第6話 カッコウ

 曇っていた昼間に比べて、日が落ちてしまうとまだ涼しさも感じる。

 仕事を終えた平日、帰宅後に風呂に入って冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してペットボトルに口をつける。こめかみを伝う汗を窓からの風が冷やして気持ちいい。今日はエアコンなしでも寝られそうだ。

 夕食を食べる時にはビールでも開けようか、ベランダに出て飲んでも美味いかもしれない。

 スマホのメッセージアプリのアイコンに数字が増えているのを見て、ソファに座りながら開く。月彦からだと嬉しい。月彦が絵を描いていたり寝ていなければ電話をかけてみよう。メッセージだけのやり取りももちろん楽しいけれど、声が聞きたいし、あわよくば顔が見れたら嬉しい。

 アプリを開くと、やはり月彦からだった。

「……んん?」

 メッセージ画面には、薄暗い照明の中、どこかの店内らしきカウンターに突っ伏している男の後頭部の写真がアップされた。続いて『迎えに来てあげて』というメッセージと、住所と地図のリンク。

 写真の男は、さらさらとした髪にシンプルなTシャツでラインのわかる細身の身体つき、顔など写っていなくても京弥には一目でわかり、間違いようがない。

「先輩……?」

 急いで部屋着のハーフパンツを外出用のコットンパンツに履き替えただけで、スマホと財布を掴んで部屋を出た。

 『すぐ行きます』とメッセージを入れたついでに地図アプリを開くとやはりそこはバーだったようで、繁華街の以前月彦と偶然出くわした辺りに近い。

 帰宅する人々の流れに逆らい、駅の改札をぬけてホームへと急ぐ。

 電車を待つ間に改めて写真を見てみると、カウンターに突っ伏している様子や、その近くに置かれているほとんど氷の溶けた飲みかけのグラスからは、どう見ても酔い潰れているように見える。

 無防備に眠り込んでいるのか、気分が悪くて起き上がれないのか、どちらにしても心配と不安で気ばかりが急く。

 しかし。

 月彦はその体勢からも、どうやっても自撮りではないしメッセージも送れないだろう。それでは、この写真を撮り、メッセージを送ってきたのは誰なのだろう。月彦が誰かと一緒に酒を飲んでいたのだろうか。

 駅から出ると急いで地図の示す場所へと向かう。地下にあるらしきバーへの階段を降り扉を開けると、心なしか視線が集まった気がした。

 そう広くはない店内は、目の前にカウンターが奥へと延びていたので月彦らしき人物が突っ伏しているのを容易に見つけることができた。

「いらっしゃいませ。こちらは初めてのご来店でしょうか」

 バーテンが息せき切って入ってきたラフな格好の男に対して訝しそうな視線を向ける。

「すみません、連れを迎えに来ただけで」

 謝るように手を挙げ、奥を確認していいかと差す。

「あっ! ほら、やっぱり!」

「うそ、ほんとにイケメンじゃん」

「おーい、クーちゃん、彼氏くん迎えに来てくれたよ」

 カウンターに突っ伏していた月彦のさらさらの頭に奥に座っていた男が優しく手を乗せる。さらに、京弥の視界には入っていなかったが、月彦の後ろに立っていた男も、月彦の肩に腕を乗せてもたれかかり、もう片方の手にはグラスを持ったまま京弥を見ている。

 思わず、足早に近寄って月彦に密着している男たちを無言で引き剥がした。

「おっと、彼氏嫉妬深いタイプ?」

 からかうように言われて余計に頭に血がのぼる。

「先輩、起きてください。迎えに来たんで一緒に帰りましょう」

 カウンターに突っ伏している月彦は周囲に一切構わず寝続けている。

「まあまあ、とりあえず座りなよ」

 月彦の奥に座っていた男が苦笑しながら、京弥に席を勧めた。

「そうだよ、誰がこの状態のクーちゃん守ってやってたと思ってんの。

お礼言われることはあっても、怒られるいわれはないと思うんだよねぇ」

 月彦に後ろからもたれかかっていた男は自分のグラスに口をつけながらさらに奥の席へと座った。どうやら京弥に月彦の手前隣の席へ座らせるために空けてくれたらしい。顔周りの一束ずつの髪だけがピンク色だ。

