそう」

 京弥が苦笑混じりに言う。

「プレゼントはなにが欲しいですか」

「え、このご飯は」

「これは、誕生日のご馳走ってやつですよ。

形の残るプレゼントは好みとか趣味とかあるからさすがにまだサプライズにはハードル高くて。

ずっと考えてたんですけど、欲しい物聞いてからにしようかなって」

「ずっと考えてた?」

「そりゃ、考えるでしょ、なにしたら喜ばせられるかなって」

 たとえば京弥が本当になにかを隠していたのだとしても、それが今こうして月彦を喜ばせたいと料理を振る舞う京弥の行動を疑う理由にはならないはずだ。

 正直に言ってしまえば。

それでもいいと、思っていた。京弥が誰かほかに好きな相手がいても、それを月彦や自分自身の中でごまかしながら月彦と一緒に居るのだとしても、今は目の前で少し手を伸ばせば触れられるところに居る。

自分のところに居る。

 誰かほかに好きな人が居てもいいよ。

 でも、俺の側にも居て。

 俺のことも見て。

 こうして一緒に居る間だけでいいから。

 伸ばした手が勝手に京弥のシャツの背中を掴んでいた。

「プレゼント、なんだけど」

「なにか欲しい物思いつきました?」

 京弥が手を止めて振り返る。

「俺と、セックスして」

 京弥の肩がピクリと震える。

 昼間あんな風に告白してきた相手から「セックスして欲しい」と言われて、きっと月彦のことを重くて面倒そうだと思っただろう。好きな相手じゃないのは嫌かもしれない。

それでも京弥が無下に断れないくらい優しいこともわかっている。

 京弥が少し困った顔をする。そういう表情が読めるくらいにはずっと見ていた。

 頭を軽く掻いたり、視線を泳がせたり、手で顔をこすったりして、その後、口を開いた。

「……あー、とりあえず、順番追っていいです?」

「順番?」

 京弥の手が月彦の後頭部に回り、しっかりとした力加減で引き寄せられた。

「んっ、」

 唇を触れ合わせただけの状態から、上下に押し開かれる。その間から、舌が潜り込んできた。

 思わず頭を引こうとしても、大きな手のひらはすっぽりと月彦の後頭部を包んでいて、さらにもう一方の手が月彦の腰に回って、そちらは頭よりもさらに強く引き寄せられた。

 だが決して強引で無理やりな感じはなく、あくまで月彦の呼吸のタイミングを見計らって舌を深めてくる。上顎や舌の裏、頬の内側などを丁寧に舐めるときも、月彦が無意識に唾液を飲み込んだり、身体から力が抜けたりするような箇所を察して撫でてくれる。

 後頭部にあった手のひらはうなじや耳の後ろをくすぐり、腰にあった手は脇腹や腰骨を優しく掴んでいる。

 キスや手の動き一つとっても性急な感じも自分本位な感じもなく、それが優しく誠実ではあるけれど手慣れていて、京弥らしかった。

 好きで好きで仕方なかった相手とキスをしている。そう考えるだけで体温が上がる。

もしかしてこれはいつもの夢なんじゃないかとすら思う。気持ち良くて、どこまでも自分に都合の良い夢。

 最初は強張って力の入っていた月彦の身体も、いつのまにか力が抜けて、抜けすぎてその場に座り込みそうになるのを必死で堪えていた。

 頭も口の中も身体のあちこちがじんと痺れたようになって、真っ白になる。

「ん……はぁ、あ、……?」

 口から舌が抜かれて離れていくのが寂しくて舌が勝手に追いかける。物足りない。こんなのじゃ全然足りない。

「飯、食ってからにします?

……すでに結構とろとろになってますけど」

 無理だ。我慢できない。もう少しの時間も待てない。

「でも、せっかくご飯、作ってくれてるのに」

 ご飯は後から食べる。この月彦の腰に未だ添えられたままの手の大きさ、熱さ、肌の感触に自分の下腹部がぞわぞわとして狂いそうになる。

「せっかく、岡野くんが、作ってくれた、」

 京弥の身体に自分の身体を押し付けてしまうのが止められない。胸から足の先まで隙間なくくっつけて、自分の身体全部で京弥の体温を感じたい。

「……はは、言ってることと顔がばらばら。

先輩の発情してる顔、可愛い」

 耳元で低く囁かれ、京弥の指がつうと頬を撫でると、顔だけじゃなく耳や首から鎖骨辺りまで熱を持った。

「ご飯は、後で食べましょう」

 そう言って、京弥は月彦の身体を抱き上げた。

月彦も、確かに痩せ気味ではあるかもしれないけれど決して小柄なわけではない。

それが、まるで幼児を抱き上げるように尻の下に腕を通して持ち上げられ、不安定さに必死で腕と足を絡ませてしがみ付いた。

「このままベッド行きますよ?」

「えっ、ちょ、こわいこわいこわい」

「怖いならしっかり捕まって」

 抱き上げられた恰好のまま、隣の寝室に運ばれた。

 月彦を抱っこしたまま、ベッドにどさりと座る。月彦は京弥と向き合ったまま膝の上に座っているような形だ。

「お、重いだろ、今おりる……」

 京弥が抱きしめる腕に力を入れたので、全然おりられない。

月彦の胸元に半分顔を埋めているかのように唇をつけたまま、至近距離で上目遣いに見上げられる。

 心臓が破れそうなほど大きな音を立てていることにはとっくに気付かれているのだろう。

抱き上げられて運ばれたときに、さっきまでの発情は急激に萎んでしまった。

しかし、密着して抱き上げられて、こうしてベッドの上でまだ密着したまま、というのも緊張なのか興奮なのか恐怖だったのかわからないけれど、心臓は今まで生きてきた中で一番の勢いで血液を送り出している。

「岡野く……、んん」

 再びキスをされると、あっというまに身体の火照りが戻ってくる。

舌を甘噛みされながら服を脱がされて、頭の中には早く京弥に直接肌を触ってもらいたい、なんの隔たりもなく早く京弥の肌に触れたいとそれしかなくなっていた。

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