第2話 再会

 土曜の午後は先日とは打って変わって貴重な梅雨の晴れ間ということもあり、ギャラリーは子供連れの若い母親で溢れかえっていた。

 小さなギャラリーを所狭しと子供たちが駆け回る。京弥のような年齢の男が独りで、という姿は珍しく、入るのを躊躇してしまう。

 身長の高さを利用して出入口付近から覗いてみるけれど、スペースの奥に人だかりができていることしかわからない。

 先日の受付の女性を目で探してみれば、必死になって客の対応をしたり右へと続く廊下に並べられた絵本やポストカードの販売をしている。

 これは、一度時間をおいて出直した方がいいかもしれない。そう思い始めたとき、ふと一息ついた女性と目が合ってしまった。女性はにこやかに迎え出てくれた。

「またお越しくださったんですね。もしかして先生とお会いしたくて、とかですか?」

「え、あー……、あの、はい」

 男が男性の絵本作家に会いたくて、というのはおかしかっただろうか。あれからさらにじっくりとネットで情報をさらってみたものの、年齢すら出てこなかった。

 結局、こうして実際に自分の目で確かめようと足を運んでいる。女性は声を潜めて人混みをこっそりと指差す。

「先生は今日一日ずっとあんな感じなんですよ」

「え、あそこに先生が居るんですか?」

 爪先立ちで見てみたが、背の高い女性も低い女性も、こうたくさん集まられると男一人など埋もれてしまう。

子供を抱っこしたまま近付いている女性も多く、子供の後頭部ばかりがたくさん見える。

「在廊している作家はお客さまにお応えするのが仕事ですからね。絵の説明や絵本の裏話なんかを尋ねられてるみたいですよ」

 そう言いつつ、女性も首を伸ばして覗こうと試みる。

「先生、イケメンだからなぁ」

 その一言は誰にともなくぼやいたようだったが、京弥には聞き捨てならない一言だった。

「先生イケメンなんっすか?」

 月彦も、顔がきれいだった。高校の頃の記憶であれから十年は経っているが、そう極端に造作は変わらないだろう。

 女性はばつの悪そうな顔をして、声を潜める。

「ほら、こういうギャラリーとか私みたいなギャラリストは作品重視じゃないとだめじゃないですか。

もちろん、作品をこそ愛してますけど、それ抜きにしても先生がイケメンだなぁって思うこともやっぱりありますよね、人間ですから。

お客様にも本当はこんなこと言っちゃだめなんですけどね。先生も嫌がるし」

 確かに、自分の作品よりも顔を目当てにされるのは作家としては嫌だろう。それを言うなら、京弥こそが作家目当てにギャラリーを訪れたタイプの客なのだが。

 視線を走らせて、販売コーナーに目を向ける。

「あの、閉店時間間際にまた来ます。絵本って買えるんですか?」

「ええ、買えますよ」

 ディスプレイ棚に並べてある絵本は全部で六冊だ。ぱらぱらと捲って中に挿絵として展示されていた絵が描かれているのを確かめると、厳選して三冊購入した。

 どんなに作家目当てだろうと、きちんと作品も購入するのがマナーだろう。

 ギャラリーを出て、一度駅前まで戻り、今度こそコーヒーの飲めるカフェに落ち着いた。

ギャラリーの人が少なくなるまでここで時間を潰そうと絵本を開く。

 絵本の内容は、ある小さな小鳥の巣にカッコウが卵を産み、そこで孵ったカッコウの雛は、本来の小鳥の雛を巣から追い落とし自分がエサをもらいたいという本能に悩みながらも、小鳥の雛と仲良くなり、その結果かけがえのない家族を手に入れるという物語だった。

 京弥が先日の雨宿りの際に目に留めた絵は、この絵本の挿絵だったのだ。

 絵本でありながら、簡単な言葉の中にカッコウの葛藤と小鳥の雛との交流が胸をつく。人の出入りの激しいカフェの店内で不覚にもうるっときてしまって、慌ててコーヒーを飲んで誤魔化した。

