(番外編)セリとナズナとふたりのラブレター暗殺計画
セリは激怒した。必ずやかの不逞不埒で不遜な輩を滅せねばならぬと決意した。
セリには道理が判らぬ。セリは宇宙の忍者である。征天大銀河星間帝国の威光及ばぬ辺境辺土で、故あってその御身分を隠して住まわれておられるナーズナディール皇女殿下を陰から守る
事の起こりは殿下が日々下々の餓鬼共と混じってお通いなされる小学校の朝である。常日頃の様に皇女殿下の三歩後から附いて歩くセリは、常日頃の様に下駄箱には皇女殿下と同じタイミングで並び立った。後刻、セリはこのことを死ぬ程後悔する羽目になる。皇女殿下の後でなく、先に立つべきではなかったか。後方見守り男子面ではなく、前方監視飼い犬顔をするべきではなかったか。あらかじめ皇女殿下に先んじて下駄箱に立ち、お気づきされることなくその内部の安全を確認すべきではなかったか。
皇女殿下が下駄箱の扉を開くと、まろび出たのは一通の封書であった。あれ?と皇女殿下は落ち着き払ったまま疑念の声を上げた。しかしたちまちそのご尊顔が曇る。
うーんこれはラブレターだなあ。
ラブレター!朴訥なセリもその程度のことは知っている。恋心を秘めた男子が憧憬を抱く女子に渡す恋文である。皇女殿下が手にした封書は巷に溢れるラブレターと同様に、下品な桃色封筒に下卑たハート型シールで封印を施し、あまつさえ「ナズナちゃんへ」などと、なれなれしくも皇女殿下を直接名指しする無礼なものであった。
下賤な身分の者が皇族に直訴するなど不逞千番、ここが帝国本土ならば、その場で手打ちに及ぶ所業である。いかに辺土の民衆が無知蒙昧とはいえ、皇女殿下一の忠臣と自負する己が、これを誅せぬ道理はない。
断固誅すべし。皇女殿下のためである。
誅する?それは何か良い響きだなとセリは思う。皇女のために、誅する。成程正義を成すことの高揚感とはすなわちこれか。セリは周囲の人間に気取られぬよう、ひとり壁を向いてほくそ笑んだ。誅するぞ絶対誅するぞ。
あいつキモイよねー
ナズナちゃんなんであんなやつと一緒にいるんだろうねー
皇女殿下に無暗にお気づかいを受けぬように、手紙の内容、送り主についての情報を得ねばならない。セリは皇女殿下の視界の外から、一心不乱にそのお気持ちに空隙が生まれる一瞬を探し求めた。
しかし、さすがはナーズナディール皇女殿下である。例え斯様な未開の蛮人社会に混じっていても、決して勤勉な態度を緩めることはない。セリから見れば馬鹿馬鹿しいことこの上ない授業内容を熱心に聞き、手づからノートまで取っている。セリは皇女殿下への思慕と敬愛の念を新たにした。
あいつ今日ずっとナズナちゃんのこと見てるぞ。さすがに止めさせたほうがいいだろあれ
よせよせ、かかわらんとけ
そのうちケーサツ沙汰よケーサツ
学校にいるうちはやはりやめておこう。皇女殿下の学習のお邪魔になってしまっては本末転倒である。しかし下校途中にもまた、セリはラブレターを入手することは出来なかった。畏れ多くも皇女殿下が下賤な学友どもを御供にお帰りあそばされたからである。
なんと慈愛に満ちたことか。本来このような蛮族共に皇女殿下がお声をかけるなど青天の霹靂である。たといその御身分を隠し、ご本人すらその御出自をご存知ないとはいえ、これほど民衆の中に分け入った皇女が、果たして帝国の歴史にあっただろうか。これは末永く伝えられるべき偉業である。歴史家はどこか、歴史家に伝えよ。
