菊原慶介の人生⑩

「料金が決まったんですか?」


「それで、おいくらでしょうか……」


菊原は財布を取り出して、名取の向かいに座った。


名取は携帯を取り出し、少しいじると菊原の目をじっと見つめた。


「料金はいらね、その代わりあんたの名義はもう金輪際使わせない、あんたの名義は俺が買った!」


名取の放った言葉は2人を驚かすのに十分だった。


「えっ、いらないんですか?」


「あぁ、ってことで交渉は成立だ、近々あんたに新しい名義を用意する。今後はそっちを使用して生活をするようにな」


名取はそう言って、スッと立ち上がり、資料をまとめると鞄に丁寧にしまい込んだ。


あまりにあっさりと交渉が決まったことに疑問を感じた美晴は名取を問いただす。


「これで、終わりですか? 名義の売買って……」


「勿論、めんどくさい手続きが必要だと思ったのか? そんなのは全部猫ちゃんに任してある」


猫山さんのことか?


そうこうしていると、名取はその場から離れようと玄関に向かった。


「よかったぁ」


菊原はこれからの自分の人生に安堵したのか、


深いため息をつきながらソファに腰かけた。


しかし、美晴はどこか腑に落ちなかった。


これだけじゃないはず。


名義を売買する……本来正式な手続きのもと、理由や条件が重ならないとできないのに、


それをいとも簡単にやってしまうなんて虫が良すぎる。


直感でそう感じたのだ。


美晴は菊原に頭を下げたあと、名取の後を追った。


周りを見渡すと名取は事務所とは違う方向に向かっていた。


「名取さ~ん!」


「ま~たお前かよ! ずっとついてきやがって」


追いついた美晴は息を整えながら名取に疑問をぶつける。


「あの……名義の変更で言ってた3つ目のやつ……」


「……あぁ、名義の精算に文句は言わないってやつか? それがどうした?」


「それです! 名義の精算って一体何ですか?」


名取はしばらく黙った後、そのまま歩き出した。


「ちょ、ちょっと名取さん!」


「そのままの意味だ、俺はこれから精算で忙しいんだよ!」


「質問に答えてください! 名義の精算はもしかしてこの後何かをするんじゃないですか?」


「ふん、わかってんなら聞いてくんじゃねぇよ!」


名義の精算とは一体……―――


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