 この数日で、京弥はしっかり『雨野月彦』の絵本と挿絵のファンになってしまっている。『雨野月彦』があの月彦ではなかったとしても、京弥はこの絵本を大切に持ち続けるだろう。

 スマホで時間を確認して、再びギャラリーへ向かう。少しでも作家の『雨野月彦』に会えたら、絵本を気に入ったことを伝えよう。

 重たいガラス扉をそっと押し開くと、予想通り、ほとんどの親子連れが帰った後のようで多少の熱気と埃っぽさを残して静かなギャラリーに戻っていた。

見たところ、作家らしき人物は居ない。廊下の奥から女性が出て来た。

「あら、三度のご来店、ありがとうございます」

 なんだかすっかり馴染みの客という雰囲気になってしまった。

「あの……、お疲れかと思うんですがー……、雨野月彦さんって……お会いできたり、します?」

「大丈夫ですよ。

実は、さっき先生にお話しておいたんです。珍しく男性のファンの方が来られましたよって。

お呼びしてきますね、中でお待ちください」

 途端に心臓がばくばくと大きな音を立て始める。

 なんと声をかけよう。もし、月彦ではない別人だったら、失礼だから月彦という先輩を探していた、などとは言わない方がいいだろう。

 先日偶然このギャラリーに来て、絵を見てファンになりました?

 それで作家本人にまで会いたいというのは気持ち悪いと思われないだろうか。一言ファンです、と伝えて適当に話を切り上げて帰ろう。閉店間際というのはその為でもある。

 緊張で握る手の中に汗までかき始めた。

「お待たせ致しました。先生、ほら、あちらの方です」

 女性の朗らかな声につられて、そちらを向いた。

「……あ、」

「え、」

 女性の後ろから廊下を歩いてきたスーツの男性が顔を上げた瞬間、向こうも目を見開いた。

 柔らかそうなさらさらと流れる髪、線の細い佇まい、そこだけぼんやりと浮かび上がるような独特な存在感。

「先輩……」

「え、あ、……岡野、くん……?」

「! 先輩、俺のこと覚えててくれてるんですね!」

 思わず男性に駆け寄って、至近距離から詰め寄った。間違いなく、夢にまで出て来た月彦本人だった。

 間の位置に居た女性は京弥の勢いに飛び退き呆気に取られている。

「先輩、遊佐先輩、本当に会えた!

絵を見て名前を見たときからもしかして、って思ってました」

「……なんで……」

 月彦は呆然と固まったまま絞り出すようにそれだけを呟いた。

 確かに、疑問に思うだろう。月彦にとってみれば同じ高校の後輩だというだけなのだ。

もっと悪ければ、思春期の気の迷いで告白してしまった男の後輩、なのかもしれない。そうであれば、京弥のことなど黒歴史待ったなしの忘れたい記憶だろう。

 そこまで思いついて、ようやく京弥は自分一人で浮かれて先走ってしまっていたことに思い至った。

「はっ、あ、そうっすよね、突然尋ねたりしてすみませんでした……」

 急にしょんぼりと小さくなってしまった京弥と、未だに困惑した顔のままの月彦を見比べて、女性が要らぬ気を使ったのだろう。

「あー……、こちらは先生の高校時代の後輩さんだったということなんですよね。

十年ぶりくらいですか?

積もる話もあるでしょうし、控室使って頂いたら? コーヒーお持ちしますし……。

あ、そうだ、もう人も来ないだろうしギャラリー閉めちゃいましょうかー」

 そんなことを言いながら掛かっていたプレートをクローズにし、ガラス扉の鍵を閉めた。

「ちょ、高坂さんっ、お、俺も片付けしますからっ……!」

 言外に「二人きりにしないで」と言っているかのように必死な声が月彦から発せられる。

 しかし、無情にも高坂と呼ばれた女性はいいから、いいから、と手で制しながらあっという間に廊下の奥へと消えてしまった。

 二人きりで取り残されたギャラリーで、月彦が顔を俯かせる。

 そんな困った顔をさせたいわけではなかった。ただ、もう一度顔を見たい、話をしてみたいと思っていただけなのだ。

 二人とも十年以上の年月をそれぞれに送ってきたもういい年をした大人だ。

もしかすると、月彦には今大切な存在が居るかもしれないし、京弥だって現在たまたまフリーなだけで月彦と再会するタイミングによっては付き合っている相手が居たかもしれない。