しかしいくら辺りを見回して見ても、もとよりセリの身の周りには歴史家どころか友達の一人もおらぬので、皇女殿下のご行為を記録する者とてない。故に、この事実を記憶し後世に伝えるのは、これもまたセリの仕事なのである。おい、俺の前に立つな。
あいつ帰り道でもまだみてるよーうげー
わたしたちでナズナちゃんの盾になろうよ、見えなくしちゃえ
いいねいいねー
やがて日も暮れ、夕餉のざわめきも消えようとする頃合い。皇女殿下が「祖父」と自称する家人と共に仮住まいを成している山中の庵の傍らに立つ影がある。セリである。御所と呼ぶにはあまりに貧相な家屋であり、この場に立つ度にセリの胸は疼く。あのジジイもう少しましな家には住めなかったのか。
近年、このような田舎の一軒家によく強盗が入るという。不用心な者が多いことよ、と蛮族を嘲笑しセリは音も無く庵に近づく。まるで強盗である。
寛大にも皇女殿下は自室の窓を開け放っておいでであった。たとい夜の帳の降りた後でも民衆の様子を少しでも知りたいというその御心を思い、セリは歓喜に打ち震えた。お部屋で何事をされておいでか。それを知ることもセリにとっては大切な義務である。傍から見ればノゾキである。
なんと!宿題をされておられるではないか!!ご自宅にあっても決して気の緩むことなく一心に勉学を続けるとはまさに帝室の誉れよ。セリはしばし、皇女殿下の御勉強を妨げる手合いが来ないか、御部屋の監視に努めた。
さて、そろそろ宿題も終えられたであろうか。む、あれは今日の時間割には無かった科目の教科書ではないか。皇女殿下はなぜそのようなものをお読みか……。まさか!予習をされておられるのか!!
来年は中学校入学を控えた御身とはいえ、かほど熱心に勉学に打ち込まれるとはなんと聡明なお方であろうか。元服された暁には、必ずや帝室史上かつてない程の、博学にして万知に長けた皇族となられるお方よとセリは感嘆した。
ナズナやそろそろ休みなさい
はーいおじいちゃん、おふろ先につかうね
部屋の明かりが消え、気配が離れたいまぞ好機!セリは音も無く 皇女の居室へ侵入した。居室を去るにあたって聡明なる皇女殿下は無論厳重な戸締りを施しておられたが、斯様な未開文明の防犯装置を解除することなど、セリにとっては赤子の手をひねるよりも容易いことである。皇女殿下のご下命あれば、いくらでも赤子の手をひねよう。セリは忍びである。モラルなぞ無い。
なんたる僥倖!件のラブレターは開封され無造作に御机の上に捨て置かれているではないか。これはもしや皇女殿下が全てをお察しして、我がために自由に読むがよしとして置いて行かれたのか。そうだな。そうに相違あるまい。セリはラブレターを一瞥する。
なんと破廉恥な!「ひと目見た時から」「是非お会いしたく」などと、下品で下卑た、下賤で下世話な、劣情を形にしたかのような文章であった。このような付け文を書いただけでも打首獄門の罪は免れまい。封筒を検め、差出人の個人情報を入手する。ふむ隣町の男子中学生何某か。未成年とてこの暴挙、許されざる所業である。
ここが帝国本土星域ならば、ただちに警士が遣わされ厳しく獲りたてるところであろう。しかし、斯様な辺境に於いて帝室の威光を知らしめるには、我が身ひとつを以ってするほか無いのだ。セリはなんの躊躇いもなく処刑者たる道を選んだ。
本来ならこのような手紙は破り捨ててしまうことが望ましかろう。しかし皇女殿下には何も知らぬ体を装っていただいた方が安全安心である。セリは何事もなかったようにラブレターをもとの位置に、寸分の狂いもなく戻した。
そして庵を抜け出し、自宅へと駆け出す。神速こそを良しとせよ。次なる一手を直ちに打つのだ、急げ、急げ急げ急げ!
