第4話 夜の月 ※性描写あり
週の半ばの平日の夜でも、繁華街は賑やかだ。雨上がりの夏の夜を満喫する人々とネオンの看板がひしめき合っている。
冷房のよく効いた店内から出た直後の京弥は、肌にまとわりつくようなじっとりとした湿度に、なぜか人肌の艶めかしさを思い出してしまった。
今夜は、ここのところ取り掛かっていた大きなプロジェクトの企画資料作成もひと段落し、連日の残業とプレッシャーから解放された勢いのまま、同僚たちと飲んでいた。まだまだ飲みに行こうと駄々をこねる同僚をむりやりタクシーに押し込んで、自分は少し夜風に当たって帰ろうと歩き始めた。
これでようやく月彦に会いに行ける。
あれからお互いに予定が合わず、すでに半月以上会えていない。メッセージのやり取りはあるけれど、やはり直接会って顔を見て話をするのとでは満足度が違う。
一緒に映画を見る約束も、月彦の食生活を心配して栄養のあるものを一緒に食べようという約束も、実現できると思っているからこそ仕事をがんばれたのだ。
今夜はもう遅いけれど、明日は絶対に月彦に電話をしよう。そして、会う予定を詰めよう。酒が入ると月彦に会いたくなるのはなぜなのだろう、と酔いと湿度と疲れの三重苦で働かない頭でぼんやり考えていた。
ふと、夜の騒がしさの中に、あの独特な浮かび上がるような雰囲気を持つ人とすれ違った気がして振り返った。
会いたいと思っていたから酔って他人を見間違っているだけかもしれないと思いつつも、探すことを止められない。
人々の間を縫って小走りに道行く人の顔を確かめていく。
(居た……!)
その後ろ姿は爽やかできちんとした印象のあるスーツや白のサマーニットではなく、夏の繁華街に相応しくラフなTシャツにデニムだ。
しかし、線の細い背中や長い手足のシルエットはそこだけがぼんやりと浮いて見えるようで、きっと自分は月彦がどこに居ても見つけられるようになってしまったんじゃないかと思う。
追いかけて、その腕を掴んだ。
「先輩っ!」
「……は?」
振り返った瞬間の雰囲気は、いつもの穏やかで柔らかい月ではなく、透かし細工のように怜悧な三日月のようだった。
耳には、雨粒の名残のような銀のピアスが光っている。
「なんだ、お前……」
訝しそうに眉をひそめる人を前に、京弥は冷や汗をかいて掴んだ手を離した。
「あ、……っと、あれ?」
それは、紛れもなく月彦本人だと思うのに、相手からは知らない間柄のような反応をされ、自分自身も一瞬人間違いをしたかのように感じる。
「誰? 知り合い?」
月彦の横には見知らぬスーツの男が居た。
「あ、……俺、」
人と一緒だったから京弥のことを知らないふりをしたのだろうか。
そう思いながら月彦を見ると、なぜか驚きに目を見開いて心なしか青くなっていた。
「おか、の……?」
掠れた声で月彦が呟く。
名前を呼ばれて人間違いではいなかったとほっとする。
「そうっすよ、先輩、一瞬雰囲気がいつもと違うからびっくりしましたよ。
酔ってるんですか? 大丈夫っすか?
送っていくんで一緒に帰りましょう」
手を差し出そうとすると、隣の男が遮るように出て来た。
「なに、こいつの知り合い?
悪いけど、彼、これから用事なんだよね」
男は強引に月彦の腰に腕を回して引き寄せる。
は?