「クーちゃん、寝ちゃってから一時間くらい経つからもう少しで起きると思うよ。

ほらほら、そこに突っ立ってたら邪魔だって」

 月彦の奥に座っている男の方が、どうやら落ち着いている性格のようで話し方にからかいのニュアンスがない。京弥も、少し頭が冷えると、確かに店にも迷惑だし、おそらくこの二人が自分へ連絡してくれたのだと思い至るとまずはお礼だと気付く。

「……すみません、俺、早とちりしたみたいで」

 そう言いながら月彦の隣に腰を下ろした。バーテンに謝罪がてら一杯だけレッドアイを頼む。これくらいなら酔った月彦をタクシーで家まで送り届けることも、最悪自分の部屋で寝かせることもできるだろう。

「あの、ありがとうございました。俺に連絡くれたのって……」

「俺たちだよ」

「クーちゃん、珍しく飲んでてさあ。いつもこんなになるまで飲まないんだけどね」

「良かったよね、俺たちが善良なゲイトモで。そうじゃなかったら今頃とっくに誰かにトイレかホテルに連れ込まれちゃってるよ、この子変態ホイホイだし」

 ピンク髪の言葉にぞっとする。色々聞きたいことも言いたいこともあるが、とりあえずは月彦が無事で本当に良かったと胸を撫でおろした。

「改めて、ありがとうございました。あの、お礼に一杯ずつでも奢らせてください」

「おっ、できる彼氏くんだな、ありがとう」

「遠慮なく」

 バーテンに自分の分と月彦の分、そして横の二人の一杯ずつを払うと申し出て会計を頼む。月彦が起きるまで、と開き直って、二人に話しかけた。

「あの、この店って」

「ゲイ専用ハッテン場」

 やはり。店内には男しか見当たらなかったし、ドアから入った瞬間の品定めされるような無遠慮な視線は一見にはありがちな洗礼だ。

 そんな店に月彦が出入りしていることにショックを受けた。先日の話で月彦が人見知りをすると言っていたので、こんな場所は苦手だろうと思っていた。静かに頭を抱えてため息をつくと、奥の男が慌てたように話してくれた。

「いじわるな言い方するなって。

あのさ、彼氏くん。この店、ゲイ専用ではあるけど、ヤリモク連中ばかりが集まるようなディープな店じゃないから。

普通に飲みに来たり仲間と遊びに来たりもするカジュアルなバーだからね?

クーちゃんも浮気相手探してとかじゃないと思うよ。

今日だって、俺たちずっと彼氏くんの話聞かされてたんだから」

「あの、さっきから気になってたんですけど、クーちゃんって、この人のことですか」

 カウンターの上の腕にさらさらとした髪が流れる月彦の後頭部を見下ろす。

「そうだよ。この子、酔ったらいつも、自分のこと“カッコウ”みたいなもん、って言うんだよね。

だから、英語のクックー(カッコウ)からとってあだ名が“クーちゃん”。ちなみに、本人はこのあだ名嫌がってる。

ねぇ? クーちゃん」

 ピンク髪が、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら月彦の頭を人差し指で突いている。嫌がっているとは言っても、少なくともこの二人は親愛の情を持ってこのあだ名で呼んでいるらしい。それは、眠る月彦を見守る二人の視線のあたたかさからもわかる。月彦の良い友人なのだろう。

「自分が“カッコウ”みたいなもん、というのはどういう意味なんでしょう?」

「さあ? バカって意味かな?

英語で“カッコウ”って確か、頭おかしい奴とか、そういう意味のスラングじゃなかったっけ?」

「わかんないんだよね、聞いても教えてくれなかったから」

「あと、彼氏の話って……俺のこと、ですか」

 二人は顔を見合わせ、よりからかいがいのある相手を見つけたと言わんばかりに笑みを深くした。

「なに、自分以外に彼氏がいるかも~って?」

「なんか悩んでんの? おにーさんが聞こうか?」

 落ち着いた話し方をする方はセイジ、ピンク髪の方はモリといった。またこんなことがあったらやはり自分に連絡して欲しいと、二人とも連絡先を交換しておいた。

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