ふむ、湯屋までは覗かぬか。まだそこまで悪知恵が回らんか、はたまた己が目的に視界を狭まれたか。いずれにせよ一命とりとめたなセリよ。万が一という事であれば、わが手でその身を処することも厭わなかったのだがな
一心不乱に駆けていくセリの背後で、庵の屋根に立ち腕を組んでニヤリと笑う影については、セリはその気配を微塵も感じることが無かった。
翌朝、払暁明けやらぬうちからセリは街を駆け、差出人何某の住まうマンション宅のポストに手紙を放り込んだ。無論、偽手紙である。皇女殿下の筆跡を完璧になぞった筆致でしたためた、
偽手紙の作成に一晩中根を詰めていたので、その日の授業はほぼ寝て済ませた。目を開けたまま眠ることは、セリにとってはごく自然。忍びの者の基本中の基本とも言える振舞いである。
あいつさっきからまばたきひとつしねーよ。キモイをこえてこえーよ
だからさあ、関わっちゃだめっていってんじゃん
夕刻。セリがKZに選んだのは街のドブ川が道路橋、鉄道橋と複雑に交差する
さて、如何に愚かな行いを成したとて、相手はまだ未成年者である。死罪を申し渡すにしても、過度に残酷な方法で命を断つこともあるまい。一瞬の内に苦しみなく散華させるにあたっては何れの手段がよいか。音を立てずに人を殺す方法を、セリは今38通り知っている。事故に見せかけ遺体をドブ川に放り込んでも不審を抱かれずに済む方法は――
セリくん
セリは怖気だった。まったく気配を感じぬまま背後を取られて声を掛けられた。何者か。いやこれは聞き覚えのある声、嗅ぎ覚えのある臭いである。身に覚えのあり過ぎる気配。身構えつつ、恐る恐る振り返る。
こんなところでなにをしているのかな
そこにいたのは半裸どころか5/8裸の、過度にエロティックな露出で肌色面積の多いBQB(Bakunyu-quarters Battle)スーツを身に纏った女であった。過度に放漫なバストはでっかいロケットをふたつも乗せてんのかーいと声援が来るほどに張り出し、引き締まったウエストラインは全国の高校野球児がしまって行こうぜ!とエンジンを組むほど締り、お臀部様は美味しいお出汁がじっくり沁み込んだおでんの具の様にふわふわのぷるんぷるんであった。
何者かと一戦交えたばかりの様に上気した頬、汗ばんだ胸元。やや焦点の合わぬ蕩けたまなざし。降って湧いた痴女のような女の正体は
かっ母さんなぜここに
セリの母、スズナであった。
ねえセリくん、質問に質問で返すなってよく言うけれど、それは何故だと思う?
質問とは
はい正解。手榴弾を投げつけられたからと言って、自分の手榴弾を新しく投げたら足元は大爆発です。投げつけられた手榴弾は、ちゃんと拾って投げ返しましょう。
しかし、手榴弾が着発信管の場合は――
質問に質問で返すな
はい!母さん!!
じゃあもういちどやり直し。セリくん、こんなところでなにをしているのかなあ?
危機だ!絶対の危機だ!!なぜ母さんがここにいる。しかし自分の計画は完璧だった。まさか自分がここでラブレター犯の謀殺を企てているとはさすがの母でも気がつくまい。ここは誤魔化さねばならぬ!
とっ友達と待ち合わせをしているんだよ
友達ってセリくん、あなたこんな小汚いところでナズナちゃんとナニをするつもりなのかなーうぅん?