男の馴れ馴れしさに不愉快を通り越し、瞬間的に怒りを感じる。月彦の腰に触れている手を払い落としたい気持ちをどうにか堪える。
「……あー、あの、どのようなお知り合いかは存じませんが、彼もあなたも酔ってるみたいですし、もう深夜なのにこれから用事って……」
月彦の仕事相手などだったら後で困るのは月彦なのでなんとか冷静に返しながらも、腹の底がむかむかとして仕方ない。確かに割り込んだのはこちらだけれど、どこか横柄な男だと思った。
月彦の意思を確かめるためにちらりと顔を見下ろすと、月彦は腰を引き寄せられていることなど気が付いてもいないように、先ほどと全く同じ表情で京弥のことを見ていた。
「先輩……?」
「あ、いや……」
京弥の声に反応したように我に返った月彦は、腰を抱き寄せている男を振り返った。
「悪いけど、今夜はなかったことにしてくんない」
「はぁ!? なに言ってんだよ! こっちが先に声かけたんだろ!?」
「声をかけられたのはあんたが先だけど、優先度はこっちが上なんだよ、触んな」
月彦が男の手を払いのけると、男は激高した。
「このやろう! 舐めてんのかよ!」
男も酔っているからか、簡単に拳を振り上げる。それをひらりと躱し、月彦は呆然としている京弥の手を掴んで歩き出した。
「待てよ! ふざけんな!」
男が後ろから殴りかかろうとする。
「せんぱ、危なっ……!」
月彦はそれすらも軽く流し、相手の拳に軽く触れただけで力の向きを変える。男は勢いがついたまま、体重の移動に失敗し前に転がった。
「今のうちだ、行こう」
月彦は京弥の手を引いたまましばらく小走りで人混みの中へ逃げ込み、路地を曲がった。しばらくして男が追ってきていないことを確認すると、ほっと息をつく。
「先輩、意外と危ないことしますね」
月彦は手を離して、ちらりとこちらを見てまた前に向き直った。
「あんなこと、普通にあるだろ」
少なくとも、京弥の知っているつもりの月彦ではイメージできなかった。
「良かったんっすか、あの人。……その、お知り合いじゃ」
「……知り合ったのもついさっき」
「ああ、なんだ、俺てっきり、」
仕事相手、ではなかったのか。言いかけて、それでは、どんな関係性なのだろうかと考えて後が続かなくなった。
ついさっき知り合った男と、なにをどういう関係になれば腰なんかを抱き寄せられるようになるのか。京弥と会わなければ、そのままどこへ向かう途中だったのか。
なにかを言おうとしても、言葉が出ない。なにかを聞こうとすれば、聞きたくないことばかり聞いてしまいそうになる。
どくんどくんと自分の心臓が嫌な音を立てて大きく脈打つ。
月彦はガードレールに軽く腰かけて、どこか遠くを眺めるような素振りだ。
なにか言わなければ、と焦れば焦るほど、月彦の横顔に見惚れるばかりだ。相変らず完璧な形の美しい横顔にネオンの光を受けて銀のピアスが雨の名残のように光る。
「岡野」
「はい?」
「さっきの奴さ、今夜の相手だったんだわ」
「それってつまり、……そういう行為をする相手ってことですか」
確かに、京弥と月彦はまだ恋人ではない。
好きだとか付き合うとかそんな話もしたことはない。
だから、京弥に月彦の行動をとやかく言う権利は、ない。
月彦がこちらを見る。
透明な瞳が揺れていて、泣くのを堪えているような、縋るような表情で、なぜか月彦の方が迷子の子供みたいな顔をしている。
「先輩……?」
月彦は一度俯くとすぐに表情を元に戻し立ち上がった。京弥のすぐ目の前に来ると、まるで月のように美しい微笑みを向けられて、思わず息を呑む。
「岡野、お前が今夜の相手してくれよ」
「……は?」
月の明かりを反射して、月彦の瞳が妖しく煌めく。
その瞳に魅入られるようにして、なにがなんだかわからないままぼんやりと手を引かれて手近なホテルへ入った。
握られた手の平がじっとりと汗ばんでくる。
月彦はずっと無言で、こちらを見ることもない。だから京弥は仕方なく、その白いうなじや繋がれた手の細い指先などを観察するしかなかった。
部屋に入ると突き飛ばされるようにベッドに座らされる。その足の間に月彦が屈みこんだ。
「え、ちょ、先輩、待っ……!」
京弥のスーツのスラックスのベルトが外され、前をくつろげられて下着をずらされる。
「勃たせないとできないだろ」
なんの躊躇もなく咥えられて、思わず腰を引いた。
「っ……ぅわ、あ、ちょっと……!」
月彦の口の中は溶けそうなほど熱い。
自分の下半身があっという間に形を変えて質量が増していくのがわかる。
「ん、ん、……ふ、っん」
月彦の柔らかい舌が絡み、上顎に先が擦られるとたまらなく気持ちがいい。