お互いのそういう存在を無視してまで、過去の初恋に引き摺られることが良いことだとは京弥だって思っていない。

 月彦を困らせたり、今の生活を脅かすようなことは本意ではない。

「あの、突然尋ねて来ちゃったりしてすみませんでした。考えなしでしたよね。

……あの、絵本、読みました。

カッコウの絵本と絵が好きでした。感動したって言うか、えっと、上手く言えないんですけど、ちょっと寂しいような、ハッピーエンドなような、二羽が幸せならそれでいいよな、みたいな。

……あの、それだけ、っす。もう、来ないので、あの、これからも頑張ってください」

 ぺこりと頭を下げて、出入口へ向かおうと踵を返そうとしたときだった。

「っ、待って……!」

 まくったシャツの腕を引かれて振り向くと、顔を赤くした月彦が慌てて手を離した。

「あの、違うんだ……嬉しかった。ギャラリーにわざわざ来てくれたことも、……覚えててくれたことも。

っ、か、からかわれてるんじゃないかと、思って。

……すぐに、喜べなくて、ごめん」

 俯きがちな瞳が揺れて、所在なげな指先がしばらく彷徨ったあと隠れるように引っ込んでいった。

 改めて向き直ると、月彦の雰囲気は変わっていないとはいえ、昔からある不思議な存在感と美貌に加え、スーツ姿も様になっていて、あの頃よりさらに大人の色気のようなものが匂い立っている。

「先輩こそ、よく岡野だってわかりましたね。

俺、そんな変わってないです?」

「え、……いや、変わってるけど……、わかるだろ、……誰でも」

 誰でもわかる、だろうか。

緩くクセのある髪は、高校の頃は野球部だったのもあってごく短くしていた。身長は、月彦が卒業したあと、二年生で劇的に伸びた。

今では京弥の方がわずかばかり視線を下に向けている状態で、十年で月彦の身長を超えることができていて素直に嬉しい。

 顔だって、月彦が知っている頃よりも大分大人びたはずだと思いたい。

現に、社会人になってから一度だけ参加した高校の同窓会では、「誰だかわからなかった」「昔は子猿みたいだったのに」「格好良くなった」と女子からの声かけに辟易した。

 それでも、月彦はすぐに名前を呼んでくれたのだ。もし京弥が犬だったら、ぶんぶんと大きく揺れて止められないしっぽが背中から見えていたことだろう。

「あの、先輩、今夜これから何か予定あります? もし良かったら飯でも」

 会話の糸口も見つけられず、連絡先さえ聞かなかったあの頃とは違う。再会は、チャンスは、きちんと自分でものにするべきだ。

 しかし、月彦の方は表情を曇らせる。

「……あ、悪い。夜は、ちょっと……」

 京弥のしっぽはあっという間にしゅんと勢いを失くし垂れ下がった。

「あ、そうっすよね! ギャラリーの片付けとかもあるだろうし、疲れてるだろうし。

……俺とじゃ気まずい、ですよね」

 月彦の方は黒歴史だったパターンかもしれない。両方にとって再会が喜ばしいとは限らない。

「あっ、ち、違う。ちょっと絵の制作の締切が近くて……! あの、嫌とかじゃなくて! 絵に集中、しなくちゃ、いけなくて……!」

 慌てて言い訳をする月彦はなんだか可愛く見える。

 高校生の頃は、ただただ憧れて眺めていただけで、どこか近寄りがたさを感じていた。

先輩への憧れが強すぎて自分から一線を引いてしまっていたから、話をするなんてことは考えもしなかった。

 もっと話しかけてみれば良かった。話してみれば、こんな風に可愛い一面があの頃にも見えていたのかもしれない。

「じゃあ、……今度改めて、誘ってもいいっすか?

連絡先、教えてください」

 月彦は顔を赤くして頷いてくれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る