ナズナじゃないよ!母さんの知らない友達だよ
まあ!セリくん新しいお友達ができたの?すごいじゃなぁ~い。是非母さんにも紹介してよ
こんな姿の母親を一般人の目に触れさせてたまるものか。自分までおかしなヤツだと思われてしまうぞ。
でっでも僕らまだ知り合ったばかりだしお互い家に上がったり親を紹介するのはまだまだ先のことで
えーそうなの~
そうだよ
残念ねえ、母さん是非会いたかったなあ――
うんこんどちゃんと紹介するね
――何某くんにね。
何某!なぜその名を母は知っているのか!?泉のように沸き上がったセリの疑問は、グランドキャニオンのように深いスズナの胸の谷間から引き出されたモノによって直ちに氷解した。
それはナズナが受け取った手紙じゃないか!なぜ母さんがそれを持っているんだ!ナズナの許可は取ったのか!
セリは本気で激高した。例え実の親とて、皇女殿下の、しかも当人の
ううーん、それはねえ違うのよ。セリくん、勘違いしているのよ
勘違い?
これはね、ナズナちゃんが受け取ったラブレターじゃないの
どういうこと?
スズシロくんがすり替えた偽物の手紙なのよ。ふつう、中学生男子は小学校の下駄箱にラブレターを入れたりはしませーん
父さんが?すり替えた??いつのまに
昨夜セリくんがナズナちゃんのお部屋をのぞき見してたときよ。セリの目の前で堂々と忍び込んだのにまるで気がつかなかったなってスズシロくんは笑ってたけど、あれちょっと残念がってもいたわね。ほんとは気づいてほしかったんでしょうね。スズシロくんもかわいいところあるから
そんな馬鹿な!セリは本文をスクロールした。そんな記述はどこにも無い。
おのれ作者め、書き忘れやがって!!
ちょっと待った!不当な言い掛かりはよしてもらおうか!!私は作者だ。作者は本文をスクロールした。
>>セリは音も無く 皇女の居室へ
ここ、この「く」と「皇」の間の不自然な半角スペース!スズシロはこの隙間から第4の壁を越えて即座に居室に入り、すばやく机上に偽の手紙を置いてすみやかに立ち去ったのだ。すべては読者の目にもセリの目にもとまらぬ早業であった。以上、
だからね、何某くんなんてそもそも実在しないのよ。今朝セリくんがポストに返事の手紙を入れたマンションの、ちゃんとお部屋を見てみれば、そこが空き部屋だってわかったでしょうに。残念ねえ、母さん中で待ってたのに、待ちぼうけよ
スズナは獲物を前に舌なめずりをする三流のような顔で舌なめずりした。セリは知っている。獲物を前に舌なめずりをするのは三流のやることでは、ない。
加虐趣味者のやることである。
でもね、といってスズナはえっその服そんなところが開くんですかあ!というところを開けて何かを取り出した。どこからどう出てきたかはとてもここには書けねぇ。
あなたがいちばん悪いのはこれね
それはセリがしたためた偽の返事であった。
あなた、この手紙に「ナズナより」って皇女殿下の御名前を書いてしまったでしょう。それはね、「皇文書偽造」という重大な犯罪で
スズナは獲物を前に眉ひとつ動かさずに告げた。
万死に値する
殺される!あれは本気だ!!セリはRATO(ロケット補助推進離陸)装置を付けた脱兎の様に駆け出した。ドブ川を高速で走り後方に汚水と汚泥を派手に巻き上げる。向こうは5/8裸のBQBスーツ姿である。肌の汚れるを厭って追跡の速度を緩めるやも知れぬ。それに賭けるしかない。
だが、現実は非情である。振り向いたセリの眼前に迫りくるのは、むしろ汚泥と汚水を敢えて全身に浴びて、淫靡で恍惚な笑みを浮かべた母の姿であった。
あられもないセリの悲鳴は通勤快速の轟音に掻き消された。
いっぽうそのころ、ナーズナディール皇女殿下は
ごめんねわたし百合とかよくわからないの。友達じゃダメなのかな
などと告げて、ラブレターの真の送り主である級友女子を泣かしていた。
セリとナズナとふたりの宇宙船 あぼがど @abogard
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