喉の奥まで咥えられたり、先を舌先でくすぐられたり、吸われながらストロークを深くされると思わず上ずった声が出る。声を噛み殺す京弥の顔を上目遣いで見て、月彦の目元も耳も赤くなる。
目の前の光景が信じられない。
あの月彦が、自分のものを咥えている。
夢にだってこんな光景を思い浮かべなかった。
月彦の顔の睫毛の長さだとか、頬の形が変わっているのを見ているだけで下腹に熱が集まり、どうしようもなくなる。頭がくらくらとする。
「っふ、……ああ、すっげきもちいい……。先輩、」
月彦のさらさらとした髪を梳き、耳朶をなぞり、滑らかな頬に指を這わせる。
ずっと、こうして触れたかったのだと初めて気が付いた。
「先輩、待って、出そう。もう出るから、口離して……」
それでも口を離す気配はなく、それどころか京弥の言葉を聞いて、月彦の頭の動きがより激しくなる。
「うっ、ん、……は、やば、出る、せんぱ……!」
手も同時に上下に強く扱かれて、思わず股間に埋まる頭を抑え込んだ。京弥は月彦の熱い口の中に勢いよく吐精した。
「っ、っ、っは、はぁ……あー……先輩、すいません……!」
慌ててティッシュを出して月彦の口元へ持っていくけれど、同時にこくりと喉が動く音がした。
口元を手で拭ってこちらを見上げる月彦の涙の浮いた赤い目元を見た途端、心臓が大きく飛び跳ね、ベッドに押さえつけてめちゃくちゃにしてやりたい衝動が湧きおこる。
凶暴な、本能に近い支配欲とか獣欲とか呼ばれるようなもの。
しかし、実際にベッドに押し付けられたのは京弥の方だった。
下半身のズボンと下着だけを脱いで、月彦が京弥の上にまたがる。
全く萎える気配のない京弥のものを見て、嬉しそうにわずかに微笑む。
「せ、先輩っ! むちゃですよ、まだ慣らしてもないのに!」
「なんだ、そういうの知ってんの。もしかして、男と経験あるわけ」
「……す、少しだけ」
「はっ、岡野もそれなりに成長してたってことか」
月彦が下半身をずらして、京弥のものをあてがう。先端が、熱い肉壁の中に埋もれていく感覚。
「……っ、」
月彦の顔が歪む。
「先輩、もう止めてください、ちゃんと俺、慣らします。先輩っ」
そう言っている間にも、割り裂いて押し込まれていく。
すぐにぐちぐちと粘度の高い水音もするようになった。ローションが月彦の中から垂れてくると京弥のものも滑りが良くなってきた。
柔らかく包み込まれるような、飲み込まれるような感触が体の快感だけでなく精神的にもたまらなく充足感を覚える。受け入れてもらえているという感覚が愛おしい。
京弥の全てを飲み込むと、月彦は小さく息を吐いた。京弥の手を自分のTシャツの中に誘い込んで、胸元に這わせる。
「っ、せんぱ、月彦先輩……」
月彦の口の端が上がる。挑むような視線で京弥を見下ろし、満足気にゆっくりと瞬きをする睫毛の陰が妙にいやらしい。
京弥の腹の上には月彦の陰茎が震えている。空いている手でそれを握り込むと、月彦の声が小さく甘やかに零れ出た。
「あっ……、はぁ」
胸に導かれた手は親指で先端をくりくりと押し潰したり摘まんだりして、月彦のものを握っている手はゆっくりと上下に扱いてやる。
「あっ、ん、んっ、はぁ、……いい、気持ちいい……上手だな、岡野」
妖艶に微笑むと、月彦は腰を動かし始めた。
「あっ、ああ、……ん、はぁ、岡野の、おっき、きもちいい……あ、ん」
京弥の頭はすでに爆発しそうなほどの情報過多で、処理落ちしている。あの月彦が、自分のものを咥え込んで腰を振っている。
歪んだ顔すら美しく、Tシャツからのぞく肌はどこもかしこも透き通るように皮膚が薄い。
ゆっくりと腰を回したり、膝を立てて抜き差しされると、もうなにもかもが溢れだして、夢中で月彦の腰を掴んだ。
「ぅあっ、まって、おか、の、……あ、や、あっん、あ、激し、っああ!」
腰を突き上げて、自分の上で揺れる月彦を見る。突き上げる度に深く刺さる気がして、奥へ奥へもっと挿入りたいと、それしか考えられなくなる。
上半身を起こし、代わりに月彦をベッドに押し付ける。足を高く持ち上げて、一番深くまで押し込む。
「ひっ、ああ! あん、やぁ、あっ! あっ、はっん!」
月彦の高い嬌声すらも下半身に響いて心地良い。
いやいやをするように首を振る月彦の頬を押さえて、顔を近付ける。全てを月彦の奥深くに埋めたまま、キスをする。
苦しそうだった月彦が、京弥の首に腕を絡ませしがみ付いてくると快楽が愛情に変わっていく。
肌の温かさや滑らかさを感じるように、できるだけ体をくっつけて月彦の体温を楽しむ。
奥に先端を押し付けたまま、ゆったりと体を揺さぶると、甘えるような声を出す。
激しく抜き差しする動きに比べて快感は下腹部に溜まっていくけれど、それはそれで深い部分から繋がって一緒に昇り詰める感覚がして良い。
「はぁ、……ああ、まじで気持ちいいっす、月彦先輩……ああ、やば……」
「ん、んん、はぁ、あ、おれも、俺も、きもちいい、んっ、おかの、あっ」
月彦の足が京弥の腰に回っていて大きな動きができない。
「せんぱ、もう少し、動きたい、す」
月彦が素直に腕や足を離すとき、わずかに寂しそうな顔になるのが無意識なのだろうと思うと愛おしい。
代わりに口や瞼やこめかみにキスをたくさん降らせ、じりじりとした熱を解放するために腰を打ち付けた。
「ああっ! あっ、ん、はぁっ、やっあ、ひっ! あっは、ん、んっ、んぅ、……やっ、あ、あああ!」
記憶の中では物静かに佇むばかりだった月彦の乱れた姿を目に焼き付けながら京弥が一番奥に打ち付けた瞬間、月彦も背を反らしながら達した証の白濁を吐き出していた。
きつく胎内が収縮し、絞り取られるように京弥も月彦の中で精を吐き出した。
その後も、服を脱いだり、シャワーを浴びたりする間も事あるごとに抱き合った。
お互いの様々な体液でどろどろになった月彦が気を失うように眠りについて、その背中から抱きしめるようにして京弥も眠った。
翌朝、無意識に自分以外の体温を手が探して布団の中を彷徨い、目的に辿り着かなくて目が覚めた。
「……先輩……?」
月彦の姿はどこにもなく、ベッドは半分、わずかなへこみを作っているだけだった。床に散乱しているのは京弥の服だけで、月彦のものはない。シャワーかとも思って探してみたが、どこにも姿は見えなかった。
小さなテーブルの上に二万円が置いてあるのだけが、唯一昨夜のことが夢ではなかったと思わせた。
なにか急用が入ったのかもしれないとスマホを確認してみたが、なんの連絡も入っていない。それでは、とこちらから電話をかけてみたが応答もない。
急激に不安が襲ってくる。
自分が酔ってなにか失言ややらかしをしてしまったのだろうか。心当たりはないけれど、傷つけたり怒らせたりしたのかもしれない。
「……ああ、くっそ……、せめて心当たりがあれよ、俺……」
乱れたままのベッドには、昨夜の体温や湿度まで残っている気がする。その中に思い切り倒れ込んで、京弥は頭を抱えた。酷く頭痛がしていることに気付く。
シーツからは、ほのかに月彦の匂いがする。甘くて落ち着く、ずっと嗅いでいたくなる匂いだ。
なぜ、今腕の中に居ないんだろう。
昨夜はこの匂いをめいっぱいに吸い込んで、溺れて、閉じ込めて、確かに繋がれたと思ったのに。
どんなに思い起こしても、考えても、頭痛が酷くなるばかりだが、月彦の体温を思い出すと下半身はまた勝手に重たくなって、自分の身体ながら呆れた。
外では雨が降っているようで、しとしとと静かな雨音がしている。なんだか水中に沈んでいくようで、手足を動かして起き上がるのも億劫だ。
ずきずきと脈打つこめかみの痛みに耐えながら、とりあえずシャワーを浴びて落ち着こうと試みた。
もしかすると、本当に急用で慌ててホテルを出たものの連絡もできない状態だとか。
いや、そもそも、昨日のあれは月彦だったのだろうか。酔って他人の空似である全く関係のない人物を抱いてしまったのかもしれない。しかし、相手も京弥のことをしっかり認識していた。
思えば、最初から違和感はあった。月彦のようで、どこか違う人物のような印象を受けていた。頭の中に月彦の腰を馴れ馴れしく抱いていたスーツの男が過ぎり、ちらりとテーブルの上の紙幣を見る。あの金はおそらくホテル代のつもりなのだろうが、月彦にもってもらう義理はない。京弥と会わなければ、月彦はホテル代を出したり出さなかったりというやり取りをあの男としたのだ。
月彦のことをなにも知らないのだと、改めて思い知る。
再会を感謝したときはあんなにも、可愛いと思い、大事にしたいと思い、これからゆっくりと育んでいきたいと思ったのに。高校の頃の続きを、だなんてよく言えたものだと思う。
酔った勢いでセックスしてしまった。その事実はもう変えようがない。その後の京弥のフォローやこれからの言動が大事だ。それによってきっと良い方にも悪い方にも転ぶ。
とにかく、月彦本人にきちんと確かめなければならない。そして、金も返して、なにか傷つけてしまったなら謝って、でも、自分は決していい加減な気持ちではないことを伝えよう。そう考えると、少し気分も浮上した。
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